2008-12-12
あずまんの授業行こうぜー!
なんか、どうしても来て欲しいみたいです。
なのに案内状は送られてこないのでちょっと戸惑いますが。。。
たぶん、ツンデレです。
というわけで、行くことにしました。
と言ってもいつどこでやってるのかわからない。
困った!
という状況だったんですが、twitterで情報を流していただきました(東さんじゃない人に)。
東工大大岡山キャンパス
本館H111教室
金曜日16:40(つまり今日)
http://www.titech.ac.jp/access-and-campusmap/j/access-j.html
http://www.titech.ac.jp/access-and-campusmap/j/o-okayama-campusmap-j.html
っていうか金曜日の夕方って普通は気軽に呼び出せる時間じゃないぞwww
僕も先週なら無理だったな。
一人で行くのはなんか恥ずかしいなあと思ってたら、id:buyobuyoさんも行くそうです。buyobuyoさんとは、かつて都知事選をめぐって対立した敵同士*1ですが、この際は敵の敵は味方ということになろうかと思います。
きっと、一人でも多くのはてサが来た方が楽しくなると思うので、ヒマな人はぜひ逝きましょう!
ただし、糾弾会みたいなのは今回はやめとこうね。
東浩紀は悪いのだし、そのことは指摘されるべきだけど、それはユーモアを維持しつつ穏やかにできるはずですから。
というわけで、今日、今日だよ!
See you soon!
あ、そうだそうだ。キャムコーダー持ってる人は、撮影してYouTubeとかにUPすればたのしいんじゃね?
追記1
もちろん、あずまんと波長が合いそうなネット右翼の諸君もたくさん来たらさらに楽しくなると思うよ。ってなんか勝手に許可を与えてるみたいだけど、あずまんのブログを見ると明らかに部外者歓迎姿勢が伺えるからたぶん大丈夫。
追記2
僕個人はあずまんを論破したり知識を伝授したりということに興味はありません。そうではなくて、あずまんのような(少なくとも普通の人よりは)勉強をしていて賢そうな人が、なぜこんな残念な末路に至ってしまったのか、ということを観察してみたいと思ってます。「永遠の嘘をついてくれ」をより深める分析材料にするつもりです。
- 137 http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20081212/1229060746
- 89 http://d.hatena.ne.jp/
- 57 http://b.hatena.ne.jp/
- 50 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/toled/20081212/p1
- 24 http://reader.livedoor.com/reader/
- 22 http://b.hatena.ne.jp/entrylist?sort=hot
- 22 http://d.hatena.ne.jp/keyword/東浩紀
- 17 http://b.hatena.ne.jp/entrylist
- 16 http://b.hatena.ne.jp/entrylist?sort=hot&url=http://d.hatena.ne.jp/
- 15 http://b.hatena.ne.jp/hokusyu/
今日はデリダのいわゆる「倫理的転回」を遂げた後の代表的な書物「法の力」
をあずまんが読むということで、あずまんとしても滅茶苦茶気合が入っている
記念すべき講義ですね♪
それと最近の言説
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誤解を受けそうな例ですが、僕は最近、従軍慰安婦問題については、それがあったのかなかったのか、あまりにも情報が錯綜しているので考えるのをやめる、というか、「考えるのをやめる」ところからスタートしないと、何も始まらないと考えるようになりました。一方に、従軍慰安婦はいたと怒っているひとがいて、他方に、慰安婦は存在しないと主張しているひとがいる。ぼくに、というか、たいていのひとにわかるのは、そういう両者がいるという事実だけであり、あとはそこから出発して、日本という国家に最適なのはどのような選択なのか、合理的に粛々と考えるしかない。その点から言うと、「慰安婦なんてなかったんだ」と主張し続けることが、かえって国益を損ねることはある。たとえば、このあいだの米国議会の決議のように。(日本放送出版協会、2008年、p.255-256)
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とどう関わりがあるのか、気になるところですね♪
「1980年代以降のデリダは理論的な問題から倫理的な問題へと関心を移し、エクリチュールの哲学的位置づけをめぐる議論はむしろ後景に退いてしまった」(あずまんのネット上の文)が自分はその可能性を追っている、というかもしれませんが、
あずまんが拘っている中期デリダの代表的書物「グラ」にしても、
ジュネを論じながら
「彼は昨日知らせてきた、自分はベイルートに、戦争中のパレスチナ人、
排除され包囲されている人々のもとにいると。私は知っている、私の関心を呼び覚ますことは、常にかの地に起ること、かの地に(その場)をもっていることを。
しかし、それをどのように示したらよいのか?」
と、歴史性と切り離せません。
もちろん賢いあずまんは分かっていることでしょう♪
あー、ジジェクも「やかんの論理」引用していたんですね。
あずまんの代表作「存在論的・郵便的」が、かなりの示唆を受けた
デリダの「真実の配達人」にも思いっきり出てきますよ
なにか、シンクロニシティーを感じますね・・・
30万はてなポイントに釣られたおっさんより。
質問の時間とかあったらぜひご活躍を。
さてさて、教室を調べるのめんどいなと思っていたので助かりました。本館H111教室は大教室なのでもぐりこむのは簡単っすよ。
批評空間II期-22号, 1999.7 p240を当ってください。
「彼(ジャン・ジュネ)は昨日知らせてきた、自分はベイルートに、戦争中のパレスチナ人、排除され包囲されている人々のもとにいると。私は知っている、私の関心を呼び覚ますことは、常にかの地に起ること、かの地に(その場)をもっていることを。しかし、それをどのように示したらよいのか?」(「グラ」)
「絵葉書」(1980)においてデリダは確かに、「僕がただ一通の「本当の」手紙よりも絵葉書、同じ封筒に入れた百枚の絵葉書か複製のほうを好むのは、唯一無二の悲劇の暗号を「俗化」するためということが少しある」と書いているということも
つけくわえておきます。