2008-11-17
■偽科学発見テスト
ウィキペディアの以下の項目に含まれている引用部分は、極めて偽科学的説明である可能性が高い。科学的説明の逸脱とその理由を説明しなさい。
江戸時代の江戸では、富裕層のあいだで玄米に替えて精米された白米を食べる習慣が普及し、将軍をはじめ富商など裕福な階層に患者が多かった。江戸時代末期には一般庶民も発症し、江戸患いと呼ばれた。大正時代以降、ビタミンB1を含まない精米された白米が普及し、副食を十分に摂らなかったことで非常に多くの患者を出し、結核と並んで二大国民病とまで言われた。
高木は海軍において西洋式の食事を摂る士官に脚気が少なく、日本式の米を主食とし副食の貧しい下士卒(兵曹および兵。のちの下士官兵)に多いことから、栄養に問題があると考え、明治17年(1884年)軍艦筑波に、この前年別の軍艦が行なった遠洋練習航海と食生活以外は全く同じ内容で遠洋練習航海を行なわせる試験案を上策し、それが採用され、結果として西洋食の艦において脚気患者が出なかった。このことから栄養障害説を確信したとされる。下士官兵にはパン食は極めて不評であったので、西洋食(パン食)から、同じ麦を食材とした麦飯に海軍の食料は変更された。これによって、海軍における脚気は根絶された。
推移
関連の追記
「ニセ科学批判」については、シンプルに私は誤解していたなというのはあります。科学論とかの話ではなく、市民運動なんだな、ということです。これは誤認していました。自分が悪かったなと。悪い分の責めは受けるべきかな、と。
この辺ね⇒はてなブックマーク - finalvent氏の不誠実さについて :: Archives
私は市民運動というのは、多様にあればいいし、それにじゃまするというのをしたくないんですよ。なので、ああ、まずったな、自分の認識不足で余計なことしたなというのがありました。
これをいうと傲慢かもしれないけど、市民運動の人に科学論とかやりたくないというのもあるんですよ。これはもっと広義に、普通の市民に科学論とかやって益なんかあるわけないんです。
ちょっと飛躍かもしれないけど、オウム真理教事件など、市民が普通に近代科学を「信」じていたらあれほど参加者はなかったのだろうな(もちろんそうでもないか、普通にカルトはあるかという議論もありうるけど)、ところが、彼らは比較的インテリで(つまり無知蒙昧だから麻原を信じたという簡単な話ではないんですね)科学論の限界とか意外と知っていた。
誤解前の経緯
私のエントリに偽科学批判ぽい言説を投げかけたがゆえに回答を期待してる人のリスト
回答をいただけたらリンクを付けておきます。言うまでもないけど、皮肉じゃなくて、なるほどっていう回答を求めていますよ。
既回答
ご回答ありがとう。明晰なお答えでした。
全体としては主食を白米にすることと脚気にかかることとの直接の強い因果関係が容易に想定できるように書き過ぎている、ってところなんでしょうか。
ええ、要点はそこにあります。科学とは基本的に因果関係の説明であり、これがこの記述ではとても「直接の強い因果関係」で書かれています。そして、「直接の強い因果関係」は科学的な説明とみなされがちです。しかし、この記述には、その割に、それを支える科学的な説明はなく、しかも、ビタミンB1の欠乏が誘導されている点で、私はこれは間違った、科学的説明であると考え、例題としました。
話はもうすこしあるにはあるのですが、もし機会があったら書きましょう。
余談ですが、コメント欄での、lets_skepticさんとの対話を通して、「ニセ科学」の問題領域がなんとなく以前よりわかったように思えました。もしそれが前もってわかっていたら、この問い掛けはしなかったかと思います。その点で、お手数をかけて申し訳なく思います。
このような問い掛けは終了します。
参考
最初にいうと、私がざっとぐぐった感じでは、この問題を解くための、ネット上の情報がめっからなかった。その意味ではネットの限界指摘にもなるといいなとは思う。追記:探すとあるにはあった。
それはそれとして、科学的説明とはなにかの参考になるリンク。
議論の骨子
脚気については、中毒説を発展させたカビ毒説が存在し、心臓障害による致死性の高い衝心性脚気はカビ毒によって発生することが証明されています。また、その仕組みは毒性によるもので、ビタミンB1不足を間接的に引き起こすものではありません。
カビ毒説については、衝心性脚気がカビ毒で引き起こされるが、通常の脚気はビタミンB1不足によっておきるとする棲み分け説があります。これを部分カビ毒説とここでは扱うことにします。
部分カビ毒説に対して、すべての脚気の原因がカビ毒であり、ビタミンB1は身体不調などを起こすとしても脚気という症状を直接引きおこすものではない(そうではなくビタミンB1は神経保護として働くので不足は保護を弱めるだけだ)とする強い考え方があります。これをカビ毒説とします。
病理学的に見た脚気は、ここでは、生理的な関係が見えるものを指します。たとえば、カビ毒の毒性が神経に与える毒性などはこれに含まれます。結核がストマイによって治癒されるのもこの考えかたです。
疫学的な見た脚気は、ここでは、統計的に因果関係が問えるものを指します。脚気は多数の死者を出す(出された死者の大半は衝心性脚気)という点で、社会的な事象として捉えることができます。統計的に見て捉えた場合がこちらに含まれます。結核が国民の栄養向上によって克服されたというのはこちらの考え方です。
評価ですが、△は弱い説、○は妥当性のある説、◎は妥当性の高い説です。
また、ビタミンB1不足説と、ここでいうカビ毒説は両立しません。
ぶくまレス
⇒はてなブックマーク - 偽科学発見テスト - finalventの日記
2008年11月18日 rspub わからない。偽科学というのではなく、偽科学的説明、なんですよね?結果として患者が出なかったり、根絶されたり、というのはわかりやすすぎる結果という点でそれっぽいけど、それが事実なら仕方ないし。。
偽科学と偽科学的説明の際にはちょっと難しいけど、とりあえず、このウィキペディアの説明に含まれている偽学的な思考はどこかという問題に捉えて下さい。
個別にいうと、これって、何の「結果として」なのか、因果関係あたりがポイント。
2008年11月18日 kuroiotona 例題としては大変興味深い。でも、科学ではなく論理的思考の問題だと思うんだ。
論理的思考に加えて、この問題には、さらに背景があります。その他の仮説、その妥当性の評価。統計の検討など。
2008年11月18日 mihrdat /(全面書直)山下政三の本読んだ。wikipedia記事の分量考えればあげつらうほどでもないじゃん(一つの類例はミリカンかな)。研究史のこの手の行過ぎは普通。少くとも「偽科学」は明らかに大げさ。知識自慢したいだけ?
このあたりから難しい領域に入ってくるわけなんだけどね。まあ、「少くとも「偽科学」は明らかに大げさ。知識自慢したいだけ?」というのは、甘んじて受ける部分はあるかな。というか、たしかにそういう面もあるとは思う。
2008年11月20日 shokou5 科学, 科学哲学 科学は論理的営みであると同時に技術的営みでもある。実験して論文を書いて査読されて…というネットワークの中に根付く技術知がかなりある。単独の言説だけから科学か否かを問うことは「究極的には」不可能。
いえ、科学的言説は、特定の方法論がもたらす、市民社会における一つの妥当な合意が目的となるから、究極を問う必要はなし。
2008年11月21日 complex_cat science, logic 切られ役のWikiの引用が論考を展開する上で,適正な材料であるように感じないのです。噛ませ犬かあるいは,相撲の土俵に,「同じ裸だから」競泳のアスリートを引っ張り上げて叩いたような感がするのですが。
まだ第二段階の議論を展開していないせいもあります。
2008年11月21日 nanahusi まず出題者がどういう意図を持って出題しているか推測して、その後に出題者がどういう風に「偽科学」という言葉を捉えているか推理する。なんか論理思考を試すってより国語の問題を解いている気分になった。
まず単純にこれは科学的記述じゃないなということがわかることが第一段階で、そのレベルで、これは間違っているということになります。
2008年11月22日 mori-yoshiro 「偽科学批判ぽいのを投げかけられた」ってたった二人なのかいな?それでこんなキレなくても・・・。しかも話全然変わっトル。
ああ、キレてないですよ。mori-yoshiroさんが、「finalventは偽科学的」とかぶコメされると三人目になれますよ(冗談です、為念)。
2008年11月22日 ochame-cool a. ☆☆☆, c. 科学技術 finalvent文体で人生を語る分には深みがあってよいと思うけど、その文体で科学を語られると論点整理などめんどくさいかな。↓「国語の問題」フイタ。
結論から整理して書けばすっきり書けるんですけどね。
2008年11月22日 kmiura えー。finalventさんはそもそも非科学的なところがよいもちあじなわけで、ニセ科学とかそうしたレベルではないと思っていたのだが。議論するだけムダだと思う。というか、非科学は科学を内包するからなあ。
この文脈でこう言うといけないかと思うけど、ラカトシュとか出しても、前提的に通じない感じはしてますよ。そこは最初から議論にならなかな。余談ですが、反証可能性とかでネットで人気にあるポパーですが、エックルズなんか一緒にとんでもない世界像を出しているんですよ。
2008年11月22日 yukitanuki うお、あれからこんなことに
2008年11月22日 kana-kana_ceo 議論 「ごめんなさい、ごめんなさい、もう許して、ひー」って、なってる。
2008年11月22日 kamezo ニセ科学, ニセ科学批判批判, 科学, 議論, 読まずに書く人, 過度な一般化, リテラシー, コミュニケーション つくづく知らされた。頭の良い人や知識豊富な人には、それゆえの不幸というか落とし穴があるのだと。apjさん(の切れ味、明晰さ)には頭が下がる。finalvent氏には新エントリで整理を付けていただきたいなあ。
もうそれで終わりでいいしょ。「ごめんなさい、ごめんなさい、もう許して、ひー」。
2008年11月22日 NATROM 医療 「「ペニシリンによって結核が治癒されることで、社会の結核は事実上克服されたといいレベルまで抑制された」という命題です。これは、科学的に間違いです」。その通りだろ。
つまり、「科学的に間違いです」は間違い、と? あ、ストマイでしょということですね。
2008年11月22日 NATROM 科学 finalventさんが何を言いたいのか理解できない。科学的資質を問う問題を出せるほどの科学的資質をfinalventさん自身が持っていることを示して欲しい。
「科学的資質を問う問題を出せるほどの科学的資質をfinalventさん自身が持って」いないことでFA、でよいかと。
2008年11月22日 world3 疑似科学と間違った科学は全然別ですよ。疑似科学について語るなら、ポパーの反証可能性基準は必須の教養では?反証可能性基準には批判も強いが、議論はそこから始まるはず。
そうでもないですよ。「反証可能性基準には批判も強いが」はラカトシュを想起させますが、ファイヤアーベントの批判をかなり本源的に解消していないはずです。とはいえ、もとに戻って、「疑似科学と間違った科学は全然別ですよ」との違いを私は率直なところ理解していません。なので、wrold3さんのご指摘が正しいのかもしれません。
あと、個別の文脈でいうと、高木の仮説はたんぱく質不足でした。ですからこれで反証可能性を考えると、変なことになります。この問題は、疫学的な枠組みで見る必要があります。
2008年11月22日 y4su0 pseudoscience 出来が悪い国語のテストを経て、さらにぐだぐだな方向へ。
そうですか。「中間的まとめ」と「仮説と科学的探求」の項目を含めて、もういちど全体を読み返すと、あれ?と思うことがあると思いますよ。そこがわかると、この問題の難所と、真の問題所在が見えてきますよ、というか、関心がうまく喚起されればなんだけど。
2008年11月23日 na23 finalvent, ニセ科学周辺 みんなの間違った知識をそれが常識になるまで熟成させてから指摘する嫌らしさについて…ではないことが最後まで読むとわかるw
na23さんの科学観に示唆できる最後をお見せしたいとは思いますけどね。
2008年11月23日 mihrdat これはひどい, アルファブロガー(笑) "現時点では、まったく同意です。しいていうと、そういう活動があることにまったく同意しますということです" すると当初はその存在も否定してたという事?それなのに「批判」?それより早くapjさんの質問に答えろって
違いますよ、当初はその存在がわかっていなかった。というか別のもので批判すべきだと思っていたというか、だから理解してなかったんですよ。そんだけですよ。アルファブロガー(笑)なんですもの。
2008年11月24日 yoyoprofane なんか読んでるうちに、自分のオツム(あるいは人生)の水準は、頭のいいほうではなくて、ニセ科学信奉者のほうに限りなく近いんだな、ということがわかってきた。
「オツムの水準」はさておき(私なんか最低と見られているし)、この問題がいわゆる物理学的な因果論を問う病理学の枠組みではなく、疫学の枠組みで問う問題であり、その問題のフレームワーク認識が科学性に関連しているというあたりを、さっと見取った人は意外なほどいなかった(いても可視にはならなかった)かな。
hwalker これはひどい 敗北宣言のくだりが酷すぎる。卑怯な逃げ方しかできないのに議論好きのオッサンすぎてゲラゲラ笑った。 2008/11/27
いちおう形の上では礼儀は尽くしたつもりなんですけどね。
「参照用の国語辞典のみを頼りに回答を得ようとする。語句を引いていくうちに、どんどん奇天烈な回答が生み出される様子を描いている」という印象なわけですよね。
ublftbo 科学 2008年12月7日現在、停滞中。書く気はないと判断して良さそう。 / 今後書くか書かないか、ということすら書かない、という大変残念な態度でした。 / ほのめかしは勘弁して欲しいですね。 2008/12/07
「書きますよ」とすでに書いてありますよ。あと、急いで知りたいなら、ほのめかしもなにもなく、参考文献を読めばわかりますよ。
とらばレス
その問題は、レベル低すぎ。
ゲーム脳は、定義とローカリゼーションに失敗している。血液型性格判断は心理学的(統計学的)に否定されている。以上。
で。
そうじゃ無くて、ニセ科学に関する知識の無さをどうにかすれば? じゃないかと。
いやそうじゃ無くてと言いたいわけです。つまり、「ニセ科学に関する知識」を丸暗記して教条的に対応している人たちに科学的な考え方の資質はありますかのテスト。
ある言説がニセ科学的であるかどうかを個人で頑張って判断する必要は無い。解らなきゃ訊けばいいんだし。
これも同じこと。教条主義に陥るだけ。宗教と同じなる。つまり、まったく偽科学批判にならないということ。
ある言説がニセ科学的であるかどうかというのは、様々な資料を検討して行われるものだから、どう答えるべきか判然としない。
いえ、様々な資料を検討してごらんなさいというのがこのテスト。
補助線的擬制の疑問。
・腸内造血説が偽科学である理由はなにか?
・結核を社会的に克服したといえる水準まで抑えたのはペニシリンをきっかけとする抗生物質か?
次。
⇒現代の知識で過去の行動を判断する愚 :: Archives
基本的にその言い分が当てはまるなら千島学説もおK。
なお、ここに書かれているのは歴史文書ではなく現代の見解。
そして。
脚気が、食物摂取におけるビタミンB1欠乏以外の理由で起きるかどうかについては、私も知識が無いのでわからない。何か、代謝異常を起こすような病気があれば、脚気を発症することがあっても不思議ではないが……。しかし、当時問題になっていた、広く国民の間で発症していた脚気の原因は、ほとんどがビタミンB1欠乏によるものであったと考えられるので、まれに発症する別原因による脚気があったとしても、この文脈において考慮する必要はない。
この程度。
なお、「スキャンダルの科学史」には、史実としての記述として、高木が、「脚気は栄養のバランスの問題」であると考えるに至った理由として、監獄食と海軍食の比較からだと書かれている。が、これも、史実をどう確認するかという問題であり、擬似科学の問題ではない。
偽科学は非科学的な思考・方法論の帰結であって、同質。
また、同じことを繰り返すけど、「史実をどう確認するかという問題」ならエジプトのミイラは復活しますな。
もし、高木の推論の仕方や試験への持って行き方が、今の知識を基準とした場合に何か問題があるものであったとしても(同じことを今実行したら擬似科学と呼ばれるものであったとしても)、それは当時の実験医学の水準の限界によるものであり、現代の科学の知識を元にして批判すべき対象ではない。
占星術の解明は23世紀を待てとか。
次。
⇒わかってないのに「わかってしまった」人 - Skepticism is beautiful
現在行われているニセ科学批判*3において、もっとも端的な「ニセ科学」の定義は以下のようなものになる。
科学を装っている*4
科学ではない
これを批判するのが「ニセ科学批判」であり、それ以上でもそれ以下でもない*5。
これは単純にわからない。
科学における間違いは、間違いとわかるまで(正確に言えば社会に妥当な水準でその真理と虚偽の合意が受け入れられるまで)は、ただの科学であり、それ以降は、たんに間違いであり、科学ではなくなる。
「ニセ科学」を間違った科学と別に定義を必要とする理由が、単純にわからない。
あるいは百歩譲って「ニセ科学」なるものが独自にあるとしても、通常の科学方法論とその考え方さえあれば、対処にまるで困らないし、むしろ、教条的に「ニセ科学」のリストを暗記したかのように批判することで、科学的方法論がスルーされてしまう。
次。というか。
⇒finalvent氏のコメントにさらに突っ込んでおく :: Archives
基本的に前回と同じ、および、コメント欄の展開と同じなので、私としては再コメントはない。それをもって、finalvent敗北宣言とされてもかまわないし、「思い上がるな」はまさに、そうかもしれないなと反省の契機としたいと思ってますよ。
あと、めっけられたこの資料はよいですね。
⇒「我が国の被感染性疾患疫学的研究の歩み」(pdfファイル)
高木の研究について山下政三はその著書の注で、以下のようにコメントしている。「この業績は高木兼寛が功なり名遂げ、引退後に回想として述べているのが中心であり、実態が修飾されているように感ぜられる。環境因子の調査にしても全海軍の実地調査には膨大な数の調査員と、期間が必要であり、それには記述されている1年半くらいではできなかったのではないか。また探しても海軍には疫学調査の成績、記録が存在しない。高木が書類調査を実施したとしても、当時の海軍には疫学に役立つような記録はほとんどなかったようであり、新たに調べる必要があった。高木は根拠となった疫学的調査の成績を一部しか示してない。N対C比の改善にはいくつかの方法が考えられるのに、なぜ、一挙に洋式を採用しようとしたのか。またパン食の評判が悪いとなると、すぐ翌年麦飯に変更している。こうした検討を最初になぜしなかったのか。彼は初めから「タンパク質不足、米食の害」を原因と仮定してその検証に邁進したのではないか、高木は脚気伝染説、中毒説には一顧もくれないほど、全く発言をしていない、これは何を意味するのか、」などと疑問点をのべている。大学での研究者や森林太郎らが指摘したように、脚気発症や予防機序についての科学的根拠については、高木はN対C比以外に何も示していない。しかし病の予防法は、証拠がそろわなくても、機序が推測でも、実施できるわけで、理論は後から判明することも少なくない。ただ高木の場合はその後理論的な研究はあまり発表していない。高木の脚気N対C比仮設は、その後の各種の動物実験追試で否定された。
特に。
脚気の問題は、医学研究は如何にあるべきかを考えるよい例である。結局疫学的研究が結論に至る道程におおきな役割を演じたことである。しかし確率論的な研究結果に対する認識はきわめて低かったので、解決には数十年を要した。わが国では伝統的に決定論大きな比重を置いており、確率論的な研究に関心が少ない。このことは、現在の医学研究における疫学の立場を見てもわかる。脚気の問題は現在の疫学の問題でもある。
そう、だから、このウィキペディアの項目を取り上げたのですよ。
次。
⇒「偽科学」と「ニセ科学」? - 『digital ひえたろう』 編集長の日記★雑記★備忘録
ご指摘の件、つまり、「ニセ科学」を私が理解していなかったというのは、まったくそのとおりなので、それはそれにて。
あと、「レベルが低い」について、同エントリに寄せられたコメントに同意する部分多々なので、つまり、BSE騒ぎとかタミフル副作用騒ぎとか、原発の耐震性とか、ミサイル防衛とか、科学的評価が難しい領域を積極的に取り上げて、マスコミを啓発してくれたらいいのに、とそういう感じです。
私に対して「finalventは水伝がわかってない」と言われても、うーん、「ニセ科学批判」の意味合いはわかってなかったと思うけど、そもそも水に語りかける人については、ちょっとねという感じです。
「科学的知見を問う問題」については、ごく単純にまだ道半ばですよ。ご関心のあるかたがあればまだ続きます。
⇒答え合わせ : 2008-11-23 - Log of ROYGB
単純に抗生物質は栄養ではありませんよ。そのレベルで非科学的とフィルターアウトされるだけの話ですよ。
⇒「『ニセ科学批判』批判」問題、というかなんというか。 - 残雪日記
ここで、id:finalventさんは、十分に(たぶん、標準以上に)知的な人だと思うが、一方で、ニセ科学運動の外側の人であり、それについて議論を積み重ねえてきた者から見れば、蒙昧で稚拙な素人、つまり大衆の一人に過ぎない。
finalventさんが知的かどうかはかなり疑わしいという多数の意見をいただきますが、それはさておき、ご指摘されるように、この件については、「蒙昧で稚拙な素人、つまり大衆の一人に過ぎない」というのはまったくそのとおりだと、認識できました。
今回のこのエントリ、なんてバカなことをするんだという多数の意見もいただきましたが、私としてはシンプルには、ああ、「蒙昧で稚拙な素人、つまり大衆の一人に過ぎない」ということが理解できてよかったなと思っています。そこはあまり伝わらないようにも見えますが。
あと、「ニセ科学批判」運動の枠組みではなく、普通に科学論の一つの実技的アプローチとしてみると、話はようやく半ばかなというところですが、そのあたり(病理学ではなくて疫学だよ)にご関心を持つかたは少ないようですね。そこをある程度理解していただかないと、この話の最終部にはうまく繋がりません。ただ、こういう書き方は、ネットでいう上から目線というか偉そうな響きがあるので、この部分については、もっとシンプルに進められたと思います。
ええ、finalventは結果としてヒールでよいと思う。というか、そう思うに至っている。そのあたりまでフォローしたエントリにするとネタを超えて他山の石になってよいのではないかな。あるいは、そこまでのすでに意図に含めてのエントリであるかもしれないけど。
まだ終わってなかったりして。というのと、この先の話の展開が理解できたら、たぶん、驚きますよ。あと、みなさんが気にしている「解答」はいずれ公開します。
短時間ではあるがそれなりにネットで検索したであろう氏に対して、
その逆で、ネットには情報ないなと思った。
この問題に関心を持つかたが、ネットの情報にプライマリーに当たるかな、と思って、ネットの情報に当たった。そのあたりの話は、いずれわかるよ。
科学的思考法(クリティカル・シンキング)という概念からいって、疫学と病理学を区別する必要はないかも知れないが、それを区別してみようと思いつく氏の思考方法は科学的といえるのではないか。
「氏の思考方法」には、わけがあるんだけど。まあ、半分くらい書いた。
中間的まとめ
話がある程度進んだので、自分なりの少し中間的なまとめをしておきましょう。
ウィキペディアの引用に関して、「ビタミンB1欠乏が脚気をもたらす」という命題だけを単独に取り上げるなら科学的に間違っていません。これは病理学的な説明です。その機序は科学的に解明されています。
では何が、偽科学的な説明だといえるのでしょうか?
その前に。
科学的な探求で最初に重要になることは、対象を明確にすることです。
脚気についてのこの話題で、この話題、何が対象なのでしょうか。
もちろん、「脚気」です。
しかし、この引用で語られている脚気は、社会的に発生した脚気で、疫学的な対象です。
病理学と疫学はどう違うのでしょうか。
たとえば、「タバコを吸うと肺がんになる」と言われます。これは科学的でしょうか?
私の知識では、この命題は病理学的には証明できていません。明確な機序の説明はできません。
ではこれは、非科学的、あるいは偽科学なのでしょうか?
より広義に、「タバコは健康に害がある」はどうでしょうか?
そこも病理学的説明は難しいはずです。
しかし、タバコのパッケージにもそう書かれており、それは科学的な言明であるかのように見えます。
市民はその説明をした科学者に信を置いています。
その科学とはなんでしょうか?
疫学です。
「タバコは健康に害がある」は疫学の主張です。
病理学的にはわからなくても、疫学的には主張できます。疫学は科学です。
病理学と疫学の関係の理解を深める別例を挙げましょう。
「ペニシリンをきっかとする抗生物質によって結核が治癒されることで、社会の結核は事実上克服されたといいレベルまで抑制された」という命題です。
これは科学的な説明でしょうか?
病理学的に抗生物質によって結核は治癒できます。ですから、そう言えそうに思えます。
しかし、ここで言う結核は疫学の対象です。
では、疫学的には、この命題は正しいでしょうか。
疫学的な対象としてみると、社会が結核を克服したといえるレベルにまで抑制した要因は、栄養の向上です。
その意味で、この命題は間違っています。だから、この主張は偽科学です。
脚気の問題に戻りましょう。
社会的に大きな問題となった脚気という事態がほぼ克服されたのは、ビタミンB1不足が解消されたからだ、と、言えるのでしょうか?
ここでも、先の問題が出てきます。科学を問うている対象はなにかという問題です。
当時の脚気と呼ばれた社会現象は、ほんとうにビタミンB1不足による脚気だったのでしょうか?
この説明も、疫学によることになります。
そして、疫学的に問い直してそれに妥当な説明ようとすることが科学的な説明になるはずです。
それは、いくらタバコに病理学的に害が証明できなくても、疫学という科学でタバコの害が証明でき、それが科学的説明になるというのと同じ水準で問われうるものです。
脚気の問題は、どのように疫学的に妥当な説明ができるのでしょうか。
そこが科学的説明であるかが問われるところなのです。
疫学の枠組みで捉え直すとき、最初の問題はどう見えるでしょうか。
仮説と科学的探求
科学において重要なことは、対象を明確にし、次に仮説を立て、その可否を探求し、科学的な説明にまとめることです。
対象は、疫学的に見た「脚気」です。
方法論は、疫学的な手法をとります。
では、次に仮説を考えましょう。
「脚気」という疫学的な現象に、歴史的には、次の3つの仮説が立てられました。
1 伝染説
2 タンパク質不足説
3 中毒説
そして未知の仮説を含めて、4つの仮説にしましょう。
4 その他の仮説
ここで歴史的に見ると、ビタミンB1不足説は4に分類されることに注目してください。
では、これらの4仮説による科学的探求はどのような推移をたどり、「脚気」についてどのような科学的説明に至るのでしょうか。
仮説が棄却されていく過程とその評価が重要になります。
そして、それらの探求と科学的説明から、最初の問い掛けを見直してみてください。
想定質問
補足的に想定質問をあげておきます。
「脚気の問題は、どのように疫学的に妥当な説明ができるのでしょうか。」というとき、高木兼寛から始まり、脚気に取り組みビタミンB1発見に至るまでの経緯こそ、疫学そのものではないでしょうか?
「我が国の被感染性疾患疫学的研究の歩み」の結語「脚気の問題は現在の疫学の問題でもある」に対して、私が「そう、だから、このウィキペディアの項目を取り上げたのですよ」とコメントしたのはそこです。
ここは分かりづらいかもしれませんし、実際、ここまで経緯を見ても、ご理解されているかたがいらっしゃらないようなので(いえ、私が間違った認識をしているかもしれませんが)、補足すると、「ビタミンB1欠乏が脚気をもたらす」という命題(一見科学的に見える命題)は、病理学的な命題に見える、ということでした。また、話の流れから、とりあえずそうしておいたほうが煩瑣にならないからです。
しかし、中間点を過ぎたのですから、ここも疑問を喚起しておくほうがよいかもしれません。
私の知る限りという限定ですが、「ビタミンB1欠乏が脚気をもたらす」という病理学的な機序はわかっていません。これは病理学的な基礎がないと言ってよいでしょう。
では、この疫学的命題を支える科学性は、疫学的に捉え直したとき、どのように正しいと言えるのでしょうか。
ポイントは、脚気を疫学的に捉えるということは、この命題を科学的としてきた特定の小集団での限定された実験と、本来疫学が対象とする社会での統計の扱いにあります。広く脚気の衰退の現象を疫学の視点で見たとき、なにが決定的な要因となって、脚気がほぼ撲滅されたかに見えるのでしょうか?
もう一つ、関連して、「ビタミンB1欠乏が脚気をもたらすという病理学的な機序はわかっていないということはどういう含みがあるのでしょうか?
テストの意図について
あえてこれまでこのテストの意図については明示してきませんでしたが、同種の循環した主張が出そろっている感があるので、そろそろその理由を説明しておきます。
当初、「偽科学批判者の科学的資質を問うための、偽科学発見テスト」としたのですが、「ニセ科学批判」については私の理解が及ばなかったために、運動のかたにご迷惑をかけました。この点は、申し訳ありません。なお、これに併せて、当初冒頭にあった、【偽科学批判者の科学的資質を問うための、偽科学発見テスト】というリードを削除します。
私は当初、「ニセ科学批判」の方の運動は、自身たちが科学的な考えに立ち、他の人の考えを科学的ではないと非難してしているものと思っていました。なので、では、その科学的な立場がどれほど科学的なものか、比較的難しい事例で検討してみたいと思ったのです。
「ビタミンB1不足が脚気をもたらす」ということが科学的な見解であるとのみ主張され、その主張の根拠が、科学という名の「信」にしか行き当たらない様相が、続々と提示され、人間関係的な圧力で押しつけてくるような状態(誹謗中傷や人格攻撃)になれば、意図(科学を標榜する人が実際にはそれほど科学的な思考を持っていないのではないかと疑念をいだかせる状況の実例)は半分達成されます。
しかし、現時点では、私は「ニセ科学批判」の方の運動を非難するものではありません。
テストの意図も、単純に、科学的な考え方ということに転換しています。
この偽科学発見テストが、どのようにテストかということですが。
科学とは私たちの社会では、特定の科学集団への「信」として問われます。
「信」であるからこそ、科学的な思考は要求されません。信じればよいのです。
しかし、科学的な思考とは、「信」を必要としません。
特定の科学集団の見解についても、科学的な思考をもつ人は、自由に批判を持つことができます。
つまり、
この問題(疑念や異説を多く含みうる記述を問うこと)において、
科学的であることが、「信」として表出されるなら、偽科学発見テストはゼロ点です。
そうではなく、疑念の可能性として示され、そこに合理的な理路を持つなら、偽科学発見テストは50点です。
あとの50点は、科学集団の諸見解から、「信」ではなく、合理的考えを自分で導き、社会的な「信」との関係を自身のなかで整合させることができるかです。
以降、この話の後半、つまり、「信」ではない、疑念の合理性に移ります。
では、具体的にこのテストの文脈で、「ビタミンB1不足が脚気をもたらす」という説(「信」)は科学的に正しいのでしょうか?
私は、突き詰めて言えば、正しくないと考えています。
たとえば、次の見解も誤っていると考えています。
⇒脚気病原因の研究史 ビタミン欠乏症が発見,認定されるまで(PDF)
大家の書かれた見解であり、科学が社会的な信によって成り立つとした場合、私のこの否定こそ、「非科学的」「トンデモ」といった分類になり、多くのかたが、ブックマークコメントやトラックバックでご指摘されたように、私のほうが非科学的、無知蒙昧、アルファブロガー(笑)といったことになるでしょう。
それらの評価は評価としてお受けしたいと思いますが、私は私として、いずれこの「脚気病原因の研究史 ビタミン欠乏症が発見,認定されるまで」のどこが誤っていると考えるかについて言及します。
予定
3つの話を予定しています。
1 脚気におけるマイコトキシンとチアミンの役割
総括的な言及について
2 衝心性脚気と脚気は違うのか
1940年に英国で実施されたビタミンB1欠食の実験
ウェルニッケ・コルサコフ症候群の再考
3 マイコトキシンに着目した脚気研究史から見えてくるもの
・インパール戦の隠された惨劇
・臨床に示唆されること
・現代日本人に忍び寄る問題
なお、私の珍説が開示されるかと思っておられるかたもいるかもしれませんが、これらの考察においては、それぞれ一定の権威ある諸説を検討し妥当な議論を行うだけです。その意味で、別段、私が行わなくても、科学的な思考の手順からごく普通に導かれるところに限定されます。
話の内容は以下の参考書籍・論文の域を出ません。話を早急に知りたいかたは以下の参考書籍・論文をお読みになるとよいでしょう。
参考書籍・論文
議論の参考となる書籍論文
- 「 健康と食べ物 あっと驚く常識のウソ: ウード・ポルマー ズザンネ・ヴァルムート, 畔上 司」
- 「カビがつくる毒―日本人をマイコトキシンの害から守った人々 (科学のとびら): 辰野 高司」
- "Beriberi-historical perspective", A. Ramsay Tainsh, International Journal of Environmental Studies, Volume 55, Issue 1 & 2 June 1998 , pages 141 - 159
基礎知識となる書籍
■ま、そうかな
丁寧に考察されている。
あと、小林秀雄と偽科学については「感想」(参照上・参照下)を実際に読んでみるとよいと思う。小林秀雄という人がどのようにテキストを読むかがわかる。ただ、結論からいえば、物理学的には時代的な制約もありどっちかといえばトンデモなんだけど。ただ、それが、「感想」の失敗だったとも言い難い。
水からの伝言が物理法則の合理性において世界を記述し「説明」するとき、それは「真理」と世人に誤解されがちな科学的認識の、誤解を承知しての横領であり、すなわち社会資源の概念的な横領であり、物理法則の合理性において世界を記述しようとすることの、まさにポパー―クーン的な倫理に対する「冒涜」であり、物事を合理的な帰結として了解することの――物理法則の合理性の絶えざる確認がセッテイングする人間存在とその内的世界の不合理に基づいた――陥穽としてあります。
もっと簡素に言えるとは思うけどスタイルはそれとして、「ポパー―クーン的な倫理」という水準がどう成立するかということ。
私が最近思うのは、知は、「ポパー―クーン的な倫理」の倫理はさておき(正確にいうとsk-44さんは誤読されているように思うけど)、「ポパー―クーン的な知」というものが、知によって易々と読み込まれ、知識人にスキーマティックに理解されることで、その了解が社会的に次の地平に立つというものではないこと、つまり、彼らが演じた劇の性質の了解に問題があるのだろうということ。
その意味で、その劇が、市民社会の倫理として、つまり、我々の社会がどのように科学を了解・合意する市民社会的なプロセスのために、きちんと追体験ができていないことで、別種の権力---それこそが市民社会の倫理によってそこから保護されるべきだったもの、あるいは啓蒙の持つ危険性が---露出していることに危惧を覚える。ま、そこまでいうと、sk-44さんと同じ結論かもしれない。
別の言い方をするとローティ的な問題。
■セント君、Web2.0を語る
⇒asahi.com(朝日新聞社):「せんとくん騒動、社会の病感じた」生みの親が吐露 - 社会
仏教の日本伝来にも言及。「インド、チベット、朝鮮半島などを通じて伝えられた仏教は、長い時間をかけて日本の思想などにあわせて変わってきたもの。インドから来たカレーも日本流になってきていることと同じように、誇りを持っていい」と語りかけた。
■「あのアルファブロガーのように…? クリリンのことか… クリリンのことかーーーっ!!!」
⇒はてなブックマーク - アルファブロガー神話の終焉 - 【海難記】 Wrecked on the Sea
2008年11月17日 dokumenta アルファブロガーまで批評。仲俣さんの「攻め」の姿勢を感じる。弾とかモッチー、爺の虚像も、ここまで影響が大きくなってくると、誰かしっかり突っ込んでおくべきなのは確か。
爺って、爺って、示威って、辞意って、自慰って、いじって⇒おちんちんさわらないで
■ネガコメの陳腐さ
まあ、誤解されるけど、私自身としてはネガコメ、別にいいじゃんなのだけど、まあ、本心を読みたいかたが勝手に読まれるので……。
それはさておき、なんとなく、ネガコメの陳腐さに、さすがに飽きてきたなという感じがする。気にするなとかじゃなくて、そこにウンコすんなよ、また、下痢便かよみたいな。
あと、陳腐さでいうと、若い女に言い寄られるのはまんざらでもないが(いやまんざらだが)、兄さんやおっさんにネガネガラブラブされてもなぁみたいな。
なんか、単純に、ネガコメーな人をサクサクフィルタしていいんじゃないかと思えてきた。
というか、ぶくまが改変したら、「私がフィルタしたブコメIDリスト」でも公開しようかな。
みんなに嫌われるブコメIDというのをWeb2.0で共有してもいいんじゃないかな。
システム的には、「finalventはこのブコメIDがきらい」を登録して、それをお気に入りにするとか。
あるいはそうした、きらいきらいを集積して適当な係数をかけて、ネガコメー指数を出して、その数値を指定するとか。
追記
⇒はてなブックマーク - d:id:finalvent の新着ブックマーク
2008年11月17日 Parsley blog, web, どーよ そういえば「システム・スルー力」ってどうなったんですか?
自分は今でも基本的にそういうふうに考えているけど。
けどというのは、一つには自分の場合は、基本的にそれでいいんだけど、ブログ全体とは違う状況になったかな。
それと関係するけど、当時はブログが基軸だったけど、最近はブコメが基軸になってそこからエントリが振り回されている状況っぽく見える。というか、エントリはブコメのネタでしかなく、かつての主従が逆転したみたいに見える。そして、そのことが普通のブロガーにとってあまりよくないんじゃないか、と。
■たぶんそうだと思いますよ
韓リフ先生⇒G20(金融サミット)でわかる欧州の衰退と新興国の遅れ : 2008-11-16 - Economics Lovers Live
むしろ利上げスタンスが日本と同様にユーロ圏の不況入りを早めていたのであり、今回のG20で必死な調整役をしたのならばそれはユーロ圏の経済的ダメージの深さとユーロ圏独自の制度的対応に限界が来ていることのなによりの象徴であろう。その意味では一部でいわれているようにドル基軸通貨の終焉ではまったくなく、それに代ると目されているユーロの「基軸通貨候補終焉」ともいえる事態ではないだろうか?
そうだと思います。
私なんかがいうと、別に思惑に取られるかもしれないけど。
対ドルで落ちたあたり、もう。
このあたりは朝日新聞みたいな理念はそれはさておき、現実を冷静に見ないと。
話はずっこけるけど、共産党すごいわと思う。手品を見ているよう。
■毎日社説 社説:金融サミット 歴史に残る協調を形に 保護主義の台頭を許すな - 毎日jp(毎日新聞)
どこが間違っているというほどではないが全体的になんかずれている感があるのはなぜかなと思う。日本の立ち位置に対する冷やりとした感触だろうか。世界第二の経済大国、しかも今こそ第二の意味が問われるというのに。
■読売社説 金融サミット 発信された危機打開の決意 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
オバマ氏は、ブッシュ政権に比べ、保護貿易主義的な主張を続けてきた。しかし、世界経済を活性化し、成長を加速するには、自由貿易の推進が重要だ。オバマ氏の考え方はいずれ、修正を迫られる公算が大きい。
軍事についてもそうだろう。
あと日本からあまり見えないが米国は南米問題も抱えているか。
■朝日社説 G20緊急サミット―この結束を緩めるな : asahi.com(朝日新聞社):社説
特にメリハリもない社説だがこんな感じかな。そううまくいくとも思わないが。
新しい世界像がどうなるか、まだ誰も描けない。それを組み直す作業は、オバマ新米大統領が就任してからG20の間で本格化するだろう。
このあたりはブッシュ叩きのツケが回ってくるのではないか。オバマができることは最善の妥協であり、それは米国益に傾かざるをえない。
そういえばこの社説には世界の、経済外の危機的状況との対応は少ないように思えた。
それは「米国一極支配」が決定的に転換することにも重なる。米国は冷戦終結後、突出した軍事力と、情報技術や金融をテコにした経済力で世界をリードしてきた。それがイラク侵攻でのつまずきと金融危機で崩れつつある。世界秩序の動揺を乗り切るため登場したのがG20体制だといえよう。
このあたりのブッシュ叩きをまだやっているのは頭の切り替えが難しいのだろう。ブッシュ政権は実際にはラムズフェルドが消えてライスが出てきたあたりで大きな転換がある。また金融危機はグリーンスパンが自身でかぶった面もあるがあのFRB面子にはバーナンキもいた。バーナンキの対応も後から見れば完璧とは言い難いというか完璧であってできることはあそこまでだった。
端的にいえば、わかりやすい理念で世界を見ることができなくなったというのを組み込んでいかないといけないのだが、それでもおそらくわかりやすい視点は存在するようには思える。
■晴れ
よい天気だ。いろいろ思うことはあるがまとまらない。昨晩はまた寝付かれないかと、グルーワインを飲み、もしかして体の芯が冷えて眠れないだけかと思いぬくめるとそのまま寝た。こういうのは老化というやつだろうか。夢は。忘れたと書こうとしたとき思い出した。バーチャルリアリティ関連の製品ということで、DVDのメディアがあり、それを装着系だったか自己催眠的な再生装置にかけると、過去の光景が再現されるというもの。最初これはストリートビューみたいだなと思ってみていると、なるほどこれは過去の世界だと私が驚く。随分ディテールまではっきりしているな、こんなところに路地があり、店があり、ここに椰子の木なんか生えていたのかと過去の世界をさまよっている。ディテールだけがあるので、かなり鮮明な夢を見ていたのだが、夢の意識のなかではそれは過去の世界だった。しかし、今覚醒した意識で思うとその過去は私の過去の世界でかならずしもない。
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