Hatena::Diary

Keep Crazy;shi3zの日記 RSSフィード

2008-12-12

マイクロソフトに足りないもの

D

Windows7のマルチタッチ機能のデモらしいのですが、似たようなデモなのにマイクロソフトがやるとなんだか格好悪いのはなぜでしょうか。

やっぱり意味無く画像を「ビヨンビヨン」と二回拡縮させるあたりでしょうか。

あと、なんか機能が一杯ありそうで実はない。

知的な作業をしてるようで、実はしてない、あたりでしょうか。

Windows95の頃はまだ良かったのになあ

iPhone起業

昨日のオープンモバイルコネクションズは奥歯にものの挟まったような感覚で議論していた前回とは一転してとてもためになる内容を聞けた。

ハドソンの柴田さんの話は「ここまでしゃべっていいの?」というくらい細かい数字まで含めた本格的なものだったし、パネルディスカッションではGclueの佐々木さん、Enfourのリチャードの話はとてもためになった。

リチャードとは仲が良いから、いつも話をしているけど、それでも普段口頭でしか聞いていない話題をグラフとして見せて貰えたことはとても有意義だった。


普段からリチャードと話しをしているのに、こういう情報を彼がまとめてプレゼン資料にまとめた、という意義は非常に大きい。


例えば僕も面倒だからなにか要請がなければそんなグラフを書いたりしない。

リチャードも同じだろう。

パネルディスカッションという場が、彼にその資料を書かせたのだ。


彼らに比べると僕は徒手空拳でぶらりと赴いたので、なんていうか勉強になることだらけだった。


二人の話を総合すると、こういうことだ。

安価なアプリでiPhone向けマーケットで勝負するには、数で勝負するしかない。

しかも、初日の売上で勝負するしかないということ。

逆に中途半端な価格帯の製品を作るより、思い切って値段を高くしろ、という話もあった。

リチャードによると、本格的なソフトはそれだけよく売れているのだという。

感じたのは、みんなiPhoneに夢を持ってやってるんだなあ、ということ。



夢の持ち方はそれぞれ違うけれども、ハドソンの柴田さんやリチャードみたいに確実に利益を出すやり方もあれば、Glueの佐々木さんのようにとにかく前に出るというやり方もありだと思う。


僕はどうだろうか。

僕は泥まみれだな、と思った。

大雨の中グランドを走っている感じ。とにかくボールを追いかけているが、上手くいかない。

けど、監督はまだタイムアウトを取らない。まだやれる、シュートのチャンスはある、そういう状態。


そういう世界で、ブランドも無く、勝算も薄い大規模なプロダクティビティソフトウェアを作り続けるっていうのは夢としか表現出来ないかも知れない。

それでもこれをやっているのは、僕は将来モバイルはデスクトップに取って代わると思っていて、そのときにVisICalcや一太郎やWordとなるようなソフトを提供することが僕の長年の夢だったからだ。


UBiMEMOも、ZEKE CMSもZeptoPadもZeptoLinerもみんなその夢を中心に作ったものである。

僕らの目指す方向性はハッキリしている。

究極の道具を提供する会社になること。

僕らにとってはゲームも道具の一種だ。

あれは気分転換をする道具なのである。

2008-12-11

日経のオープンモバイルコネクションズ2008(冬)に出てきます


個人的に今回の目玉はハドソンの柴田さん。

普段ひとの話をじっと聞くのが苦手な僕ですが、柴田さんのトークだけは必聴モノだと思っています。


というイベントの告知以外やることがないブログっていうのも寂しいなー

書きたいことはいろいろありますが、とりあえず我慢します

2008-12-09

ZeptoPad2.0をリリースしました

まだ無料体験版はリリースされていないっぽいし、スクリーンショットも古いままですが。



今回の新機能は予告通り

  • Webサーバ機能
    • リアルタイムプレゼンテーション機能
    • バックアップ/リストア機能
    • PDF出力
    • Bonjour対応
  • デザインを一新
  • 画像を高解像度化(256x256)に

ということになっています。

iPhoneがWebサーバに変身してFlashを読み込み、そのままiPhoneと通信する、というあたりはEye-Fiを参考にしました。





でもね、正直言って使い勝手が改善されたわけじゃないので、今までのZeptoPadに不満を抱いていた方々に「わあ良くなった」と言ってもらえるほどのバージョンアップではありません。


というのも、いまさら根本的なユーザーインターフェースを変更すると、逆にこのUIに慣れきってしまった人が戸惑うから、というのが最大の理由です。


メールでもいくつか案を頂いて、検討したのですが、たとえばいきなり線が引かれると困るから、ペンを選んだ時だけ線を引くようにしてほしい、とか。

そうするだけなら簡単なのですが、そうすると、他の仕様と細かい矛盾が生じて来て、結局全体に影響するので容易には導入できない、という結論になって先延ばししました。

ブラウズ専用モード、というのが欲しい、というご意見もあるので、それについては今後の検討課題にします。

これが売れようが売れまいが、いずれにせよZeptoPadは3.0までは作るつもりです。


今回のバージョンアップに関しては、ブログで頂いた沢山の批判や感想が大変参考になりました。

特にPDF出力、画質の向上、デザインの一新については以下のページを参考にさせていただきました。



また、リアルタイム出力に関しては以下のページを参考にさせて頂きました。



とはいえ、まだまだ皆様のご満足いただけるものになっていないと思いますが、こうした厳しいご指摘の声あってこそ今回のバージョンアップが目覚ましいものになった結果ですので、今後とも懲りずにご指導の程をお願いしたく思います。

今日から3.0の仕様策定と開発に移ります。

「まだ個々が足りない」「どうしてこれに対応しないのか」等等、ご意見たまわれればと思います。

また、まだ購入されていない方に関しましては、無料体験版をお待ち下さい。

遅くとも今週中にはリリースされる予定です。


無料販の制限は

  • ワークシートは16枚まで
  • Web連携機能ナシ

です。

Web連携機能が試したい場合は、私以外のレポートをお待ち下さい。

Web連携機能の使い方が解らない方は、以下のビデオをご覧下さい

D

2008-12-07

51 things

私の部屋でみつけた51のもの というビデオがYoutubeで超流行ってるらしい

D

なにがおもしろいかっていうと、このネットアイドルみたいな女の子の可愛さもさることながら、これにたいして500近いビデオレスポンスが返っているということ

YouTube - Broadcast Yourself

面白いものからくだらないものまで一通り揃っていて、それが実に面白い。

最近毎日のようにYoutubeに動画をアップしている職人と化した僕も、参加してみることにしました。

D

でも51個もモノを見つけるのって結構大変。

カメラのレンズとかも1個に数えればもっと沢山あったけど、それじゃあつまらんし。

EOS 5D MarkIIで貯め取りして、FinalCutで音楽付けて切っただけ。レンズはたまにはニッコールということで、28mmF2.8。まさかカメラにハマリ初めの時に一度買って以来、あまり使わなかったレンズがここに来て生きてくるとはね。でもこういう撮り方をするならXactiでも良かったかもしれません。

それでも固定カメラ+音楽でこんなにコミカルになるって面白い。MarkIIの意味ないけどね。

もとのビデオが超良くできてるんだよね。女の子らしい可愛さと、ギークの匂いがするガジェットの配分が絶妙。こりゃバカウケだな、という感じ。

そういうのをVideo Responseの「Play All」で繋げて見るとそれはそれで壮観です。

あなたの身の回りの51thingを撮影してみてはいかがでしょう?

座学と実学、無知と無理解、数学と真理

勉強の仕方には2種類あると思う。

一つは、教科書をきちんと頭からお尻まで読み、先生の解説をカリキュラム通りに聞き、テストで満点を取る、いわば「座学」。

もう一つは、まずなにかやりたいことがあって、そのために教科書を買ってきて、それを拾い読みしてとりあえず目的を達成するやりかた。「実学」とでも言うべきもの。

僕は決して勉強が嫌いなわけではなかったけど授業を聞くのが耐えられなかった。

要するに「座学」が苦手だったのだと思う。


分野によって、座学に向いているものと、そうでないものがあると思う。

例えば、プログラミングの入門初期は座学に向いてないと思う。

週一回のペースで勉強していくにはまどろっこしいし、カリキュラムを全て消化したとしても、それを実際に何かに役立てるところまでたどり着くのは難しい。

「面白い」と思ったら翌日には殆どのことが理解できているのがプログラミングであって、一週間もすれば好きなものが好きなように作れるようになっている。


英語も座学向きでないように思う。

「正しい日本語」を学校で習ってから喋る赤ん坊が居ないのと同じように、「正しい英語」を学校で習う赤ん坊もいないのだ。

最近はインターネットという便利なものがあるから、世界中に無数の例文がある。

「この言い回しはあってるのか?」ということくらいなら、検索すればすぐに解る。

それをつぎはぎして使って、誰かにぶつけてみて、間違っていたら、相手が指摘してくれる。指摘されなければ、通じていると言うことだ。それはそれでめでたい。

必要なのは間違いを怖れないことと、間違ってもめげない根性だ。故に根性英語と呼ばれている。

言葉というのは実学に向いているのだ。

僕はカタコトでしかフランス語を喋れないが、そのカタコトはけっこう通じてしまうのである。



一方、数学は座学でなければわからないと思う。

僕のかつての専門分野であるコンピュータグラフィックスやユーザーインターフェース、経営とゲームに使用する確率統計学など、僕は他の職業に比べると数学を応用せざるを得ない場面が非常に多い方だと思う。


けれども、これを実学だけで乗り切ろうとすると必ず壁にぶつかる。

例えば僕がいつもこの話題の時に例に出すのは、クオータニオンと離散コサイン変換、それにウェーブレット変換だ。

クオータニオンとは、本来三本の基底ベクトルをもとに3×3行列で表される三次元の姿勢を4つのパラメータだけで表現する考え方で、その実態は相異なる3つの虚数単位を使った複素数である。

 Q = ai+bj+ck+d ←これを四元数(クオータニオン)と呼ぶ

 このとき、i,j,kはi^2=j^2=k^2=ijk=-1、かつij≠jk≠kiを満たす虚数単位

そもそも、なぜ三次元空間の姿勢を表現するのに虚数が出てくるのか。しかも3つも。

これを理解するためには膨大な数学の知識をステップ・バイ・ステップで追いかけていかなければならない。

離散コサイン変換(DCT)はJPEG圧縮などに使われている考え方で、ウェーブレット変換はJPEG2000で使われている概念だ。僕はDCT自体を理解することはできても、DCT自体を自分で考えつくことなんてできない。そしてたとえDCTを理解したとしても、普段使わないからすぐに忘れてしまうのである。

教科書を見ずに自分なりのやり方で方法を見つけられたのは、基底変換までだった。


プログラミングそのものがいくら上達しても、結局のところこうした根本的なアルゴリズムや数学的概念を見つけ出すには数学者が有史以来数千年も掛かって発見し、積み上げてきた事実に頼らなくてはならない。

ここに実学的プログラマーの壁がある。

プログラミングは、いわば論理の組み合わせで物事を表現する行為だ。だから究極的には数学的生産活動なのである。


数学の基礎的な部分はごく簡単であるのと同じように、プログラマーの初級から中級ステップまでは自分の母語をコンピュータ言語に変換するというとても簡単な仕事をするだけに過ぎない。

けれども、その先に行くと、アルゴリズムそのものの発見や、概念の追求といった世界が広がっている。

そこにたどり着いてしまってから、「数学の勉強を真面目にしておけば良かった」と考えるのではもう遅いのである。というか、僕がそうだった。



大学時代、付き合っていた女の子に「亮はテンソルも知らないの?」と呆れられたことがある。いや、哀れまれた、の方が近い。

時々悔しかったのを思い出して、書店でテンソル解析の本を探してみるが、さっぱり理解できない。Wikipediaの説明は比較的わかりやすいと思うが、これが何の役に立つのかイマイチわからない。頭の中で理論と実際が結びつかないのだ。



布留川君に聞くと、「確かに習ったし、試験も通ったが、それがなんだったのか忘れてしまった」と言っていた。しかし、さすが一度でもそれを理解したとは凄い。素直に尊敬してしまう。増井俊之さんはテンソルという言葉自体を知らなかった。知らないとは考えにくいから、たぶん忘れてしまっているのだろう。



このあたりが場当たり主義、実学主義の限界なのだろう。

必要に迫られてから教科書を読む方法で、うまくいく場合といかない場合がある。

人生がひとつのロールプレイングゲームだとすれば、僕は実学にパラメータを振りすぎたので、どうしても越えられない壁がそこにある。



ソクラテスは「無知の知」を解いたが、「無知領域があることを知っている」ということと、「実際的に無知であることを理解している」ことには大きな違いがあるように思う。


無知という言葉には単に知識がないだけなのか、それとも理解することそのものが不可能なのか、区別がない。


数学の高度な概念について理解できない人など山ほどいると思うが、理解せずとも単純作業の繰り返しで数式は解けてしまう。だから解ったつもりになってしまうことは意外に多いような気がする。「知ってはいるけど解ってはいない」という状態だ。


そう考えると、「解ってることなど実はひとつもない」というのが本当かもしれない。

僕は自分のことだって良く分からない。

自分の病気のことも解らない。だから健康診断をする。

好きな人の気持ちだって解らないし、会社の行く末だって解らない。

文学的な表現はともかくとして、理解できることなどひとつもないのかもしれない。


僕が人生で最も多く使った関数はcos(コサイン)だ。cosは非常に便利な関数で、回転行列だけでなく、光りの当たり方の計算にも使える。しかし、cosの持つ様々な性質について全て知り、理解しているとは言い難い。たとえばcosをマクローリン展開した数式

http://upload.wikimedia.org/math/4/f/e/4fe260be38f84ff67dd5a3628dfe1940.png

を見ても瞬時に意味が理解できない。

これが最終的に

http://upload.wikimedia.org/math/9/4/f/94fa1f0222f3926261892f575ddb9da7.png

こうなるわけだが、eの虚数乗というのは、理屈は知っていても理解はできない。ただし、非常に便利なので僕はこの数式は何度か利用したことがある。理解していないけど知っていたわけだ。


「知ってたんだからいいじゃないか」という考え方もあるが、知っていても理解できないというのは悔しい。


これは僕がモバゲータウンやケータイ小説で盛り上がる人たちの存在も知っているが、理解はできないというのと似ている。



結局のところ、悔しいけれども自分には理解不可能な高等概念や、理解不可能な心理状況は厳然たる事実として存在することを認めなければいけない。

そして自分が「理解した」というつもりになっていても、実は理解なんてしていないのかもしれない可能性が常につきまとっていることを意識しなければならない。


人類が数千年前に手に入れた三角関数に別の真実があると突き止められたのはたかだか250年ほど前である。


虚数にしても発見されたのは僅か500年前だ。

ハミルトンが虚数の空間的応用を発見したのは150年前。

それがゲームに応用されて当たり前のように使われるようになってからわずか15年だ。


世界は謎に溢れている。

だから人生は面白いのかも知れない

2008-12-06

EOS 5D MarkIIの動画機能で小芝居をつくってみました

EOS 5D MarkIIの動画でどこまで出来るか試すためにZeptoPad2.0を題材に小芝居を作ってみました。


D


当然、同じコトをするにはお店の協力や、無線LAN環境などが必要になります。

今回、協力してくれたのは六本木ヒルズで僕が最も気に入っている喫茶店、カーテンコール。

閉店後の僅かな時間を無理言って貸して貰いました。

適切なロケーションがあると、EOS 5D MarkIIは想像以上に凄い描写をしますね。

ちなみにテロップが出ると露出がパカパカ変わりますが、これはH.264にするときに発生したものっぽいので、僕のFinalCut Proの操作が習熟していないせいでしょう。


しかし、「ホームビデオ感覚で伝える」というコンセプトでこないだの根性英語ビデオを撮影したわけですが、EOS 5D MarkIIを使うと解像度やら映りやらが洒落にならないレベルなので、どうしたもんかなあ。

でも一度作るとやみつきになりますね。

もう家庭用ビデオの世界には戻れない・・・

ここに来て、今年の頭に買ってずっと使っていなかったニコンの単焦点MFレンズが大活躍。

なにしろ動画撮影中はAFはあまり期待できないし、絞りは完全MFレンズでないと細かく制御できないし、EFレンズを使ってAEロックでヒーこらやるよりもニコンFマウントのMFレンズをアダプター経由で使った方が格段に確実かつ綺麗なわけです。


ちなみに上記作品の使用レンズは

  • EF70-200mmF4L IS
  • EF35mmF1.4L
  • CarlZeiss Planar T* 1.4/50
  • CarlZeiss Planar T* 1.4/85
  • CarlZeiss Distagon 2/35

でした。

そんなに凄いレンズ使わなくてもココまで撮れちゃう。

どうせ動画だからフルサイズ故の解像感がどうとか関係ないし、なにより高感度が本当に綺麗です。

静止させて細かく見るとアラも目立ちますが、お遊びというレベルではぜんぜんオッケーでしょう

訃報

昔とてもお世話になった人が急逝した。

原因もなにもわからず、びっくりして通夜に走った。

故人もその長子の喪主も僕にとっては大恩人だから二重に辛かった。


突然のことに喪主はそれまで見たこともないくらい辛そうな顔で挨拶をしていた。

その顔を見て余計に悲しくなった。


葬儀には故人とともに会社の黎明期を過ごした面子が集まった。

気がつくと、故人を知る者は会社にそれほど居なくなっていた。

あれから10年は経っている。

僕は会社を作った後も、何度か故人にはお世話になっていた。

いつもニコニコしていて、恵比寿顔というのがピッタリだった。

彼が逝ったとは、まだ信じられない。

享年67歳。

まだまだこれからというときだったと思う。


彼が居なければ、今の僕たちは無かった。

黎明期の会社を支え、商売事の素人だった僕たちにいつも商売の基本を説いてくれた。


 「商いは足し算じゃいかん。かけ算にならにゃ」


それが口癖だった。

今日はどうしても仕事の都合があって残念ながら告別式には参列できない。

けれども、故人のご冥福をお祈りしたい。