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the deconstruKction of right このページをアンテナに追加

2008-12-08

東浩紀「歴史問題についていくつか」擁護してみたその他

   http://www.hirokiazuma.com/archives/000465.html についてです。コメントスクラムが起きていて、それちゃっとちゃうんちゃうかと、このブログのテクストの意味は『リアルのゆくえ』その他で僕が理解している限りこうだ、ということをツイッターで呟いたら、袋叩きに遭いました。途中からもうほとんど皮肉のモードに入っているので、必ずしも僕の本心が発言されているとは思わないでください。基本的な立場として僕は「南京はあったし数は30万は行き過ぎだけどそこそこはあっただろう」ということをまぁ認めるよ、という立場です。とりあえずは袋叩きの過程を載せておこうかなと。関係ブログトラックバック貼らないですけどほとんど見てます。





(基本的に何もついていないのが僕の発言で、アットマーク〜は〜に向けられた発言です。ちょっと人物の見分けがつきにくくてすいません。さらに、論争相手のツイッターがブロックされていて転載も禁止なので、僕の発言から推測してください)

東さんの歴史問題は、僕のまとめでは「論理」の世界と「政治」の世界の乖離だと思う。論理的には南京大虐殺は実証できない。論理を徹底すればそうなる。絶対。しかし、現実の世界は「論理」だけで動かない。「無限」に懐疑可能な何かを、どこかで「決断」しないと政治はできない。... 3:49 AM Dec 2nd from web

リベラルが、反リベラルをも許容しなくてはいけないってのは北田さんがずっと前に言ってなかっただろうか。...

@mine_o ただまあそこで実感主義とか持ち出されても困るじゃん、とか。ボードリヤールくらいバット振り切るなら別だけど。「湾岸戦争は存在しなかった」って奴ね。...

@crow_henmi いや、東さんの言っていることというかやっていることは簡単で、「お前の論理を徹底するとこうなるじゃんw」ということをやっていて、リベラルの論理を徹底すると反リベラルも許容しなきゃいけないじゃんw というアイロニーだよ。論理の自壊。

@naoya_fujita リベラルが自壊しないための枠組を自壊させてもあずまん的にもリベラル的にも得るものはひとつもないと思うんだけどなあ。リベラル的枠組がなくなった自由はリベラルといわないので。...

@crow_henmi リベラルの枠組みなんかもう破壊されているのが世界情勢でしょう、という現実をまず設定しよう。... 4:41 AM Dec 2nd from web in reply to crow_henmi

@crow_henmi 得るもの、というか、「論理」ってそういうものだから。現実原則とは関係ない。 4:42 AM Dec 2nd from web in reply to crow_henmi

@crow_henmi アンガージュマンしなきゃいけない、ということが、疑われない「正義」であるという前提がない? その意見には。... 4:47 AM Dec 2nd from web in reply to crow_henmi

@crow_henmi 最初に言ったけど、「論理」の世界と、「現実の政治」(コミットメント)は別だから。論理的に徹底すると「何が本当か分かりません」以上のことは言えない。しかし、現実も政治もある。この飛び越えの間にある「深淵」を示しているように僕は思う。... 4:49 AM Dec 2nd from web in reply to crow_henmi

@naoya_fujita つか純粋論理なら社会工学方面にコミットメントもしてる東氏としてはそういうアクチュアルな話題を持ち出さなければいいと思う。どの立場での話よ、ということになるんで。...

@crow_henmi いや、アイロニーなんだってw あれは。ツッコミとかに近い。僕の読みではね。真意は分からない。相手の矛盾を指摘しているだけなんだよね。現実の政治とか考えてないんじゃない。... 4:55 AM Dec 2nd from web in reply to crow_henmi

相手の論理で、相手を攻撃して自壊させる、っていう。そういう技だよw あれは。多分 5:00 AM Dec 2nd from web

@naoya_fujita アイロニーだとしても、現実にパフォーマティブな部分で反論受けてるからそれに対してある程度誠実でなければならんのではないかなあ。とは思う。実際にパフォーマティヴには歴史修正主義に大きく譲歩しているわけだし。...

@crow_henmi 普通にパフォーマティヴに左翼を攻撃しているんでしょう。そして「歴史修正主義」という言い方には、「決まっている真実」があり、それを修正している、という意味を含意していると思うが、「決まっている真実」がない以上、「歴史修正主義」というレッテルもおかしい... 5:04 AM Dec 2nd from web in reply to crow_henmi

「決まっている真実」(虐殺の数)があると思い込み、疑わず、それを信じない人に「修正主義」とレッテルを貼って攻撃する思考停止左翼を攻撃しているんでしょう。普通に。... 5:05 AM Dec 2nd from web

@naoya_fujita 現実レベルでは歴史学なめすぎじゃないの、というのと、純粋論理的にはそれアガンベンでひっくりかえせますから、というのが、hokusyuさん辺りの反論だったなあ。...

@crow_henmi しかし昔喧嘩になって調べたんだが、歴史学者の中でも意見が大きく割れているんだから、どうすんの、っていう。もうソース忘れたけど、アカデミックな権威の人が、数万から数十万まで別々のこと言ってたよ。..

歴史学を信頼していないわけではないが、歴史学者の中にもイデオロギー的偏見があり、「歴史学者」の発言に正当性を与えるであろう「権威」もどうだかなぁ、という場合、何を信用したらいいのか。いろんな説があるはずだよ。...

@naoya_fujita 「あったこと」はそれでも事実認定されているわけですよ。数がゆらぐのは技術的・政治的問題にすぎないわけです。いま、それがわからないからといって、「虐殺そのものがあったともなかったとも云える」というのはやはりおかしいわけです。...

@crow_henmi 俺も「私的には」あったと思うよ。しかし、その「事実認定」を誰がどのような権威によりどうして行い、それが承認されているのか、考えると、結構おかしいんだよね。科学的手法だからいいとか、大学が認めたからそうだ、ってのもおかしい。...

「事実認定」する機関が大学だとしてもいいが、大学は一時期左翼に占領されていたわけでねえ

左翼に限らず、国の御用学者が認定する「天皇家の歴史」とかねえ。「歴史」をどうキャノナイズするかの問題で、「過去の事実」全般の難しさかもね。これは。...

.@naoya_fujita 「岡村寧次大将資料」とか、一次資料の山にもかなりの略奪暴行行為が記載されているんですけど、ポモ的にはこれも捏造といえる、ということですね?...

@crow_henmi 略奪・暴行行為自体だけであればどの戦争でもどの国でも起きているわけだから、「南京大虐殺」という固有名詞で呼ぶに足るほどの特異性があるのかどうかかなぁ。...

@crow_henmi 俺も昔はというか今も左翼なのでそういう主張をしたが、必ず返ってくるのは、広島長崎東京大空襲の方がひどいだろ、っていう意見で。確かに日本だけが反省してアメリカは反省してないのだから自虐史観とも言えるなぁと。...

僕はヴォネガット読者なので、ドレスデンとかも思い出すのだが。総力戦というか、絶対戦争状態なのだから、世界のあちこちで虐殺に近いことは起きていたはず。...

倫理的、パワーゲーム的ってのがよくわからない。自分の信じる正義と違う意見は「倫理的じゃない」と言える無敵の言葉なので。倫理というやつは。正義も。別に反省してどうなるものでもないと思う。第二次世界大戦の「絶対戦争」に至る世界全体の構造をどげんかせんといかんと思う。...

@naoya_fujita 倫理的、というのはそんなに便利でもないと思うなあ。基本、倫理は個人に内在するものだけど、それが止揚されたり広まったりしてひとつの時代的精神としての倫理を生み出す。これはあいまいなものだけど、それなりに共有されるものではある、と思う。...

@crow_henmi 僕はアンチ倫理なのでw 例えば年金テロの小泉があれは自分で倫理的だと信じていたとしようか。倫理的じゃないだろw っていうでしょう。大勢は。とすると大勢の支持がない倫理は倫理なのか。それとも私的でいいのか。支持のない倫理ってのは左翼ってことだけど。... 5:41 AM Dec 2nd from web in reply to crow_henmi

@naoya_fujita 基本、倫理は個人的なもので、ただ共有されうるし、その共有度が強いほど強力に社会を覆う、というのはあり。大勢の支持がない倫理も存在し得ますが、支配的になるのは強力な倫理かと。そして左派は強力な倫理を背景にするため、実感主義や虚無主義に抵抗されます。...

@crow_henmi 多分これ以上は信念の話になるので議論にならないと思います。僕の立場としては、倫理や正義という言葉には両義的です。倫理や正義の名の下に、単なるエゴイズムを押し付ける結果になることもよくあると思うから。... 6:02 AM Dec 2nd from web in reply to crow_henmi

@hokusyu82 @crow_henmi  今ブログを流し読みしてきたけど、君たちはベタな左翼なんだねえ。僕ちんも社会党政権とっちゃっている北海道生まれで、マルクス・レーニン主義の北教組に教育され、早稲田に行ったバリバリの左翼ですよ。...

@hokusyu82 @crow_henmi なんというかなぁ、俺も気持ちはわかるんだけどなぁ。僕は「フリーターの給料はあげようよ」「死ぬほどきついのはなんとかしよう」ぐらいにまで撤退した左翼なので。東さんにも「左翼」だと言われたし。...

どちらかというとポモってのは最初から左翼とかマルクス主義みたいな考え方が支配的になったことによる問題を撃つために現れたわけでね。僕は出自は左翼で、ポモに走って、今、ポストモダン思想がネオリベを招いたことから再左翼化している状態でねえ

だから素朴かつヒステリックな左派の主張にはのれないんですよ。

PSBの「20th century」って曲の歌詞で、明らかに「革命」を意識しながら、こういう歌詞があるんだよね。 Sometimes the solution is worse than the problem って。僕はこの感覚に近い。...

俺がネトウヨと呼ばれる日が来るとは思わなかったw 極左と罵られていたんだが。 6:50

東さんはネオリベ呼ばわりもされているからね、一部から。東さんに接触していった僕が転向して行っても無理はない。しかしそれは左の中にいておかしいという僕の無意識が行かせたわけで。...

そういえば俺は「科学も実証も全部相対的で真理はない」というデリダも手をつけなかった相対主義を主張しようとしてみなに止められたことがあった。形而下まで相対化するという。ソーカル激怒。...

歴史修正主義はなぜ悪いのか。聖書だって歴史修正主義だろw あんなもん嘘に決まってる。古事記も駄目だな。...

人間というのは都合の悪い過去の記憶を忘却したり否認したりして精神の健康を保つわけだ。フロイト先生曰く。フロイト先生は社会と人間の精神を類比させていたが、じゃあ思い出したくない過去はなかったことにしたほうが現在の社会の健康に繋がる。...

という理屈で修正主義者はやっているのかな。修正を否定する人は「犠牲者」についての人間的共感で反対しているのかな。どうなんだろう。...

実証を無視して、その場その場で「そうだと信じたら気持ちいい」歴史を信じる、という態度も別にありな気がするよ。なぜ実証をそんなに重視しなければいけないのか。...

@at_akada それは「事実」を知っている「神の視点」を導入している時点でインチキ。それがないという前提の議論だから。

wiki 上述のような学術的用法に対し、通俗的な用法として、ある特定の歴史家が、反対者の歴史観に対して、否定的な印象を広く一般に植え付けるためのレッテルとして用いることがある

@at_akada 事実が何なのか分からない状態のときにどうしよう、という議論なのではないですか、これは

wiki 日本では1990年代後半から、南京大虐殺などの存在を否定する勢力を、それを肯定する側が批判する言葉として使うようになり、これは西欧のホロコースト否認主義の連想が働いたためとも言われている[6]。...

@at_akada 「事実」を判定する能力が最も高いと思われる「学者」の中でも意見が違うから、何が事実なのか分からないのでは。...

歴史修正主義」を南京大虐殺に限定して考えていたわけね。なるほど。そうじゃなく、「歴史」と「実証」の問題全般を考える一例だと思っていたよ。..

もし事実として南京大虐殺がそんなにたくさんの数殺してなかったら、大袈裟に言いふらしてきた左翼の人こそが、イデオロギーに基づいて歴史を歪めていた「歴史修正主義者」になると思うんだが。...

@hokusyu82 いや、だから、それを呼ばないのはおかしいよねえ、歴史修正自体が駄目だと言うのなら聖書も批判しようねw という皮肉だから。だから、「歴史を修正すること」が問題じゃないんでしょ。受け入れがたい主張のものにだけ便利に貼るレッテルでしょ。...

@hokusyu82 わかんないけど全く重要と思わないからなぁ。この問題は。時間は有限なので、別のことを勉強します。というのが普通の人。自分が重要だと思っていても他の人はそう思わないんだから、ここで啓蒙は挫折する。...

何故でしょうね、とか言っても俺は調べないよw 今ここで簡潔に説明しないと、啓蒙失敗、終了、だよ。...

そのレッテル貼りはひどいなぁ。2chのテンプレで俺もできるよ。そのぐらい。ブサヨヒッシww レッテル貼りで逃げたww 戦後民主主義犠牲者。アカヒとか信じてるタイプww とか。それで勝った気になるのは阿呆でしょう。...

これの理由分かる人いる?>ちなみにほとんどの専門家は4万は少なすぎると考えていますが一応通説の範囲です。でね、仮に20万説が何らかの形で否定されたとしましょう。でもそれは修正主義じゃないんです。さて何故でしょうね。...

@hokusyu82 そういうネトウヨとかレッテル張りで笑う、終了、でいいんなら、Apemanさんのブログ見て、バカサヨだな、終了、で終わるよ。...

俺の考えと言うか立場を言うよ。東さんと近いんだが、多分それは筒井とかディックとか由来な気がする。俺は多分左派だが、左派的なものを疑わないやつも馬鹿。右もそう。そして南京に関しては、両方の意見がある。とすると、「事実」もはっきりしない以上、「両方」が混ざった不確定である、と。.

ファントム、クォンタム」ってのは量子的幽霊的だったっけか? 量子力学の「シュレディンガーの猫」ってのは、猫が生きている状態と死んでいる状態が「同時に」あるわけでしょ。僕はそういう認識。南京も。というか大体のことはそうでしかないと思う。...

学者レベルでも意見が違い、さらに学者の権威も下がり、我々は自分で調査する能力も時間もないから伝聞情報で判断せざるを得ないよね。そうなると、何が本当か、ネットを見ても本を見ても確定できない。こういう現実を生きている、ってのは確かじゃないかと。...

不確定であるということ自体でネトウヨにされるのかもしれないが、しかしこれはよくあることじゃないか? 誰も見てないところで木が倒れたら、それは倒れたのか。自分の視界の外でも人はちゃんと動いているのか? こういう懐疑はあるわけでしょう。哲学的にかどうか分からないけど。...

「近代歴史学」とは言うが、「学」が左派に占領されてきた戦後日本のアカデミズムの歴史を考えると、それすら修正されている、というか、キャノナイズ自体が修正の結果かもしれないわけで。...

僕は認める。>「月見ている時にしか存在しない」は絶対に認めなさそうなんだけど。 これ同じ意味だぞ?わかってる?...

ホロコーストなかったとは言ってない。911はなかったとかアポロ月に行ってないと同じ問題で、「メディア越しにあると言われているけど、それも嘘かもなぁ」という話に過ぎない。どっちかわかんないよ、というだけ。

(そして前田久さん、有村さんらも合流し、徹夜で討論というかしばかれる。

http://www.lingr.com/room/hcqCRKqklaA/archives/2008/12/02 ログ)

このポストにワロタ>反知性としての結論。「南京問題に口出しはNG」今日はこれだけ覚えて行ってください。反知性的に寝る...

歴史と宗教をごっちゃにしている、という意見があるが、「歴史学」=史実による実証、と、「宗教」=信じている人にとっては真実 という二つの歴史があり、「実証」を「信仰」より優位に置く根拠は何? っていう含意を含んでいるわけだから。.

そこには「科学(実証)」>>「宗教信仰)」というイデオロギーがないか。という。klovくんが円城インタビューを持ち出していたけど、円城さんは前者を押し出して、俺は後者を押し出しているんだよね。...

アポロは月に行ってない!」「水はなんでも知っている!」そりゃ実証的に嘘でしょ。しかし、科学が優位な理由って、それがプラグマティックに役に立つからでは? じゃあそういう妄想とか信仰だってそれなりに役に立っているんちゃうか、とか思う。...

日本軍南京大虐殺してない!」多分嘘だろうと。しかし、そう思い込まなきゃ生きていけないような「弱い精神」に対し、その症候を「正しさ」で封じ込めたってどっかに病気が出てくるんじゃなかろうか。という立場なので、「ネットで電波垂れ流すぐらいでガス抜きになるんだったらいいんちゃうか」と...

円城インタビューもそうだけど、僕はファンダメンタリストとかも視野に入れて考えているわけで。「科学的実証」が人々に根付かないで「南京なかった」みたいな妄想をどうしても必要としてしまう「正しさへの耐えられなさ」を擁護しているという感じかなぁ。.

あんまり人々は理性的で科学的で実証的な「正しい」ものを徹底することに耐えられないのではないか。記憶を改変したり事実を否認したりしてなんとか精神の安定を保っているのではないか。「水は何でも知っている」嘘に決まっている。しかしその嘘を必要としてしまう心理を考えざるをえないというか...

@ki_jo 基本的に昨日はrna arimura hokusyu vs fujita metyaike のアングルで、「南京があったかないかわからないのは修正主義に加担している」vs「いや、でも実際わかんないっすよ」で、勉強しろと叱られていました。...

これはもう同じメンバーでメチャイケが経済について語って「勉強しろ」「馬鹿」とやり返す展開をきぼんだな。「勉強もしてないのに世界大恐慌とか、人の分野に土足で足を踏み入れるな!」って

多分、「大衆は」嘘か本当か分からないよね、調べたり勉強したりするコスト払わないよね、ネット社会だからますます不確定になるよね、という「大衆」分析と、僕とメチャイケくんが勉強していない、というのを混同されていたような気もしないでもない。...

(普遍真理の共有と、それへの漸近という方向性を断念し、個別的な正義とその間違いの双方を受け入れていくというのだから、そりゃ大変だ。実際に成り立つスタイルなのか、実に興味深い。..)

@crow_henmi 2ちゃんねるニュース速報とか、その実現形態かと。現実の政治にはまだなっていないがイメージとして。いくら議論しても真理に到達できないし、共有もないし、好き勝手な正義をそれぞれが信じて戦っている。大変だと。...

@crow_henmi 僕は複数の主義、複数の倫理、複数の正義、複数の世界観を、どうやったら共存させられるのかに興味があります。それはギートステイトで示されたけど。僕の論は簡単に言えば「ネットで戦って現実では平和に」みたいな。政府側に都合がいいという欠点はありますが...

ニュース速報は「人」はリベラルではないが、リベラルではない人も排除しないと言う点で場はリベラル。昔は犯罪的な書き込み、狂気、荒らしすら放置されていた気がする。調べてない。...

@naoya_fujita あと、リベラルリベラルでない人を本質的に包含できる価値観なのか、ということについては、ぼくは悲観的です。民主主義が反民主主義を標榜する政党を容認した結果がナチス、みたいな感じで、「他者に不寛容な人」をリベラルの場にいれるのは自壊の危険性があります。...

@crow_henmi そこは解決してない問題ですね。

思想、信条、宗教の「自由」を認めるから、疑似科学や変なネット右翼も認めざるを得ない、というのが僕の主張なので、そこで「論理実証主義」とは食い違うのかもしれない。...

気が狂った内容であっても、ある範囲内(法律の範囲内?)では好き勝手に信じる自由がある、と考えているのが駄目なのかねえ。...

なんだか色々考えたが、俺は「論理」を認めない人、実証を認めない人、狂った考えを持っている人、宗教を信じている人の「自由」を認める。かつて俺はネット上で、俺は、自分を攻撃してくる人の自由すら擁護したことがある。そのぐらい厳しいが、それでもそういうものだ。...

「自由」には色々あって、積極的自由とか消極的自由とか、新自由主義だとか社会自由主義だとか色々あるが、僕の考える自由は「欲望と欲動が完全に達成される状態」であり、それが理想状態だろう。殺人や幼女レイプの欲望すら満たされる。...

しかし、それは現実的に不可能なので、「他人」の自由と「自分」の自由が衝突するので、どうしようか、というのは、半年ぐらい前のブログで延々書いていたような気がする。とにかく、社会からも世界からも政治からも逸脱しかねない「自由」の衝動の存在をとりあえずは認める。...

その上で、各人のしたいことが最大限に実現するのが一番いい社会だろう、という考えなので、「それぞれ好き勝手」でありつつなお維持可能な社会はどうするべきか考えないとねえという。...

@crow_henmi SFですね、これはw

「快楽原則だと崩壊する」という設定のない『マトリックス』が理想社会ってことになってしまう。それでいい気もしないでもない。...

@crow_henmi いや、僕はそういうSF的発想をしていますよ。だから基本的に科学には依存している。依存しているからこそ警告も発しておこうかと言う感じで。...

「多くの人が、「脱構築」への嗜好は道徳的な責任の欠落を表す印であると当然のように考えている。」「なぜアイロニストは特有の憤激を巻き起こすのか」ローティ。そのうちまとめブログ書きます。

@hokusyu82 差別は何故悪いんですかね?

まぁ基本的なエクスキューズとして、僕はWEB上でのガチの論争を、「エンターテイメント」であると考えており、そして発言は「本当か嘘か分からない」=ネタである、と考えているので、気をつけてください。http://texpo.jp/texpo/disp/......

「こう言ったら盛り上がるよね」みたいなポイントをほぼ自動的に突っついているだけなので。それは僕の本心とは関係なく。...

二つその前提となる理論があるはずで、それは柄谷の他者論と、デリダの歓待論で、歓待論は部屋のどっかに「歓待について」が行方不明になったので記憶だけで適当に言うけど。

馬鹿なことを言うやつ、基地外じみたことを言うやつ、そういう「他者」であっても、歓待すべきである、と。「人間は動物とは違い、動物を「歓待」できる 」(歓待について)だから、南京についてろくにしらないやつも歓待しなくてはいけない、というのが前提にある気がする。...

これに対して半年ぐらい前のブログでは「条件なき歓待はきついっす」とかそういうことを述べていたわけだが、南京大虐殺に関しては、専門的に勉強しないと歓待されないと言うことは理解した。...

彼らは図書館ホームレスの排除を問題にしていたが、偽悪的に「南京なかったっす」と言ってみた俺は歓待されなかった。...

何度も言うが、僕は「大衆論」として、一般人の生活感覚の上で、全般的に専門化が進んで「何が本当か分からない」ということを言ったまでで、南京だろうとアポロだろうと疑似科学だろうとなんでもいいけど、全てをあるレベルまで勉強する時間はない。...

その「一般大衆」の代弁者として偽悪的に振舞う俺に対し、「知識人なら勉強しろ」は違うだろうと。南京だけならそれでいいが、この世にはもっとたくさんのトピックがあり、例えば経済について、電気について、物理について、それぞれ専門家でいられるのかと。...

知識人」の「藤田直哉」は「南京」に関しては勉強できる。しかしそういう話じゃない。この世のあらゆることに関して専門家になったり本を読んだり勉強するコストを「一般大衆」が払わないでネットで調べるようになると「何が本当か分からない世界観」になるという一般論であって

「俺を啓蒙」したってしょうがないって。俺は南京あったと思っているんだから。日本は悪いことしたとも思っているよ。...

大体のことは伝聞情報で知るしかない。専門家じゃなくたって、生きている以上、何かの発言をしなくてはいけない。メチャイケは馬鹿を晒したことになっているが、経済では彼は東大院生なので、経済を知らない人が「世界大恐慌」を語っていても、許すだろう。..

南京」についてだけ歓待度が低いのは一体どういうことだろうか。俺は文学理論を学んでない人の小説の感想だって拝聴するがなぁ。...

いや、しかし擦れ違っている。東氏のブログもそうだが、「南京ない派」への歓待、もしくは「討議空間への参加」ぐらいは認めるべきだと言う趣旨での話なのだが、その部分がすっ飛ばされている。...

@wtnbt 啓蒙という手段を信じる、ということですよね。多分東氏は『リアルのゆくえ』から判断するにあまりそれを信じていないですね。僕は「何が本当か分からない」世界で適当に生きていくしかないと思っているのですが。

@wtnbt ネットが討議空間になってしまった以上、「従来の知識人」ではない訓練されていない人が参入してしまうのはしょうがないでしょう。馬鹿・機知外にも発言の自由を与えなければいけないはずで。それが可視化されたのはよくも悪くもネットの効果であって...

@wtnbt 『ゼロ年代の想像力』はそう言っているわけで、あの本ですらブックマークによると気に食わないらしい。闘技的民主主義とかってよく知らないで言うけどそんな感じでしょうか。

「判断力」も「討議的理性」もない討議空間であるというネットの現実、大衆の現実をどう受け止めるかという気がする。「けしからん! 啓蒙だ!」というのが彼らでしょう。「勉強しろ! 無知だ!」とか。そもそも人間は馬鹿で気が狂っているというのが僕の立場だから。

@wtnbt しかしですね、僕は、ブスとか馬鹿に、いくら本当のことだからと言って、「ブス」とか「馬鹿」であると教える必要はないと思うんですよ。その真実の回避によって彼はなんとか自尊心を保って生きているわけで。あんまり「真実」「真理」を機知外とか馬鹿に突きつけてどうかという

@wtnbt 2ちゃんねるによって可視化された、馬鹿や機知外の類も含む大衆、というのが正確な言い方でしょうか。これは「知識人」としての高みから言っているわけではなく、僕もそっち側であるという認識の元言ってます。

@wtnbt どうですかね。これはほくしゅさんたちの使っていた理屈で、論点先取だと思うんですが、日本が加害したと言う事実が「不快」である人は多いわけでしょう。だからこの真実の知は不快なわけですよ。

「加害の事実は受け入れがたいんだろ」とか詰め寄られてたけど、それは確かに壊れたやかんとか、フロイト先生の図式でよーくわかることなんだけど、やっぱり彼らは「俺は南京あったと思ってるし加害したと思ってるよ。それでもなお」という部分をすっ飛ばして、自分の意見を勝手に被せていたように思う

@wtnbt 基本的にはポストモダンリベラルの内輪の「自己矛盾」の話でしかないのに、ある意味でポストモダンに無知な「馬鹿」が「南京」の一単語をフックに参入してきて、「南京」に無知な「馬鹿」と揉めているということでしょうか。

ポストモダン系の哲学に無知な馬鹿にも声の場を与えているからいいのではないだろうか。

「この場合の南京大虐殺は例」って書いてあって、それ以外の「公的真実について」ってところの趣旨が無視されて南京の問題に全部落とし込まれるのは違うかなぁと。僕の擁護はそんな感じ。

@mine_o 記憶が曖昧なんだよ。自分が言ったのか他人が言ったのか、本当に起きたのか妄想か想像か夢で見たのかかなり分からない。場所とか特に。本当に行ったのか夢で見ただけなのかかなり分からない。

自分の過去すらよくわからないのに歴史的真実なんてわかるかよ、ってのもあるね

「例えば、北朝鮮が「朝鮮戦争は南からの侵略であった」とか「拉致は日本のでっち上げ」だとかいう主張にも「確かに学会の通説に絶対的真実はない」とか「実感が〜」なんて言うのか気になりますね」「、「水伝」や9.11陰謀論についてはあずまんは「絶対的真理はない」と言うつもりか?」

俺は「そうだ」と言ったが、反論が来ない。(註、東さんが言うと言うことではなく、僕がそうだと言うと言うこと)

東さんは知らないが、基本的に「絶対的真実」ってやつはなかなか到達できないでしょう。「ほどほどに多分確からしいしみんなあーだこーだ言うからこれにしとくか」程度の妥協ならできる。...

また蒸し返すようだが、議論の水準が違うんだよなぁ。僕は東浩紀ブログのテクストの趣旨はこうではないか、と言っているのに対し、南京を知っているか知っていないか、という論拠で反論がきて、僕からすると、「そういう問題として読むのは誤読だ」と言っているのだけど

自称中立」や「真実分からない派」が「ネトウヨ」側ではないと思うんだが。それはどちらかというと、「興味ない人々」であって、ネトウヨは興味を持っているんだから。そもそも。

「興味がない」こと自体を責めるのはどうだろうか。俺がSF評論家で、SF評論が売れないから、SF評論の歴史を知らないのは無知だ、馬鹿だ、勉強しろ、と喚いていたらおかしいと思うんだが。

どうかなぁ。俺は「自分の専門とかに時間使いたいからわざわざ調べたりしないけど南京はあったと思っているけど本当のところは分からないしそれを確かめるコスト払う余裕ない」という人々までネトウヨ呼ばわりして敵にするのはどうかと。どっちかというと味方にだってなれたんだが。

いや、考え方は理解しました。そして、それは過剰に敵を作る戦略じゃないかなぁ、といくつかのブログを見てきた素朴な感想を言います。説得や啓蒙が目的ならそれはあかんのでは。

正義や倫理に僕が懐疑的なのは、僕の私的正義感とか倫理観では、非正規雇用低賃金にして贅沢している上の連中や既得権益みたいなのは「正義」ではないと思うが、言説で責めて彼らが正義を実行「していない」ことなんだよね。だからテロリズム賞賛の言説とかが出ていると思うんだよ。...

「正義」を行使させるにはどうするか。私利私欲にまみれた汚い生き物である人間をどう「正義」にさせるか。そこで僕は暴力しか思いつかない。しかし、それはやりたくない。じゃあ正義や倫理を叫んでどうするんだ。それは効果が上がっているのか

言葉は無力か/有力か という、「リアルのゆくえ」の議論だね。僕の東動画では、まだ僕は信じていたし、今でも信じたい。アホでパフォーマンスでぼくが道化になろうとも、言説に力を与えて何かを変えたい。それが駄目なら、限界の人々は自殺か暴力に走る。...

「馬鹿」という言い方は無敵なんだよ。僕はこの件で、はてサという人々とネトウヨ(修正主義)の両方のサイトを結構見てきた。結論として、また突き上げ食らうのを覚悟で言うが、「どっちもおかしい」としか思わなかった。

論理構成や行動が似ているというか。コメントスクラムをするとか、互いを馬鹿で無知呼ばわりしているところとか。「そこ論理的ちゃうんちゃうか」とか。「自分たちの差異には敏感だが相手の差異には無頓着でレッテル張りをする」とか。...

この辺の政治的なものにありがちな「対立する両者が似てくる」現象が起きているなぁ、と僕は思った。攻撃されそうなことを僕は言っているなぁ。.

ちょっと僕の立場、南京問題については明日エントリを書く。「地下生活者の手遊び」さんの意見に7割方賛成なのだが、これに批判する形でエントリを書くので、とりあえずはそれで納得していただけないだろうか。...(註、めんどうなので省略)

罵倒用語の多用はなんとかならないものか。はてサも修正主義者(仮)も。それって僕の中では、言った瞬間に負けが確定する言葉なんだけど。...

すごい素朴なことを考えている。僕は5分前に自分に起きたことすら事実か、夢か、記憶の改竄かわからない。視界の外に世界があるのか他人は本当に生きているかわからない。これが人間のおかれた基本的条件であるが、これは俺だけかもしれない。

これは唯我論というやつだ。この世界が俺の夢か幻覚がシミュレーションかよくわからん、確定はできない。しかし、まぁ逃げられないからとりあえず生きるか、となった場合に、他者とか社会とかが出てくるわけだろう。...

俺の経験、俺の言葉、などというものがあり、「これって俺一人?」「みんなそうなの」とか、言語によって確かめていくわけだ。俺一人だったら妄想とか幻覚と呼ばれる。共有率が高いものは「正しいこと」とかになる。...

その、「基本的に唯我論的世界の条件」に生きている個人が、おそらく他人も自分と同じだろうなとなんとなく考えた上で、どこまで共通のものがあるのか、と問うていって「科学」という「普遍性」に近づこうとするのでは、と思っているので。...

「現実世界」というものが万人に共有可能で、同じ法則が通用する世界であるという前提があるから「科学」は使える。基地外とか幻覚とか妄想とかは共有されないわけだ。...

その「ある程度確からしさ」を共有するツールとしての科学という点で科学自体も考え直すべきだが、人間は「科学的正しさ」から余剰する部分があり、狂った人とかはもう共通の現実に生きていないわけでしょう。狂信者とかも。それも含めての「人間」なのだから、疑似科学批判には違和感がある。...

水がなんでも知っていると思ったり世界が神が創ったと思ったりロマン主義歴史修正主義にいたる「人間」自体をそれは否定してしまっているんだよ。「科学」は人間の使うツールの一つに過ぎないと思っている僕は、「宗教」やあるいは誰にも共有されない幻覚を見ている「一人」の世界だって尊重したい

そもそも俺が今見ているツイッターすら現実かどうかわからん。他人が本当に書いているのかもわからん。この条件は、それはそうでしょう。そして過去は過ぎ去り、すぐにカオスになる。というか世界はカオスである。そこになんとか秩序を作りたくて科学とか宗教はあるわけでしょ。...

生きていくために気が狂わざるを得ない、そういうものをどうしても必要としてしまう人間の弱さに思いを馳せろ。お前が正しいことは否定しない。しかし正しさの暴力というものがある。というのは基本的な態度か。...

BASTERDって漫画で、科学も宗教に過ぎず、魔法とか天使とかの時代が来るというのがあるが、そういう風に宇宙自体がパラダイムシフトするかもしれないので、とりあえず未来に何が起きるかわからんから、気が狂ってると思われるような考えもとりあえず殲滅させないで残しておけ、という...

大体パターンとしてファシズムとか日本ロマン派とかを持ち出してそれへの危惧で宗教っぽいもの、修正主義者、ロマン主義とかはたたかれてるんだと思うんだけど、「藤田直哉」の理論は、「そういう心性を政治的にやばいものに結び付けないでしかも否定しない」ということを考えているわけですよね

孫引き。「科学は自然界の事実の特徴を記録し、それらの事実を整合的に説明する理論を発展させようと努力している。一方、宗教はといえば、人間的な目的、意味、価値―科学という事実の分野では、光を投げかけることはできるかもしれないが、...

決して解決することのできない問題―という、同等に重要であり、しかしまったく別の領域で機能している。同じように科学者も、自分たちの営為に特徴的な、なんらかの倫理的な原理にしたがって仕事をしているはずだが、この原理の有効性を、科学によって発見される事実から引きだすことは決してできない

グールド「神と科学は共存できるか?」 より

引用、「「微妙さだとか多様性といったことをなんら理解できていない」戦闘的な無神論者は例外的だとグールドは主張する」...

これは僕の誤った認識かもしれないけど、「共通の自然界」みたいなのを全員が共有して生きているという前提が必要だが、基本的に一人一人はバラバラであって、それを統合するために「神」を必要としているのではなかったか。「神」を軸にして「共通の世界」が仮構されてきたと思うのだが。...

「共通の世界」みたいなのを成立させるためにこそ「神」を必要としたはずなのに、共通の世界を前提として宗教批判をするというのがよくわからない。...

@naoya_fujita 笠井潔テロル現象学」は読みました? 未読なら結構面白いですよ。 3:25 PM Dec 6th from Tween in reply to naoya

(crow_henmiさんの発言:世界宗教を通じて普遍世界を発見した人々が宗教の衰退とともに普遍世界と直接対峙しなければならなくなり、結果として普遍世界に敗北する、という機序が人間と世界との関わりではなかったか。...

普遍世界を内面化し、それによって自己=世界という対峙の関係を背負うことになった人間は、自己観念が普遍観念に常に蹂躙されることとなり、結果として馴致・去勢的な機序でしか世界と関われなくなり、それを拒むものは「世界の敵」になるというお話。は、ブギーポップあたりで判りやすく書かれてた。...)

@crow_henmi 「普遍世界」についてはおっしゃるとおりのことが背景にあります。笠井さんの議論などですね。...



(追記:疑似科学批判全般に僕が違和感があるのは、「と学会」という団体をずっと前から知っているかもしれない。彼らのような、おかしい小説とかオカルト本にたいするアイロニー交じりの「愛」のようなものを人間に対して持って欲しい、というのが僕の正直なところである)






   追記の追記。トラックバックが来たので反論してみましょうか。

   http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20081209/p1

歴史修正主義という言葉の成立過程を知らないがゆえの無知に基づいたどうしようもない憶測と、それを前提としたどうしようもない「批判」があるのは事実ですので、それについて説明したいと思います。

   いや、それはwikiにすら書いてあることでしょう。そのぐらいを知っていないという「どうしようもない憶測」をあなたはされたわけですね。興味深いことです。「歴史修正主義」という言葉を無自覚に罵倒語に利用している人たちに対して、「通俗的」な意味の方ではなく、「原義」の方で返すことで、「その用法を使う共同体」自体を相対化する意図の発言なのですが、いかがでしょうか。

>現時点では、邪馬台国の位置については諸説があったりするわけですが、それで「どうすんの、っていう」こと扱いされたりすることはありませんよ。

   これはちょっとマッチポンプ的な言い方だ。僕は邪馬台国だってどっちにあるか分からないよ。それで邪馬台国どっちにあるか論争になったら、「どうすんの」って思いますよ。しかし、邪馬台国どっちにあるか分からないよね、と言ってもここまで批判されないでしょう。それは「どうすんの」ってなっていないのは、ネット上で対立を孕んだ論争になっていないからでしょう。

   「「一般大衆」の代弁者として偽悪的に振舞」とかにひっかかっている人が多いでしょうが、現実の底が不確定になり、メディア越しの情報に対し、「学問」「科学」「マスメディア」への信頼性が落ちていて、何が「真実」なのか確定する超越的な審級への信頼が基本的に低下状況にあるという認識なのでして、それは僕が現代文学を読んでそう感じるのですが、何度も言いますが、「科学的手法」自体への信頼感が低下しているときに「科学的である」ことを理由にした反論は無意味であると思います。「何故歴史学的でなければいけないのか」を説明して欲しいのです。

   あと、僕が言っているのは、学者の中でも諸説あり、そこで何が正しいかは「肩書き」で判断するものと思われるからです。我々は中身だけで物事を判断しているでしょうか? いえ、結構肩書きで判断しているはずです。中身だけで判断できるリテラシーも専門性も、当たれる一次資料もない場合、基本的に「学会」とか「大学」とかという制度の肩書きを信用しますね。しかし、その「大学教授」とかの中で意見が割れている。互いの陣営は互いの主張を「あれは聞くに値しない」とそれぞれ言っている。内容を読んで調べたり、リテラシーがあれば判断できるが、そこまでリテラシーを「皆が」上げることは、「南京」問題だけについてのみであれば可能であるが、基本的に人は面倒なことに金も時間も使いたくないので、全てに関しては無理であり、この問題だけを特別に調べなければいけないと「論理的に」説得することも難しい。そこで「倫理や責任」とかが出てくるが、それはほとんど感情の問題ではないだろうか。感情に訴えかけて「動員」をするつもりであるならば、それは「非論理主義」である。非論理的でいいのならば、修正主義のほうが動員力がある(加害の事実を否認した方が心理的コストが低いから)。以上の理由で「啓蒙」は失敗する。(現に僕一人説得するのに数人がかりで何時間もチャットやっているのだから、数千万人を説得するにかかるコストは推して知るべし)


   水伝とか進化論が持ち出されるのも、「科学的」でなければならないというイデオロギーが僕には背後に感じられる(科学教、とも言われてますね)。これは宮台さんの意見ですが、右左と言うのは基本的に、理性に対する態度で決まるようです(ただ、左右は細かく難しい経緯があるので、省略します)。「情念」を志向するのが右、「理性」を志向するのが左、だと考えていいでしょう。で、「科学的でなければならない」という批判を僕に皆はされていて、「歴史学を無視して失礼だ」とか「軽蔑している」とかそういう反論や「怒り」が来るんですね。これは非常に面白い反応でした。「失礼」とか「軽蔑」とかいう非論理的な情念で僕を非難しているわけです。僕は「修正主義批判」をしている人の文章の中に明らかな「非論理」をいくつも見出しました。その上で、彼らは「科学的ではないこと」で責めるわけですね。

   科学的でなければならない、人には理性があり、理性的に説得ができるのだ、そして世の中をよくしていける、という考え方はあると思います。そして大体において「右」というのは「理性」や「論理」の限界を踏まえている立場ですね。

   しかし今回、「科学=歴史学」を尊重している人々の非難の言葉は「倫理」や「感情」であって、論理の言葉ではなかった。そこは抑えておきたいと思います。「件の藤田直哉氏の記事のように一知半解の知識で適当なことを吹くのは知識人にあるまじき行為とは思いますが」とかね。僕の行動が「知識人にあるまじき行為」であることについてちゃんと実証主義的に証明された研究を持ってきてください。

   科学を信じなければいけないということを論理的に言うことができない、その時点で僕はもう敗北していると思うのですがどうでしょうか。「科学を尊重しろ」ということ自体がイデオロギーなんですよ。非論理主義者、反知性主義者との衝突に際し、「科学的であること」をその正しさの根拠にすることはトートロジーです。よって、感情的にならざるを得ない。南京だけでこんなに騒ぎになり、邪馬台国とか、「アポロ」だったらこうはならなかったでしょう。そのこと自体が「感情」を駆動原理にしていることの証明であり、「感情」を優先しようとしてそのために都合のいいソースを見つけ(確証バイアス)論理が破綻し、相手を「倫理的に」罵倒しというパターンは両者ともそうであると僕には思えました。(例えば、相手側の陣営の著作は「読むに値しない」という断定は両者に見られます)

   結果として、僕は今、まだ全然説得されていない。未だに「どっちが本当のことを言っているのか分からない」。そして「調べるのも面倒くさい」。リテラシーのない人々、学術書籍にアクセスする意欲もなく、読んでも判断できない人は、ネット上に溢れている情報を見て、どっちを信じていいか判断できなくなるだろう。全般的に社会状況はそうであり、「肩書き」(権威)に保証されていない発言が多くネットに溢れれば、そして権威の失墜が続くのなら、この状況は悪化するだろう。そういう認識の話をしているだけです。「科学的でなければいけない、論理的でなければいけない」というのを無条件で反論を封じ込めて押し付けるためには「権威」が必要であり、「論理的ではなく、そして批判してはいけない権威」ってなんのことかと思えば、天皇がそうじゃないかと思うのですが、逆に言いますが、「科学教」による「科学信仰」の押し付けの状況こそ戦争当時の日本人を髣髴とさせ、軍靴の音が聞こえるとか、簡単に言える。

   「論理的な説得」を超えた罵倒や倫理の問題を持ち出すならば、あるいは「論理的な説得に応じるべきだと説得」するためには、もはや動員ゲームになるしかないのでは。僕はそのような認識です。だから、「歴史学を尊重していない」、と言われても、じゃあ「愛国心を尊重していない」とか相手に言われたらどう返すんだろう、とか思うわけですよ。「歴史学」を信仰しているか「愛国心」を信仰しているかの闘争にならざるを得ない。


   では、と。歴史学を尊重しない人々や疑似科学信仰する人をほうっておいていいのかと。ファシズムになるんじゃないかと。そう言う批判はあるでしょう。それなら民主主義をやめてしまえばどうか。おそらく僕が理解している東さんの考えの中にはそれを示唆するところがあり(誤読だったらすいません)啓蒙が不可能であり、好き勝手なことを信じている人々を「うまく共存させる」新しいシステムを考えているはずだと思いますよ。例えば「エリート主義」などがその道の一つでしょうね。これも意識されているはずです。民主主義でなくなってしまえば、彼らの声が政治的に影響を及ぼさなくなる。おそらくそこまで考えているでしょう。(僕個人はエリート主義にも問題はあると思いますが)


   とりあえず、こんな感じでいかがでしょうか。