その20 角海老宝石ジム 中島吉謙選手


PHOTO BY 山口裕朗



 「消費税」―初の日本タイトル挑戦時、ベルト奪取の可能性は消費税率と同じ5%ほどにしか周囲からは見られていなかった。

 前回の“戦士” 中辻啓勝選手から紹介していただいたのは、現・日本Sバンタム級王者 中島吉謙(角海老宝石)。ふたりは、協栄ジムと角海老ジム合同でおこなわれたハワイキャンプがきっかけで知り合いになり、時々一緒に食事に出かけたりするようになった。
 中島は、4月16日(土)に日本武道館で木村章司(花形)と防衛戦をおこなう。本コラムがUPされている頃には、既に結果が出ていることと思うが、それはともかく、「戦士と語る」ではいつもの通り彼の人となりに迫ってみたいと思う。

 角海老宝石ジムを訪れたのは久しぶりだった。夕方早めの時間に到着したのだが、しばらくするとプロ選手達が少しずつジムワークにやって来た。イーグル京和、前田宏行、本望信人、榎 洋之、中島吉謙、坂本博之・・・、現・旧の日本、東洋太平洋、世界王者達が同じフロアで、シャドー、ミット、サンドバッグ打ちをおこなっている。圧巻というか、絶景というか、「こんな環境で毎日練習していたら、皆強くなるだろうな」と思った。
 その中に、ひと際厳しい表情で木内トレーナーのミットを打つ中島選手がいた。彼とは今回の対談の為に電話でアポを取った以外、話をしたことがなかった。風貌からは一見、無愛想で“とんがった感じ”の青年にも見えた。
 
 練習終了後、近くのファミレスに場所を移して話を聞くことにした。彼は以外にも練習中とは違い、終始フランクで、笑うとむしろ可愛いらしい感じだった。
 子供の頃はいわゆる“普通の子供”で、どちらかというと運動音痴だったという。「中学時代はサッカー部に入ったんですけど、すぐやめてしまいました。勉強もあまり出来ませんでしたね」
 そんなある日、テレビで鬼塚勝也の試合を見て、中島は「ボクサーになりたい」と強く心に誓った。自分で筋トレなどをして体を鍛え、中学を卒業するとすぐに角海老宝石ジムに入門した。「日本チャンピオンを沢山出していますからね。強くなるならこのジムだって思ったんです」中島は角海老ジムを選んだ理由をそんな風に話す。

 父親がタクシーの運転手という“普通の家庭”で“普通の子供”として育った中島の性格は、本人曰く「温厚」。角海老ジムホームページでも、選手紹介の中で「長所」は「優しい(多分)」と記されている。木内トレーナーのミットを叩く険しい表情とのギャップが不思議な魅力をかもし出している。

 高校を卒業してすぐ、5月にデビュー戦をおこなった。しかし結果はいきなり判定負け。その後、2勝3敗1分というパッとしない戦績で最初の3年を過ごした。「ボクシングは向いていないのかも・・・」一時はボクシングをやめることも考えた。しかし、「まだ遊びながらやっていたし、とことん追い込んでいませんでしたから」中島はもう一度頑張ってみることにした。
 4年目からは4連勝を皮切りに、勝ち星が増えるようになってきた。そしてその1年後、8回戦で引き分け判定となった試合をきっかけに、中島は松戸にある角海老ジムの寮に住み込み、ますます本気でボクシングに打ち込むことになった。「この寮は2敗すると追い出されることになっているんです。車も売り払い、ボクシングに賭けようと決めました」
ここでは、元オリンピックメダリストのシャートレーナーの下でロードワークをし、朝晩の食事付きで、昼間はアルバイトをしながらやる気のある7名が一緒に暮らしている。27歳になった中島は、まさにボクシング一本の生活に明け暮れるようになった。

 現在の担当は木内トレーナー。事情により閲覧出来なくなってしまった「旧・戦士と語る」のバックナンバーで登場していただいた名トレーナーである。
「木内トレーナーとは、何でも言いたいことが言える友達のような関係ですね」中島は木内トレーナーのことをそんな風に語る。「でも10年前は鬼のように怖かったんですよ」中島の4回戦ボーイ時代は、木内トレーナーも若かった為、まだまだ血の気が多かったらしい。「ホントその頃は嫌でしたよ」そんな気持でやっている上、2勝3敗と結果が出なかった中島の担当トレーナーは、元キューバのナショナルコーチだったイスマエル・サラストレーナーへと一時変更された。
「サラスの練習は面白かったです。数人で一緒にやる合同トレーニングが多く、部活みたいな雰囲気でしたね」この頃からボクシングが楽しくなってきたという中島は、前述の通り4連勝を重ね、少しずつ階段を上り始めることになる。

 サラストレーナーが事情で角海老ジムを去り、再び木内トレーナーとのコンビを復活させた中島は、着々と勝ち星を重ねてゆく。そして2003年6月、渡辺純一郎(楠三好)の持つ日本Sバンタム級王座に挑戦することが決まった。
 とはいっても、それまでの戦績は11勝5敗4分―日本タイトル挑戦者としては、あまり脅威となる数字ではない。周囲からは、中島のタイトル奪取の可能性は「消費税」並み(5%)と言われた。
 ところが、サラストレーナーによってボクシングの面白さを知り、何でも言いたいことが言える木内トレーナーと絶妙のコンビで足場を固めてきた中島吉謙は、「消費税」を見事モノにし、判定勝ちでタイトルを手中に納めたのだった。
 その後の活躍については、多くのボクシングファンが知るところだと思うが、既に日本Sバンタム級タイトルを3度防衛し、この原稿がアップされている頃には4月16日におこなわれる4度目の防衛戦の結果が出ていることだろう。余談だが、タイトル挑戦者のひとり瀬川設男(ヨネクラ)は、私も以前に対戦したことがあり、当時は川益設男というリングネームの日本バンタム級王者だった。私は判定負けでタイトル奪取はならなかったが、そんな小さな接点に親近感を覚えたりするものだ。
 中島はその後、昨年10月に両国国技館でおこなわれた西岡利晃(帝拳)との世界ランカー対決で、惜しくも判定負けを喫してしまった。私は、珍しく会場に足を運んでこの試合を観戦したが、初めて見た中島吉謙という選手の“試合っぷり”がとても気に入っていた。今回こうして対談出来ることになり、会うのがとても楽しみだった。

 ファミレスでの語らいを終えると、「これから合宿所に戻って軽く食事して、スポーツクラブへ行ってきます」と言う。筋トレマシンやランニングマシン、プールなどを利用して、最後にジャグジーでゆっくり体をほぐすのだそうだ。「大事なのは“自己管理”です。やらされているんじゃ強くなりません」―いろいろなことを乗り越えて、これまでに培ってきた信念を、中島吉謙は力強く語ってくれた。
「次の試合に勝って、“世界”に挑戦したいですね・・・」思いのほかフランクで誠実な人柄のチャンピオンが、4月16日以降もチャンピオンでいてくれればいいのだが、こればかりは勝負事なので分からない。ただ、“素直”で“負けず嫌い”な中島吉謙という男が、“世界”の舞台に立つ姿は不自然でない―私にははっきりそう感じられた。もし、その可能性が「消費税」と言われたとしても・・・





■ 戦士と語る By 新田渉世 ■ Back Number

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その27 協栄ジム 中辻啓勝選手
その26 協栄ジム 渡辺信宣選手
その25 協栄ジム 佐々木基樹選手

2004年以前のバックナンバー(全体)

●新田 渉世 (にった しょうせい)
1967年生まれ。92年横浜国立大学卒業。96年東洋大平洋バンタム級タイトル獲得。97年引退。98年米国サンフランシスコへ移住し、『ワールドボクシング』誌にて「ショーセイのアメリカボクシングライフ」連載開始。99年『Talk is cheap』にて「戦士と語る」連載開始、同年ケンウッド入社。03年2月神奈川県川崎市に新田ボクシングジムをオープン、同年ワールドボクシングwebサイト上にて「新米ジム会長奮戦記」連載開始。04年東日本プロボクシング協会書記担当理事に就任。

新田ボクシングジムHP
http://www.nittagym.com/

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