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【緯度経度】中仏関係悪化は“近親憎悪”か (1/2ページ)
中国とフランスの関係がサルコジ仏大統領とチベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ14世が会見したことで最悪になっている。中国側は制裁は発表していないが、エアバスなどの大型契約の破棄や仏大手スーパー、カルフールの不買運動をちらつかせている。だが、サルコジ大統領は「欧州の価値観を否定しない」と述べ、自由と独立を擁護(ようご)していくことを表明した。
それにしても、なぜ、フランスなのか。ブッシュ米大統領、ブラウン英首相、メルケル独首相もダライ・ラマと会見しているが、中国は“黙殺”している。
フランスは1964年にドゴール大統領が西側の主要国家として初めて、共産党が統治する中国を承認した。49年に共産党による新中国が誕生した1年前の48年には、パリで世界人権宣言が調印された。パリが調印式の地となったのは1789年のフランス革命で「人権宣言」がなされたからだ。「人権国家フランス」と呼ばれるゆえんだ。
1950年には中国の人民解放軍によってチベットが「平和裏に解放」された。このとき、西欧諸国は朝鮮戦争勃発(ぼっぱつ)や、ソ連と中国との親密な関係を重視し、チベットを見殺しにした。国際情勢の中でチベットへの注目度が高まったのは、冷戦が終了し民族、宗教問題がクローズアップされてからだ。
冷戦の間も良好だった中仏関係は89年の天安門事件で一気に悪化する。フランスはこの年、革命から200周年ということもあり、当時のミッテラン大統領は中国を激しく非難した。92年にはフランスが台湾にフリゲート艦などを輸出。中国は経済制裁のほか、広州市の仏領事館を閉鎖するなどの報復措置に出た。関係正常化が発表されたのは94年1月の国交樹立30周年の式典の際だ。