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ハックルベリーに会いに行く このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-12-08

なぜ女の子は「何食べる?」と聞くと「何でも良い」と言うくせに、いざ具体的に提案すると「それはイヤだ」と言うのか

プレゼンテーションをしていて時々気付くのは、相手がプレゼンの内容にはあんまり注目してなかったりすることだ。むしろ、プレゼンするぼく自身を見ていたりする。

そもそも、相手に対して何かをプレゼンする時には、向こうが思いつかないようなアイデアをこちらがプレゼンするわけだ。向こうは、ぼくが思いつくようなアイデアを思いつけないから、ぼくにアイデア出しを頼むわけである。

但し、クライアントは向こうだから、最終的に選ぶのは向こうなのだけれども、内容が専門的だったりすると、相手にはもう、それが良いか悪いか分からなかったりする。彼らには、それが判断できなかったりするのだ。

そうした時に、相手はどうするかというと、そのプレゼンする人を見るのである。内容ではなく、そのプレゼンの仕方を見るのだ。彼の熱意であったりとか、ちょっとした仕草とか、眼差しとか、声のトーンとか、汗のかき方とか、そういうところを見るのである。

そして、それで決めるのである。内容よりも、人間に賭けるのだ。言ってることは分からないけど、この人なら信用できそうだ、あるいは、この言い方なら信用できそうだ、という、そういう評価軸で決めるのである。


なぜそうなるかと言えば、人間に対する評価軸なら、たいてい誰でも持ってるからだ。

人は人を判断する。それはもう、生まれた時から現在まで、判断に判断を重ねてきた。そうして今まで生きてきた。

だから、誰でも自分の人を見る目には一定の信頼感を置いているのである。本当の意味で「おれは人を見る目がないから人を判断することはできない」という人はいない。全ての人が、自分の人間を判断する目には信頼を置いている。そうして、その判断のもとで、色々なことを決めたりしているのだ。


人間は、評価に困ると、その最後の拠り所である人間に対する評価軸を持ち出してくる。そうして、プレゼンについても、何をプレゼンしているのかではなく、誰が、そしてどうプレゼンしているかで判断しようとするのだ。


これは当たり前のことなのかも知れないが、ぼくは理解するまでにだいぶかかった。

女の子とのデートで、レストランを選ぶ時、「何か食べたいものはある?」と聞くと、たいてい「何でも良い」という答が返ってくる。そこで、「じゃあどこそこにしよう」とこちらが提案すると「それは気分じゃない」とか「うーん、ちょっと」とか「残念、ハズレ」とか「あんた、バカぁ?」とか、まあ、色々ネガティブな答が返ってきて悔しい思いをする。

そうした時にぼくは、心の中で(さっき「何でも良い」って言ったじゃないか!)と一人密かにほぞを噛むわけなのだけれども、今なら、そうした返答をした彼女たちの気持ちが少しは分かるような気がするのである。


彼女たちは、本当に食べるものは何でも良いのだ。それよりも重要なのは、そこでぼくがどんなプレゼンテーションをするかということなのである。そうしてそこで、ぼくの彼女に対する気持ちが真剣なものかどうか、あるいは誠意のこもったものかどうかを、判断しようとしていたのだ。

だから、そこでネガティブな答が返ってきたのは、それが彼女たちの求めるレベルに未達であったというわけなのだ。

そうしてみると、人生においては「何をプレゼンするか」ということと同じくらい、いやそれ以上に、「どうプレゼンテーションするか」ということが大切になってくる。世間では、よく上辺だけの中身がすかすかなおべんちゃら野郎をバカにする向きがあるけれども、どうしてどうして、彼らはけっしてそう軽々にバカにできるような存在ではないのである。


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