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浦和の日本代表MF阿部勇樹(27)が12日に契約更改交渉を行い、推定年俸1億円で3年契約という増額提示を保留。長年の悲願だった欧州移籍を熱望していることが分かった。浦和との契約を1年残しながら延長の打診を受けているが、今夏セリエAなど欧州数クラブが獲得に乗り出すなど国外での評価も高く、運命の飛躍の可能性が高まった。
今季無冠、7位転落の浦和でリーグ戦33試合出場、6得点と気を吐いた阿部は、初の契約更改に臨んだ。しかし約30分間の交渉後、「ほとんど話していないんで…」と静かに語るだけだった。
クラブ幹部によると、09年終了まで契約期間を残す中、新たに3年契約を準備。10億円規模の減収と不況の影響で軒並みダウン提示となる苦境でも、約1500万円増の年俸1億円(金額はいずれも推定)の打診も済ませていたという。「シーズン中に複数年の打診はありましたが、今日(条件の話)はありませんでした」とロベルト佃代理人。好条件にも保留を選んだ理由は、長年の悲願実現の思いだった。
「海外移籍は昔からの夢。年齢的にもラストチャンスかも」高い次元で自身の研磨を願う求道者は、常々こう語り、クラブ側にも伝えてきた。強化部も、移籍金4億円で昨季千葉から加入時に将来的な欧州挑戦を確約。昨季のアジア・チャンピオンズリーグ制覇にも貢献し、幹部は「これで移籍金の元は取った」と話した。そんな阿部の実力を欧州も高く評価。今夏の移籍市場でも、セリエAなどの数クラブが獲得に乗り出していた。
千葉時代に恩師イビチャ・オシム氏の薫陶を受け、J最高のボランチに進化。戦術不在で個人能力に依存したオジェック―エンゲルス体制でも理不尽な起用法に耐えた。選手が造反を繰り返す危機的状況でも、本職でないサイドバックで死力を尽くした。今冬の移籍市場で再オファーが届く可能性は高い。献身の功労者に対し、監督人事で迷走して名門凋落(ちょうらく)を招いた首脳に無理やり引き留める資格はない。
◆阿部 勇樹(あべ・ゆうき)1981年9月6日、千葉・市川市生まれ。27歳。市原ユースから98年トップチームに昇格し、同年のG大阪戦(万博)で当時の最年少Jデビューを飾る。04年アテネ五輪代表の中心選手としても活躍し、05年1月のカザフスタン戦で代表初出場。07年から浦和に所属し、あらゆる守備的ポジションをこなす。J1通算247試合出場、39得点。日本代表32試合出場、2得点。177センチ、77キロ。
(2008年12月13日06時01分 スポーツ報知)
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