■「覺える」
新混沌日記(2007/6/28 Thu):
あー、BASICには無かった(氣がする)Cのforやifだとかを覺へて、
新混沌日記「覺える」はや行に活用する動詞です。「覺へる」とはなりません。過去の新渾沌日記にも同樣の間違ひがあるやうです。
や行に活用する動詞(や行下二段活用動詞)は他に
- 消える
- 聞える
- 凍える
- 燃える
などがあります。
簡單な見分け方としては、實際には行で活用してみると良いでせう。「覺はない」とか「覺ひます」とか「覺ふ」なんて云ひませんから、は行四段活用動詞ではないと分ります。
參考
それにしても、両方ともどうしてこんな誤記をしたのだらう。どちらも単語辞書に登録されてゐるとは思へないけど。新字新仮名で書いてプログラム(と呼ぶのかどうかよく知らないけど)で変換したからなのか。
プログラムは使つてゐません、たゞ覺え間違つてしまつたのだと思ひます。
いえ、その。単なる覚え違ひといふのは分りますが、普通に変換すると「おぼへる→覺へる」とはならず、「なぜか変換できない」といふことになるはずなので、どうして「覺へる」とできたのか謎だな、と思ったわけです。
高校のころは圖書室でずっと諸橋大漢和を讀み耽ることもできたけど、最近は距離や時間の問題で圖書館から足が遠退いてしまってゐたので助かりました。將來就職してボーナスを貰ったら大漢和を揃へたいなあ……と夢想してみる。
ここに何か書いて送信をクリック
流れとしては:
- Too-Rye-Ay氏が利用者-會話:Noda,Kentaro - かふしゐきにて野田憲太郎(Kasumoererの本名。mixi等で公開されてゐる)のIPとISPを「晒す」。但しIP自體は利用者:Noda,Kentaro - 履? - かふしゐきから推測出來、本人はこのIPを否定してゐない。
- 何故か澤田亮太とは - はてなダイアリーで自作自演晒しと喧傳する
- 自分がたまたまそのページを見附けたので「削除予定キーワード」とするが差戻される: 澤田亮太 - はてなダイアリー。
- 21日附日記から反論。以下今に至る。
何か拔けがあるかも知れない。あちらの日記もWikipedia内の話や同メーリングリストでの話を承前としてゐる節があり、今一分らん。
その他ぐぐれば出るけど關るのに疲れた。
英語圏では文書にサインがなければ認められない。とあるけれど、何が何に認められないのか判然としない。
メールアドレスのみで日本語版の立ち上げが行えるのであればつてどうしてさういふ風に文が續くのか、そもそも日本語版はWikipediaの日本語版であつて日本版ではない、Wikipediaの英語版と日本語版は同列にあるのに何か違ふものとして扱つてゐるあたり、日本語版と書きつつもそれが日本版であると認識してゐるやうな氣がする。
まだ存在しない言語版を新規に立ち上げるには数名の参加者がいれば可能である。とウィキペディア - Wikipediaにありまして、さらにアイヌ語版Wikipediaに関する議論 - Metaに
metaでの申請->理事会の承認->作成とあります。これだけの手順を踏めば新言語版のWikipediaを立ち上げることができるやうです、これをみるに
メールアドレスのみで日本語版の立ち上げといつたやうなことがなかった事が分かると思ひます。
木津隆史がどのような人であったかを知るには、非常に有益な資料と判断した次第である。つて居るかもしれない
怒る読者への反論にすらなつてゐない、ただの話題のすり替へだ。
日本語版wikitruthの設立は、英語版wikitruthにも報告した上で行っている。とあるけれどその後はどうなんだらう?本家からどういふ返事をもらつたのかしら。で、さう名乘るくらゐなら、なんで本家の様にMediaWikiを使つたサイトを作らなかったのだらう、わざわざはてなダイアリーを選んだ理由が謎。
話せば話すほどぼろが出てくる。とある、これはこの人自身にも言へることだと思ふ、
管理者になるためには、ウィキメディア財団に身分証明を送らなくても良いわけか?CUはパスポート提出必須なのに。とあり、CUが何かは私にはわからないけれど、Wikipediaにはそこの管理者になるためについて書いてあるのだから讀めばいいのに、なんで讀まないのだらう。讀んでも解らなかったのだらうか。
激しくタイムスリップ
ストラップやベルトのないブラのことださうで、ふむふむ。これでまた一つ賢くなりました。
ファンラジーつてなんだ。ファンタジーの間違へです。
お…いつのまにか復活してるじゃないか
それは架空のフォーク・ミュージックか、なるほど。
このオムニコードを使った楽曲「The Toy」ですが、たしかに
スカスカほのぼのとした音色が何とも愛着の湧く音色ではあるんですが、それだけを鳴らしてゐる訣ではなくて、ヴァイオリンだとかも巧みに組み合わせてゐて、ただのスカスカした曲にはなつてゐません、面白い曲です。