finalventの日記

2008-11-17

偽科学発見テスト

 ウィキペディアの以下の項目に含まれている引用部分は、極めて偽科学的説明である可能性が高い。科学的説明の逸脱とその理由を説明しなさい。

 ⇒脚気 - Wikipedia

江戸時代江戸では、富裕層のあいだで玄米に替えて精米された白米を食べる習慣が普及し、将軍をはじめ富商など裕福な階層に患者が多かった。江戸時代末期には一般庶民も発症し、江戸患いと呼ばれた。大正時代以降、ビタミンB1を含まない精米された白米が普及し、副食を十分に摂らなかったことで非常に多くの患者を出し、結核と並んで二大国民病とまで言われた。

高木は海軍において西洋式の食事を摂る士官脚気が少なく、日本式の米を主食とし副食の貧しい下士卒(兵曹および兵。のちの下士官兵)に多いことから、栄養に問題があると考え、明治17年(1884年)軍艦筑波に、この前年別の軍艦が行なった遠洋練習航海と食生活以外は全く同じ内容で遠洋練習航海を行なわせる試験案を上策し、それが採用され、結果として西洋食の艦において脚気患者が出なかった。このことから栄養障害説を確信したとされる。下士官兵にはパン食は極めて不評であったので、西洋食(パン食)から、同じ麦を食材とした麦飯に海軍の食料は変更された。これによって、海軍における脚気は根絶された。

推移


関連の追記

 「ニセ科学批判」については、シンプルに私は誤解していたなというのはあります。科学論とかの話ではなく、市民運動なんだな、ということです。これは誤認していました。自分が悪かったなと。悪い分の責めは受けるべきかな、と。

 この辺ね⇒はてなブックマーク - finalvent氏の不誠実さについて :: Archives

 私は市民運動というのは、多様にあればいいし、それにじゃまするというのをしたくないんですよ。なので、ああ、まずったな、自分の認識不足で余計なことしたなというのがありました。

 これをいうと傲慢かもしれないけど、市民運動の人に科学論とかやりたくないというのもあるんですよ。これはもっと広義に、普通の市民に科学論とかやって益なんかあるわけないんです。

 ちょっと飛躍かもしれないけど、オウム真理教事件など、市民が普通に近代科学を「信」じていたらあれほど参加者はなかったのだろうな(もちろんそうでもないか、普通にカルトはあるかという議論もありうるけど)、ところが、彼らは比較的インテリで(つまり無知蒙昧だから麻原を信じたという簡単な話ではないんですね)科学論の限界とか意外と知っていた。

 

誤解前の経緯

私のエントリに偽科学批判ぽい言説を投げかけたがゆえに回答を期待してる人のリスト

 回答をいただけたらリンクを付けておきます。言うまでもないけど、皮肉じゃなくて、なるほどっていう回答を求めていますよ。

  id:takanorikido

 

既回答

  id:dlit解答してみる - 思索の海

 ご回答ありがとう。明晰なお答えでした。

 全体としては主食を白米にすることと脚気にかかることとの直接の強い因果関係が容易に想定できるように書き過ぎている、ってところなんでしょうか。

 ええ、要点はそこにあります。科学とは基本的に因果関係の説明であり、これがこの記述ではとても「直接の強い因果関係」で書かれています。そして、「直接の強い因果関係」は科学的な説明とみなされがちです。しかし、この記述には、その割に、それを支える科学的な説明はなく、しかも、ビタミンB1の欠乏が誘導されている点で、私はこれは間違った、科学的説明であると考え、例題としました。

 話はもうすこしあるにはあるのですが、もし機会があったら書きましょう。

 余談ですが、コメント欄での、lets_skepticさんとの対話を通して、「ニセ科学」の問題領域がなんとなく以前よりわかったように思えました。もしそれが前もってわかっていたら、この問い掛けはしなかったかと思います。その点で、お手数をかけて申し訳なく思います。

 このような問い掛けは終了します。

 

参考

 最初にいうと、私がざっとぐぐった感じでは、この問題を解くための、ネット上の情報がめっからなかった。その意味ではネットの限界指摘にもなるといいなとは思う。追記:探すとあるにはあった。

 それはそれとして、科学的説明とはなにかの参考になるリンク。

 ⇒第8章 科学理論と科学的説明

議論の骨子

20081211133544

 ビタミンB1不足説は、すべての脚気はビタミンB1不足(欠乏)によって起こるとする説です。設問のウィキペディアの引用および、設問設定時のウィキペディアでの脚気の説明はこの説を暗黙に採っています(カビ毒説への言及はなし)。特に、ウィキペディアの説明では、脚気は、実際には、「心臓機能の低下・不全(衝心)を併発する」脚気衝心を指している点に注意してください。

脚気(かっけ、英 beriberi)は、ビタミンB1欠乏症の一つで、ビタミンB1(チアミン)の欠乏によって心不全と末梢神経障害をきたす疾患である。心不全によって下肢のむくみが、神経障害によって下肢のしびれが起きることから脚気の名で呼ばれる。心臓機能の低下・不全(衝心(しょうしん))を併発する事から、脚気衝心と呼ばれることもある。

 脚気原因については、中毒説を発展させたカビ毒説が存在します。

 心臓障害による致死性の高い衝心性脚気はカビ毒によって発生することは証明され、国際機関で認知されています(例えば、FAO文書、"Mycotoxin prevention and control in foodgrains")。また、その仕組みは毒性によるもので、ビタミンB1不足を間接的に引き起こすものではありません。

 カビ毒説については、衝心性脚気がカビ毒で引き起こされるが、衝心性脚気以外の脚気はビタミンB1不足によっておきるとする棲み分け説があります。これを部分カビ毒説とここでは扱うことにします。(ただし、ウィキペディアの説明では、脚気の問題は「脚気衝心」つまり、衝心性脚気に焦点が当てられている点に注意してください。)

 部分カビ毒説に対して、すべての脚気の原因がカビ毒であり、ビタミンB1不足(欠乏)は各種身体不調などを起こすとしても脚気という症状を直接引きおこすものではない(そうではなく、カビ毒説では、ビタミンB1は神経保護として働くので不足は保護を弱めるだけだ)とする強い考え方があります。これをカビ毒説とします。(なお、部分カビ毒説では、この保護説を採らない。)

 病理学的に見た脚気は、ここでは、生理的な関係が見えるものを指します。たとえば、カビ毒の毒性が神経に与える毒性などはこれに含まれます。結核がストマイによって治癒されるのもこの考えかたです。

 疫学的な見た脚気は、ここでは、統計的に因果関係が問えるものを指します。脚気は多数の死者を出す(出された死者の大半は衝心性脚気)という点で、社会的な事象として捉えることができます。統計的に見て捉えた場合がこちらに含まれます。結核が国民の栄養向上によって克服されたというのはこちらの考え方です。

 評価ですが、△は弱い説、○は妥当性のある説、◎は妥当性の高い説です。

 ビタミンB1不足説と、ここでいうカビ毒説は両立しません。(カビ毒説でのビタミンB1の役割は、神経の保護として働くので毒性に対する防御の機能がある、だから、カビ毒においてもビタミンB1は改善に働くが、ビタミンB1欠乏自体が疾患の原因ではない、ということ。なお、このビタミンB1による保護説は、部分カビ毒説には含まれません。部分カビ毒説では、衝心性脚気とその他の脚気の機序を分けます。)

 部分カビ毒説がもっとも妥当性が高く、脚気衝心、つまり衝心性脚気以外の脚気を否定するものではありませんが、設問中のウィキペディアの引用の実態は、ウィキペディアの説明が脚気を「心臓機能の低下・不全(衝心)を併発する」脚気衝心とするとあるように、脚気衝心をさします。ゆえに、その脚気衝心の原因はといえば、カビ毒と推定するのが妥当でしょう。

 ⇒参考書籍・論文

ぶくまレス

 ⇒はてなブックマーク - 偽科学発見テスト - finalventの日記

2008年11月18日 rspub わからない。偽科学というのではなく、偽科学的説明、なんですよね?結果として患者が出なかったり、根絶されたり、というのはわかりやすすぎる結果という点でそれっぽいけど、それが事実なら仕方ないし。。

 偽科学と偽科学的説明の際にはちょっと難しいけど、とりあえず、このウィキペディアの説明に含まれている偽学的な思考はどこかという問題に捉えて下さい。

 個別にいうと、これって、何の「結果として」なのか、因果関係あたりがポイント。

2008年11月18日 kuroiotona 例題としては大変興味深い。でも、科学ではなく論理的思考の問題だと思うんだ。

 論理的思考に加えて、この問題には、さらに背景があります。その他の仮説、その妥当性の評価。統計の検討など。

2008年11月18日 mihrdat /(全面書直)山下政三の本読んだ。wikipedia記事の分量考えればあげつらうほどでもないじゃん(一つの類例はミリカンかな)。研究史のこの手の行過ぎは普通。少くとも「偽科学」は明らかに大げさ。知識自慢したいだけ?

 このあたりから難しい領域に入ってくるわけなんだけどね。まあ、「少くとも「偽科学」は明らかに大げさ。知識自慢したいだけ?」というのは、甘んじて受ける部分はあるかな。というか、たしかにそういう面もあるとは思う。

2008年11月20日 shokou5 科学, 科学哲学 科学は論理的営みであると同時に技術的営みでもある。実験して論文を書いて査読されて…というネットワークの中に根付く技術知がかなりある。単独の言説だけから科学か否かを問うことは「究極的には」不可能。

 いえ、科学的言説は、特定の方法論がもたらす、市民社会における一つの妥当な合意が目的となるから、究極を問う必要はなし。

2008年11月21日 complex_cat science, logic 切られ役のWikiの引用が論考を展開する上で,適正な材料であるように感じないのです。噛ませ犬かあるいは,相撲の土俵に,「同じ裸だから」競泳のアスリートを引っ張り上げて叩いたような感がするのですが。

 まだ第二段階の議論を展開していないせいもあります。

2008年11月21日 nanahusi まず出題者がどういう意図を持って出題しているか推測して、その後に出題者がどういう風に「偽科学」という言葉を捉えているか推理する。なんか論理思考を試すってより国語の問題を解いている気分になった。

 まず単純にこれは科学的記述じゃないなということがわかることが第一段階で、そのレベルで、これは間違っているということになります。

2008年11月22日 mori-yoshiro 「偽科学批判ぽいのを投げかけられた」ってたった二人なのかいな?それでこんなキレなくても・・・。しかも話全然変わっトル。

 ああ、キレてないですよ。mori-yoshiroさんが、「finalventは偽科学的」とかぶコメされると三人目になれますよ(冗談です、為念)。

2008年11月22日 ochame-cool a. ☆☆☆, c. 科学技術 finalvent文体で人生を語る分には深みがあってよいと思うけど、その文体で科学を語られると論点整理などめんどくさいかな。↓「国語の問題」フイタ。

 結論から整理して書けばすっきり書けるんですけどね。

2008年11月22日 kmiura えー。finalventさんはそもそも非科学的なところがよいもちあじなわけで、ニセ科学とかそうしたレベルではないと思っていたのだが。議論するだけムダだと思う。というか、非科学は科学を内包するからなあ。

 この文脈でこう言うといけないかと思うけど、ラカトシュとか出しても、前提的に通じない感じはしてますよ。そこは最初から議論にならなかな。余談ですが、反証可能性とかでネットで人気にあるポパーですが、エックルズなんか一緒にとんでもない世界像を出しているんですよ。

2008年11月22日 yukitanuki うお、あれからこんなことに

2008年11月22日 kana-kana_ceo 議論 「ごめんなさい、ごめんなさい、もう許して、ひー」って、なってる。

2008年11月22日 kamezo ニセ科学, ニセ科学批判批判, 科学, 議論, 読まずに書く人, 過度な一般化, リテラシー, コミュニケーション つくづく知らされた。頭の良い人や知識豊富な人には、それゆえの不幸というか落とし穴があるのだと。apjさん(の切れ味、明晰さ)には頭が下がる。finalvent氏には新エントリで整理を付けていただきたいなあ。

 もうそれで終わりでいいしょ。「ごめんなさい、ごめんなさい、もう許して、ひー」。

2008年11月22日 NATROM 医療 「「ペニシリンによって結核が治癒されることで、社会の結核は事実上克服されたといいレベルまで抑制された」という命題です。これは、科学的に間違いです」。その通りだろ。

 つまり、「科学的に間違いです」は間違い、と?  あ、ストマイでしょということですね。

2008年11月22日 NATROM 科学 finalventさんが何を言いたいのか理解できない。科学的資質を問う問題を出せるほどの科学的資質をfinalventさん自身が持っていることを示して欲しい。

 「科学的資質を問う問題を出せるほどの科学的資質をfinalventさん自身が持って」いないことでFA、でよいかと。

2008年11月22日 world3 疑似科学と間違った科学は全然別ですよ。疑似科学について語るなら、ポパーの反証可能性基準は必須の教養では?反証可能性基準には批判も強いが、議論はそこから始まるはず。

 そうでもないですよ。「反証可能性基準には批判も強いが」はラカトシュを想起させますが、ファイヤアーベントの批判をかなり本源的に解消していないはずです。とはいえ、もとに戻って、「疑似科学と間違った科学は全然別ですよ」との違いを私は率直なところ理解していません。なので、wrold3さんのご指摘が正しいのかもしれません。

 あと、個別の文脈でいうと、高木の仮説はたんぱく質不足でした。ですからこれで反証可能性を考えると、変なことになります。この問題は、疫学的な枠組みで見る必要があります。

2008年11月22日 y4su0 pseudoscience 出来が悪い国語のテストを経て、さらにぐだぐだな方向へ。

 そうですか。「中間的まとめ」と「仮説と科学的探求」の項目を含めて、もういちど全体を読み返すと、あれ?と思うことがあると思いますよ。そこがわかると、この問題の難所と、真の問題所在が見えてきますよ、というか、関心がうまく喚起されればなんだけど。

2008年11月23日 na23 finalvent, ニセ科学周辺 みんなの間違った知識をそれが常識になるまで熟成させてから指摘する嫌らしさについて…ではないことが最後まで読むとわかるw

 na23さんの科学観に示唆できる最後をお見せしたいとは思いますけどね。

2008年11月23日 mihrdat これはひどい, アルファブロガー(笑) "現時点では、まったく同意です。しいていうと、そういう活動があることにまったく同意しますということです" すると当初はその存在も否定してたという事?それなのに「批判」?それより早くapjさんの質問に答えろって

 違いますよ、当初はその存在がわかっていなかった。というか別のもので批判すべきだと思っていたというか、だから理解してなかったんですよ。そんだけですよ。アルファブロガー(笑)なんですもの。

2008年11月24日 yoyoprofane なんか読んでるうちに、自分のオツム(あるいは人生)の水準は、頭のいいほうではなくて、ニセ科学信奉者のほうに限りなく近いんだな、ということがわかってきた。

 「オツムの水準」はさておき(私なんか最低と見られているし)、この問題がいわゆる物理学的な因果論を問う病理学の枠組みではなく、疫学の枠組みで問う問題であり、その問題のフレームワーク認識が科学性に関連しているというあたりを、さっと見取った人は意外なほどいなかった(いても可視にはならなかった)かな。

hwalker これはひどい 敗北宣言のくだりが酷すぎる。卑怯な逃げ方しかできないのに議論好きのオッサンすぎてゲラゲラ笑った。 2008/11/27

 いちおう形の上では礼儀は尽くしたつもりなんですけどね。

y-mat2006 finalvent かんべむさし水素製造法を思い出したり… 2008/11/27

 つまり⇒水素製造法 - Wikipedia

 「参照用の国語辞典のみを頼りに回答を得ようとする。語句を引いていくうちに、どんどん奇天烈な回答が生み出される様子を描いている」という印象なわけですよね。

ublftbo 科学 2008年12月7日現在、停滞中。書く気はないと判断して良さそう。 / 今後書くか書かないか、ということすら書かない、という大変残念な態度でした。 / ほのめかしは勘弁して欲しいですね。 2008/12/07

 「書きますよ」とすでに書いてありますよ。あと、急いで知りたいなら、ほのめかしもなにもなく、参考文献を読めばわかりますよ。

 

とらばレス

 ⇒Interdisciplinary: テストだそうです

たとえば、finalventさんは、ゲーム脳血液型性格判断が何故ニセ科学と言われているか、押さえておいでなのかな。

 その問題は、レベル低すぎ。

 ゲーム脳は、定義とローカリゼーションに失敗している。血液型性格判断は心理学的(統計学的)に否定されている。以上。

 で。

そうじゃ無くて、ニセ科学に関する知識の無さをどうにかすれば? じゃないかと。

 いやそうじゃ無くてと言いたいわけです。つまり、「ニセ科学に関する知識」を丸暗記して教条的に対応している人たちに科学的な考え方の資質はありますかのテスト。

 ある言説がニセ科学的であるかどうかを個人で頑張って判断する必要は無い。解らなきゃ訊けばいいんだし。

 これも同じこと。教条主義に陥るだけ。宗教と同じなる。つまり、まったく偽科学批判にならないということ。

ある言説がニセ科学的であるかどうかというのは、様々な資料を検討して行われるものだから、どう答えるべきか判然としない。

 いえ、様々な資料を検討してごらんなさいというのがこのテスト。

 補助線的擬制の疑問。

  ・腸内造血説が偽科学である理由はなにか?

  ・結核を社会的に克服したといえる水準まで抑えたのはペニシリンをきっかけとする抗生物質か?

 次。

 ⇒現代の知識で過去の行動を判断する愚 :: Archives

 基本的にその言い分が当てはまるなら千島学説もおK。

 なお、ここに書かれているのは歴史文書ではなく現代の見解。

 そして。

 脚気が、食物摂取におけるビタミンB1欠乏以外の理由で起きるかどうかについては、私も知識が無いのでわからない。何か、代謝異常を起こすような病気があれば、脚気を発症することがあっても不思議ではないが……。しかし、当時問題になっていた、広く国民の間で発症していた脚気の原因は、ほとんどがビタミンB1欠乏によるものであったと考えられるので、まれに発症する別原因による脚気があったとしても、この文脈において考慮する必要はない。

 この程度。

 なお、「スキャンダルの科学史」には、史実としての記述として、高木が、「脚気は栄養のバランスの問題」であると考えるに至った理由として、監獄食と海軍食の比較からだと書かれている。が、これも、史実をどう確認するかという問題であり、擬似科学の問題ではない。

 偽科学は非科学的な思考・方法論の帰結であって、同質。

 また、同じことを繰り返すけど、「史実をどう確認するかという問題」ならエジプトミイラは復活しますな。

もし、高木の推論の仕方や試験への持って行き方が、今の知識を基準とした場合に何か問題があるものであったとしても(同じことを今実行したら擬似科学と呼ばれるものであったとしても)、それは当時の実験医学の水準の限界によるものであり、現代の科学の知識を元にして批判すべき対象ではない。

 占星術の解明は23世紀を待てとか。

 次。

 ⇒わかってないのに「わかってしまった」人 - Skepticism is beautiful

現在行われているニセ科学批判*3において、もっとも端的な「ニセ科学」の定義は以下のようなものになる。

 

   科学を装っている*4

   科学ではない

 

これを批判するのが「ニセ科学批判」であり、それ以上でもそれ以下でもない*5。

 これは単純にわからない。

 科学における間違いは、間違いとわかるまで(正確に言えば社会に妥当な水準でその真理と虚偽の合意が受け入れられるまで)は、ただの科学であり、それ以降は、たんに間違いであり、科学ではなくなる。

 「ニセ科学」を間違った科学と別に定義を必要とする理由が、単純にわからない。

 あるいは百歩譲って「ニセ科学」なるものが独自にあるとしても、通常の科学方法論とその考え方さえあれば、対処にまるで困らないし、むしろ、教条的に「ニセ科学」のリストを暗記したかのように批判することで、科学的方法論がスルーされてしまう。

 次。というか。

 ⇒finalvent氏のコメントにさらに突っ込んでおく :: Archives

 基本的に前回と同じ、および、コメント欄の展開と同じなので、私としては再コメントはない。それをもって、finalvent敗北宣言とされてもかまわないし、「思い上がるな」はまさに、そうかもしれないなと反省の契機としたいと思ってますよ。

 あと、めっけられたこの資料はよいですね。

 ⇒「我が国の被感染性疾患疫学的研究の歩み」(pdfファイル)

高木の研究について山下政三はその著書の注で、以下のようにコメントしている。「この業績は高木兼寛が功なり名遂げ、引退後に回想として述べているのが中心であり、実態が修飾されているように感ぜられる。環境因子の調査にしても全海軍の実地調査には膨大な数の調査員と、期間が必要であり、それには記述されている1年半くらいではできなかったのではないか。また探しても海軍には疫学調査の成績、記録が存在しない。高木が書類調査を実施したとしても、当時の海軍には疫学に役立つような記録はほとんどなかったようであり、新たに調べる必要があった。高木は根拠となった疫学的調査の成績を一部しか示してない。N対C比の改善にはいくつかの方法が考えられるのに、なぜ、一挙に洋式を採用しようとしたのか。またパン食の評判が悪いとなると、すぐ翌年麦飯に変更している。こうした検討を最初になぜしなかったのか。彼は初めから「タンパク質不足、米食の害」を原因と仮定してその検証に邁進したのではないか、高木は脚気伝染説、中毒説には一顧もくれないほど、全く発言をしていない、これは何を意味するのか、」などと疑問点をのべている。大学での研究者森林太郎らが指摘したように、脚気発症や予防機序についての科学的根拠については、高木はN対C比以外に何も示していない。しかし病の予防法は、証拠がそろわなくても、機序が推測でも、実施できるわけで、理論は後から判明することも少なくない。ただ高木の場合はその後理論的な研究はあまり発表していない。高木の脚気N対C比仮設は、その後の各種の動物実験追試で否定された。

 特に。

脚気の問題は、医学研究は如何にあるべきかを考えるよい例である。結局疫学的研究が結論に至る道程におおきな役割を演じたことである。しかし確率論的な研究結果に対する認識はきわめて低かったので、解決には数十年を要した。わが国では伝統的に決定論大きな比重を置いており、確率論的な研究に関心が少ない。このことは、現在の医学研究における疫学の立場を見てもわかる。脚気の問題は現在の疫学の問題でもある。

 そう、だから、このウィキペディアの項目を取り上げたのですよ。

 次。

 ⇒「偽科学」と「ニセ科学」? - 『digital ひえたろう』 編集長の日記★雑記★備忘録

 ご指摘の件、つまり、「ニセ科学」を私が理解していなかったというのは、まったくそのとおりなので、それはそれにて。

 あと、「レベルが低い」について、同エントリに寄せられたコメントに同意する部分多々なので、つまり、BSE騒ぎとかタミフル副作用騒ぎとか、原発耐震性とか、ミサイル防衛とか、科学的評価が難しい領域を積極的に取り上げて、マスコミを啓発してくれたらいいのに、とそういう感じです。

 私に対して「finalventは水伝がわかってない」と言われても、うーん、「ニセ科学批判」の意味合いはわかってなかったと思うけど、そもそも水に語りかける人については、ちょっとねという感じです。

 ⇒重要なのはニセ科学と科学の判別そのものではないとは言え館

 「科学的知見を問う問題」については、ごく単純にまだ道半ばですよ。ご関心のあるかたがあればまだ続きます。

 ⇒答え合わせ : 2008-11-23 - Log of ROYGB

 単純に抗生物質は栄養ではありませんよ。そのレベルで非科学的とフィルターアウトされるだけの話ですよ。

 ⇒「『ニセ科学批判』批判」問題、というかなんというか。 - 残雪日記

 ここで、id:finalventさんは、十分に(たぶん、標準以上に)知的な人だと思うが、一方で、ニセ科学運動の外側の人であり、それについて議論を積み重ねえてきた者から見れば、蒙昧で稚拙な素人、つまり大衆の一人に過ぎない。

 finalventさんが知的かどうかはかなり疑わしいという多数の意見をいただきますが、それはさておき、ご指摘されるように、この件については、「蒙昧で稚拙な素人、つまり大衆の一人に過ぎない」というのはまったくそのとおりだと、認識できました。

 今回のこのエントリ、なんてバカなことをするんだという多数の意見もいただきましたが、私としてはシンプルには、ああ、「蒙昧で稚拙な素人、つまり大衆の一人に過ぎない」ということが理解できてよかったなと思っています。そこはあまり伝わらないようにも見えますが。

 あと、「ニセ科学批判」運動の枠組みではなく、普通に科学論の一つの実技的アプローチとしてみると、話はようやく半ばかなというところですが、そのあたり(病理学ではなくて疫学だよ)にご関心を持つかたは少ないようですね。そこをある程度理解していただかないと、この話の最終部にはうまく繋がりません。ただ、こういう書き方は、ネットでいう上から目線というか偉そうな響きがあるので、この部分については、もっとシンプルに進められたと思います。

 ⇒liber studiorum: ある陰謀論

 ええ、finalventは結果としてヒールでよいと思う。というか、そう思うに至っている。そのあたりまでフォローしたエントリにするとネタを超えて他山の石になってよいのではないかな。あるいは、そこまでのすでに意図に含めてのエントリであるかもしれないけど。

 ⇒こういうのって子供がよく言い出す話だよね

 まだ終わってなかったりして。というのと、この先の話の展開が理解できたら、たぶん、驚きますよ。あと、みなさんが気にしている「解答」はいずれ公開します。

 ⇒これはナポリタン問題w - alice日記

短時間ではあるがそれなりにネットで検索したであろう氏に対して、

 その逆で、ネットには情報ないなと思った。

 この問題に関心を持つかたが、ネットの情報にプライマリーに当たるかな、と思って、ネットの情報に当たった。そのあたりの話は、いずれわかるよ。

科学的思考法(クリティカル・シンキング)という概念からいって、疫学と病理学を区別する必要はないかも知れないが、それを区別してみようと思いつく氏の思考方法は科学的といえるのではないか。

 「氏の思考方法」には、わけがあるんだけど。まあ、半分くらい書いた。

 

中間的まとめ

 話がある程度進んだので、自分なりの少し中間的なまとめをしておきましょう。

 ウィキペディアの引用に関して、「ビタミンB1欠乏が脚気をもたらす」という命題だけを単独に取り上げるなら科学的に間違っていません。これは病理学的な説明です。その機序は科学的に解明されています。

 では何が、偽科学的な説明だといえるのでしょうか?

 その前に。

 科学的な探求で最初に重要になることは、対象を明確にすることです。

 脚気についてのこの話題で、この話題、何が対象なのでしょうか。

 もちろん、「脚気」です。

 しかし、この引用で語られている脚気は、社会的に発生した脚気で、疫学的な対象です。

 病理学と疫学はどう違うのでしょうか。

 たとえば、「タバコを吸うと肺がんになる」と言われます。これは科学的でしょうか?

 私の知識では、この命題は病理学的には証明できていません。明確な機序の説明はできません。

 ではこれは、非科学的、あるいは偽科学なのでしょうか?

 より広義に、「タバコは健康に害がある」はどうでしょうか?

 そこも病理学的説明は難しいはずです。

 しかし、タバコのパッケージにもそう書かれており、それは科学的な言明であるかのように見えます。

 市民はその説明をした科学者に信を置いています。

 その科学とはなんでしょうか?

 疫学です。

 「タバコは健康に害がある」は疫学の主張です。

 病理学的にはわからなくても、疫学的には主張できます。疫学は科学です。

 病理学と疫学の関係の理解を深める別例を挙げましょう。

 「ペニシリンをきっかとする抗生物質によって結核が治癒されることで、社会の結核は事実上克服されたといいレベルまで抑制された」という命題です。

 これは科学的な説明でしょうか?

 病理学的に抗生物質によって結核は治癒できます。ですから、そう言えそうに思えます。

 しかし、ここで言う結核は疫学の対象です。

 では、疫学的には、この命題は正しいでしょうか。

 疫学的な対象としてみると、社会が結核を克服したといえるレベルにまで抑制した要因は、栄養の向上です。

 その意味で、この命題は間違っています。だから、この主張は偽科学です。

 脚気の問題に戻りましょう。

 社会的に大きな問題となった脚気という事態がほぼ克服されたのは、ビタミンB1不足が解消されたからだ、と、言えるのでしょうか?

 ここでも、先の問題が出てきます。科学を問うている対象はなにかという問題です。

 当時の脚気と呼ばれた社会現象は、ほんとうにビタミンB1不足による脚気だったのでしょうか?

 この説明も、疫学によることになります。

 そして、疫学的に問い直してそれに妥当な説明ようとすることが科学的な説明になるはずです。

 それは、いくらタバコに病理学的に害が証明できなくても、疫学という科学でタバコの害が証明でき、それが科学的説明になるというのと同じ水準で問われうるものです。

 脚気の問題は、どのように疫学的に妥当な説明ができるのでしょうか。

 そこが科学的説明であるかが問われるところなのです。

 疫学の枠組みで捉え直すとき、最初の問題はどう見えるでしょうか。

 

仮説と科学的探求

 科学において重要なことは、対象を明確にし、次に仮説を立て、その可否を探求し、科学的な説明にまとめることです。

 対象は、疫学的に見た「脚気」です。

 方法論は、疫学的な手法をとります。

 では、次に仮説を考えましょう。

 「脚気」という疫学的な現象に、歴史的には、次の3つの仮説が立てられました。

 

 1 伝染説

 2 タンパク質不足説

 3 中毒説

 

 そして未知の仮説を含めて、4つの仮説にしましょう。

 

 4 その他の仮説

 

 ここで歴史的に見ると、ビタミンB1不足説は4に分類されることに注目してください。

 では、これらの4仮説による科学的探求はどのような推移をたどり、「脚気」についてどのような科学的説明に至るのでしょうか。

 仮説が棄却されていく過程とその評価が重要になります。

 そして、それらの探求と科学的説明から、最初の問い掛けを見直してみてください。

 

想定質問

 補足的に想定質問をあげておきます。

「脚気の問題は、どのように疫学的に妥当な説明ができるのでしょうか。」というとき、高木兼寛から始まり、脚気に取り組みビタミンB1発見に至るまでの経緯こそ、疫学そのものではないでしょうか?

 「我が国の被感染性疾患疫学的研究の歩み」の結語「脚気の問題は現在の疫学の問題でもある」に対して、私が「そう、だから、このウィキペディアの項目を取り上げたのですよ」とコメントしたのはそこです。

 ここは分かりづらいかもしれませんし、実際、ここまで経緯を見ても、ご理解されているかたがいらっしゃらないようなので(いえ、私が間違った認識をしているかもしれませんが)、補足すると、「ビタミンB1欠乏が脚気をもたらす」という命題(一見科学的に見える命題)は、病理学的な命題に見える、ということでした。また、話の流れから、とりあえずそうしておいたほうが煩瑣にならないからです。

 しかし、中間点を過ぎたのですから、ここも疑問を喚起しておくほうがよいかもしれません。

 私の知る限りという限定ですが、「ビタミンB1欠乏が脚気をもたらす」という病理学的な機序はわかっていません。これは病理学的な基礎がないと言ってよいでしょう。

 では、この疫学的命題を支える科学性は、疫学的に捉え直したとき、どのように正しいと言えるのでしょうか。

 ポイントは、脚気を疫学的に捉えるということは、この命題を科学的としてきた特定の小集団での限定された実験と、本来疫学が対象とする社会での統計の扱いにあります。広く脚気の衰退の現象を疫学の視点で見たとき、なにが決定的な要因となって、脚気がほぼ撲滅されたかに見えるのでしょうか? 

 もう一つ、関連して、「ビタミンB1欠乏が脚気をもたらすという病理学的な機序はわかっていないということはどういう含みがあるのでしょうか?

 

テストの意図について

 あえてこれまでこのテストの意図については明示してきませんでしたが、同種の循環した主張が出そろっている感があるので、そろそろその理由を説明しておきます。

 当初、「偽科学批判者の科学的資質を問うための、偽科学発見テスト」としたのですが、「ニセ科学批判」については私の理解が及ばなかったために、運動のかたにご迷惑をかけました。この点は、申し訳ありません。なお、これに併せて、当初冒頭にあった、【偽科学批判者の科学的資質を問うための、偽科学発見テスト】というリードを削除します。

 私は当初、「ニセ科学批判」の方の運動は、自身たちが科学的な考えに立ち、他の人の考えを科学的ではないと非難してしているものと思っていました。なので、では、その科学的な立場がどれほど科学的なものか、比較的難しい事例で検討してみたいと思ったのです。

 「ビタミンB1不足が脚気をもたらす」ということが科学的な見解であるとのみ主張され、その主張の根拠が、科学という名の「信」にしか行き当たらない様相が、続々と提示され、人間関係的な圧力で押しつけてくるような状態(誹謗中傷や人格攻撃)になれば、意図(科学を標榜する人が実際にはそれほど科学的な思考を持っていないのではないかと疑念をいだかせる状況の実例)は半分達成されます。

 しかし、現時点では、私は「ニセ科学批判」の方の運動を非難するものではありません。

 テストの意図も、単純に、科学的な考え方ということに転換しています。

 この偽科学発見テストが、どのようにテストかということですが。

 

 科学とは私たちの社会では、特定の科学集団への「信」として問われます。

 「信」であるからこそ、科学的な思考は要求されません。信じればよいのです。

 しかし、科学的な思考とは、「信」を必要としません。

 特定の科学集団の見解についても、科学的な思考をもつ人は、自由に批判を持つことができます。

 つまり、

 この問題(疑念や異説を多く含みうる記述を問うこと)において、

 

 科学的であることが、「信」として表出されるなら、偽科学発見テストはゼロ点です。

 そうではなく、疑念の可能性として示され、そこに合理的な理路を持つなら、偽科学発見テストは50点です。

 あとの50点は、科学集団の諸見解から、「信」ではなく、合理的考えを自分で導き、社会的な「信」との関係を自身のなかで整合させることができるかです。

 

 以降、この話の後半、つまり、「信」ではない、疑念の合理性に移ります。

 

 

 では、具体的にこのテストの文脈で、「ビタミンB1不足が脚気をもたらす」という説(「信」)は科学的に正しいのでしょうか?

 私は、突き詰めて言えば、正しくないと考えています。

 たとえば、次の見解も誤っていると考えています。

 ⇒脚気病原因の研究史 ビタミン欠乏症が発見,認定されるまで(PDF)

 大家の書かれた見解であり、科学が社会的な信によって成り立つとした場合、私のこの否定こそ、「非科学的」「トンデモ」といった分類になり、多くのかたが、ブックマークコメントやトラックバックでご指摘されたように、私のほうが非科学的、無知蒙昧、アルファブロガー(笑)といったことになるでしょう。

 それらの評価は評価としてお受けしたいと思いますが、私は私として、いずれこの「脚気病原因の研究史 ビタミン欠乏症が発見,認定されるまで」のどこが誤っていると考えるかについて言及します。

 

予定

 3つの話を予定しています。

  1 脚気におけるマイコトキシンとチアミンの役割

      総括的な言及について

  2 衝心性脚気と脚気は違うのか

      1940年に英国で実施されたビタミンB1欠食の実験

      ウェルニッケ・コルサコフ症候群の再考

  3 マイコトキシンに着目した脚気研究史から見えてくるもの

      ・インパール戦の隠された惨劇

      ・臨床に示唆されること

      ・現代日本人に忍び寄る問題

 

 なお、私の珍説が開示されるかと思っておられるかたもいるかもしれませんが、これらの考察においては、それぞれ一定の権威ある諸説を検討し妥当な議論を行うだけです。その意味で、別段、私が行わなくても、科学的な思考の手順からごく普通に導かれるところに限定されます。

 話の内容は以下の参考書籍・論文の域を出ません。話を早急に知りたいかたは以下の参考書籍・論文をお読みになるとよいでしょう。

 

参考書籍・論文

議論の参考となる書籍論文

  

基礎知識となる書籍

mori-tahyouemori-tahyoue 2008/11/17 23:59  先鋒、行きまーす。(「ギャグだよ」という逃げをうっておいて)

 「医学」は「科学」である部分と「技術」である部分とがあって、経験的な知識で運用する部分がある、と言うことでビタミンが解き明かされる以前では脚気対策は科学的でありえない、のではないかと思います。

 ですから、江戸時代の説明にもうビタミンを使う部分と、海軍の実験を科学的であるかのように説明する部分が「逸脱」。理由は上述。

finalventfinalvent 2008/11/18 09:05 mori-tahyoueさん、ども。ああ、いいセンスしてますね。ちょっとここは様子見で私の回答出し惜しみで申し訳ありません。でも、mori-tahyoueさんのこのセンスはいいですよ。というのも偉そうですが。
 ちなみに、基本は、実態の認識、定義、因果関係の説明、というあたりかな。
 私が想定していないエレガントな説明も可能かもしれませんが。

e_p_ie_p_i 2008/11/18 11:50 うがあっわからんっ!
時系列的におかしいなと思う所はあるのだけれど…。偽科学的説明というか、偽科学的手法が偶然技術的に成功した、というのなら説明出来ますが。でも偽科学的手法が何の因果か成功(&後世のちゃんとした科学的手法)に辿り着いちゃうって事はよくある事なので、逸脱とまではなぁ…。
一応、チャレンジしてみますと、

・高木は脚気の原因の推測を、日本国内江戸時代〜明治の食生活の変遷から行えたのではないか。
・高木は偶然パン食を採用したが、副食を豊かにする方向に行く可能性もあったのではないか。

というのが思いつきましたが…。これは引用部分が絶対唯一の演繹的手法ではないという事を言っただけで、逸脱の指摘と理由の説明にはなってませんよね…。うぅ。こういうクリティカルシンキングを要求される場面に遭うと、自分がいかに日頃考えず、ただ惰性的知識で生きているかというのを痛感させられます。

pollyannapollyanna 2008/11/18 12:45 なんかいろいろ混乱した例題ですね・・・。

まず前段。

江戸時代:
結果の記述「将軍をはじめ富商など裕福な階層に患者が多かった」
原因推論の記述「玄米に替えて精米された白米を食べる習慣が普及し」
ここでは、なんで精米された白米が原因といえるのか、根拠が説明されていない。

大正時代:
結果の記述「非常に多くの患者を出し、結核と並んで二大国民病とまで言われた。」
原因推論の記述「ビタミンB1を含まない精米された白米が普及し、副食を十分に摂らなかったことで」

大正時代の脚気の発症原因(推定)には、「副食を十分に摂らなかったことで」という要因が入っているが、江戸時代の富裕階層の発症原因(推定)には副食の記述はない。よって、ここまでの記述では、白米・副食・白米+副食のどれがが脚気の原因なのかは判断できない。
したがって、科学的説明を逸脱している。

後段。
結果の記述「海軍において西洋式の食事を摂る士官に脚気が少なく、日本式の米を主食とし副食の貧しい下士卒(兵曹および兵。のちの下士官兵)に多い」
原因推論の記述「栄養に問題があると考え」
士官と下士卒で、食事以外の条件がすべて同じかどうか不明な状態で、いきなり「栄養に問題」と推定するのは乱暴。
また、高木が比較したのは「西洋式の食事」vs「日本式の米を主食とし副食の貧しい」食事。
そもそも、構成要素もエネルギーもあまりに違いすぎるものを比較していて、食事における何を脚気の原因と判断したいのか、目的が不明。「実験」の説明としては失格。
また、ここでは米が白米なのか玄米なのかきちんと書かれていない。

結果の記述「西洋食の艦脚気患者が出なかった」
原因推論の記述「栄養障害説」
ここから判断できるのは、西洋食にあって日本食にない「なにか」が脚気の原因であるということ。(「栄養障害説」はあながち間違いではない。ただし、栄養成分なのかエネルギーなのかは不明)

結果の記述「海軍における脚気は根絶された。」
原因推論の記述「西洋食(パン食)から、同じ麦を食材とした麦飯に海軍の食料は変更された。」
この結果から言えるのは、米を麦に代えさえすれば、脚気はなくなるということのみ。ほかの推定される原因は排除できない。

また、米がダメで麦がいい、ということはわかるものの、玄米と白米の違いは結局分からない。

・・・こんな感じでしょうか。

pollyannapollyanna 2008/11/18 13:04 上記に追加。
「ビタミンB1を含まない」ことが原因である根拠も述べられていません。もちろん。

finalventfinalvent 2008/11/18 13:26 e_p_iさん、ども。考え方のスジはそれでいいはずです。もうすこし単純に因果関係の説明になっているかという点でみたらと思ったら、pollyannaさんがまとめていらした。

finalventfinalvent 2008/11/18 13:49 pollyannaさん、ども。ええ、多少混乱しているかもしれません。というのは、この背景にはちょっと複雑な問題も潜んでいるからです。
 ただ、当面、ロジカルに、ある意味で中学生くらいの常識で考えても、この記述からは、pollyannaさんが導かれように「「ビタミンB1を含まない」ことが原因である根拠も述べられていません」ということになります。そして、その前段として重要な結論は、同じく「この結果から言えるのは、米を麦に代えさえすれば、脚気はなくなるということのみ。ほかの推定される原因は排除できない」ということです。科学的な説明にはなっていません。(そして偽科学なるというのはこの先かもしれませんが。)
 そして長く書いていただいた部分は概ね妥当です。おそらく私が書くより、pollyannaさんの説明のほうがわかりやすいと思います。
 せっかくきちんと書いていただいたのでその文脈にそってコメントすると、「西洋食にあって日本食にない「なにか」が脚気の原因である」ですが、日本食にあって西洋食にない「なにか」という「マイナス=害」の要因の可能性も見えてくるはずです。
 そしてその先にもう少し違った科学的な世界が見えてくるかもしれないとういことが、レス冒頭の「多少混乱しているかもしれません」ということです。
 腸内造血説が偽科学として嘲笑されているのは今となってはもう明白でしょう。しかし、白米によるB1欠乏による軍内「脚気」説については、あるタイプの脚気がB1欠乏で起きるのは確かなのですが、この事例から妥当な判断なのか、また、軍内で「脚気」とされた病気が、B1欠乏で起きる「脚気」だったのかについては、もう少し専門的な考察が必要になるのでは、ということもあります。
 いずれにせよ、腸内造血説のように、ごく単純な知識と常識があれば既決のような偽科学を論じるより、どう科学を考えるのか、そのロジカルな考えかたや、さらに広範囲な知識のバランスが必要になるということを、この事例で提起したかったかなという思いはあります。

pollyannapollyanna 2008/11/18 17:59 finalventさん、丁寧なコメントをありがとうございました。
ごく単純な(ただしバランスの取れた)知識と、そしてロジックで、偽科学的なものを見破ることができる、というのはまったくおっしゃるとおりだと思います。
理系が文系かも、実は関係ないんじゃないのかなー、などと思ったりしています。

おもしろい頭の体操の機会を提供してくださって、ありがとうございました!

finalventfinalvent 2008/11/18 18:06 pollyannaさん、ども。ええ、そうだと思うんですよ。あと、この事例は、実は深掘りしていくと変なこと(偽科学なのか科学なのかよくわからない領域)に気が付くかたもいるかもしれません。

t-tanakat-tanaka 2008/11/19 16:24 >そして、その前段として重要な結論は、同じく「この結果から言えるのは、
>米を麦に代えさえすれば、脚気はなくなるということのみ。
>ほかの推定される原因は排除できない」ということです。

もちろん。

当時は「麦に含まれる何かの栄養素」の欠乏が原因だとわかっただけで,その「栄養素」がチアミン(ビタミンB1)だというのは後に判明したことです。

どうもfinalventさんは,いくつかの事象をもとに「真理」を発見することと,既知の「真理」をもとに事象を説明していくことをごっちゃにとらえているようですね。

引用された文章は後者のタイプの文章です。この文章だけから「真理」に到達することはもちろんできませんが,それだけで「偽科学的説明」だとは言えません。

「脚気の原因がビタミンB1の欠乏だ」という「真理」は,Wikipediaの説明に書いてある事実だけで判明したわけではありません。根拠がそれしかないにもかかわらず「真理だ」というのならば「偽科学」ですが,他にも多くの論拠があります。

引用された文章が,脚気の原因がビタミンB1の欠乏である根拠として書かれた文章であるのならば,「偽科学的説明」という指摘もあるかとは思いますが,この文章はそうではありません。

finalventfinalvent 2008/11/19 18:01 t-tanakaさん、ども。まず、「引用された文章が,脚気の原因がビタミンB1の欠乏である根拠として書かれた文章であるのならば,「偽科学的説明」という指摘もあるかとは思いますが,この文章はそうではありません」とのことですが、「大正時代以降、ビタミンB1を含まない精米された白米が普及し、副食を十分に摂らなかったことで非常に多くの患者を出し、結核と並んで二大国民病とまで言われた」とあるのは、つまり、この文章はそうなのではないですか。
 さて、この話題も第二段階に入るかもしれません。では、問いましょう。「他にも多くの論拠」とは何ですか?

shokou5shokou5 2008/11/20 20:58 初めまして。ブックマーク・コメントにまでご回答いただきありがとうございます。
「科学的言説は、特定の方法論がもたらす、市民社会における一つの妥当な合意が目的となる」というのはひとつの立場として尊重いたします。現実はどうかというのはまた別の問題だとは思いますが。ブックマーク・コメント欄は字数制限のため、うまく伝わらなかったかもしれませんが、究極を問う必要がないことには同意いたします。
そして、上で引用された Wikipedia の文章はそれ単独で、充分に偽科学的説明であることはpollyanna さんのコメントの通りです。僕が言いたかったのは「科学的資質」を問うテストは、偽科学の十分条件を指摘できればそれで十分であって (ややこしい)、それ以上の背景知識、資料の検証まで要求するのはちょっときつすぎるかな、と思ったからです。そして偽科学の必要十分条件までは定義できないのではないか、とも思うのです。それがブックマーク・コメントの真意です。
僕の専門は神経科学でして、千島学説などの存在はこの件で初めて知ったので、更に色々教えていただきたいとは思うのですが、テストの解答としては、もう十分だと思いました。
もちろん finalvent さんがコメントされたように「偽科学を論じるより、どう科学を考えるのか、そのロジカルな考えかたや、さらに広範囲な知識のバランスが必要になるということを、この事例で提起したかった」というのであれば、非常に意味のある記事だと思いますし、僕の関心もそこにあります。

finalventfinalvent 2008/11/21 09:16 shokou5さん、ども。丁寧なレスありがとうございます。この「テスト」やらを書いた背景は、私のことを偽科学だとかオカルトとか決めつけのバッシングする人が増えてきたので、じゃあ、そういう批判者さんにその資格があるのか私から吟味させてくださいね、ということでした。shokou5さんがご指摘されるように、「それ以上の背景知識、資料の検証まで要求するのはちょっときつすぎるかな」という部分の泥沼を少し演じてもいいかな。というか、科学的認識にはそういう泥沼のような部分があるわけで、むしろそこを理解していただく機会になってもいいのではないかと。現状の過程では、pollyanna さんが問題点を区分けしてくださったので、その上で別の仮説の妥当性や研究史の再確認といったプロセスに誰か踏み込むだろうかと期待しています。というのは、ある程度は千島学説に似ている部分があるからです。似ていない部分があります。そのあたりはペニシリンと結核「抑制」の関係で見ていけたらと思います。話が戻りますが、それでも、ただ、むやみにfinalventバッシングだけを表層的に繰り返す人たちがいるのは、まあ、それが可視になるだけ、ましかなという気がします。偽科学でもなんでもいいけど、正義の御旗を掲げて、特定人物のバッシングに走るというのは論外なんで、それはただ論外でいいかな、とは思います。

shokou5shokou5 2008/11/21 11:35 丁寧なご返答をいただきありがとうございます。「科学的認識にはそういう泥沼のような部分があるわけで」これはまさに研究の現場に身をおいて実感することです。科学とは知を拡張していく作業ですから、常に科学と非科学のぎりぎりの前線に立つことを意味します。そして実際、「科学者」と呼ばれる人間たちも余程注意深くない限り、非科学的な領域に足を踏み入れかけるのは日常かと思います。そこでうまく Peer-review などが機能すればよいのですが、それでも論文レベルでは取りこぼされるものは出てきてしまいます。勿論科学全体としてはうまく自浄?作用が働いていますし、結局、なぜ科学は成功しているのか、というのが科学哲学の主題なわけです。個々のレベルで偽科学が批判できることは確かですが、あまりに静的に科学を捉えている方が確かに多いようにも思われます。今後、僕自身も科学そのものの持つダイナミズムをうまく伝えていけたらいいと思いました。科学の研究をしながら半分ラトゥールみたいな作業をするわけで非常に消耗するわけですが。大変考えさせられました。改めてありがとうございました。

lets_skepticlets_skeptic 2008/11/21 15:12 > 基本的にその言い分が当てはまるなら千島学説もおK。

 finalventさんの意図に合う例としてはホメオパシーの方が適切だと思いますが、ニセ科学の話としては「これはひどい」としか言いようがありません。
 finalventさんがニセ科学として批判されているものが何なのか、全く理解していないことを証明しています。ニセ科学批判は間違いの批判ではありません。

finalventfinalvent 2008/11/21 16:33 lets_skepticさん、ども。意図がちょっと取れないところがあるので、以下応答としては失当かもしれません。
 このエントリの提起ですが、よく見かける偽科学批判として出てくるものは、水伝、マイナスイオン、血液型性格判定など、ちょっと利発な小学生なら簡単にわかるようなものばかりで、そんなものを批判してもたいした意味もないに、私に対して「お前は偽科学だのオカルトだ」といったの揶揄が飛んでくる。それなら、もう少し難しい例題で、私を批判する人がどれだけ科学的に物事を考えるのか、例題をやってみましょうかということで提起ました。
 偽科学の定義は、私は、端的に、偽の科学と考えています。そして科学が偽になるのは、その方法論と思惟の過程に問題があると思います。つまり、偽科学とはその結果に過ぎません。間違った科学と偽科学と区別する必要はないと思います。繰り返しますが、偽科学は科学的に間違っているのです。重要なのは、科学的に正しいとはどういうことなのか、その方法論、およびその思考のプロセスです。水伝、マイナスイオン、血液型性格判定について偽科学といった念仏を唱えることなどたいした意味がありません。
 科学の方法論とその思考のプロセスをかっとばして、偽科学批判を展開しても意味ないではないですか、というのが私の考えです。
 再度繰り返しますが、近代人は、個別の偽科学に関心を持つ必要はありません。科学的に物事を捉えるようになるだけでよいのです。
 そしてそのとき、水伝、マイナスイオン、血液型性格判定などちゃんちゃら低レベルな問題ではないところに、いろいろ問題がおきます。BSE騒ぎやタミフル騒ぎなどのときにこそ、科学的なものの考えかたが問われます。

lets_skepticlets_skeptic 2008/11/21 17:19 > 偽科学の定義は、私は、端的に、偽の科学と考えています。

 これが間違いなんです。エントリを上げてトラックバックしました。また、「ニセ科学」の定義については、はてなキーワードも参照してください。簡単に言えばfinalventさんは、ニセ科学批判に言及しながら、ニセ科学批判とは関係ない「偽科学」について語っているんですよ。

finalventfinalvent 2008/11/21 17:21 lets_skepticさん、ども。この件、追記もしました。敵対にとらないでほしいのだけど、その違いが皆目わからないという感じです。

lets_skepticlets_skeptic 2008/11/21 17:25 了解しました。他の方がもっと適切な説明を書いてくれるかもしれませんが、私もわかりやすい説明ができないか考えてみます。

finalventfinalvent 2008/11/21 17:39 lets_skepticさん、ども。からむわけではないのですが、たとえば、
 
 A フロギストン
 B オルゴンエネルギー
 
 という2つについて、lets_skepticさんの考えでは、Aは間違い(すでに棄却されて冗談以外には顧みられない)、Bはニセ科学(それを科学と主張する人がいまでもいる)となるのでしょうか。
 私は、同じじゃないかな、ただの科学的間違いでしょと思いますが。
 重要なのは科学をきちんと理解することであって、ニセ科学をきちんと理解することじゃない、というか、前者がしっかりできれば、後者、ほとんど意味ないんじゃないかと思いますね。
 そして、この件で私を批判する人たち(偽科学批判者)がそれほど、科学的に物事を考えているのではないなという印象はもちます(あと、ついでにいうと、議論じゃなくて、「私」が攻撃対象になるなんだなと、それって全然科学的じゃないじゃん、とか思います)。

lets_skepticlets_skeptic 2008/11/21 17:40  まともなニセ科学批判者の間では「ニセ科学」の定義は広く共有されています。間違った科学を科学であると主張すれば「ニセ科学」です(科学でないのに科学を装っている)。間違った科学は「間違った科学」です(科学を装っていない)。
 というわけで、質問の件はA:間違った科学、B:ニセ科学で問題ないと思います。

 ニセ科学批判の本質は間違いにではなく、間違ったことを正しいと主張すること(時にそれは単なる嘘です)に向いていると言ってもいいかもしれません。

finalventfinalvent 2008/11/21 17:50 lets_skepticさん、ども。からんでいるととらないでくださいね。
 あと、ニセ科学がそのように、「間違ったことを正しいと主張すること(時にそれは単なる嘘です)に向いている」とき、その批判は、やはり正しい科学的方法論が問われるわけで、結果から見れば、間違った科学を認識するための批判のと、まるで同じように思います。それをただすというとき、特段に、ニセ科学という概念は不要なのではとしか思えません。

lets_skepticlets_skeptic 2008/11/21 17:56  からむとかそういう印象は気にしないでください。相互理解に達することができれば私も嬉しいです。

 科学の啓蒙は重要です。そのことについては異論ありません。それはニセ科学批判と一緒に行われることもあります。常に行われるわけではありませんけれど。
 「ニセ科学をきちんと理解すること」は、ニセ科学批判を批判するのならば必須というだけです。ニセ科学の理解ではなく、科学の理解が重要というのは正論ですが的外れです。

> あと、ついでにいうと、議論じゃなくて、「私」が攻撃対象になるなんだなと

 正直なことを言えば、アルファブロガーであるというfinalventさんの属性も影響していると思います。私なんかはfinalventさんに(ついでに言えば弾さんとかも)協力していただければ、ニセ科学批判ももっと効果的だろうなと思ったりしますが、実際は誤解をばら撒くことで邪魔されているとしか思えません。影響は計れませんが甚大じゃないかと思います。

 それから、どこに科学的素養を発揮すべきかという考え方については、おそらく、finalventさんとニセ科学批判者の間に断絶があります。もしかしたら、この断絶は「ニセ科学批判」とは何であるか?がわかってもらえればなくなるかもしれません。

 実は「ニセ科学」という言葉はマーケティング的な視点から採用されたという背景もあります。正しい科学を広めるのが簡単であれば「ニセ科学」なんて分類は必要なかったという意味では、finalventさんの意見が間違っているとは思いません。しかし、それは理想論ではないでしょうか。

 実は、ニセ科学に科学的批判が行われる場合は、あんまりニセ科学という言葉が使われないなんて話もあるんですけどね。

finalventfinalvent 2008/11/21 18:26 lets_skepticさん、ども。心情はわかるように思いました。反論という枠組みでとらないでほしいのですが、私の心情というか信条的な部分を補足させてください。水伝を例にするなら、これが教科書に載っているというのはとんでもないことだと思います。ただ、掲載されているのは国語ではないでしょうか。するとそこでの枠組みは、比喩なり文学というものがあります。もちろん、国語であっても非科学極まりない話はどうかという批判は了解できます。教科書から離れるなら、人が水伝を信じようが人の勝手というか愚行権みたいなものだろうと思います。それが問題になるのは、その人と私が市民としての関わりを持つ場、公が問われるときだけ。たとえば、水伝で詐欺事件や悪徳商法が行われているなら問題です。実際、そのような印象も受けるので、その批判はあって当然でしょうくらいに思います。ただ、この場合、私が重視するのは、市民ルールということでその逸脱があるときに問題になります。私たちの市民社会は近代科学を真理の合意条件として成立しているのであって、そうした公において、水の思いだの死後の霊みたいなものを持ち出されたら、冗談ではありません。ただ、「ニセ科学批判」は、そういう社会のルールということで展開されおらず、稚拙な科学教条主義として展開されているように見えるし、私にその批判が向けられる。それなら、その批判者に、科学というものがどれだけ難しいものか、おわかりなりますか、ということを実際にやってみてもいいかと思いました。
 市民社会にあって、科学とは、基本的には科学という信念でしかありません。ここは、lets_skepticさんには違和感があるところかもしれませんが、私たちは諸科学に十分に適切な知識を持つことはできません。であれば、基礎の科学知識、およびその背景の論理的思考、そこから、妥当に「ニセ科学」を市民が自分で却下できるようにして、そこで却下できないその先は、科学集団への信だけが問われます。たとえば、私への批判者がするっと暴露したように「しかし、当時問題になっていた、広く国民の間で発症していた脚気の原因は、ほとんどがビタミンB1欠乏によるものであったと考えられるので」というのは、信の表明なのです。実際のところ、市民社会に置ける科学自体が、そうした信からなりたっている。「ニセ科学批判」の人ですら、そうではないですか。そして信の構造に移されたとき、宗教とも「ニセ科学」とも区別は付きません。
 まわりくどく聞こえるようになったかもしれませんが、重要なことは、市民は基礎の科学知識、およびその背景の論理的思考を持つことと、科学集団への適切な信頼を持つことです。ただ、その信頼とは、「ニセ科学」に信頼を持つ人々と本質的な差異はないのだという、絶えざる反省を持ち、それゆえに、再び、市民は基礎の科学知識、およびその背景の論理的思考に問い直す謙虚さは必要になると思います。

lets_skepticlets_skeptic 2008/11/22 02:26  finalventさんがニセ科学批判に関して殆ど何も知らないことははっきり分かりました。ニセ科学批判の中では、finalventさんのような立場の方を「周回遅れ」と表現しています。finalventさんの主張のほとんどは既に議論され解決済みの問題です。いくつかのニセ科学批判に関するまとめを読んでもらえれば、答えは書いてあります。
 finalventさんの嗜好で言えば、今回直接反応されている天羽優子さんよりは菊池誠さんの活動を追ってみるといいのではないかと思います。

 水伝は道徳の授業で用いられました。「比喩なり文学」としてもダメだということも既に解決済みの問題です。「愚行権」の話も議論されました。そういったメタレベルの話もニセ科学批判をする者の間で普通に行われています。

> ただ、「ニセ科学批判」は、そういう社会のルールということで展開されおらず、稚拙な科学教条主義として展開されているように見える

 そう主張したいならば、メタレベルの話で終わりにせず、誰がどこでやっている批判が、どのように問題なのか具体的に指摘しなければ無意味だというのが私の結論です。
 なぜならば、finalventさんが見ているものが、そもそもニセ科学批判ではない可能性すら十分存在するからです。又は、存在しないものを見ている…先入観による印象論である可能性もあります。

 最後の段のfinalventさんの話はよく理解できますが、まともなニセ科学批判者で、それが分かっていない人はいないだろうと考えています。
 そして、重要なのは、それは科学啓蒙の話であって、ニセ科学批判の話ではないということです。finalventさんは依然「ニセ科学批判」を理解していないので、ここが理解できていないのです。

 先入観をもたず、分かった振りをせず、ニセ科学批判を見てください。

apjapj 2008/11/22 02:43  apj@Archivesで言及した者、です。

 まず、事実の指摘をいくつか。
 水からの伝言が教科書に掲載されたことはありません。教師が個別に道徳の教材として学校に持ち込みました。

 また、水からの伝言そのものではないですが、水の結晶写真が悪徳商法(浄水器販売)の宣伝に使われたのは、道徳として使われるよりも前です。私が書いた次のコメントを見てください。少なくとも2000年には使われていました。
http://atom11.phys.ocha.ac.jp/wwatch/alkalli/comment_ph_03.html
さらに、水からの伝言のもとになっている江本氏の波動は、最初、有機農法の農家にインチキ測定器を数百万円で設備として売りつけるという事に使われ、そちらがインチキとバレたので水に移ってきて、やらかしてくれたのが「水からの伝言」でした。その後、健康な情報の波動を水に転写し、その水を飲むと健康になれる、という触れ込みで、病気の人を狙って装置を売りつけました、先日、そういうことをしていたバイオシーパルスという会社が摘発されました。

>「しかし、当時問題になっていた、広く国民の間で発症していた脚気の原因は、ほとんどがビタミンB1欠乏によるものであったと考えられるので」というのは、信の表明なのです。
 の意味が不明です。
 ビタミンB1欠乏で脚気になることは既に知られた事実で、これは今でも変わっていません。当時問題となっていた脚気は、食事の内容を変えて、改善していたというのがwikipediaの後半の記述です。人体のしくみは今と江戸時代ではほとんど変わっていないでしょう。すると、当時、食事を変えたことでで改善した脚気については、ビタミンB1不足によるものであったという推定をしてもかまわないはずです。信の表明でもなんでもない、単なる論理的推論に過ぎません。生理学の教科書は、大学院時代に簡単なものを読みましたが、このあたりが変わったという話は無かったかと。

>その批判者に、科学というものがどれだけ難しいものか、おわかりなりますか、ということを実際にやってみてもいいかと思いました。

 あなたが考えている科学の難しさと、私が考えている科学の難しさは、どこか違う気がしますね。

 もう一つ。ニセ科学批判は教条主義でやれるものでも、社会のルール無しで展開できるものでもありません。私は、ここ10年ほど、液体の研究をする傍ら、水商売ウォッチングというサイトを作ってきました。
http://atom11.phys.ocha.ac.jp/wwatch/intro.html
浄水器や活水器の擬似科学宣伝を批判するサイトです。
で、この手の批判の最終防衛ラインは訴訟なんですよ。何せ、企業の利益と直接関わりますので、隙があれば提訴されると思ってやらないといけない。ニセ科学批判の活動を続ける上で重要なことは、批判について訴えられた時に裁判所で勝てる範囲で書いておく、ということになります。ここを見誤ると批判を継続することはできません。
 実際、公取の排除命令を喰らったことを私のせいだと逆恨みした神戸の会社から、サイトを置いていた大学が訴えられて、私も、私の先生も独立に弁護士を雇って訴訟参加して争っています。訴訟資料はほとんど公開していますのでここからどうぞ。
http://www.i-foe.org/h19wa1493/index.html
 大体、業務妨害か名誉毀損で来るはずなので、表現内容が真実だと裁判官の前で立証できることや、公益性があることを立証できることが必要になります。
 ニセ科学の判定条件については
http://www.cml-office.org/ww-gl/article.php/20081117034728781
にまとめてああります。

apjapj 2008/11/22 03:23  wikipediaの記述について追加です。

 高木が航海による試験を思いつくまでのプロセスは、もしかしたら、相当荒っぽいものだったかもしれません。脚気の原因について他の要素を考慮していないとか、十分な証拠なしにいきなり実験航海をやったんじゃないかとか……。しかし、それは、今の実験医学の水準を知っているからそういえるだけの話です。高木は、幸運にも思い切った推論と実験が正しく、原因物質もメカニズムもわからないままに、脚気の発症を相当程度抑えることに成功したわけです。
 メカニズムと原因物質がわかったのは、後になってからです。じゃあ、推論で突っ走った高木のやったことが擬似科学かというと、そんなことはありません。発見のきっかけには何らかの飛躍があって、発見されたことの意味づけが後からなされるというのは、ごく普通に起きていることです。
 もし、後になって、ビタミンB1欠乏以外の理由で脚気になることがわかったとしても、「ビタミンB1欠乏が原因で脚気になる」が間違った記述になるわけではありません。単に、脚気の原因に新たなものが付け加わるだけです。「脚気の原因はビタミンB1欠乏のみである」という主張は間違いとなりますが。
 さらに想定されるややこしいケースとして、ビタミンB1欠乏→実は人によって異なる2通りの生理学的あるいは生化学的プロセス→結局脚気を発症、などということがわかったとしても、同様です。これらのことが分かった場合には、科学としての記述の精度が上がるだけです。
 食物を変えることで対処できた当時の脚気は、今から考えると、ビタミンB1欠乏で起きていたものと同じだろう(だから食事の改善で対処できた)、というのは、信の表明でも何でもない、通常の推論です。但し精度はそれなりです。

 じゃあ、「ここに脚気に見える人がいます。どうしますか?」ということになれば、ややこしい科学が顔を出します。
 これまでの知識に基づいてビタミンB1製剤を与えてみる、というのを最初にやるでしょうね。それでダメだったら、なぜこの人には効かないのか、効いた他の人と何が違うのかを調べることになります。脚気に似た他の病気ではないかとか、遺伝的な理由や別の病気が原因で与えたビタミンB1がうまく使われていないのではないかとか、そういう場合は他の何かを一緒に与えないとダメなのではないかとか、個別に仮説を立てたり検査データを付き合わせたりして判断しなければならないややこしい状況が待っています。おそらく、専門家なら、一番可能性のありそうなものから優先順位をつけて調べていくんでしょう。これが科学の難しさです。

>であれば、基礎の科学知識、およびその背景の論理的思考、そこから、妥当に「ニセ科学」を市民が自分で却下できるようにして、そこで却下できないその先は、科学集団への信だけが問われます。

 科学集団だって欺されます。病的科学というカテゴリーになる騒動は時々起きています。常温核融合や、古いものではポリウォーター騒動など。ただ、検証する力もあるので、一定期間で否定して終結するのですが。

 で、巷に出てくるニセ科学は、商売に使われることが多く、大抵はあからさまにニセなんですよ。科学者の信を云々する必要もないほどニセです。それでも、一般の人にとって調べるハードルは高いですし、人は有限の手間と時間しか使えないわけですから、
 ですから、完全に欺されるのを防ぐのは不可能としても、理解しないでも引っ掛からずに済む方法
http://www.cml-office.org/archive/1226952019176.html
を考えたりしています。あるいは、
http://www.cml-office.org/archive/1227268796182.html
のように、それが事実なら身の回りはどうなるか?と一歩立ち止まって考えるといった対処をする、といったことを提案しています。

apjapj 2008/11/22 03:59 >それなら、もう少し難しい例題で、私を批判する人がどれだけ科学的に物事を考えるのか、例題をやってみましょうかということで提起ました。

 どう見てもその出題、科学的の意味をとり違えているようにしか見えません。

 今の科学に乗っかる部分は、「精米がビタミンB1を含まない」だけです。ちょっとだけ解釈で広げるとしても、「ビタミンB1欠乏で脚気になる」(注:他の原因が無い、ということまでは主張していないから、他の原因があったとしてもこの部分は間違いにはならない)だけです。あとは、歴史の記述でしかないです。
 上記2つの部分の精度については、既に述べました。
 歴史の方は、当時の人の推論の仕方や考え方が甘かったとしても、その時代の限界によるものなので、今の知識でもって批判する対象ではないです。

 ちょっと上の方のコメントに、フロギストンとオルゴンエネルギーの話が出ていましたのでコメントしておきます。
フロギストンは、一時期は科学でしたが、今では間違った科学です。ですから、今「物が燃えるのはフロギストンがあって……」ともっともらしくやれば、ニセ科学になります。
 オルゴンエネルギーは、発見が1939年ですから、最初は科学で後から間違いと判明したのか、それとも最初から間違いだったのかが微妙ですね。似たような感じで科学として始まり勘違いとわかったものにN線がありますが、これはさらに30年ほど前です。歴史的背景を考えると、1900年前後は、新光線発見ラッシュの時代でした。フライングも結構あったんじゃないかと。だから、30年早ければ一時期は科学に入ったかもしれませんが、その後の展開を見ると、完全に変な方向に向かってしまっているようですね。まあ、今、これを、科学として広めようとしたら、ニセ科学というしかないです。

 間違った科学とニセ科学の区別について。間違った科学の全てがニセ科学になるわけじゃないんです。間違ったために歴史上の記録にはあるけど今では科学には組み入れられず、かつ今でもそのように扱われているものはニセ科学ではありません。間違った科学を今でも科学として真実であるかのように広めればニセ科学となります。
 また、非科学な思考や方法論の帰結が常にニセ科学をもたらすかというと、おそらく違うでしょう。非科学な思考や方法論の帰結がニセ科学になる場合もありますが、オカルトになる場合もありますので。

finalventfinalvent 2008/11/22 09:10 lets_skepticさん、ども。私としては、「finalventさんがニセ科学批判に関して殆ど何も知らないことははっきり分かりました」とlets_skepticさんがお考えになっていることは、はっきり分かりました。いえ、皮肉なトーンにとらないでくださいね。lets_skepticさんの考えについて、自分は表面的には理解できているのではないかなということで、あとはそれを私がどこまで同意するだろうかという問題だろうと思います。おそらく、lets_skepticさんがご指摘されているように、「finalventさんの主張のほとんどは既に議論され解決済みの問題です」は正しいのではないかと思います。そして、「いくつかのニセ科学批判に関するまとめを読んでもらえれば、答えは書いてあります」もそうなのでしょう。具体的にそのまとめ、つまり私が「周回遅れ」とやらになっている理由が明確にわかるまとめが得られるまでの、手続き的なハードルというのはあるかな。率直にいうと、ちょっと失礼に聞こえたらすみません、めんどくさいなと思いました。そうあえて言うのは、たぶん、私の人のような人には、同じくめんどくさいなという問題ではないか、という思うからです。おそらくその問題は、lets_skepticさんには知的怠惰に見えることでしょうし、それも理解できます。が、おそらくlets_skepticさんが抱えている問題は、そうした「既決の事項」をうまく、外部に伝えていないという現状があるのではないでしょうか。いえ、ここでも私は、譲歩はします。つまり、それがわからないのは、「http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-86d2.html」のコメント欄に集うみなさんのように、「ただ、finalventがバーカだからだよ」ということで、「普通はわかるよ、常考」ということかもしれない。皮肉なトーンに聞こえるかもしれませんが、そこは、なるほど、私一人がわかってないおバカなのかもしれないなとは思います。ただ、もしそうしたおバカに、これからも遭遇するなら、あるいは問題は「そうした「既決の事項」をうまく、外部に伝えていないという現状」をみなさんが課題とされてもよいように思います。
 lets_skepticさんとの対話は私には有益なものでした。すでにエントリには追加しましたが、コメント欄での最初のご指摘を了解していたら、このエントリは書かなかったでしょう。私の誤解がさらにあるかもしれませんが、「ニセ科学批判」というのは、「科学か科学でないかという知識を問うもの、つまり、finalventってほんとにマイナスイオンのことわかってんの」という問題ではなく、水俣病訴訟やアスベスト被害者救出といった市民活動のようなものなのだと私は理解しました。それは、市民に不正義が課せられているときその解消を公的に問うといことは重要だと思います。ただ、率直にいうと、私が水俣病訴訟に関わらないように、「ニセ科学批判」には自分が市民としての利益に強く関わる問題ではないなと思います。卑近にいえば、すっこんでろfinalvent、というのはよくわかりました。

finalventfinalvent 2008/11/22 09:19 apjさん、ども。まず最初に、「水からの伝言が教科書に掲載されたことはありません。教師が個別に道徳の教材として学校に持ち込みました」の件ですが、回答すると、「憂鬱亭さんのお使いご苦労様です」ではなく、なーんだ、個別のいかれた教師の問題かぁ、田母神みたいにそいつを処罰したらぁ、でもなく、いやや、それは単純に知らなかったな、教えてくれてありがとう、と思います。
 それと類似した問題。「非科学な思考や方法論の帰結がニセ科学になる場合もありますが、オカルトになる場合もありますので」、ナイス!と思いました。ただ、私の考えでは、オカルトも「ニセ科学」も偽科学です。
 脚気関連は、コメントを分けましょう。

finalventfinalvent 2008/11/22 09:20 apjさん、ども。では、エントリの「テスト」関連。
>>
>「しかし、当時問題になっていた、広く国民の間で発症していた脚気の原因は、ほとんどがビタミンB1欠乏によるものであったと考えられるので」というのは、信の表明なのです。
 の意味が不明です。
 ビタミンB1欠乏で脚気になることは既に知られた事実で、これは今でも変わっていません。
<<
 いえ、単なる信の表明ですよ。私たち市民は、近代人として基本的な科学的知識と思考法を超える部分については、専門の科学者に信を置いているだけです。「科学的事実」とは、そうした市民からすればそうした信を表しているだけです。ですから、問題は市民社会における科学者への信のありかたが問われるということになります。
>>
生理学の教科書は、大学院時代に簡単なものを読みましたが、このあたりが変わったという話は無かったかと。
<<
 いつの大学院時代かは知りません。私のように四半世紀も前だったら、finalvent、お前なぁ爺とか言われそうですね。しかしおそらく「生理学の教科書」は今でもそうでしょう。そしてそれもまた、科学者集団への信を表しています。
 話を少し次の段階に移しましょう。
 「ビタミンB1欠乏で脚気になることは既に知られた事実で、これは今でも変わっていません」ですが、この科学的説明について、「ビタミンB1欠乏→脚気」というのは、そのとおりなのです。Wikipediaの執筆者もそこは間違っていません。では何が、非科学的な説明だとfinalventは言うのでしょうか?
 はて。
 科学的な探求で最初に重要になることは、対象を明確にすることです。
 この「テスト」で、何を言いたいんだfinalventは、曖昧極まるじゃないか、こりゃ、とかぼやかれたかたがいるかと思いますが、そこが、ポイントでした。
 この話題、何が対象なのでしょう。
 あたりまえだろ、「脚気がビタミンB1不足で起きる」という説明が偽科学かどうか、じゃないの。それはもう確立した科学知識で、そんなの疑うお前に科学的思考がないんだ、そんなやつが、偉っらそうに「テストかよ、ぶんぷん」……
 とかなりそうですよね。
 さて、対象はですが、「脚気」です。
 あたりまえだろ、「脚気がビタミンB1不足で起きる」以下略。
 ではここで補助線。
 「タバコを吸うと肺がんになる」はどうでしょう。
 これは私の知識が、トビウオの飛行についてかつて思っていたように間違っているかもしれませんが、病理学的には証明できていません。
 じゃ、「タバコは健康に害がある」はどうでしょう。
 そこも病理学的説明は難しいはずです。でも、科学的に見て、タバコには害がある、と、市民は科学者に信を置いています。その科学とはなんでしょうか?
 疫学です。
 そして、「タバコは健康に害がある」は疫学の主張です。
 脚気の問題は、病理学的には説明されますが、Wikipediaで記載されている記述は、疫学的な対象です。その病理学的説明と元ある疫学的な対応はどのようになっていると、科学的説明となるのでしょうか。
 もう一つ補助線を引きましょう。
 「ペニシリンによって結核が治癒されることで、社会の結核は事実上克服されたといいレベルまで抑制された」という命題です。
 これは、科学的に間違いです。私的には偽科学です。「ニセ科学」ではないのだなというのは了解しましたが。
 疫学的な対象としてみると、社会が結核を克服したといえるレベルにまで抑制した要因は、栄養の向上です。
 脚気の問題に戻りましょう。
 社会的に大きな問題となった脚気という事態がほぼ克服されたのは、ビタミンB1不足が解消されたからだ、と、言えるのでしょうか?
 ここでもう一つやっかいな、しかし論理的に明白な対象にまつわる問題があります。
 これも対象はなにかという問題です。
 当時、脚気と呼ばれた社会現象の大半は、ほんとうにビタミンB1不足による脚気だったのでしょうか?
 この説明も、疫学によることになります。
 そして、この妥当な説明が、科学的な説明になるはずです。
 それは、いくらタバコに病理学的に害が証明できなくても、疫学という科学でタバコの害が証明でき、それが科学的説明になるというのと同じ水準で問われうるものです。
 脚気の問題は、どのように疫学的に妥当な説明ができるか(もちろんそこには病理学的な知見はふくまれますし、タバコの害より有力にはたらきます)、そこが科学的説明であるかが問われるところなのです。
 さて、apiさんのご回答の採点はしません。apiさんご一行にこの話が通じてるか、ちょっと私には確信が持てないからです。

apj_yamagataapj_yamagata 2008/11/22 10:46 103. DD — November 20, 2008 @07:56:38

きくちさん:
> サイエンス・フィクションをニセ科学だなどと呼ぶ人は、何もわかっていないのです。
> 疑似科学ではありますけど。

適当なときに、【疑似科学とニセ科学の違い】をじっくりと説明をお聞かせくださいね。
大事なところ、のようですから。お願いします。

http://s04.megalodon.jp/2008-1120-2131-16/www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1172620744

apjapj 2008/11/22 11:07 >「科学的事実」とは、そうした市民からすればそうした信を表しているだけです。
 では、偏った食事によって私が脚気になった経験があり、かつ、ビタミンB1投与で治れば、それは信の表明じゃなくなるということですか?1例で完全な証明とはいかないにしても、一応は追試で確認したことになりますよね。

>社会的に大きな問題となった脚気という事態がほぼ克服されたのは、ビタミンB1不足が解消されたからだ、と、言えるのでしょうか?

 この問いにはあなた自身がきちんとお答えください。ソースも示してね。

 それから、業務連絡.

apj_yamagataが投稿していますが、こいつは削除あるいは無視でお願いします。
私がコメントし始めると出没し、複数ハンドルで議論を引っかき回すだけの存在です。年明けには、blog のコメント欄に1日か2日の間に数十件自作自演をかましました。他には、ふま、とか、ふじ、などと名乗っていることがあります。できれば、IPアドレスを確認して全削除するのが、もっとも良い対応です。
過去にこいつが何をやったかは、
http://gallerytondemo.blog.shinobi.jp/Entry/68/
http://gallerytondemo.blog.shinobi.jp/Entry/69/
http://gallerytondemo.blog.shinobi.jp/Entry/70/
にまとめられています。

apjapj 2008/11/22 11:21 さて、finalventさんの認識不足が一層はっきりしてきました。
まずここ。

>よく見かける偽科学批判として出てくるものは、水伝、マイナスイオン、血液型性格判定など、ちょっと利発な小学生なら簡単にわかるようなものばかりで、そんなものを批判してもたいした意味もない

 その、小学生なら簡単にわかるようなものを、教師が自発的に教育現場に持ち込んでいるんですよね。しかも、個別の教師の問題で片付かない程度の数で。ひどい例だと、学校内の教師数人で話し合ったが問題無いだろう、と言う結論でやっちゃった例もあります。授業で使われた小学生は被害を受けることになります。素直に信じた場合は間違いを教えられたという被害。疑った場合は……正しいことを主張したのに教師に叱られたという被害が発生となります。

 マイナスイオンはご存じの通り、2003年くらいにピークでしたね。あの夏は、マイナスイオン機能がついていないエアコンを買うのがほとんど不可能でした。どのメーカーも搭載していた。何が言いたいかというと、小学生でもわかるような話に、専門の研究者・技術者を抱えている筈の大手家電メーカーが軒並み嵌っていたということなんですよ。損失をどうカウントするかが微妙ですが、余分なマイナスイオン装置を搭載することによる資源の浪費と環境負荷の増加は確実に起きていますし、その分は価格に上乗せという形で消費者が支払うことになっているはずです。


 血液型性格診断は、フォローしてないので言及しません。

 いずれにしても、個別の人の問題に帰するには、規模が大きすぎるんですね。むしろ社会現象なんですよ。
小学生でもわかるとか、批判することに大した意味がない、というのは明らかにあなたの認識不足です。

apj_yamagataapj_yamagata 2008/11/22 11:41 「大事なところ」らしいので、繰り返しますね。

菊池誠先生によると

【疑似科学であっても、必ずしもニセ科学であるとは限らない】

そうです。

きくち November 19, 2008 @23:53:38
103. DD — November 20, 2008 @07:56:38
http://s04.megalodon.jp/2008-1120-2131-16/www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1172620744

apj_yamagataapj_yamagata 2008/11/22 11:44 菊池誠先生によると

【疑似科学とニセ科学を区別できなければ、話にならない】

そうです。

きくち November 19, 2008 @23:53:38
103. DD — November 20, 2008 @07:56:38
http://s04.megalodon.jp/2008-1120-2131-16/www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1172620744

apj_yamagataapj_yamagata 2008/11/22 11:50 ガードマンの制服は、警官の制服に似ています。
それは自分は警官だと騙しているのでしょうか?

APJさん(田崎さん、菊池さん)の論法だと、

【ガードマンは警官だと騙すために、警官と似た格好をしているのだ】

ということになりそうですね。

科学による偽似科学攻撃は、警察が自分を擬態するガードマンをいじめるようなものでは? - SeaMountの雑記と書庫
http://d.hatena.ne.jp/SeaMount/20080522/1211488635
《4.仮説の自由と「ニセ科学」のレッテル》へのコメント…付:論議しながら考えた妄言など - SeaMountの雑記と書庫
http://d.hatena.ne.jp/SeaMount/20081024/1224798425

finalventfinalvent 2008/11/22 11:57 apj_yamagataさん、ども。業務連絡的な話から、同一内容の連投は避けて下さいね。

finalventfinalvent 2008/11/22 12:00 apjさん、ども。まず、「マイナスイオン」関連で、「小学生でもわかるとか、批判することに大した意味がない、というのは明らかにあなたの認識不足です」については、lets_skepticさんのご指摘もそうですが、その点については、そうなのかもしれないなと思います。ただ、利発な小学生ならわかることだし、義務教育を終えて近代科学の考え方を身につければさして問題はないかとは思います。まあ、そこが、「認識不足」なのでしょうね。

finalventfinalvent 2008/11/22 12:05 apjさん、ども。「テスト」関連。
>>
 では、偏った食事によって私が脚気になった経験があり、かつ、ビタミンB1投与で治れば、それは信の表明じゃなくなるということですか?1例で完全な証明とはいかないにしても、一応は追試で確認したことになりますよね。
<<
 そうした追試こそ、偽科学に溢れているものですよ。
 病理学は機序の解明にあり、疫学はタバコの有害性を明らかにするように統計を用います。
 こういうとお怒りになられるのでないかと懸念するのですが、というか失礼な言い方になるのを懸念するのですが、疫学についてご存じないようにお見受けします。apjさんとはこの話はここまでさせてください(敗北宣言と受け止めてくださってかまいませんよ)。
>>
>社会的に大きな問題となった脚気という事態がほぼ克服されたのは、ビタミンB1不足が解消されたからだ、と、言えるのでしょうか?
 
 この問いにはあなた自身がきちんとお答えください。ソースも示してね。
<<
 そうですね。ただ、この「テスト」の範囲からは論理的な帰結だけでみても言えない、と言えるはずです。

apjapj 2008/11/22 12:28 さらにいくつか。
http://www.cml-office.org/archive/1227299970184.html
にも書きましたが、ニセ科学を信じているだけで批判の対象になることはありません。批判の対象になっているのは、全て、「信じる」以上のことをした場合です。他人に教えたとか、blogに書いて他人が読める状態にしたなど。

次に、コメント欄から気になった部分をいくつか指摘します。

>重要なのは、科学的に正しいとはどういうことなのか、その方法論、およびその思考のプロセスです。

 実は、こんな基準を採用したっていつまでたっても問題は解決しません。というか、こんなんで解決する問題ならとっくに終わっています。理由は、科学的に正しいかどうかの線引きができないからです。そもそも、科学とは何かという定義で、合意に達したものはありません。科学哲学の人も科学者もいろんなことを言っていて、どれも相当に一理あるのですが、誰もが合意するものは存在しません。私達はグレーゾーン問題と言ってます。グレーゾーンがあるから本来線引きは無理だ、ということです。ただ、それでも、グレーから黒まで分布しているわけで、最近、批判の対象になっているニセ科学はほとんど黒のものです。

>重要なことは、市民は基礎の科学知識、およびその背景の論理的思考を持つことと、科学集団への適切な信頼を持つことです。ただ、その信頼とは、「ニセ科学」に信頼を持つ人々と本質的な差異はないのだという、絶えざる反省を持ち、それゆえに、再び、市民は基礎の科学知識、およびその背景の論理的思考に問い直す謙虚さは必要になると思います。

 理想論はご立派ですが、ちょっとずれてると思います。技術開発者さんという方のたとえ話なんですが、科学者は一種の毒味役と考え、市民は殿様でいろ、がむしろ正しいんです。科学として間違っているものは、放っておけば大抵は時間が経てば消えます。今ニセ科学として広まっているものがそもそもどうして出てきたかを見ると、科学者側で十分確認が済む前に、別のルートを使って話が世の中に出てきてるんですね。
 ですから、「信をおく」のはいいんですが、どの時までの話に信をおくかという時間の要素を入れないとうまくいきません。多分、ニセ科学を信じる人というのは、多くの場合、この「信をおく」のが早すぎる方にずれてるんです。
 科学者はいろんなことをやりますが、失敗も結構あります。あからさまな間違いでなくても、実は大した意味がなかった、なんてことだってあります。誰だって失敗よりは輝かしい成果の方を望みますから、そのつもりで仕事をしますが、それでも失敗はなくせません。現在進行中の科学者の仕事は、論文になっていたってグレーです。その段階で信をおかれたって困ります。グレーになるか黒になるかが決まるのには、時間がかかるものです。
 新しいことはうさんくさい、と思うのが市民としては安全なありかたです。で、科学者が「これだけ確認しました。別の人も確認してます。抜けてることが無いようにここまでやりました。信じてください」とやって初めて、「じゃあそろそろ信じようか」となるくらいでちょうどいいんですよ。それが、最近は、科学者が確認を終えてないのにマスコミ経由で話が出回り、マスコミに出たんだから科学者は確認済みだろうと勘違いした市民が突っ走る、ということになってます。ひどいのになると、グレーの段階で科学者本人がマスコミに登場し、市民を煽るわけです。だから、新しい話は科学者が出てきて言ってもとりあえずうさんくさいと思う、とやっておかないと判断を間違えることになります。安易に信をおいちゃいけないんですよ。

 次に、どのへんまでを科学の基礎知識とするかですが、高校の理科の教科書範囲まででしょうね。この範囲であれば、かなり時間をかけて確認していますので、そうそう簡単に内容がひっくり返ることはありません。高校の範囲を越える話は、とりあえずマユツバできく、というので、大きな間違いはしないはずです。

 論理構造の問い直しですが、これはできない場合の方が多いと思います。特定の説の自己矛盾くらいならチェックできるでしょうが。科学の論理構造にあてはめての問い直しは、今の教育を考えると、一部の人しかできません。理科の教科書では個別の材料が提示されます。実験によって確認したりしますが、教育向けの実験はdemonstrationつまり演示実験です。既にわかっているややこしい科学の一部を、教育用にきれいに見える形で提示するものです。本来の科学の研究は演示でない方の実験つまりexperimentをやるんですが、experiment を経験するのは、大学の学部に入って卒業研究をするあたりです。ここまでいくと、論理構造と照らし合わせることになるのですが、これは、世の中の一部の人しか経験できません。
 ところが、科学と称する間違いは、experimentが無いのに、demonstration を装います。普通に教育を受けただけでは、理科の授業で見せられた演示実験と区別をするのが難しいんです。しかも、高校までの教育では、個別のdemonstrationを根拠に内容を信じるように訓練されてしまっています。これでは、experimentが必要だということに気付かない人だって居るはずです。

結局、
・ニセ科学言説を見かけたらそれはニセだと気付いた人が指摘する←別の人が信じるのを防ぐために必要
・正しいのは何かを説明し、説明が人目に触れる機会を増やす
・社会が健全な保守性を持つにはどうするかを考える
といったことをいろいろやらないとどうにもならないんですよ。やったから必ず解決するかというと、その保証もないですが。

haineko2003haineko2003 2008/11/22 12:36 ちわ、ニセ科学論争にはあんまし関心がないんですけど、Wikipedia 脚気でも触れられていた、板倉聖宣『模倣の時代』(仮説社1988)を読んでいたとき感じた疑問なんですが、なにかの栄養素がたりないのでそれを補いましょうというサプリメント思考ではうまくいかない場合がよくありますね。
特に栄養事情が悪い環境のときは、それでうまくいくんですけど、飽食の時代となったときには、病んでいる人の体質の問題(その栄養素を吸収、利用できるかどうか)が大きく関係してくるような気がします。

脚気にビタミンB群
鉄欠乏性貧血だから鉄剤
カルシウム不足でカルシウムを摂取
でいいのか、みたいな。

明治の漢方医が「麦飯の推奨や糠療法」を取り入れたというのはいいんだけど、それでうまくいかなかったとき経験でした投薬に理論づけしようとすると、中医学のようなトンデモが混じってくるような(しかし中国人の後づけ理論はすごい)。

finalventfinalvent 2008/11/22 12:37 apjさん、ども。この件については、よくわかりました。つまり、「高校の範囲を越える話は、とりあえずマユツバできく、というので、大きな間違いはしないはずです」というあたりは、まったく同意見です。

finalventfinalvent 2008/11/22 12:39 haineko2003さん、ども。これを言うとまた批判対象になるか、ちょっと控えておくべきかとも思うですが、ま、haineko2003さんなら通じるでしょとここだけの話的にですが。「飽食の時代となったとき」についての考察及び実証は中医学のほうが進んでいます。日本の場合は、基本的に古方に縛られています。

apjapj 2008/11/22 12:43 >ただ、この「テスト」の範囲からは論理的な帰結だけでみても言えない、と言えるはずです。

 テストの範囲は、内容が客観的に得られたものから逸脱しているかどうかまで含みますね。膨大な量の調査を短い記述にまとめた時に、科学として間違ったものになっているかどうかは、他の資料の調査をしてみないとわかりません。なお、疫学研究の経緯から、最終的に、当時問題になっていた脚気の原因をビタミンB1欠乏に求めるということが証明されてはいるようですね(というのは2次資料しか手元にないので、こう書いておきます)。

 ところで、敗北宣言と受け取ってもらって結構です、などと無責任な投げ出し方をする前に、1つ忘れていることがありますね。当初インターネットにはこの問題の解答がなかったが、探して見つけたと書いておられますね。これがウソでないのなら、何を見つけたか開示してください。

finalventfinalvent 2008/11/22 12:54 apjさん、ども。「ところで、敗北宣言と受け取ってもらって結構です、などと無責任な投げ出し方をする」のが未練たらしく見えるようでしたら、すみません、まいりました、apjさんには完敗しました、これにてご勘弁を。

motidukisigerumotidukisigeru 2008/11/23 17:46 >あるいは百歩譲って「ニセ科学」なるものが独自にあるとしても、通常の科学方法論とその考え方さえあれば、対処にまるで困らない。

理論上はその通りですね。

で、例えば、振り込め詐欺ってありますよね。俺は「振り込め詐欺というのがあって危ないよ」という情報を広めることが社会の役に立つと思います。

ここにおいて「相手の言ってることを論理的かつ慎重に検証する姿勢を持てば、詐欺も間違いも一律に見分けることができる」というのは正しいですが、そこから「詐欺と間違いを区別する必要を認めない」とか「だから振り込め詐欺を批判する必要はない」とか言ったら、それは正しいでしょうか?

違うと思います。詐欺一般に引っかからないための知識を身につけてゆくことも大切ですが、その一つ、あるいは、きっかけとして、振り込め詐欺について知る、知らせることはマイナスではありません。

ニセ科学というのは詐欺の一種で、現実にそれによって被害が出ている以上、「こういうのはよくない」と批判することは、それだけでも意味があると思います。

いかがでしょうか?

finalventfinalvent 2008/11/23 18:15 motidukisigeruさん、ども。ええ、それは、現時点では、まったく同意です。しいていうと、そういう活動があることにまったく同意しますということです。私自身は私の流儀で考えるとしてもです。

lets_skepticlets_skeptic 2008/11/23 23:00 一点だけ。

> 率直にいうと、ちょっと失礼に聞こえたらすみません、めんどくさいなと思いました。

 とてもめんどくさいです。そこまで分かってもらえれば最低ラインはクリアだと思います。発言力のある方に、きちんとした理解のもと協力していただければ最高ですが、最低限、根も葉もない誤解をばら撒いてニセ科学批判活動の邪魔をしないで頂ければ、問題はありません。

kmori58kmori58 2008/11/24 03:44 結核の治療薬はストレプトマイシンでは?ペニシリンでも直るんですか?

finalventfinalvent 2008/11/24 07:19 kmori58さん、ども。ご指摘ありがとう。ええ、そうです。そこは大ポカしていました。本文のほうは意図が通るように修正しました。コメント欄のほうは修正が聞かないので、このコメントを訂正履歴としてください。ペニシリンは抗生物質発見の端緒としての比喩として使いました。

finalventfinalvent 2008/11/24 07:21 lets_skepticさん、ども。自分ではその点は了解したつもりです。今回の一連では、lets_skepticさんのご示唆がとても有益した。ありがとう。

nennpanennpa 2008/11/25 00:48  私もfinalventさんのこのエントリのおかげで、漠然とした考えがまとまって一つのエントリとすることでき、よかったなと思っております。

 さて「病理学ではなくて疫学だよ」ですが、確か菊池誠さんのkikulog(http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/)内での、タミフル問題関連エントリ(左側メニュー内の「カテゴリー » サイエンス » インフルエンザとタミフル問題」にまとめられています)では、主にコメント欄で、疫学についてもかなりやりとりがあったように思います。サイト内検索で「疫学」としてみてもよいかもしれません。

 その後、こちらで紹介いただいた私のエントリのコメント欄でも、finalventさんのご発言などについて対話が続いています。陰口みたいに見えるとイヤなので、お知らせしておきます。お手すきの際にでもご覧になっていただければと思います。

finalventfinalvent 2008/11/25 09:03 nennpaさん、ども。nennpaさんのエントリは拝見しました。コメント欄も読みました。特に言及することはないかとは思いました。というか、不用意にこじれることは本意ではまったくありません。あと、私なりの関心のスジで「疫学」についてももう少し話を延ばす予定でいます。これはたぶん、みなさんのご関心とはあまり抵触しないかとは思います。

SundalandSundaland 2008/11/25 16:02 今頃になってこの論争?を知りました。後出しじゃんけんは慎みますが、最初の出題って、病理学的な方法論による多分正しい現在の知識を使って、過去の再構成をやっちゃってるわけで、それって歴史学でしょ?ということですよね。

finalventfinalvent 2008/11/25 16:09 Sundalandさん、ども。ええ、まったくそのとおり。そしてこそっと言うと、「多分正しい現在の知識」は多分正しくないんです。ご存じかもしれませんが(まだご存じのかたのご指摘はないみたいですが)、そこがわかってくると、これ面白い話なのになぁと思うのですが。世間的には終了しちゃったみたいだけど、まあ、しばらくしてこの話は続けます。

SundalandSundaland 2008/11/25 16:56 「多分正しくない」ですが、歴史的「脚気」がビタミンB1欠乏症であることを証明できない、くらいしか思いつけません。面白そうなのでよろしければ教えて下さい。

finalventfinalvent 2008/11/25 17:54 Sundalandさん、ども。最初この話を切り出したときは、「歴史的「脚気」がビタミンB1欠乏症であることを証明できない」ということに気が付いてもらいたかったのです。そこから逆に歴史をトレースバックして仮説を見ていけたら、とも。そのあたりをこれからどういう話で展開するは別として、面白そうな話のほうは書く予定です。もったいぶっているつもりはないのですが、書くとなると誤解に誤解を重ねてもなんですし、この問題にあまり関心を持つかたも少なくなったし、騒ぎを起こすのは本意ではないので、しばらくして軽く触れていくつもりです。予告編みたいですが、最終的には、「科学的に正しいだろうという妥当な推論」と、「特定の国の健康行政と関連して「信」が置かれている科学集団の見解」とが異なるとき、市民はどちらを選ぶことになるのか、という問題がおきます。たぶん、ここで、「科学的に正しいということは、科学集団の「信」しか意味できない」ということになるかなと。まあ、そのぶっそうな最終部だけは書かないかもしれません。あと、「もったいぶっているつもりはない」当の話ですが、この分野の識者は「そういう「異説」もあるよね、あはは」くらいに知っているはずで、そのあたりのツッコミが早々にあるかと思っていました。意外とないものですね。

satoshi-kobayashisatoshi-kobayashi 2008/11/25 20:37 どうにも難しい問題だな…と、あれこれ思っていたのですが、finalventさんの上のコメントで、どうやら「当の話」は理解しました。
出題は「科学的説明を逸脱している理由を述べよ」ですが、答えを考えて結論を出したわけではないので、書くことは控えます。
後は「当の話」になぜ、行き着けなかったかを考えてみたいと思います。もー、ぜんぜんダメでした。

続きを楽しみにしています。

finalventfinalvent 2008/11/25 21:13 satoshi-kobayashiさん、ども。なんかもったいぶってみたいですが、書く予定でいます。たぶん、面白いですよ。

motidukisigerumotidukisigeru 2008/11/26 00:54 >「科学的に正しいだろうという妥当な推論」と、「特定の国の健康行政と関連して「信」が置かれている科学集団の見解」とが異なるとき、市民はどちらを選ぶことになるのか、という問題がおきます。

なるほど。ヴィトンのショップに行ったら、ニセヴィトンが売っていたという場合ですね。

1.そんなことに、ならないようにみんな努力している。
2.そういうことが起きた場合、どういう経緯で、そうなったのかを考えないと意味がない。

ヴィトンショップではニセヴィトンは通常売ってないように、信が置かれる科学集団は、通常、科学的に妥当な結論を出すでしょう。

もしもヴィトンショップでニセヴィトンが出るようなことが起きたら、普通、「何でこんなことになったのか」を考えますよね。

原因、文脈を無視して、「どっちを選ぶべきか?」だけを言わせるのは、それこそ「ウンコ味のカレーとカレー味のうんこと、どっちを喰うか?」という質問と同じくらい無意味ではないかと思います。

finalventfinalvent 2008/11/26 07:24 motidukisigeruさん、ども。ええ、まったくそうです。文脈を無視してそんな話を進めるわけにはいきません。ただ、原因については、科学集団で意見が異なることがあり、一方が国家に関係することがあります。「ウンコ味のカレーとカレー味のうんこと、どっちを喰うか?」という問題だと比較的わかりやすいのですが、エイズ問題では国家側の科学に大きな問題があり、「ウンコ味のカレーとカレー味のうんこと、どっちを喰うか?」というほど簡単にはいきませんでした。このとき、別の視点からいえば、市民運動が重要になります。ですから、「ニセ科学批判」といった市民運動が肯定されなければならないのです。

nennpanennpa 2008/11/26 11:11 結局のところ、「ビタミンB1製剤を投与して治る病気」が「ビタミンB1欠乏症としての『脚気』」であり、それについて(だけ)は臨床治験など疫学的な裏づけがきちんとある、といったお話なのでしょうか。あまりものを調べずに、適当に書いてしまっているんですけど。

finalventfinalvent 2008/11/26 13:13 nennpaさん、ども。そこが少し込み入っていて、実は、自分のここまでの書き方もまずかったかなというのがあります。ただ、概ねそう言ってもいいのですが、留保部分を言うと、まず、ウェルニッケ脳症の問題があります。正確に言えば、ウェルニッケ・コルサコフ症候群ですが。この病気と「ビタミンB1製剤を投与して治る病気」としての「脚気」はどういう関係なのか。この背景にある病理の機序にはどのような仮説がなりたつのか。そこが問われます。そして、これに関連して、まだ言うのは早いかなとかえって錯綜してしまったのですが、脚気は「ビタミンB1欠乏症」なのか?というトレースバックしていくような問題があります。これは、ウェルニッケ・コルサコフ症候群との文脈におかれます。ここで、もし、というか、仮説として、「脚気はビタミンB1欠乏症ではないのではないか?」が成立するか、という問題を置いてみたいのです。なんだかそれこそ非科学的な、やっぱりfinalventはトンデモだぜの香りがする人もいるかもしれませんが、ウェルニッケ・コルサコフ症候群の治療と、もう一つ、ビタミンB1の機序はどうなっているのか?という問題が関連すれば問えるのではないかと思うのです。エントリの「想定質問」で書いたのですが、ビタミンB1欠乏が脚気をもたらす」という命題は、一見すると、生理学というか病理学的な命題に見えるのですが、これもまた疫学の結論であって、私の知るかぎり、「ビタミンB1欠乏が脚気をもたらす」という機序の解明はできていません。ちょっと話が難しくなってなんなのですが、「ビタミンB1欠乏が脚気をもたらす」という命題は、実は疫学的に成立しているものの、病理学的、つまり、直接的な因果関係の命題としては成立していないのに、あたかも、病理学的、つまり、直接的な因果関係の命題としては成立しているかのように見えてしまうのです。それは科学的な理解なのか? 疫学も科学ですから科学的なのですが、ここで市民に起きている理解とは、疫学と病理学の混乱のようなものです。しかし、そのことは、科学という立場からどうなのかというと、けして誤りではない、のです。どのようにして誤りではないかというと、やはり「科学」集団への「信」があるからなのです。

motidukisigerumotidukisigeru 2008/11/26 13:50 >ただ、原因については、科学集団で意見が異なることがあり、一方が国家に関係することがあります。

国家に限らず利権が絡むことで偏向することは現実にありますね。科学も科学者も完璧ではないので。そこにおいて、客観的な議論ができる土俵をどう構築するかは大切な問題です。色々な立場の研究者が積極的に意見を述べることは重要でしょう。

でもそれがなんで「たぶん、ここで、「科学的に正しいということは、科学集団の「信」しか意味できない」ということになるかなと」という結論になるのでしょうか。ちょっと飛躍してるかと。

finalventfinalvent 2008/11/26 14:54 motidukisigeruさん、ども。いえ、「なるかな」というのは疑問であって結論ではありません。

counterfactualcounterfactual 2008/11/27 12:34 はじめまして。

>一見すると、生理学というか病理学的な命題に見えるのですが、これもまた疫学の結論であって、私の知るかぎり、「ビタミンB1欠乏が脚気をもたらす」という機序の解明はできていません。ちょっと話が難しくなってなんなのですが、「ビタミンB1欠乏が脚気をもたらす」という命題は、実は疫学的に成立しているものの、病理学的、つまり、直接的な因果関係の命題としては成立していないのに、あたかも、病理学的、つまり、直接的な因果関係の命題としては成立しているかのように見えてしまうのです。

いいえ、因果関係の命題?は疫学の領分で、病理学の領分ではありません。病理学は、より豊富な科学的説明をする学問です。
因果関係とは何か?は、科学哲学における大きなテーマの一つであって、ここで説明するのは大変です。議論されていたブログを紹介しておきます。
メカニズムを示さないと因果関係はいえない、と信じているブログ主に対して、数名が根気よく説明してます。

http://d.hatena.ne.jp/Gedol/20070919/1190212795#c

病理学的なものが、直接的な因果関係の命題として成立するのだ、というのは信仰に近いものがありますね。
少なくとも、医学研究者にとっては、因果関係は疫学の守備範囲だというのが共通認識です。そして、史実が伝えることが事実だとするなら、高木は、脚気と白米に偏った食事の間の因果関係を立証していますね。

finalventfinalvent 2008/11/27 13:44 counterfactualさん、ども。私の書き方もまずかったと思いますが、「メカニズムを示さないと因果関係はいえない」というふうにはまるで考えていません。また、「病理学的なものが、直接的な因果関係の命題として成立するのだ」とも。
 私が重視したのは、この記述から、「「ビタミンB1欠乏が脚気をもたらす」という機序の解明はできていません」ということです。
 「因果関係の命題?は疫学の領分で、病理学の領分ではありません。」についてが、現場の病理学の立場からするとそうかなと思いますが、そう言い切れるものかについては、私にはわからないところです。どちらかというとそこまで言うのは違うように思います。「基礎から学ぶ楽しい疫学」(中村好一)で学んだ私の印象に過ぎませんが、疫学と因果関係の問題については、限定的なものに思えます。また、「医学研究者にとっては、因果関係は疫学の守備範囲だというのが共通認識です」についても、対象範囲の問題によると思います。
 ための反論に受け取らないでほしいし、持論を強弁したいわけではありませんので、この件については、無知な素人がいるなというご感想を持たれても、それはそういうものかなとは思います。
 この話題に関連するところでは、「そして、史実が伝えることが事実だとするなら、高木は、脚気と白米に偏った食事の間の因果関係を立証していますね」ですが、ええ、概ねそうです。疫学的に概ねそういえると思います。しかし、高木が想定したたんぱく質不足仮説は外れていましたし、「白米に偏った食事」が栄養を意味するなら、栄養説も十分に成立していません。まして、そこから「ビタミンB1欠乏が脚気をもたらす」が言えないことです。言えるのは、「白米」になんらかの問題があるということです。

counterfactualcounterfactual 2008/11/27 18:35 長くなるので二つに分けますね。

>私が重視したのは、この記述から、「ビタミンB1欠乏が脚気をもたらす」という機序の解明はできていません」ということです。

確かに、その記述は機序について何も説明していませんが、機序を解明しなくとも、因果関係を立証することはできるので、それでニセ科学的だという批判は、外れています。機序の解明というけれど、機序を完全に明らかにするということは、物理法則のレベルまで還元することになる、それは、無理な話だな、ということなんです。
いや、そこまで完全じゃなくていい、というなら、程度の問題が持ち上がって、どこまでできたら「証明」と言っていいの? という問いかけがなされます。
疫学について言えば、エビデンスレベルという名称で、「証明された度」の目安が存在します。

機序を説明されたら、因果関係が証明されたような「感じ」になるのは確かですが、それは一種の錯覚です。

その錯覚に付け込んで、似非医学や怪しげな代替療法で商売している連中は、メカニズムの説明からはじめるんです。
そして、実際に被害が発生しています。メカニズムを説明し始めたら、疑ってかかれ、というのがこの業界の常識です。

>疫学と因果関係の問題については、限定的なものに思えます。

病理学では、限定的も何も、因果関係については何もいえません。
最も強い因果関係というのは、Aを付加すれば、その後に必ずBが起きる、Aを付加しなければ、その後にBが起こることはない。ということだと理解していますが、病理学でそれを証明できるでしょうか? もし、動物実験で、ということであれば、それは機序の解明ではないし、人間を対象にした疫学的手法をより精密化したものに過ぎません。さらに、動物と人間は体の機能が異なります、という突込みが入ります。

counterfactualcounterfactual 2008/11/27 18:37 後半です

>高木が想定したたんぱく質不足仮説は外れていましたし、「白米に偏った食事」が栄養を意味するなら、栄養説も十分に成立していません。

想定していたことが外れてもかまいません。未検証の仮説だが、将来検証(正しいか間違いか)できる仮説だとしてしゃべっていたのなら科学です。
もし、あの疫学研究で、たんぱく質不足仮説が正しいということが検証された、と言っていたら、あっちの世界に踏み出していたということです。

>まして、そこから「ビタミンB1欠乏が脚気をもたらす」が言えないことです。

ええ、高木の研究からでは、ビタミンB1欠乏が脚気をもたらすとはいえませんよ。というか、あのwikiの記述では、高木の研究から証明された、とはまず読み取れません、というのが正直な感想です。さらに言えば、あのwikiの記述は、脚気の原因がビタミンB1不足であることを科学的に説明することを意図したものではない、と私は理解してます。

>言えるのは、「白米」になんらかの問題があるということです。

そうです。白米に着目して、後に、ビタミンB1が脚気の原因だと突き止められたんです。そして、ビタミンB1欠乏以外に、脚気という病気を引き起こす原因は今のところあがってきてないので、高木が見ていた脚気や、江戸患いと言われているものの原因は、ビタミンB1不足だろう、と推測されるわけです(証明できた、とは決して言わないところが科学です)。

似非科学批判というのは、知見に対する批判ではなくて、態度に対する批判だと思うのですが、いあかがでしょう? 科学的な態度というのは、とことん疑って、それでも否定できないなら、それを受け入れる、というものだと思いますが、似非科学は、自説に都合のいい事実だけを選択した上、「証明された」言い切ってしまう傾向が極めて強いと考えます。それは、科学的態度ではないんです。

finalventfinalvent 2008/11/27 19:45 counterfactualさん、ども。まず、すでにいくどか述べていますが、私はすでにニセ科学的およびニセ科学的批判については関心を失っています(私はそれらを理解していませんでしたし、誤解は無理解に含まれています)。では、この話題はなにかというと、科学的方法論、および科学的思考について、「脚気」とその歴史を例題にして考えてみましょうということです。なので、ニセ科学的およびニセ科学的批判についての話は捨象させてください。コメントを分けます。

finalventfinalvent 2008/11/27 19:54 counterfactualさん、ども。病理学と疫学についてですが、「病理学では、限定的も何も、因果関係については何もいえません」、BSE研究の過程などを見ても、そうであるようには思えません。また、「機序の解明というけれど、機序を完全に明らかにするということは、物理法則のレベルまで還元することになる、それは、無理な話だな、ということなんです」についても、現在チアミンの不足がどのように病変を起こすかという研究がされていることと矛盾するように思えます。こうした点で、counterfactualさんのご説明は私には説得できはありません。もちろん、基本的な勘違いを私がしているのかもしれませんが、疫学についてcounterfactualさんが説明された部分(「因果関係は疫学の守備範囲だ」)も、「基礎から学ぶ楽しい疫学」(中村好一)で学んだ私の印象とは異なっており、どちらに信を置くかというと私としては後者になります。ただ、この問題は、できれば別の識者の見解を待ちたいと思います。つまり、この件についてはそれまで留保ということにさせてください。コメントを分けます。

finalventfinalvent 2008/11/27 21:41 counterfactualさん、ども。話題の部分に戻ります。
 まず、「科学的な態度というのは、とことん疑って、それでも否定できないなら、それを受け入れる、というものだと思います」については、まったく同意です。
 ですから、私は、この話題を例として、「ビタミンB1が脚気の原因だと突き止められたんです」ということに疑念を持っているので、とことこん疑ってみようと思うのです。
 「そして、ビタミンB1欠乏以外に、脚気という病気を引き起こす原因は今のところあがってきてないので、高木が見ていた脚気や、江戸患いと言われているものの原因は、ビタミンB1不足だろう、と推測される」という推測がそれほど正しくないのではないかと考えています。
 そして、まず、その前段として、その疑念が十分可能ではないか、ということを導きたいのです。
 ここまでの話からは、「ビタミンB1が脚気の原因だと突き止められたんです」が十分に説得的ではありません。
 「ビタミンB1欠乏以外に、脚気という病気を引き起こす原因は今のところあがってきてない」は正しいのでしょうか。
 エントリ中「仮説と科学的探求」で私は4つの仮説を上げました。それはどのような経緯を辿っているのでしょうか。
 この話題の現状の展開では、「ビタミンB1が脚気の原因だと突き止められたんです」という「信」がいくつか散発的に語られただけでした。
 「ビタミンB1が脚気の原因だと突き止められたんです」が疑念に晒されるなら、では、何が原因なのかという仮説が可能なのでしょうか? 
 仮説を出して、それに答えを試みてもよいのではないでしょうか。
 この過程が可能なら、そこに科学的方法論や科学的思考の一つの例題になるだろうと思って、この問題を提起したのです。
 そして、その過程が一巡したとき、該当のウィキペディアの記述はどのように見えるか、問うてみたいのです。

counterfactualcounterfactual 2008/11/27 21:44 finalventさん、

>そして、まず、その前段として、その疑念が十分可能ではないか、ということを導きたいのです。
ということなら、私には興味ありませんので、やりとりは終了です。
現在でも、大地が球形をしていることに、十分な疑念とやらを抱いている人はいますし、相対論や量子論に十分可能な疑念を持っているという人もいます。
脚気の原因が、真にビタミンB1不足かどうかなど、私にとってはどうでもいいことですし、科学にとっても同様でしょう。
新たな科学的証拠が、脚気の原因はビタミンB1不足ではない、と示すならば、「ああそうですか」と納得するだけです。
それが科学的態度ですよ。新説はウェルカムなんです。ただ、科学的に、新説とするための条件がシビアなんですけどね

finalventfinalvent 2008/11/27 23:41 counterfactualさん、ども。やりとり終了の件、了解しました。また、「脚気の原因が、真にビタミンB1不足かどうか」がcounterfactualさんにとって「どうでもいいことですし」というのも、特段に異論はありません、が、「科学にとっても同様でしょう」については、私はそうは思えないし、また、そう思えない人が他にもいらっしゃるのではないかと思われますので、まだこの話のほうは続きます。

motidukisigerumotidukisigeru 2008/11/28 00:30 支えのないところで、リンゴから手を放すと、リンゴが落ちますね。
これは、みんながよく知っている現象ですが、これの「機序」を本気で確かめようとすると、えらいことになるのですよ。
だって、「リンゴが落ちるメカニズム」を完全に理解するには、重力とは何かという問題に答えなくてはなりません。重力の正体については、一般相対論や量子論が様々に仮説を立てていますが、完全な解明は出来ていません。

水素と水素と酸素で、水分子ができる、というのも、その機序を完璧に証明しようとすると、水素結合とは何か、という話になって、素粒子とは何か、クォークとは、空間とは、という風に続きます。

BSEにチアミンが関わってるとして、それは完全な機序ではないです。なぜなら、チアミンがどのように相互作用してるのか、という機序が説明されていないからです。その機序を厳密に説明しようとすると、分子結合の話になり、分子結合をの機序を説明しようとすると、素粒子になり、それを〜というわけです。

宇宙のあらゆる物理学を完全に矛盾なく記述できる万物統一理論みたいなものができない限りは、「完全な機序の説明」はできませんし、また、何をもって完全かというのも難しい話です。

逆に言うと、疫学的な統計分析によってビタミンB1を脚気の原因とする、というのは、物が落ちる例を沢山観察して重力を仮定する、というのと同じくらい科学的で正しいのです(もちろん、検証のされ方とかは段違いですが)。

motidukisigerumotidukisigeru 2008/11/28 00:45 つまり、完全な機序を要求するなら、
「手を放したらリンゴが落ちた」
「リンゴが落ちた原因は、重力である」
という説明さえ、否定されてしまう、ということです。

「重力の機序が説明されていないので、その説明は不十分」とつっこむのは、もちろん、一つの立場ではあるんですが、それをやりたければ、wikipediaの、他の全てのエントリーが同程度におかしいということになります。

SundalandSundaland 2008/11/28 07:55 ちょっと調べてみましたが、脚気とウエルニッケ脳症とthiamineの因果関係ですが、不明として良いようですね。歴史的でない脚気でもタバコと肺癌なみ(でいいのかな)、ウエルニッケ脳症とthiamineでは???状態あたりですか。定説レベルと勝手に思ってたんで迂闊でした。
その割には近年の研究が薄いですね。動物実験ではうまく再現できてないようですし、parenteral nutritionとかでのヒトの例でも意外に説得的ではありませんし。これはもしかすると・・・ですね。

finalventfinalvent 2008/11/28 09:12 Sundalandさん、ども。ええ、臨床としては特に打つ手もないし、あまり物騒な話を蒸し返すのもなんだしということなんじゃなかと思います。自分なりにはいろいろ考えて、シンプルな仮説にしてありますし、意外と欧州側ではこっそり単に通説かもしれません。実験系できちんとわかるといいのだろうとは思います。ちょっとネットを見ると、やや古いですが、http://ci.nii.ac.jp/naid/110004696833/、とかで「チアミン欠乏食とピリチアミンを用いてラットにチアミン欠乏状態を作成し,Thiamine monophosphatase (TMPase), Thiamine pyrophosphatase (TPPase)の脊髄神経節・脊髄後角での局在を検討した」とあり、実際には「チアミン欠乏」の意味は暗黙のお約束になっているのではないかと(ピリチアミン必須)。実験系で再現できないのは案外ただのお約束なのかも。これも古いけど、http://ir.library.tohoku.ac.jp/re/handle/10097/20487、その後どうなっているのか気になりますね。Pub Medを見てもあまり研究はないっぽいのですが、もしかすると、歴史学的な問題に移行しているのかもしれません。

finalventfinalvent 2008/11/28 09:23 motidukisigeruさん、ども。科学というのは最初に問題設定をするのですがそのときに、方法論も事実上整合するので、そうした稚拙なレベルの問題は起きませんよ。あと、「逆に言うと、疫学的な統計分析によってビタミンB1を脚気の原因とする、というのは、物が落ちる例を沢山観察して重力を仮定する、というのと同じくらい科学的で正しいのです」という「科学」の「信」を疑うというの今回の話です。まず、疑いうるまで来ています。ちょっとヒント的に言うと、高木兼寛のエピソードを見て、白米から麦飯への転換でというけど、そのきっかけとなった事件---白米だけで376名乗員の169名に脚気、うち25名が死亡---に白米と麦飯のビタミンB1の差を見るのは、なんか変だなとは思いませんか。また、なぜ海軍で突出したのだろうかとか、ここでいう白米って何を意味しているのだろうかとか、また、この時代の脚気が夏場によく起きるってなぜとか。ある科学的学説が正しいという信によって、それがなければ常識によって疑念に思える部分、あるいは本来の科学的思考が、一種のマインドコントロール状態になってないでしょうか。

SundalandSundaland 2008/11/28 10:01 勇み足ですが、こういう寝た子的な「定説」って日本が絡んでるものが多いような。うーん、もしかしてメジャーなものはみんな日本絡み?。何か鬱ですね。

finalventfinalvent 2008/11/28 10:15 Sundalandさん、ども。この件については日本特有の問題がからんでいるので、この先の話でも相当な反発が来そうなんで、まためげてしまうかも。全体的に言えば、諸外国に比べて日本は社会全体としては臨床や厚生行政が進んでいるからというのがあるのかもしれませんね(全体的によければいいじゃないか、と)。

counterfactualcounterfactual 2008/11/28 11:57 やりとり終了を宣言しておいて、さらにコメントするのは恐縮ですが、まず、脚気の真の原因など、科学では要求されていません。極端な言い方をすると、科学は真理に近づこうとはしていますが、真理に到達することは最初から放棄してます。
真理に最も近いと考えられていた数学でさえ、真理の際際のところをぐるぐる回ることしかできません。

科学が求めているのは、現象を説明できる妥当な仮説であり、複数の説があればより、尤もらしいほうを採用するし、同様の尤もらしさであれば、併記されます。
現在の科学の定説は、「今のところ、現象と大きな矛盾がない、暫定的に正しいと合意された説」に過ぎません。

科学的態度をいいましたが、妥当とされる科学的知見に関しては、「信じない」ことが肝要です。もし、科学が信じていることがあるとすれば、科学的な態度で、真理に近づける(到達はできないが)はずだ、ということでしょう。

ビタミンB1不足以外に脚気の原因を求めるなら、既知の知見を元に議論をこねくり回しても無意味です。仮説をお持ちなら、それを動物実験なり、疫学研究なりで検証してください。

論より証拠なんです。

finalventfinalvent 2008/11/28 13:39 counterfactualさん、ども。同じ議論のようですので、これにて。

motidukisigerumotidukisigeru 2008/11/28 17:12 >motidukisigeruさん、ども。科学というのは最初に問題設定をするのですがそのときに、方法論も事実上整合するので、そうした稚拙なレベルの問題は起きませんよ。

いや、finalventさんが、起こしてるんですよ。疫学的に十分に証明されている問題について、「機序がわかってないから意味がない」という無意味な反論をされている。

>あと、「逆に言うと、疫学的な統計分析によってビタミンB1を脚気の原因とする、というのは、物が落ちる例を沢山観察して重力を仮定する、というのと同じくらい科学的で正しいのです」という「科学」の「信」を疑うというの今回の話です。

おっしゃる意味が、全くわかりません。

>ちょっとヒント的に言うと

ヒントとかほのめかしとかは、科学的な議論でもなんでもないんで、「ここがこのようにおかしい」と、きちんと説明してください。全ては、それからです。

さて、間違いをほのめかすだけほのめかして、はっきりした主張をしなければ、いくらでも責任逃れができますね。finalventさんが、今回、されていることは、それに思えます。

「テスト」と言っておいて、答え合わせもしない。しないで、wikipediaはおかしく「科学への信」がおかしいと言い張る。客観的に見て、おかしいのがfinalventさんのほうである可能性は限りなく高いです。

finalventfinalvent 2008/11/28 17:21 motidukisigeruさん、ども。同じ議論のようですので、これにて。

motidukisigeru2motidukisigeru2 2008/11/28 18:16 motidukisigeruというidでコメント欄に書き込めません。idブロックされたと判断します。
motidukisigeruとの議論をお続けになる価値がないと判断されるのは無論、ご自由ですが、最低限、idブロックされた旨を公表していただけませんか?
見ている方の誤解を招くのは本意ではありませんし、そうした印象操作はfinalventさんのご意志ではないと信じます。

finalventfinalvent 2008/11/29 08:53 motidukisigeru2さん、ども。同じ議論の循環のように思え、そしてその旨がご理解していただけない方の場合、コメント欄をブロックしています。循環に関連する部分は、「テストの意図について」(http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20081117#ito)で説明しました。

SundalandSundaland 2008/11/29 14:58 読み飛ばしていた?のか追記だったのか、上の方でもう答えは書かれていたんですね。ピリチアミンへの言及からカビだろうなと目星を付けてはいたんですが・・・。これってけっこう大問題ですよね。日本のマスコミは報道しませんが、beriberi outbreak、頻発してるようですし。

finalventfinalvent 2008/11/29 15:20 Sundalandさん、ども。同じ展開が循環しはじめたので、少しコマを進めてもいいかなと。というか、早々に「衝心性脚気と脚気の違いはあるか?」くらいの議論になるかと思ったのだけど、意外とそうもなりませんでした。そしてもう世間的には、finalvent、アルファブロガー(笑)となって、この話題も終了したみたいです。ま、最初からそうだし。
 現代的な問題の部分については、そこまで言っていいかな、ちょっとためらうなというのはありますね。それこそ藪蛇かな。いずれ社会問題になるでしょうけど。
 蛇足がてら、インパール戦日本兵戦死者の大半はマイコトキシンみたいですよ。他、南方戦死者もそれっぽい感じがします。ビタミンB1欠乏脚気説なんてものがきちんと軍で是正されていたら、戦死者を減らすことはできたんじゃないかなと……まあ、そのあたりは妄想かな。

SundalandSundaland 2008/11/29 16:11 紹介されていた「脚気病原因の研究史」ですが、内容の可否はともかくとして、155ページ右下の「人と動物間の病理所見の相違といっても、それは単なる種族間の相違に過ぎないのではないかとは思えなかったのだろうか」にびっくりです。

SundalandSundaland 2008/11/29 16:12 訂正、「右下」ではなくて「左下」です。すみません

finalventfinalvent 2008/11/29 16:17 Sundalandさん、ども。それなりに、その学問方法論だったかもしれませんよ、なんか冗談言ってるみたいですが。

SundalandSundaland 2008/11/29 20:46 ちょっと「議論」を見て回ってきましたが、なんというか差し出がましいにもほどがあるかもしれませんが、二段構造になってるってのが伝わってないように思われたので、私なりの交通整理など・・・。

1歴史学的アプローチは因果を逆転させた議論(現在の知識による過去の再構成)になるため、実際の事実関係、因果関係の取り扱いに慎重さが求められる。具体的には「歴史的脚気」がビタミンB1欠乏症であることの証明は不可能なので、これがビタミンB1欠乏症であることを自明とした議論をしてはならない(いわば形式的偽科学的記述)。「歴史的脚気」を含む脚気がビタミンB1欠乏症であるとする知見は疫学によるものであり、より因果関係についての厳密さを求める病理学的知見によっていない。動物実験は事実上「失敗」しており、ヒトによるデータにも疑念の余地がある。

2少なくとも「歴史的脚気」がビタミンB1欠乏症ではなくカビ毒によるものであれば、記述自体が明白な誤りとなる(実質的偽科学的記述)。

すみません合ってるかどうか分かりませんが、勝手にまとめときました。

finalventfinalvent 2008/11/29 22:02 Sundalandさん、ども。ええ、私がごちゃごちゃ書くより、そう段階的に分けたほうがわかりやすいですね。過去については推定に過ぎません。推定ではその妥当性が問われます。そしてその妥当性には、仮説間の科学的な評価が必要になります。
 
 人によっては非科学的に聞こえるかもしれませんが、衝心性脚気については研究史的にマイコトキシンとみておそらく妥当でしょう。そして、「テスト」に上げた大半は衝心性脚気とみてよいでしょう。「脚気病原因の研究史」にそれが反映されていないのは不思議なほどです。なので、さくっと言えば、ウィキペディアのこの項目は書き換えてほうがよいでしょう。現状の説明は、偽なる科学説明でしょう。
 しかし、衝心性脚気がマイコトキシンによるものだとして、「脚気」のほうはどうか、という問題があります。つまり、問題は二つであり、「脚気」は依然アビタミノーゼなのだ、という命題です。だから、衝心性脚気を区別すれば、依然脚気はアビタミノーゼという通説が残る、と。ただ、この場合でも、「テスト」に上げた部分は、妥当な説明ではないでしょう。
 そこまで問題を進められたら、本当に「脚気」がチアミン欠乏で起きるのか? ということ移ります。ここの疑念への説明は、衝心性脚気よりは弱くなります。一つの鍵は、機序がわからないという点です。チアミンの生理作用からは、「脚気」が説明できない。逆に、別の仮説を立てると(私が立てているわけではないのですが、通説ではないのでとりあえずこう表現します)、すんなりと通ります。この仮説をどの程度科学的と評価するかです。そしてその仮説は、ウェルニッケ・コルサコフ症候群も含むことになりそうです。また、逆に疫学研究ですが、英国が1940年にチアミン欠乏の実験をしているのですが、その評価も関わってきます。
 
 あと、私としては、科学というとき、市民社会ではそれは「信」として問われるけど、科学的な思考とは「信」を問うものではないのだというのがポイントだったりします。
 今回の「テスト」も、「信」をはずせば、科学的に疑念がわいてくるし、別の研究史も見えてくる、それが切断されているのは、いかに、科学という「信」がマインドコントロールになっているかということでもありました。

SundalandSundaland 2008/11/30 08:36 ああ、entity問題がそっくり抜けてました。それと、「信」というのも伝わらないというか、難しいですね。大雑把に研究史眺めただけですが、実験系がうまく再現できてない、構成できてないのに結果的に疑念が放棄されているように見えるところが何とも不思議です。もちろん動物実験で再現できないことなどよくあること(かな)なんでしょうが。そこが科学の外部、具体的には国家の介入なんでしょうか(憶測ですが類似例を思い出します)。

finalventfinalvent 2008/11/30 09:54 Sundalandさん、ども。私みたいな素人が言ってはいけない領域というのがあって、そこに関わる危険性もあるかもしれないのですが、チアミンにはその生理作用からしてアビタミノーゼというのにはそもそも無理がありそうに思えます。冗談でいえば、アセトアミノフェンの欠乏で頭痛が起きる、みたいな話なのかもしれません。仮にそうだとすると、神経系へ関与する毒というのが、常在的(ubiquitous)なのか、ある種のマイコトキシンとの進化論的な実質的な共生的な関係があるのかということになります。「ubiquitousなんだよ、だから、チアミンのアビタミノーゼでいいんだよ」というのも近似解としてよいのかもしれません。というか、そこまで問う意味がだんだんわからなくなります。
 この件自体については、ただすというなら穏和な形で修正しないと、多方面にご迷惑がかかりそうな問題なんで、科学的に正しいから正しいというふうに押していいかも疑問で、そのあたりは、ちょっと引くというかぼやかしていたところもあるんですが、逆に誤解の種になりましたね。あれから、辰野高司先生の話を読み返すと、案外わかっていて事を荒立てない配慮かなとも思えました。その意味では、finalventアルファブロガー(笑)で、みんなの失笑の的になりました、完敗です、で、納めるとそれはそれで平和かな。いやここはそれほど冗談でもなくて。
 ただ、この問題は、依然途上国には普遍的な問題ですし、欧州側ではある程度定見が出ていて、また日本でも厚労省側でもわかっている勧進帳のような印象も受けます。このあたりは、真理がどうより、具体的な健康問題の実務にしちゃっていいんじゃないかな、と。
 個人的には、「進化論的な実質的な共生的な関係」というのがあるとすれば、それはなんだろという疑問は残りますね。モンスーン域の稲作民は伝統的にマイコトキシンとその防衛を知っていて、むしろ、この問題が顕在化するのは、このアジア域に列強が帝国侵略を始めてからなので、広義には、人間の過度な地球への介在に対する自然の排除力なのかも、ついでに言うと、籾殻にはそれなりにペニシリウム・シトレオビライデを抑制する菌のコロニーもありそうです。なので、精米して船に積み込むなよ、カビ生えるだろ、という伝統的な知恵を無視したのが日本海軍だったかもしれません……おっとぉ、そこまでいうとちょっと妄想ですね、というか、いやこここそアルファブロガー(笑)の本領なんですけどね。
 余談ついでですが、日本という文化はAspergillus属と共存していたのでしょうかね。日本だけが孤立していたとも思えないのですが、このあたりの、共生の文化史みたいのはもうちょっと考えてもいいのかな、というのは、今回の話題が徒労感ばかりではなかった、それなりに自分でも得るものはあったかな、と。

SundalandSundaland 2008/11/30 10:25 ここで「Aspergillus属と共存していた」というのが凄い視点というか、近代軍隊化以前に既に江戸煩いがありますし、これは都市化の問題ということにもなるんでしょうか。常在菌問題なんかともシンクロする巨大な枠組が視野に入ってくるようで、ちょっと目眩かもです。

finalventfinalvent 2008/11/30 10:39 Sundalandさん、ども。ああ、江戸煩いも都市化ですね。帝国侵略史とイコールとまではいかないですね。
 進化というのは合目的的に考えてはいけないのだけど、一応、ファンタジー的な思考とすれば、マイコトキシンの存在にはたぶん理由があるのでしょう。毒の機序自体にもなんかありそうだし。
 文化現象とすれば、発酵、ということで、アルコールとかアミノ酸が「目的」なのでしょうけど、それらと共生しちゃう部分の身体の側というのがあるはずなんで、あまり珍奇な日本人論とか考えたくないけど、広義にモンスーン域の文化ともなりそうにもない。風土病研究というのは一つのきっかけなんでしょうけど。なにか、すぱっと広がるパースペクティブがあるといいのですけどね。ウイルスなんかだとDNAとの関連やトランスポゾンの問題なんかも、ある意味で「わかりやすい」し、細菌もそれなりにですね。広義のエコロジーなんでしょうね。そして、数百年スパンで見ると民族文化はその意味を暗黙的に近い形で「知っている」わけです。
 もうちょっと脱線。エコロジーというのは、私は、基本的に食物連鎖、で、食うか食われるか、なのですが、このなかで、生命は、「オレ、食われてもいいよ」を生み出している。もちろん、食われたくはないわけで、そこで、「毒」が出てくるわけですが(白ピクミンか)、そういう単純な仕組みじゃない部分がありそうですね。なんなんだろ。まあ、暢気に考えるテーマとしますが。

finalventfinalvent 2008/11/30 10:44 あ、補足。毒というより、慢性毒、かな、と。

SundalandSundaland 2008/11/30 15:43 脱線ついで、定住とか農耕とか都市とか「環境破壊」の質の変化と、そんな人類側に対する環境側、とりあえず生命に話を絞りますが、生命側の適応戦略の妥協点(極相)みたいなもんでしょうかね。人類側のはある程度合目的的でしょうが、それだけ先鋭的なんで手厳しいしっぺ返しに合う可能性も出てくると。

都市化とペアの白米食化により未知の江戸煩いが出現し、日本の近代軍隊化で先鋭化、平行して獲得されて行った栄養と衛生により克服されて行ったという流れなんでしょうか。

finalventfinalvent 2008/11/30 15:55 Sundalandさん、ども。前半については、慢性毒というものが進化のプロセス上どういう意味を持つか、実はよくわかってないんじゃないかという感じがしています。一応個体に寿命を言い渡すシステムでもあるのでしょうが、なにかしら種に関わっているような奇妙さも感じます。慢性毒のシステムのほうが人類より長いわけなんですよね。そしてこれは諸生物に適用されるわけです。
 後半については、ええ、そういう流れなんです。白米というのを国家管理したから、日本という近代国家が完成したんですよ。また変な気違いがわくといけないのけど、日本人ってそこまで白米食いたいのか、どんだけぇ、みたいな。いやそれは半分冗談ですが、しかし、白米を食わない日本人(私がけっこうそうですがちなみに)、というのは意外と想定しづらい、イコール、日本人は国家に管理されるんだな、こんなところに奇妙な権力システムがあるなぁという感じです。
 この問題は現代的な問題でもあるんですが、そこは提起するのは難儀だなという感じです。

finalventfinalvent 2008/11/30 16:02 追記。そういえば、今回の一連で、軍がどれほどビタミンを欲しがっていたかというか軍とビタミンが繋がっているかを再考しました。ようする軍というのは、兵士に飯という燃料を補給しないといけない、というプロセスで、もともと兵士というのが、軍リスソースであるように、食事も燃料なわけで、こういう枠組みのなかでは、食と人間が、機械化される、だから、ビタミンなんてものが出てくるわけですよ(前近代なら食の規定は宗教が覆っているはず)。食育だので国家が食に関連するとき、国民のロボット化の思想は前提的に含まれてしまうというか、健康とは実は個人の問題じゃなくて国家の問題なんだなぁ、と(人の信仰を奪うものというか極論すると)。あとこうした人間機械化的な思想は、1920年代あたりから欧米に出てくる奇妙な思想潮流に源があるかな、とも。日本国憲法も、よく読むとこの手の機械化人間論の延長にあるみたいです(スキナー理論)。もうちょっと言うと、科学的に正しいというのは、案外本質的に国家権力の機構なんじゃないか……いやそこまではわからないですが、意外とナチスって科学的に正しくて健康志向なんですよね。

SundalandSundaland 2008/11/30 16:22 ふと「カルマ」という、えと本来の意味ではなくてゲームなんかで使われてた概念を思い出しました。ゲーム上の殺生をするとカルマポイントが積み上げられて、決められた値を超えるとゲームセットとかいうやつです。慢性毒ってこのカルマ?
労働安全衛生法とか近年のメタボも、本質は身体の国家管理ですね。このあたり脈々と受け継がれてると思います。

finalventfinalvent 2008/11/30 18:55 Sundalandさん、ども。この手の話は楽しく、懐かしいですね。地球原生命オピストコンタの呪いかも(あはは)。

SundalandSundaland 2008/12/02 18:45 いろいろ見て回りましたが、どうも奇妙ですね。英語の一流ジャーナルには脚気カビ毒説を臭わすものが皆無なのに、WHOには自明の如く記載されたりしてます。こんな具合→"citreoviridin-related malignant acute cardiac beriberi
(``yellow rice disease'' or shoshin-kakke disease in
Japanese)" http://whqlibdoc.who.int/bulletin/1999/Vol77-No9/bulletin_1999_77(9)_754-766.pdf

citreoviridinで検索しても、やはり「自明」とする記述がわずかに見つかりますが、引用された論文はマイナー雑誌の日本人研究者のものがほとんどですね。これってどういうことなんでしょう、というかそういう論文では"shoshin beriberi"や"kakke-shoshin"という用語が当たり前のように使われてます。黄変米との関係性も含め、どうも研究史に問題があるのかなという感触です。研究年代とか見ても戦争の陰なんでしょうか。もうちょっと追っかけてみます。

finalventfinalvent 2008/12/02 19:06 Sundalandさん、ども。基本的に栄養学と臨床(メルクとか)では"Thiamine Deficiency"がBeriberiの原因という通説のままが多いかと思います。公衆衛生となると、現場はそうもいかないわけですから、もうすこし実質的な説を採るので、日本の戦後のマイコトキシン研究がよく参照されています。
 とりあえず、「脚気」をどう定義するかで、衝心性脚気はマイコトキシンであっても、広義の脚気は"Thiamine Deficiency"というのが折衷的です。実際のところ「脚気」が問題になるは公衆衛生、つまり疫学的な視点になるはずです。この研究を切り開いた浦口もその視点に立っています。
 あと、マイコトキシンであっても、その毒性の機序はThiamineの生理機能に関わるから、むしろ、マイコトシキンがThiamineの吸収を阻害外し、ゆえに"Thiamine Deficiency"となるというような説もあります。これだと、旧来の説ともっとも整合的なわけですが、疫学的に見ると、やはり要因はマイコトシキンが上がってくるわけで、チアミンを食事から不足させて脚気なりを起こすことは難しそうですし、基本的にチアミン不足を避けるのは、予防という枠組みと見てよさそうです。つまり、この場合でも、"Thiamine Deficiency"が単独でBeriberiを起こすというのが科学的に正しいとはとても言えそうにはありません。(たぶん、実験系でも無理なのでは。)
 研究史的には、浦口、上野、あたりが英文論文を書いて、しかも説得力があり、そこで普通に欧米に受容されているということかなとは思います。ただ、浦口のお弟子筋にあたる辰野は、マイコトシキンによる衝心性脚気と、アビタミノーゼによる脚気を分けています。そのあたりが穏当な理解なのかなという思いもありますが、このエントリで当初上げた例は、浦口が指摘しているように大方は衝心性脚気と見るのが妥当でしょう。というか、そこは辰野もそういう視点でいます。
 とはいえ、これで明確に分かるというなら、栄養学と臨床の記述も変更されてしかるべきですから、いろいろあるのかもしれませんし、私が基本的に間違っているかもしれません。

finalventfinalvent 2008/12/02 19:29 追記:この折衷でやっかいなのは、衝心性脚気がマイコトシキンだが緩和な脚気がチアミン不足、としても、実はマイコトシキンは通常、慢性毒なので緩和な出現をするはずなんですよ。

SundalandSundaland 2008/12/02 20:52 parenteral nutrition例や消化管手術後のウエルニッケ脳症や脚気例ではマイコトキシンの関与を考えにくいように思います。まあこの場合はiatrogenicにビタミンB1欠乏が作られてるわけで、逆に考えれば人体実験みたいなものでしょうから、これがthiamine deficiencyのエビデンスになってるのかもしれませんね。で、英文一流ジャーナルではマイコトキシン説はリジェクトされているのかも。でもないと「皆無」ってのが説明できないようにも思います。

まあそう考えるなら、thiamine deficiency単独でも起こり得るということになるのかも。

finalventfinalvent 2008/12/02 22:00 Sundalandさん、ども。消化管手術後のウエルニッケ脳症や脚気例というのは、iatrogenicとはいえ、実験系に近いわけですね。なるほど。その意味では、Thiaminが、Vital+Amineということはガチといえるのでしょうね。現実的には「ビタミンB1不足」というのは、食事からの栄養の不足を指すわけで、そうした水準では1940年に英国で実験があり、脚気は発生していないのですが。とはいえ、あまり広く一般化はできませんか。

motidukisigeru4motidukisigeru4 2008/12/03 10:01 finalventさんのおっしゃってるのは、現行の脚気の研究に疑問がある、ということですよね。疑問点を持つこと自体は健全ですし、そこが訂正されるべき点である可能性はありますが。

もしfinalventさんが専門家でないのなら「疑問点を提出する」「専門家の意見を聞く」というステップを経るべきだと思うのですが、そうする前に「テスト」を行い「マインドコントロール」を主張する、というのは、著しくバランスを欠いているように思われます。

finalventfinalvent 2008/12/03 10:19 motidukisigeru4さん、ども。ご助言ありがとう。「もしfinalventさんが専門家でないのなら」については、ここではそういう枠組みとしているのでそれが前提になります。ゆえに、何が科学的な主張かという点について、「これが科学的真理だ」と主張するなら、motidukisigeru4さんのご指摘どおり、「著しくバランスを欠いている」というのはそのとおりだと思いますし、話の展開が拙くそう見える部分は反省しています。ただ、私としては、当初の問題に立ち返って再考していただきたいのですが、「疑問点を提出する」に力点がありました。疑問点があるよね、ということです。それに対して、「疑問点なんかないよ、これが科学的真理だ」という主張ばかりが非専門家から連続されるようなら、「その状態はそれとしておかしいよね」と思います。そして、なぜそんなおかしな状態になるかといえば、実はそこで「科学」と呼ばれているものの正体は、科学集団への「信」の表明ですよ、ね、科学的な思考・疑念を必要としない、「信」ではないですか、ということでした。市民が科学的であることはどういうことかは、「信」を対人的に強制することではないでしょ。でも、そういう事態になりそうだなという、実態を私がヒールになって再現してもいいんじゃないかと思いました。(想定以上のバッシングや、科学とは関係ない私の特質への非難があって、おどろき、そして凹みましたが。)
 もちろん、だからといって、では生じた疑問についてmotidukisigeru4さんがご指摘のように「専門家の意見を聞く」というプロセスを省略してよいわけではありません。ただ、今回の提起にあった主張は、一部の科学的集団、その専門家にとっては真理です。ですから、彼らに聞けば、あっというまにこの疑念は却下されるだけです。
 が、まさに、この疑念形成のプロセスに働く市民の科学的な思考はどうあるべきかというのが問題なのです。ここが、大きな問題であって、個別の脚気の問題はそれをあぶり出す例題に過ぎません。
 つまり、科学集団への「信」が、市民の科学的な思考の疑念に晒されるとき、特定の科学集団の「信」はどのような意味付けになるのでしょうということです。そこは未だに考慮されるかたは少ないように思えます。
 ところで、motidukisigeru4さんは、motidukisigeruさんと同一のかただと思われます。対話は可能に思えるので、motidukisigeruさんのコメント停止を解除します。いろいろ非難もうけましたが、私としては、私の言い分がまるで聞かれた形跡もなく一方的に語れる状況の循環になったときは、であれば、ご自身のブログなりで語っていただければいいことですから、私のほうが対話を辞退します。その点について責めがあるようでしたら、私の非としています。

motidukisigeru4motidukisigeru4 2008/12/03 10:40 >「疑問点なんかないよ、これが科学的真理だ」という主張ばかりが非専門家から連続されるようなら、「その状態はそれとしておかしいよね」と思います。

そうですね。その通りだと思います。ただ実際には「あなたの疑念点がどこにあるのか分からない」という主張はされていましたが、「疑念など全く無い」という主張はなかったと思います。
なので、私は「どこが疑念なのかはっきりさせてください。話はそれからだ」ということを書いています。

>ただ、今回の提起にあった主張は、一部の科学的集団、その専門家にとっては真理です。ですから、彼らに聞けば、あっというまにこの疑念は却下されるだけです。

ここ、意味が取りづらいのですが
a.専門家は、疑念を否定できるだけの証拠を持っており、それによって却下する。
b.専門家は、それが真理だと信じてるから、真面目に取り合いもせず却下する。

これのどちらでしょうか?

> が、まさに、この疑念形成のプロセスに働く市民の科学的な思考はどうあるべきかというのが問題なのです。ここが、大きな問題であって、個別の脚気の問題はそれをあぶり出す例題に過ぎません。

「例題に過ぎません」とおっしゃりますが、どういう問題に対するどういう疑念かを無視して一般化するのは意味が無いのではないか、と、書きました。

科学的な常識を疑うのは大切ですが「明らかにトンデモ(例:水からの伝言)」から「それなりに妥当な疑問」「専門家でも意見は分かれている」までの様々なグラデーションがあるかと思います。
それをせずに、「市民」vs「専門家」という形に注目しちゃうのは、トンデモ疑念も、まともな疑念も一緒にしちゃう恐ろしさがあります。

> つまり、科学集団への「信」が、市民の科学的な思考の疑念に晒されるとき、特定の科学集団の「信」はどのような意味付けになるのでしょうということです。そこは未だに考慮されるかたは少ないように思えます。

当然ながら、それを考慮する専門の学問があり、様々な人が様々なレベルでそれに対する知識を持ち、考慮していると思います。

finalventさんは、「ニセ科学批判のテスト」とか「ヒールになって再現」とか言わずに、「市民として自分で考えた時に、特定の科学常識と対立する時、我々はどうすべきか?」という話を最初から聞けば良かったのではないかと思います。

他人から話を聞こうとする時は、信頼の姿勢を見せるのが大切ではないかと思うのです。

finalventfinalvent 2008/12/03 12:31 motidukisigeru4さん、ども。
 いわゆる「ニセ科学批判」については私は関心をもっていませんので、そこはパスさせてください。
 他、ご質問の点ですが。
>>
ここ、意味が取りづらいのですが
a.専門家は、疑念を否定できるだけの証拠を持っており、それによって却下する。
b.専門家は、それが真理だと信じてるから、真面目に取り合いもせず却下する。
これのどちらでしょうか?
<<
 どちらであるかは専門家集団の内部のプロセスによるだけで、市民の側からはブラックボックスですし、そこは市民の側から問われる問題ではないように思われます。
>>
「例題に過ぎません」とおっしゃりますが、どういう問題に対するどういう疑念かを無視して一般化するのは意味が無いのではないか、と、書きました。
<<
 「どういう問題」かについては、科学集団の「信」として問われているものが、市民の科学的な思考によって疑念に置かれているという場合の疑念です。
 質問から離れて。
>>
「市民として自分で考えた時に、特定の科学常識と対立する時、我々はどうすべきか?」という話を最初から聞けば良かったのではないかと思います。
<<
 ええ、そのほうがよかったかと思います。ただ、もう一つ、この手の問題が間違った「信」として提出された場合、実際には「信」の集団からサイバーカスケード的な状況になるという問題を再現してみたいという思いはありました。実際のところ、間違った「信」の論者にとって大切なのは、サイバーカスケード的な正論を押しつけることではありません。ではどうしたらよいのかというネットの問題を提起してもよいのではないかと当初は思ったのです。
 もう一点。
 「他人から話を聞こうとする時は、信頼の姿勢を見せるのが大切ではないかと思うのです。」それは私は違うと思うのです。その他人が狂信者であることもあります。信頼は最初にあるものではありません。対話を通して醸成されるものです。そして、残念ながら対話は不能に陥ることはあり、それがその論者の「信」に由来していることがあります。

motidukisigeru4motidukisigeru4 2008/12/03 13:48 > どちらであるかは専門家集団の内部のプロセスによるだけで、市民の側からはブラックボックスですし、そこは市民の側から問われる問題ではないように思われます。

専門家の言うことは全部ブラックボックスというのは、ムチャクチャです。
専門家に聞けば、程度の差はあるでしょうが、専門家の人は「これこれこういう証拠があるから、こうなんだよ」と答えてくれると思いますよ。そこにおいて、「なるほど、そうだったのか」と納得できればよし。納得できなかったら、あらためて、どう納得できないかが問題になるでしょう。
だからこそ、市民の側が、どれくらい調べて、どう質問するかが意味を持つのです。

「ボクは相対性理論の間違いを発見した!」というなら「はいはい、あっちいって」で済ませられることもあるでしょうし、「脚気の歴史について調べてこういう点で引っかかってるんですが、良い資料はありませんか?」と言えば、もう少しマシな反応が返るでしょう。
もちろん、最初からサイバーカスケードを起こそうとする意図があるような人なら、まともな反応は返ってこないでしょう。

>ただ、もう一つ、この手の問題が間違った「信」として提出された場合、実際には「信」の集団からサイバーカスケード的な状況になるという問題を再現してみたいという思いはありました。

なるほど、意図されて自分でサイバーカスケードを招いた、ということですね。
で、それって「釣りなんじゃよプギャー」というのと、どう違うんですか?

>「他人から話を聞こうとする時は、信頼の姿勢を見せるのが大切ではないかと思うのです。」それは私は違うと思うのです。その他人が狂信者であることもあります。信頼は最初にあるものではありません。対話を通して醸成されるものです。そして、残念ながら対話は不能に陥ることはあり、それがその論者の「信」に由来していることがあります。

信頼は最初からあるものではありません。でも、最初から相手を信頼しない姿勢丸出しでは、対話も何もできやしません。「信頼」という言葉が悪かったのなら、誠実と言い替えましょうか。

自分からサイバーカスケードを招こうとする人が、まともな対話を作れないのは当たり前です。そこで証明されたのは、単にfinalventさんが不誠実に振る舞ったので、誠実な対話を築けなかったというだけの話であって、相手の狂信ではありません。

finalventfinalvent 2008/12/03 14:05 motidukisigeru4さん、ども。どうしてもfinalventさんの誠実さといった資質の問題に還元されてしまうのですね。その話は了解しました。ただ、対話としては、「科学集団への「信」が、市民の科学的な思考の疑念に晒されるとき、特定の科学集団の「信」はどのような意味付けになるのでしょうか」に絞っていきませんか。
 つまり、科学集団への「信」への疑念から市民はどのように科学的な知を獲得するのかという問題です。

motidukisigeru4motidukisigeru4 2008/12/03 15:34 >つまり、科学集団への「信」への疑念から市民はどのように科学的な知を獲得するのかという問題です。

疑念があったら自分なりに調べて、わかるところ、わからないところをまとめ、専門家に質問したり、色々なソースに当たったりしながら、自分の意見をまとめる。
専門家だからといって過信する必要はないが、それ以上に自分を過信しない。
で、基本は、いい気がします。

基本でフォローしきれない場合はあるでしょうが、基本が大切なのを揺るがしにしてもいかん気がします。

finalventfinalvent 2008/12/03 16:40 motidukisigeru4さん、ども。科学専門家集団間に考えの相違があった場合はどうですか? 自分の考えと、科学専門家集団Aの考え、科学専門家集団Bの考え、の、3者はどのように整合されますか?

motidukisigeru4motidukisigeru4 2008/12/03 17:18 >科学専門家集団間に考えの相違があった場合はどうですか?

Aに対してBをどう思うか、Bに対してAをどう思うかを聞きますね。

finalventfinalvent 2008/12/03 18:06 motidukisigeru4さん、ども。で、自分の考えと、科学専門家集団Aの考え、科学専門家集団Bの考え、の、3者はどのように整合されますか?

motidukisigerumotidukisigeru 2008/12/03 18:16 聞いた結果、調べた結果、考えた結果で、ケース・バイ・ケースで決めます。

finalventさんは、どうされるんですか?

motidukisigerumotidukisigeru 2008/12/03 18:21 なお「決める」というには、「どれが正しいか決められない」と意見を保留するというのも含まれます。

何も調べずに「AだかBだかわからない」というのと、「Aの根拠としてはabcがあり、Bの根拠としてはdefがあり、現状の私の知識だと、どちらが確からしいか判断する決め手にかける」というのは、大きく違うものだと思います。

finalventfinalvent 2008/12/03 18:25 motidukisigeruさん、ども。私の場合ですか。自分の考えをもっとも尊重し、それはそれとして、社会的には、より政治的強い科学集団の説に従います(というか従ったふりをしておきます)。水に毎朝こっそり「おはよう。今朝も清らかだね」と語り、ブログには、水に心が伝わるわけがないと書きます。

motidukisigerumotidukisigeru 2008/12/03 18:36 なるほど。またサイバーカスケードを狙ってますか?

finalventfinalvent 2008/12/03 18:57 motidukisigeruさん、ども。いえ、ぎすぎすした議論にユーモアでもと。

motidukisigerumotidukisigeru 2008/12/03 19:15 なるほど。ユーモアはいいんで、お答えをいただけますか?

finalventfinalvent 2008/12/03 19:28 motidukisigeruさん、ども。ユーモアは大切ですよ。

motidukisigerumotidukisigeru 2008/12/03 19:42 さきほどのfinalventさんの「ユーモア」を聞いて、大変にぎすぎすした気持になりました。「ユーモア」に関して意見の相違があると思いますが、そこで議論しても仕方ないので本筋を戻しましょう。

あるいは、私の書き込みに何か含むことがあり、真面目に答える価値を認めないのであれば、そのようにおっしゃってください。

finalventfinalvent 2008/12/03 19:50 motidukisigeruさん、ども。大変にぎすぎすした気持になられるようでしたら、このあたりで、対話は辞めましょう。私はmotidukisigeruさんとの対話は辞めたいと思っています。

motidukisigerumotidukisigeru 2008/12/03 19:57 私は対話を止めたいと思っていません。単に真面目に話をしてほしいだけです。

finalventさんは、私に質問をし、意見を求めました。それに対し、私は真面目に考えて答えたつもりです。
「あなたはどう思いますか?」
「私はこう思います。あなたはどう思いますか?」
「言いたくありません」
これは、なんともうしましょうか、小学生でも分かる不誠実な態度ではないかと。finalventさんが、こういう態度、対応を良しとするのであれば、それをどのように正当化するおつもりですか?

あなたが止めたいと思うのは勝手ですが、最低限、自分で振った話くらい、きちんとケリをつけてください。

finalventさんは「科学専門家集団間に考えの相違があった場合」にどうするのですか?
また、私にその質問をすることで、何を知ろうとしたのですか?

finalventfinalvent 2008/12/03 20:09 motidukisigeruさん、ども。科学専門家集団間に考えの相違があった場合、私は、科学的であるかどうかは別として、公的な厚生にとって有益と見られる意見に従います。それだけです。motidukisigeruさんに質問したのは、科学的見解が一元的なものだと理解しているようにお見受けしたので、それは違うんじゃないかと示唆したかっただけです。あまり、議論を広げるのはよくないですが、たとえば水道のフッ化という問題があります。日本はしていません。これなど、科学集団間で意見が分かれています。どうするか? 私は、公的な厚生にとって総合的に有益な見解に従っておけばよいと思います。

motidukisigerumotidukisigeru 2008/12/03 20:27 >科学的見解が一元的なものだと理解しているようにお見受けしたので、
いえ、そんなことは考えていません。
ただし「科学的見解が一元的なものじゃない」というのを強調する人は、それをもって「だから一般人には科学なんかブラックボックスだ」という方向に持って行く議論をされる場合が多いです。
それについては、「そういう場合も無くはないけど、そうじゃない場合も沢山ある」と思うわけです。
例えば、水が思考の波動に反応する、という件に関しては、まぁ、見解はおおむね一致するでしょう。

>科学的であるかどうかは別として、公的な厚生にとって有益と見られる意見に従います。
科学者1:Aをすると、健康にいい。
科学者2:Aをしても、健康は変わらない(ただし別に悪くもない)。
例えば、この時、両方の意見が、そこそこまともで、かつAのコストが十分に低いなら、Aをやってみてもいいんじゃないか、ということで合ってますでしょうか?

それは私もそうする場合があると思いますが、それは「科学的な知を獲得」とはまた別の話でしょう。
普通、「科学的な知」は、科学者1と科学者2どちらがより正しいか、という話になります。Aをするかどうかは「科学的な知の応用」になりますね。
また、「ある行為が、公的な厚生にとって総合的に有益」かどうかを判断するのも科学的手法でしょう。

「科学的かどうか」と「公的な厚生にとって有益」かどうかは、通常、対立しません。

その上で、科学者の意見が様々に対立する場合もあるでしょうね。

finalventfinalvent 2008/12/03 20:39 motidukisigeruさん、ども。ええ、同意です。補足すると、全体の福利を優先させる場合、特定の被害の人を隠してしまうことがある。そちらに妥当な科学的な説明があるのにといった問題もあります。すでにC型肝炎問題は明らかになりましたが、これが事実上社会に隠蔽されていた時期に私はこの全貌をあらかた知っており、多少の活動をしたことがあります。大した活動でもないこともあり消えてしまいましたが。こうした問題、少数の不利益という問題が原理的に残ることから、市民運動というのは、それが重視されるべきだ、前提としてそうだと考えています。「ニセ科学批判」がそうした市民運動であることがわかったので、この件については、私は言及すべきものを持ちません。また、私は、その意味で、「ニセ科学批判」の批判のためにこのエントリを維持しているわけではありません。

motidukisigerumotidukisigeru 2008/12/04 07:18 まとめますと
・専門家の知見も対立することがある。だから、常に100%正しい答えがあるわけではない。
・知見と、それに基づいた行動は、別である。
・行動については社会的な影響を考慮する必要があるため、単に正しいか間違いかとは、また違った評価になることもある。
・実際の専門家の意見は、立場によって影響され、最悪、隠蔽される場合もあるため、市民活動は市民活動として重要である。

こんな感じですかね。
私は賛成ですし、以上の点について、批判している人もいないと思います。

さて、以上の限定を踏まえた上で、専門家の意見を聞くことは意味がある、というのは同意できたと思います。専門家の意見を結果だけ丸呑みにしろ、というのではなくて、参考意見として、きちんと知っておくこと、ですね。

脚気についても、そうすべきだと思うのですが、いかがですか?

finalventfinalvent 2008/12/04 08:27 motidukisigeruさん、ども。そうですね、有益な指針だと思います。

motidukisigerumotidukisigeru 2008/12/04 09:01 専門家の意見を聞く前に「マインドコントロールだ」とか言ったのも、おかしいということで、ご理解いただけますか?

finalventfinalvent 2008/12/04 09:55 motidukisigeruさん、ども。motidukisigeruさんがそうお考えになるのはわかる気がします。

motidukisigerumotidukisigeru 2008/12/04 11:35 なるほど。ではfinalventさんはそう考えないわけですね。
なぜですか?

finalventfinalvent 2008/12/04 11:49 motidukisigeruさん、ども。いえ、「そう考えないわけ」でもないです。

motidukisigerumotidukisigeru 2008/12/04 12:07 日本語においては「そうお考えになるのはわかる気がします」というのは、おまえの言ってることは分かるが、完全に同意するわけではない、という意味です。

単に「そうですね」ではなくて「わかる気がする」と書かれたということは、こちらの意見に対して同意できない部分があることと思います。

それは何ですか?

finalventfinalvent 2008/12/04 12:16 motidukisigeruさん、ども。その部分は考え詰めてないからです。「専門家の意見を聞く」というのは、実質的には「専門家の意見」が書かれた文書を読むと同じなら、その部分は済んでいるとも思っています。

SundalandSundaland 2008/12/04 16:45 参考に上げられていた"Beriberi-historical perspective"読みました。非常にクリアに書いてありますね。問題点はberiberiのentiy(複数の病気が混在している)ということと、mycologyとmycotoxicologyをないがしろにしてきたこと、そして何よりこれら研究史が事実上欠史となってるってことですね。

あと"In fact, the so-called Beri-Beri caused by a carbohydrate diet lacking vitamin B1 would be better called the Funk Syndrome!"とのことで、この著者もチアミン欠乏症としての脚気を認める立場ですね。

専門の科学者集団の知から事実上、これらの知見が欠落してるとすれば(実際そう見えるし、これ以外にも原典となる論文の多くに目を通しましたが、一連の研究史としてガチだと思います)それはなぜなのか、以前も書きましたがどうも「日本」が・・・という疑念が晴れません。このあたりはまだ追い切れてませんが。

finalventfinalvent 2008/12/04 17:11 Sundalandさん、ども。ああ、なんか煩わせてしまったかな。でも、これはかなり面白い論文だったでしょう。厳密には医学論文とは言い難いので、いろいろ粗はあるのですが、このパースペティブで見るとかなりクリアになります。あと、Funk Syndromeのところですが、これは、Tainshのアイロニーで、たぶん、チアミン欠乏症を否定していると私は読んでいます。つまり、Funkが生み出した馬鹿騒ぎといったニュアンスだろうと。このあたりは、別のTainshの論文からもそう想定できます。ただ、Tainshが正しいかというのは別問題で、TainshのUeno論文の読みはかなり粗っぽいというか、彼の枠組みに読み込みすぎているかなとは思いました。
 Tainshの評価なのですが、変人の書いた異説かなと思って、参照された論文や書籍を読んでいくと、かならずしもそうではなく、一定の評価はあるようです。実際のところ、現実にberiberiが起こった、ないし、起こっている疫学的な状況は、Tainshの説明どおりです。そういえば、この論文では奇妙ともいえる対処法が掲載されているのですが、これが本当なら現代でもとても有益な指摘なのですが。
 Tainshは、エイクマンの弟子とも知り合いらしく、晩年のエイクマンのエピソードなども聞き出していているのですが、そのあたりも、「ほんとかよ」という感じがしました。
 「チアミン不足では個体の脚気は起きない」というのを仮にストロングセオリーとするとそれはちょっと妥当ではないかなという評価になりますかね。

SundalandSundaland 2008/12/04 18:50 いえ「煩わせ」とかではなくて、脚気の原因はチアミン欠乏症と信じて疑わなかった自分が情けないというか、自分で調べてみるしかないという、もうそういう心情で、ですよ。常識を正しく維持できない科学者集団というのは怖いものだと思います。

で、そうですね癖のある英語を書く人のように思いますし、確かに"Funk syndrome!"とびっくりマーク付きですから皮肉と読むべきですね。「奇妙ともいえる対処法」ですが何でしょ?"parboiled and polished rice"ですか。何を指しているのか今一分からないまま読み飛ばしましたが。

finalventfinalvent 2008/12/04 21:26 Sundalandさん、ども。この問題の背景には、大戦を挟んでのビタミン追求という特殊な生化学の熱狂もあったのだろうと思います。そしてそこで金字塔が建てられてしまったというか。もちろん、具体的な研究の成果は科学ですから積み上げられていくわけでそれは進歩ですが、時代の変化や世界化(途上国問題)などから過ぎ去ったかに見える問題も起きてくる。そういう総合的な科学と歴史の関係も問われる部分があるのかな、と。
 対処法ですが、希釈したオキシフルを飲ませるようにとあります。毒物中毒でもこの対処があるようなので、奇妙と言えるとういことではないかもしれません。吐かせろいうことなんでしょうか。もしそれで衝心性脚気の人命が救えるとしたら、なんなんだろうという感じはします。

motidukisigerumotidukisigeru 2008/12/04 23:10 >motidukisigeruさん、ども。その部分は考え詰めてないからです。

考え詰めてから答えてくださるよう、お願いします。

>「専門家の意見を聞く」というのは、実質的には「専門家の意見」が書かれた文書を読むと同じなら、その部分は済んでいるとも思っています。

それは全く違うことかと。
意見を聞く、というのは、論文を読むみたいに受け身で情報を摂取することではありません。自分なりに考えてまとめた結果を提出し、それに対する反応をもらうことです。

誰もが専門家にコネがあるわけじゃないですし、すぐ大学教授に聞きにゆけとは言いません。ブログにまとめて世に問うでもいいでしょう。ただ、それは「意見を聞く」ための行為であり、自分が初学者であることを自覚した上でないと意味がありません。

具体的に言うと、疑問を持ち、論拠を見つけ、定説に問題を発見する、までは良いと思いますが、そこでまだ「意見を聞いて」もいないのに、やれ「マインドコントロール」だ、なんだ、というのは、あまりにうかつではありませんか?

例えば俺は、数学や物理の教科書を読んで、有名な定理や理論の矛盾を「発見」したことが何度もあります。まぁ、単なる計算ミスとかなんですが、なかなか自分じゃわからんわけです。

そういう時は、「世紀の発見! この定理信じてるやつ、常識を疑わない科学奴隷! マインドコントロール済み!」とか言う前に、「俺が計算したら、こうなったけど、どっかおかしくないかな?」と聞いて回ります。

これは別に、素人だから控えめという話ではなくて(無論、素人なら控えめであるべきですが)専門の研究者だって、定説に反する意見を発表する時は、慎重に発表し、批判や反論を待ちます。
科学というのは、相互の批判で発展するもので、最初から「定説に穴!俺sugeeeee!」というのは、科学的態度ではないからです。

finalventfinalvent 2008/12/04 23:30 motidukisigeruさん、ども。ご提言ありがとうございます。しばらく考え詰めてみたいと思います。

SundalandSundaland 2008/12/05 07:49 そうですね。ビタミンという言葉そのものがここから生まれたわけですから、これが科学の勝利的に人口に膾炙したというのは分かりますというか。科学者達も人の子ですし。ただ少数意見を尊重するという民主主義の視点からも、いかにも拙かったなという感触ですね。上で照会されている各レビューもそうですし、これ(http://www.aspergillus.org.uk/secure/articles/pdfs2/18277047.pdf)なんかもそうです。言及があるのに何らかの意図があるかの如くすり抜けてます。

あと、主な研究が日本人によって成されているということと、黄変米問題という政治が介入したという事実が、この状況を後押ししたのかな、という疑念(放言的に書いちゃいますが)を追いかけてみてますが、これは疑念で終わるかもです。ただただマイコトキシン説に対する意図的とも言えるオミットがもの凄く違和感ですね。

SundalandSundaland 2008/12/05 08:23 付け足しですが、一連の研究史を見て回ると、森林太郎が細菌説をとったというのが分かる気がします。軍だけでなく一般の脚気衝心でも大半が夏場の発症→死亡と報告されてます。こんな極端な季節要因を栄養で説明できるとは、普通は思わないでしょう。
Wikiを含めこの辺りを解説した記述には、事実関係を確認しない無知ゆえの未必の悪意すら感じます(少し強めに書いちゃいます)。

finalventfinalvent 2008/12/05 09:03 Sundalandさん、ども。実際のところ、日本でも臨床や、また途上国関連ではこれらの問題はある意味で深刻化してきているし、それなりに欧米での医学界というか公衆衛生学の動きもあるようなので、ぼちぼち変わるのかなとは思います。その間の被害者をどうするかですが、基本的には日本みたいにしっかりとした厚生行政をもっているところは強いですね(マスコミ的にはそう見られていないのがかわいそうなくらい)。今回の話で、いろいろ思うことがあって、なんとなく考えなおしてみて厚生省側はかなりの知的な蓄積があるんだろうなとも思いを新たにしました。いわゆる日本の医学界のその部分以上かもしれないというか、厚生省と医学界の関係の戦後史というのはなんだったんだろうと思いますね。鴎外の件は、今回の話の派生でちょっと展開しようかなと思いましたが、そうでなくてもこれ以上誤解を広げててもなみたいな感じです(通じないでしょう。自分的には既決事項だったのでふふふんと軽く考えていましたが)。前回ちょっと書きましたが、鴎外以上にエイクマン自身が、その学説の広まりに違和感を持っていたみたいですよ。話がずこけますが、ブログとかに書く気はないですがペラグラについてもこの間ちょっと見直してみてこれもいろいろ考えさせられました。ナイアシンってビタミンじゃないんですよね。しかも、常在細菌による生産もありますし。まあ、ぼんやり考えたいことはまた溜まったな感はあります。

motidukisigerumotidukisigeru 2008/12/05 10:58 しばらく考え詰める、と言いつつ、これまでのスタンスに全く変化はなく、独自理論を思わせぶりに匂わせて、政府やら科学集団やらを否定しまくった態度でコメントをつけ続けるわけですね。

すいませんが、単なる時間稼ぎにしか思えません。

今回、テストという形で、脚気に対する知識を批判し、それに関する意見を出した人を軒並み批判したわけですから、どうか思わせぶりなことを言って論点を無駄に広げるのをやめて、今、finalventさんが分かっていることをきちんとまとめて、エントリにしていただけませんか?

それが、ご自分の発言について、責任を持つ態度だと思いますが。

motidukisigerumotidukisigeru 2008/12/05 11:00 「うは!こいつらマインドコントロールされすぎ!」
「人をマインドコントロールされてるというなら、ちゃんと検証できる形でご自分の意見をまとめたらいかがですか?」
「わかりました。考えて見ます。うんうん、やっぱりこいつら、脚気について何も分かってないねぇ。俺様理論最高」

はたから見れば、こういうことです。

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