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ごくあたりまえの日常なのだという。
「サッカーに対する努力はまったく苦じゃないからね。自分で決めてやっていることだし、苦しいなんて思ったことはない。今までいちばんたいへんだったのは、子どもの頃、親父が監督をしているクラブチームにいた時。『監督の息子やから試合に出てる』って思われたくなかったから、自分がいちばん上手くないとアカンって。あの頃のプレッシャーに比べたら・・・。重たかったもん、あの看板は」
その経験と実力から、メンタル面の支柱としても期待がかかる倉貫。ヴォルティスが長い低迷期から抜け出そうとしている今、彼がチーム全体の大きな課題として掲げるのは、やはり精神力の強化だ。
「1点取られた瞬間に、ガクッ〜っと落ちるのはあきらかにメンタルの問題やから。『いいよいいよ、取り返せる!』と思ってるチームは、点を取られても何にも変わらへん。逆にパワーが上がったりするからね」
どんな状況にも負けない気持ちを持つためには「とにかく経験を積むこと。結果を出して、自信をつけていくこと」だと語る。
「強くならへんから勝てへん、勝てへんから強くならへん、この両方がある。でも、そんなことばっかりやからね、生きていれば。すぐには変わらない。だから結局練習するしかないんですよ」
プロとしてサッカーをやっていく以上、“自信”を持つことは必要。そのためにも、「これだけは負けへん」という武器を作っていかなければならないのだと。
「自信をつけるためには、(他の)人よりもこれをたくさんやっているから負けへん!っていうものを作っていくしかないんです。ちっちゃいことでもいいんですよ、それを自信にできるんやったら・・・と、思いますけどね。俺はそうやってきたから。これは人に言われても気づかへん。俺も昔はそうやった」
たとえば、彼が日常の一部として実行しているグランドのいちばん乗りも、自信作りの土台になる。
「人よりちょっとでも早く来てやっているっていうのが自信につながる。『お前、走らなアカンよ』って誰かに言われてやっているのとはぜんぜん違う。自信がないのはそういうことをやれてないから。みんなもっと変われるはずだし、ちょっとずつ変わってきていると思う。それぞれ違う形ではあるけど」
「幼稚園の年長から入って中学まではそのクラブチームで。で、その当時、滋賀県にはサッカーが強い高校とかなかったし、外に出た方がプロになれる確率が上がると。まぁ、親父がそんなふうに言っていたから静岡へ」
中学卒業後は、サッカーの有名校、静岡学園高等学校に進学。幼少時代を振り返り、「親父がうまいことやらしとったということでしょうね(笑)。今、俺も息子に同じようなことさせてますけど。まぁ、これが(練習を)やりよらへんのよ」と、笑う。
父親の影響でごく自然にサッカーの道に進んだものの、同時に、子どもながら大きなプレッシャーと闘わなければならない苦難も背負った。しかし、その壁をものともせず彼はサッカーが好きになる。どんな努力も楽しめるほどに。
「自分が興味を持ったことは夢中になるんですよ。親父がそう(監督)やったからかもしれへんけど、自然とプロを意識するようになった。『プロになれ』とは言われなかったけど、やっていけばそういう流れになるだろうと」
高校卒業後、1997年にジュビロ磐田に入団。1999年、ヴァンフォーレ甲府に移籍。キャプテンとしてとしてチームを引っ張り、2005年には悲願のJ1昇格を成し遂げる。2007年には京都サンガF.C.へ移籍。そして2008年6月、徳島ヴォルティスに。徳島の土地にもチームにもすんなり馴染んだそうだ。
「まぁ、知っている人もいたし、けっこう年が上やから、そんなに気を使うこともなかったし。逆に、もとからいる選手の方が気を使ってくれていると思いますよ。特に若い子とか。サッカーの話はもちろんするけど、普段の俺は、そんなに喋る方でもないし。まぁ、『喋れ』って言われたら喋るけど、自分から積極的に話す方じゃない。若手には“怖い”“話しづらい”っていう印象を持たれているんじゃないですかね(笑)」
とはいえ、いったん話し出すと、その印象はガラリと変わる。必要がないときには無理に喋らない。ようするに、自然体なのだ。
「だから、ぜんぜんそんなことないねん、と。自分を作らへんから、これが普通やから。話してみたら、『実はおもしろいですね』とか言われたり。たまに、もうちょっと喋った方がいいんかなとは思うけど、まっ、いっか、って(笑)」
「やっぱ“生き物”やからね、チームって。相手もおることやし、精神的な面でもコンディションは違ってくるし。そうやって考えるとまだまだ結果も出てへんし、物足りないですね、自分の仕事として」
自身のサッカースタイルについては、「見に来てくれた人に決めて欲しい」と答える。
「今の自分の役割は、ゲームの流れを作ること。あと、“今、何をすべきか”という判断。 早く攻めた方がいいのは、遅らした方がいいのは、とか。 そういうことを求められていると思うし、自分としても出していかなアカンと思ってる」
甲府、京都をJ1へ導いた中心選手として、周囲の期待は大きい。しかし、それをプレッシャーとは思わず、ごく自然に受け止めることができるのもやはり、そのプロ意識の高さゆえなのだろう。
「俺は俺のやることしかやれへんし。だから、それ以上のものは出せへんけど、今持っているものを全部出して、チームに貢献していきたいとは思ってる。プロとしてはあたりまえやけど」
どんな状況に置かれても決してくじけず、どこまでもアグレッシブに闘うMFはこう言う。「ここからだ」と。
「少しずつではあるけど、(チームが)良くなってきてるので、またここからなんですよ。もうちょっとやっていけば結果が出てくるんかな、良くなってくるんかな、と。そういう気持ちがすごく大事で。そんなことをいろんな人に喋って自分にも言い聞かせるし、まわりの選手にも言いながら」
プロとして、ぜったいになくしてはならない自信と、それを維持するための絶え間ない努力。サッカーマン・倉貫一毅のプライドがここにある。
「葛藤もあるけど、そこでプロとしてやっていく道を選ぶのか、辞めて好きに生きるか、その二択やったら、自分はしがみついてでもやる。今はこうやって好きな家族がいて、好きなサッカーをやれて、それでお金がもらえて、こんなに幸せなことはない。何の苦もない」
彼を突き動かすのは、ただ“サッカーが好き”という気持ち。結果を出すために、今やれるだけのことをやる。目標は?
と聞くと「そんなこと言ってる場合じゃないんやけど」と前置きしつつも、真摯に答えてくれた。
「まだ結果が出てないんでね。俺が来てから一回も勝ってないし、とにかく勝ちたい。いつも(試合に)足を運んでくれている人には本当に申し訳ないというのが、正直なところ。でも、まぁ、前向いてやっていくしかないし、前向いてやっていくし。サポーターのみなさんも闘っていると思うしね。自分らも闘っていかなアカンし。一緒に闘って、強くなっていきたいと思いますね」
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