ものがあふれている。1億2000万人のこの国にある、1億台の携帯電話。都心を埋める高層ビルには、がらんとした空き部屋が目立つ。そして、インターネット空間をさまよう膨大な情報。「過剰な」現代のほころびが見え始めている。
森本哲郎さんは大正14(1925)年生まれ。昭和の年表は、自身の年齢に重なる。「大恐慌が昭和4年だから4歳。満州事変が6歳。戦争の時代が続いて、終戦が20歳。飢えから解放されたのは28歳か29歳だった。高度経済成長、バブル景気とその崩壊もありました」
東京都内の自宅。手元には使い慣れた湯飲み。ほのかに湯気が上がっている。
「今ほど便利な時代はない」。成人式を迎える平成。「コンビニに行けば、24時間、何でもそろう。本屋に出向かなくたって、パソコンで注文をすれば本を届けてくれる。友達の家を訪ねなくても、携帯のメールでピピッと連絡をとれば終わりです」
続けて、こう言う。
「今ほど閉塞(へいそく)感に満ちた時代はない。子どもだったせいもあるが、戦前さえもまだ充実感があった。現代はものがたくさんあり、情報があふれかえって無力感が生まれている。便利なのに、決して豊かではない。何でもあるのに何か足りないという飢餓感を、みんなが持っていると思うのです」
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「日本は伝統を切り捨てる天才です」。閉塞感の土壌にあるものを尋ねると、そう答えた。「何でも新しいもの、海の向こうからくるものを取り入れて、伝統というものは古くさいという一言で切り捨ててきました」。目は、明治、昭和に向いている。「文明開化は成功したと言える。因習にとらわれていたら社会は進歩しないですから。ただ、伝統を捨ててしまっては歴史の教訓が生きないんです」
戦後もしかり。日本の手本は、米国だった。経済の先生は、1903年に創業された自動車製造のフォード社。「それから100年、アメリカは、因習に縛られずに自由な天地を謳歌(おうか)した。しかし、最初は健全だった自由主義、合理主義がどんどん進んでいき過度になった」。大量に作って大量に消費するシステムだ。
茶をすすった。厳しい表情は変わらない。
「日本はこの60年余り、伝統を切り捨て、アメリカのさるまねをしてきたわけです。上っ面の同調化とでも言いますか。アメリカ式の自由主義、民主主義、合理主義を推し進めていった。アメリカのやり方を何でもありがたがるというのは、大いにマイナスだった」
かの国の行き過ぎは、「民主化」を掲げて乗り込んだイラクでの泥沼の戦争が証明した。そして、「自由な市場」の下で生まれたサブプライムローンの破綻(はたん)で明らかになった。フォードをはじめとするビッグ3は、会社存続の危機を迎えている。「このままでは」と国民は、新しい大統領を選び路線を修正しようと映る。翻って、私たちは--。
「まずは『アメリカなら何でもいい』から目を覚まさなければ。合理主義一辺倒、もうけ一辺倒になって、金にならなければ何もやらないって、そういうもんじゃない。物を次々買っても、狭い家に置く場所はない。じゃあ、テレビをもっと薄くしますか。きりがない。人間が生きるために、それほど多くの物はいらないですよ」
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新聞記者の先輩である。取材は、マッカーサーの時代から。1951年4月、東京新聞の記者として、GHQ(連合国軍総司令部)のマ元帥が日本を離れる様子を見届けた。「羽田空港に続く沿道にたくさんの人が詰めかけていました。みんな涙を流して『さようなら』って手を振っていたね」。毎日新聞をはじめ、当時の報道機関はマ元帥を恩人としてたたえた。
「新聞の使命は民主主義の確立である」とのGHQの方針で、他社の記者とともに米国に招かれた。4カ月間、シカゴ、テキサスなど広く各地の新聞社を回り、取材活動をした。「新聞報道は客観的でなければならない。権力の監視者でなければならないということを徹底して言われた」
今の新聞へ。「テレビもインターネットもあるので、新聞が売れなくなったと聞く。確かに速報性では劣るけれど、権力に向かい合って主張すべきを主張し、キャンペーンを張る報道がないためではないか。売れないのは、本来の姿勢を失っているからではないのか」。目が鋭い。「お前もしっかりしろ」と、言われていることに気づいた。
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世界中を旅してきた。ふとした瞬間に、日本の伝統の良さを知ることがあったという。急な雨に降られたパリ。広場のカフェを見つけて一休み。なるほど、と気づいた。「ヨーロッパの建物には庇(ひさし)がない。雨宿りを許してくれる軒がないんです。窓はあまりに明るく、あまりに乾きすぎている。自然と人間が窓で対決している気さえした」
しかし、日本の家屋も今や洋風になった。高度成長とともに、コンクリートの団地やマンションが増えた。
「戦前まで、日本の家屋は自然と親しんでいた。縁側が住居と庭をつないでいた。ぼくの家も小さい庭があるけど縁側がない。だから、ほとんど庭に出ることがない。縁側で子どもが遊び、近所の人が腰掛けて話をすることもなくなった。自然が遠ざかり、人間的な温かみが切断されてしまった」
しばし言葉を探した後、英国の動物行動学者であるデズモンド・モリス(1928~)の名前を出した。「彼は『都会は今や人間の動物園だ』と言うんですね。食べ物はたっぷりあってそこそこ安全な場所に閉じ込められていると。まさにその通りだと思います」。草原を駆け回れないチーター、風に乗ることができないオオワシ。人間らしさを失っておりに閉じこもる現代人?
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一度手にした便利な生活を放り出すのはなかなか難しい。この国の行方を問うと、「見えないなあ」と首をひねり、静かに続けた。「過ぎたるは及ばざるがごとし、という格言がありました。腹八分目なんていうのも。つまり、抑制ですね。受け継がれてきた伝統や歴史という重みこそが、過剰を抑制してくれるのだと思います」
なつかしき冬の朝かな。
湯をのめば、
湯気がやはらかに顔にかかれ
り。
「ぼくの好きな石川啄木の歌です。26歳で亡くなった啄木には、死の予感があったんでしょう。寒い朝、一杯の湯を飲もうとして、ふわっとほおに触れる湯気に、安らぎを感じた。幸せは遠くにあるんじゃない。ありふれた日常の中にあるんですね」【坂巻士朗】
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■人物略歴
1925年、東京都生まれ。東京大哲学科卒、同大学院社会学科修了。東京新聞を経て朝日新聞へ。学芸部員として世界各地を歴訪し、文明論、比較文化論の視点から記事を担当した。退社後の88~92年、東京女子大教授。主著に「文明の旅」「詩人 与謝蕪村の世界」「日本人の暮らしのかたち」。社会や日本文化などへの評論活動も。
毎日新聞 2008年12月12日 東京夕刊