2008-12-09 究極の貧乳vs至高の貧乳
人間あっさり病気にもなる
何をどう努力しろと
遅まきながら反応しようと思ったらウェブページが消えていたりした。仕事の片手間に記事が書けず、いちいち身構えないと更新できない性分はどうにかならんか。
東京新聞:首相、何もしない人の分なぜ払う 医療費で発言:政治(TOKYO Web)
asahi.com(朝日新聞社):「何もしない人の分を何で私が払う」医療費巡り麻生首相 - 政治
「たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」。麻生首相が20日の経済財政諮問会議で、こんな発言をしていたことが、26日に公開された議事要旨で明らかになった。自らの健康管理を誇ったうえで、病気予防の重要性を訴えたものだが、保険料で支え合う医療制度の理念を軽視していると受け取られかねない発言だ。
首相、何もしない人の分なぜ払う 医療費で発言 - 47NEWS(よんななニュース)
20日の諮問会議では、社会保障制度と税財政の抜本改革などを議論した。首相は同窓会に出席した経験を引き合いに出し「(学生時代は元気だったが)よぼよぼしている、医者にやたらにかかっている者がいる」と指摘した。
その上で「今になるとこちら(麻生首相)の方がはるかに医療費がかかってない。それは毎朝歩いたり何かしているからだ。私の方が税金は払っている」と述べ、努力して健康を維持している人が払っている税金が、努力しないで病気になった人の医療費に回っているとの見方を示した。
さらに「努力して健康を保った人には何かしてくれるとか、そういうインセンティブ(動機づけ)がないといけない」と話した。
議事録ではこんな感じ。
(麻生議長) 67歳、68歳になって同窓会に行くと、よぼよぼしている、医者にやたらにかかっている者がいる。彼らは、学生時代はとても元気だったが、今になるとこちらの方がはるかに医療費がかかってない。それは毎朝歩いたり何かしているからである。私の方が税金は払っている。たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金を何で私が払うんだ。だから、努力して健康を保った人には何かしてくれるとか、そういうインセンティブがないといけない。予防するとごそっと減る。 病院をやっているから言うわけではないが、よく院長が言うのは、「今日ここに来ている患者は 600人ぐらい座っていると思うが、この人たちはここに来るのにタクシーで来ている。あの人はどこどこに住んでいる」と。みんな知っているわけである。あの人は、ここまで歩いて来られるはずである。歩いてくれたら、2週間したら病院に来る必要はないというわけである。その話は、最初に医療に関して不思議に思ったことであった。 それからかれこれ 30年ぐらい経つが、同じ疑問が残ったままなので、何かまじめにやっている者は、その分だけ医療費が少なくて済んでいることは確かだが、何かやる気にさせる方法がないだろうかと思う。
これに対する反応は賛否両論だった。「否」は、上記部分を引用したProdigal_Son氏の記事に端的に言い尽くされている。
マスコミがまた麻生総理の発言を捻じ曲げている!と騒ぐ人がいるから前後を読んでみたよ - 土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。
不摂生や節度ある生活をしたって病気になるときはなる。それに対して国がどれだけセーフティネットを用意しているかってことなんだけど、そこを身売り切り売りしているような今の日本じゃ総理がこんなことを言っても当たり前なんだろうな。トップがこの程度の認識だし。
まあ、そうとしか言いようがない。麻生氏の発言の「品のなさ」には辟易させられる。品のない発言をする人間なんてどこにでもいるし、ぼくも他人を不快にさせる発言にかけては絵描きと同じくらいには才能があると確信しているけれど、国政をつかさどるひとが国政にかかわる部分でそいつを発揮すると国民としてはどうにもアレである。そういえば昔森喜朗というのもいましたね(今もいるけどな、鬱陶しいことに)。
「努力して健康を保った人」という発想がよくわからない。当然、努力すれば健康が保てると麻生氏が考えていることになるのだけど、さて、麻生氏もおそらく読んでいるんじゃないかと思われる週刊少年マガジン連載の『はじめの一歩』から有名な台詞を引用してみよう。
「努力した者が全て報われるとは限らん
しかし!
成功した者は皆すべからく努力しておる!!」
鴨川会長
後段には異論があるけれど(努力とは無関係に成功することだってあるかもしれないし、別段何もせずとも病気にならないひともいるだろう)、前段は会長の仰るとおり。当然ながら、努力と成功のあいだにはせいぜい相関関係しか存在しないのである。そこに因果関係を見出すのは、人生を一篇の物語として捉えようとする思想だ。そいつはなかなか素敵なロマンチシズムだが、実務において発揮されると多々不都合を生じる。「悪い結果は悪い過程に原因がある。つまりお前は努力してこなかったのだ」というヘンな精神論に帰結したりな。後付でなら何とでも言えるさ。
まあ実際、生活習慣病はライフスタイルに気を遣うことで予防できる部分も大きいだろう。ただし、ライフスタイルが何に左右されるかを考える必要がある。たとえば階層。麻生氏の優雅な金銭感覚がずいぶん取り沙汰されていて、この元記事もそのネタの一環と解釈できるけれども、彼と青海あたりの倉庫でピッキングに従事している日雇い派遣労働者*1では食べるものも嗜好品も違う。
生活習慣病は、今や健康長寿の最大の阻害要因となるだけでなく、国民医療費にも大きな影響を与えています。その多くは、不健全な生活の積み重ねによって内臓脂肪型肥満となり、これが原因となって引き起こされるものですが、これは個人が日常生活の中での適度な運動、バランスの取れた食生活、禁煙を実践することによって予防することができるものです。
バランスの取れた食生活を心がけるには、それに足る経済的リソースが必要だ*2。ついでに言うと、残業から解放された月給取りが深夜に吉野家で牛丼かき込むような生活を繰り返す社会構造もどうにかしたほうがいい。そういう環境下で健康を保つ努力というのは、いったいどういうものを指すのだろう? 社会状況があらかじめ選択肢を制限するケースは多いのだが*3、往々にしてそこを無視するのが努力を過剰に称揚する人々である。
ついでに言うと、生活習慣病に分類される疾病にもライフスタイルが原因とは限らないものが含まれている。たとえば自己免疫性疾患である1型糖尿病。昔は小児糖尿病といわれていたやつだ。小学校時代にインシュリンを携帯している同級生が身近にいたとしたらこのケース。いわゆる「糖尿病」である2型にしても、生活習慣以外に遺伝的な体質がかかわっていることがわかっている。麻生氏はあとで「予防の方をきちんとすべきというのが主旨」と述べており*4、また「生活習慣病は努力で予防できるだろ」と麻生氏を擁護するひともいるのだが、これらの大雑把な物言いは1型の患者に対してずいぶんと失礼な話だ。ぼく自身、いったいどういう努力をしたら21歳から27歳まで延々と精神科にかからずにすんだのか是非知りたい。「健康」は身体的健康のみを指すものでははないわけで。
というか、病気なんて百病とも言うほど多彩なものであり(そもそも人間自体が多彩だ、ぼくと麻生氏の違いのように)、健康だってあまりに漠然とした概念だ。「努力」とやらでいったいどこまでカヴァーしなければならないのだろう? 努力してこなかった「悪い結果」なんて恣意的にいくらでも見出せるというのが、俗流自己責任論の問題点だ。
予防インセンティブのまともな議論
miminoha氏が「健康帝国小日本!とか騒いでるのは一部の童貞だけ - Atom III」で引用した、予防インセンティブを論じた博士論文のサマリーには次のようにある。
一橋大学 大学院社会学研究科・社会学部:研究活動 > 博士論文 佐々木貴雄「老人保健制度の新展開 ―予防機能を中心にして―」
医療保険においては財源拠出主体の多様性から、被保険者だけではなく保険者等にもインセンティブを付与することが考えられる。しかしインセンティブを組み込む手法について、生活習慣に関する国や保険者等のコントロールがどれだけ許されるかは重要な論点であり、加えて保険者は予防以外にも医療費を削減する手法を持っていることなど、検討すべき課題があることを指摘した。
治療と比較して、予防サービスは地域環境、生活環境により合わせたものである必要がある。この点で、地域単位、職域単位の保険集団は有効性を持ってくると考えられる。また、生活習慣病予防にみられるように予防への努力は長期的なものであるべきで、保険者の構成もこれに対応すべきである。また1997年の厚生白書でも指摘されているように、老化しているかどうかが年齢で決まるというのは「神話」であるといえ、身体能力は加齢に比例して個人差が出てくるものであるから、年齢によって予防サービスを区切ることは適切ではない。
また、1996年の公衆衛生審議会の答申でも言われたように、予防は個人の責任だけで行うべきものではない。疾病には多様な原因が存在することから、多様な主体が関わり、責任を分担すべきである。また、予防で減らすことができるのは疾病「リスク」であり、個人単位では予防への意欲が湧きにくい。このため、予防インセンティブの付与対象も被保険者だけではなく、保険者や市町村なども考えられる。ただ、このようなインセンティブの付与は個人の生活スタイルに影響を与えるものであるため、その実施には慎重である必要がある。
また、被保険者への予防インセンティブの付与は患者負担という「結果」を指標とするものではなく、保険料、税などによって「努力」を評価することが望ましい。
miminoha氏は最後の引用部分を強調し、麻生氏の発言はこのような議論を下敷きにしたと考えられるとしているが、その前の部分を見る限り、佐々木氏は麻生氏よりよほどまともなことを言っている。
たとえばhokusyuが「健康帝国日本 - 過ぎ去ろうとしない過去」で「生-権力」と呼んで批判しているのは、「生活習慣に関する国や保険者等のコントロールがどれだけ許されるか」「このようなインセンティブの付与は個人の生活スタイルに影響を与える」という問題にほかならない。また、「身体能力は加齢に比例して個人差が出てくるものである」というくだりの認識は「彼らは、学生時代はとても元気だったが、今になるとこちらの方がはるかに医療費がかかってない」という麻生氏とある意味共通しているとはいえ、そこから導かれる言葉がまあ、えらい違いである。
だいたい老化に伴って身体は衰えるものだし、佐々木氏の言うとおりそこには個人差がある。麻生氏がたまたま現在「はるかに医療費がかかってない」のも、彼の同窓生が「よぼよぼしている」のも、せいぜいそんなレベルの話なのではないか。そこをマア、ますますもって品がない。
人間あっさり病気にもなる
ここで思い出すのが、いくつかの妊婦死亡事故に関する訴訟と、それを受けて現れた「お産は本来命がけ。100%上手くいくとは限らない」という指摘。
妊娠のリスク知ってほしい―現役産婦人科医が11か条の心得 | エキサイトニュース
「お産は一般的に『安心、安全』というイメージがあるが、実際は死を伴うこともあるリスクあるもの。産婦人科に来る女性は既に妊娠している段階なので、早い時期から妊娠・出産に対する意識と正しい知識を持ってもらいたい」と話している。
なぜお産に対する誤ったイメージが定着したかといえば、もちろん医療技術が進歩したからなのだけど、経済発展による生活水準の向上と社会構造の変化、すなわち核家族化や少子化も無縁ではないだろう。たくさん産んでどれかが育てばいいやという貧しい時代は過去のものとなり、子供ひとりにかけるコストが増大*5。妊娠の段階から手厚く保護されるようになった、というわけだ。
そういう社会では当然、多くのひとが医療技術の恩恵に与れる。これほどの長寿を達成しているなかで、「人間、そう簡単には病気にならない」という健康に対する妙なイメージが現れても不思議ではない。
だが、どうだろう? そいつは本当だろうか? 医療技術の進歩で、病気になったとしても致命的なところまでは到りにくくなったというだけではないのだろうか。もちろん公衆衛生の発展によって感染症などの疾病リスクはかなり軽減されたけれど、かといってそう簡単に病気と無縁で過ごせるでもなし。健康なんて本来あっさり失われかねないものなんだから、そうなったらちゃんと社会のほうでフォローしましょうというのが、社会福祉のまともな発想のはずだ。
*1:2005〜2006年ごろはぼくもそのひとりだった。実に心すさむアルバイトだった。
*2:「<最低限の生活>首都圏20代男性なら時給1345円必要(毎日新聞) - Yahoo!ニュース」このあたりも参照。
*3:ぼくはこれを「ユダヤ人の選択肢」メソッドと呼ぶ。「どうして逃げないの? - 過ぎ去ろうとしない過去」参照
*4:【麻生首相ぶらさがり詳報】ODA増額「国際的評価を勘案しないと」(27日昼) (3/3ページ) - MSN産経ニュース
*5:ちょっとイヤな言い方をすれば、子供ひとり頭の価値が上昇したとも言える。
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