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憂楽帳:優しい間違い

 私は勉強ができなかった。高校の通知表で数学に「1」がついたり、テストで0点を取ったこともある。浪人して何とか大学に潜り込んだが、試験シーズンはいつも途方に暮れていた。今でも時たま単位が取れず卒業できない夢で目が覚める。だから、同じ轍(てつ)を踏ませまいと、長男が学校から持ち帰るテストを時々見ては勉強の理解は十分か確かめている(まだ小学生なので対応可)。これはこれで子供との対話が楽しい。

 石原千秋著「国語教科書の思想」(ちくま新書)は、間違いは子供を理解する手がかりだと説く。「教室はまちがえることに意味がある空間」で「コミュニケーションのはじまり」とも記す。なるほどと思っていたころ、下の小1の娘が学習誌の付録テストで愉快な間違いをしてくれた。「帽子をかぶっている人に○を」の問いの下に医師や画家ら何人かが示され、1人だけ帽子をかぶる人の絵があった。彼女は答えとして全員の頭に帽子の絵をかき、かぶせてあげていた。

 このテストを大事に取っておこうと思った私は、やはり親バカなのでしょうか?【矢部明洋】

毎日新聞 2008年12月13日 西部夕刊

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