宮崎大学医学部附属病院で、眼科の男性職員が、医師などの資格がないまま、約4年間、眼底検査を行っていたことがわかり、県は、9日、本人や病院側から聞き取り調査を行いました。調査の結果、県は、「こうした行為は不適切」と判断し、病院に対し、中止するよう指導することを決めました。眼底検査をしていたのは、宮崎大学医学部附属病院の眼科に勤める、40代の男性写真技師です。宮崎大学医学部によりますと、この男性技師は、平成16年4月から、眼科の担当教授に依頼され、患者の眼底写真の撮影を行っていました。撮影の際、男性技師は、患者のまぶたを持ち上げたり、広げたりするなど、直接触れることもあったということです。眼底検査は、瞳孔の奥にある眼球内の網膜や血管を調べるもので、医師や看護師などの資格がなければ行うことができません。しかし、眼底検査の一部である眼底写真の撮影は、他の大学病院でも無資格の担当者が行っていることから、医学部では、「違法行為には当たらないと判断していた」ということです。県の中央保健所では、この行為が、医師法に違反する疑いもあるとして、9日、本人や眼科の医師に聞き取り調査を行いました。その結果、県は、「眼底写真の撮影を、無資格の担当者が行うのは、医師法違反とまではいかないが、不適切である」と判断、病院側に対し、中止するよう指導することを決めました。宮崎大学医学部では、「眼底検査のあり方を見直したい」と話しています。
清武町の住民グループが、宮崎市との合併の賛否を問う住民投票の実施を、町側に直接請求しました。直接請求したのは、清武町の住民グループ「あすの清武をつくる会」です。9日は、グループの代表4人が清武町役場を訪れ、直接請求に必要な、有権者の50分の1以上の約4400人分の署名を、町の選挙管理委員会に提出しました。宮崎市と清武町は、平成22年3月の合併を目指して、協議を進めています。「あすの清武をつくる会」は、合併に慎重な立場ですが、最終的には、住民投票で町民の賛否を確認した上で、結論を出すべきと訴えています。(「あすの清武をつくる会」・細木章稔代表)「(合併問題に)住民が大きな関心を示さないといけない。(住民投票の請求は)その大きなきっかけ。この機会に、町民も議会も全員が勉強して、合併すべきか自立すべきか研究していただきたい」提出された署名簿は、10日から20日以内に審査された後、1週間の縦覧を経て、本請求が行われることになっています。一方、清武町内には、合併推進派の住民グループも、今年10月に発足し、町を二分する合併論議が再燃しています。
「贅沢すぎる」として、慎重な意見も根強い、石崎浜荘のリニューアル問題です。約20億円が見込まれているこの計画、9日の宮崎市議会でも、計画の進め方や市長の対応に疑問の声が出されました。宮崎市が進めている、石崎浜荘のリニューアル事業。温泉施設や屋内プールを建て替えるもので、プールには、最大500人収容の観客席や、床が動いて水深を調節できる設備も備えられる計画で、事業費は、約20億円が見込まれています。この計画をめぐっては、今年9月、「無駄が多く贅沢すぎる」として、見直しを主張する利用者団体が、津村市長に面会を求めましたが、市長はこれを拒否。一方、10月に市役所を訪れた推進派の区長とは、面会しました。この市長の対応が、9日の市議会一般質問でも取り上げられました。(伊地知義友議員)「市長に思いを届けたいとおっしゃってた人たちは、極めてまっとうな意見をお持ちでした。贅沢なものは作らないでほしい。市長に聞いて欲しいという一念で来られたわけです」(津村重光市長)「市民との対話につきましても、今後とも市民の皆さんの声を大事にしながら進めていきたいと思いますし、(計画に)『賛成』『反対』の立場にこだわらず、謙虚に耳を傾けていきたいと思います」(面会を拒否された利用者団体は)(利用者団体代表・田中克子さん)「私たちと話を持ってもらって、税金の無駄遣い、コンパクトな本当に健康福祉のプールをつくってくださいということ」慎重な意見も根強い、石崎浜荘のリニューアル事業。宮崎市では、来年の春以降に着工し、再来年のリニューアルを目指しています。
WTO・世界貿易機関の貿易交渉が再開されるのを前に、全国の農業関係者ら3000人余りが、9日、東京で集会を開き、関税を維持して日本の農業を保護するよう、政府に求めることが決議されました。WTO・世界貿易機関は、加盟153か国が、関税引き下げなどのルールを話し合う組織です。このうち、農業交渉では、関税引き下げの対象外となる重要品目数について、日本が全体の8%確保を主張しているのに対し、「原則4%、最大6%」の議長案が示されています。東京で開かれた9日の緊急集会には、県内のJAの職員など、全国の農業関係者約3千人が参加。不利な条件で合意しないよう、政府に求めることを決議しました。WTOの貿易交渉は、来週にも閣僚会合が開かれる見通しですが、JA宮崎中央会などでは、今後の交渉の行方を注意深く見守っていきたいとしています。
宮崎特産、黒皮カボチャの出荷が、9日から始まりました。日本料理の最高級素材とされる黒皮カボチャは、宮崎や北海道などで栽培されていて、宮崎市では、ハウスものの黒皮カボチャが、生目地区の23戸の農家が生産しています。今年も、9日から出荷作業が始まり、JAの検査員らが、カボチャを1個1個選別して、箱詰めする作業にあたっていました。今年は、雨の影響で、収穫が遅れているものの、品質は良好だということで、黒皮カボチャは、ビタミンAが大量に含まれているため、風邪の予防にも効果があるとされています。黒皮カボチャの収穫は、来年6月ごろまで続き、関西や名古屋方面を中心に、約320トンの出荷が見込まれています。
宮崎市佐土原町のホンダロックが、3年ぶりに、JFL・日本フットボールリーグに復帰することが決まりました。創部45年目を迎えるホンダロックサッカー部。平成16年、悲願のJFL昇格を決めたものの、2年目のシーズンに最下位となり、わずか2シーズンで降格。その後、再びJFLの舞台を目指し、戦ってきました。降格から3年・・・今シーズン、ホンダロックは、全国地域リーグ決勝大会で3位に入り、JFL復帰決めました。9日は、午後2時過ぎ、選手らが集まる中、日本フットボールリーグから、長友康弘部長にJFL昇格が電話で伝えられました。(長友康弘部長)「ホンダロックがJFLに昇格いたしました。おめでとう!」(歓声)(南光太主将)「非常にほっとしているのと同時に、また来年復帰できるという高ぶる気持ちで一杯。既存のままでは、また同じ過ちを繰り返してしまう。リーグ戦を勝ち抜く、勝ち点をしっかり積み上げていくのが大事」(福田浩一監督)「さらに1人1人レベルアップしないといけないというのは、全員がわかっていることなので、これから開幕に向けてしっかり準備したい」3年ぶりにJFLの舞台に返り咲いたホンダロック。リーグ戦は、来年3月に開幕します。
都城市の笛水小学校で、9日、地域住民も参加したもちつき大会が行われました。笛水小学校では、食育の一環として、毎年この時期に、もちつき大会を行っていて、今年は、近くの幼稚園児や地域の住民など、約70人が参加しました。参加者たちは、小学生が収穫したもち米を使って、昔ながらのもちつきに挑戦ました。(児童は)「家でつくるのより美味しい」「力はいるけど後から美味しく食べれて嬉しいです。」「美味しく上手に出来て嬉しかったです。」笛水小学校では、今後も、こうした体験教室を開いて、子供たちに、昔ながらの風習を伝えていきたいとしています。
園児と高齢者を対象にした交通安全教室が、北郷町でありました。教室には、園児と高齢者、約150人が参加、交通安全指導員が、交通ルールをテーマにした人形劇を披露し、横断歩道を渡る際に、左右を確認することや、手を上げることなどを学びました。一方、高齢者は、夜間に歩く際に、反射材を着用するよう指導を受けました。このほか、教室では、県警察音楽隊による演奏も披露され、参加者たちは、楽しみながら、交通安全を学んでいました。
8日夕方、都城市の県道で、道路を歩いて渡っていたお年寄りの男性が、軽トラックにはねられ、死亡しました。事故があったのは、都城市庄内町の県道で、8日午後5時半ごろ、近くに住む、無職、襲山吉春さん79歳が、道路を歩いて渡っていたところ、横から走ってきた軽トラックにはねられました。襲山さんは、胸などを強く打ち、近くの病院に運ばれましたが、約2時間後に死亡しました。警察の調べによりますと、襲山さんは、道路向かいにある知人宅に向かう途中だったということです。事故現場に、横断歩道はなく、事故当時、雨が降っていて、見通しが悪かったということです。警察では、軽トラックを運転していた都城市の55歳の男性から、詳しく事情を聴くなどして、事故の原因を調べています。
全日本シニアプロや、アマチュアゴルファーが参加した大会が、宮崎市で開かれました。プロとアマチュアの交流を深めてもらおうと、毎年開いているこの大会、今年は、シニアプロ45人と、9歳から85歳までのアマチュアゴルファー、約100人が参加しました。アマチュアゴルファーたちは、プロと一緒にラウンドしながら、日頃の練習の成果を発揮していました。また、アマチュアゴルファーが、ラウンド中、プロから、アドバイスを受ける場面も見られました。参加者たちは、終始なごやかな雰囲気の中、プレーを楽しんでいました。
県内では珍しい、子馬の品評会が、都城市でありました。品評会は、JA都城が、毎年この時期に行っているもので、都城市内の農家から、10頭の子馬が出品されました。出品されたのは、今年1月から4月に生まれた繁殖用のメスの子馬で、2人の審査員が、馬の品位や歩く姿などを審査しました。都城市では、ピーク時の平成5年頃、約1000頭の馬がいましたが、農家の高齢化などで、現在は、約200頭しか飼育されていないということです。