裁判員制度の最終点検を促す司法判断と言える。広島市で3年前、小学1年の女児が殺害された事件で、ペルー人の被告に広島高裁が下した判決だ。無期懲役刑に処した広島地裁判決を「審理を尽くしておらず違法」として破棄し、審理を地裁に差し戻した。
1審は裁判員裁判のモデルケースとされ、集中審理によって約2カ月で判決を下した。検察側、弁護側とも控訴理由は量刑不当で、1審の審理の進め方についての主張はなかったが、高裁は職権で「裁判の予定を優先するあまり、公判前整理手続きを十分せずに終結させた」と断じた。真相解明という刑事裁判の重大な使命を裁判員裁判でもおろそかにしてはならない、との戒めと受け止めたい。
高裁判決が、地裁で被告の全供述調書を却下したことを「誠に不可解」と述べた点にも注目したい。被告の居室から被害者の毛髪などが付いた毛布が押収されており、「毛布は外に出していない」との供述が信用できれば犯行場所を居室内と認定できたのに、弁護側が任意性を争うために証拠申請した調書を調べなかった。その結果、「被告のアパート及びその周辺」とあいまいなままにしたのは事実誤認、という批判だ。
犯行が屋内で行われたか屋外かは犯情の判断を左右するポイントだけに、審理不尽のそしりを免れ得ないが、高裁判決が重視したのは自白調書の扱いだろう。従来の刑事裁判は自白の任意性、信用性が争われると長期化するため、迅速化が求められる裁判員裁判では自白の評価は争点にしたくないテーマとされる。だからといって不用意に避ければ本末転倒となるからだ。
自白の証拠能力は、取り調べを厳正にすれば高まる。捜査当局が厳正化や透明化を目指して模索しているのもそのためだ。それでも自白に疑いが生じたら、法廷で審理するしかない。裁判官が虚偽自白を信用し、冤罪(えんざい)が繰り返された歴史を踏まえれば、自白の評価にこそ市民の常識が生かされるべきでもある。
高裁判決は、被告の性犯罪歴を示すペルー当局の訴追資料が証拠採用されなかったことに言及するなど、検察側の立証の問題を強調しているようにも読み取れる。だが、整理手続きについては、むしろ弁護側が冤罪や捜査ミスを見逃しかねないという指摘もあり、検討すべき点は少なくない。
裁判員制度のスタートは半年後に迫る。先月末には裁判員候補者への通知も郵送された。市民の負担軽減のため可能な限り裁判は迅速化されるべきだが、裁判員になる市民の責任感や熱意を過小評価する必要はない。高裁判決が指摘するように、拙速のあまり審理が粗雑になる事態は許されない。関係者は、禍根を残さぬように整理手続きの改善など詰めの作業を急いでほしい。
毎日新聞 2008年12月11日 東京朝刊