作家で演出家岸田国士氏の作品「『人間らしさ』ということ」を中学か高校で習った。中に、踏切警手の話が出てきた。昔は、少し大きな踏切には列車が通るたびに遮断機を上げ下げする警手がいた。
著者の知り合いのある駅長が、折に触れて部下の警手に教えていたそうだ。「この仕事は人を通さないのが目的ではなく、人を通すのが目的である。あべこべに考えると、この仕事はダメになる」と。
一見同じに見えても、早く完全に踏切を通す心遣いと職務に落ち度さえなければという了見はまるで違うと、著者は記す。何のために、どこに顔を向けて仕事をするのか。社会人としてあらためてこの一文を読むと実に味わい深い。
麻生太郎首相の支持率が急落している。数々の失言とともに、政策のぶれが要因といわれる。首相の目線が、国民に向けて明確に定まっていないせいではあるまいか。
「国民の立場」と言葉ではいう。だが、実際はときに党内の面々が、ときに野党との駆け引きが、首相の目により大きく映じていると思える。前首相、前々首相またしかりだ。
小泉純一郎元首相は違った。見据えたのが国民の幸せか支持率かは悩ましいところだが、視線は定まっていた。ぶれないことは難しい。とはいえ、特別な人にしかできないとは思いたくない。