商業演劇では劇場がらみの出来事が多い年であった。5月に新宿コマ劇場(東京)の年内閉館が明らかにされた。10月には歌舞伎座(東京)が2010年4月公演を最後に建て直しに入ることが発表された。
歌舞伎座は築50年以上という老朽化に伴う建て替えだが、コマの閉館は“商業演劇の移り変わり”の象徴といえる。
コマは阪急・東宝グループの創始者、小林一三の指揮により、最新の機構を備えた劇場として1956年に開場。ミュージカル、喜劇、宝塚歌劇、新国劇など、さまざまな公演が行われた。
80年代以降は演歌人気を背景に、北島三郎ら演歌歌手の興行が売り物になり、「演歌の殿堂」とも称された。だが、演歌人気の低迷にともない、観客動員は落ち込んだ。
新たな素材が模索されたが、転換を図ることは難しかった。貸し館以外での最終公演は「愛と青春の宝塚」で、12月22日に終わる。
松竹系の劇場は、歌舞伎座はもちろん、新橋演舞場(東京)や他の劇場でも歌舞伎公演が増えるなど、固定ファンによる一定の動員がのぞめる歌舞伎への傾斜がより強まった。
歌舞伎では坂田藤十郎が「京鹿子娘道成寺(きょうかのこむすめどうじょうじ)」(歌舞伎座3月)、中村芝翫(しかん)が「藤娘」(同10月)を踊るなど、ベテランが健在ぶりを示した。また、尾上菊五郎、松本幸四郎、中村吉右衛門、片岡仁左衛門、坂東玉三郎らが充実した活動を見せた。中村富十郎は文化功労者に選ばれた。
その次の世代である中村勘三郎、坂東三津五郎、中村時蔵、中村福助らも意欲的な舞台を披露した。若手では尾上菊之助が目覚ましい活躍ぶりだった。
印象に残る舞台としては「小町村芝居正月」(国立1月)▽「白浪五人男」(歌舞伎座5月)▽「新薄雪物語」(同6月)▽「高野聖」(同7月)▽「盛綱陣屋」「河内山」(同9月)▽「魚屋宗五郎」「十種香(じゅしゅこう)」(同10月)▽「仮名手本忠臣蔵」(平成中村座10月)が挙げられる。
新派は公演数こそ少なかったが、誕生120年を記念する新橋演舞場公演(6月)の「婦系図(おんなけいず)」「鹿鳴館」で実力を発揮した。
東宝系の劇場は、ミュージカル路線が続く。昨年11月に芸術座の後継劇場としてオープンしたシアタークリエで1月から3カ月間上演された森光子主演の「放浪記」は、むしろ例外的な演目といえる。中では10月の「私生活」(ジョン・ケアード演出)が好舞台だった。
文楽では人形遣いの吉田清之助が師の名前である五世豊松清十郎を襲名。「本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)」の八重垣姫などで披露を行った。一方、吉田文吾が死去。大夫では竹本伊達大夫が亡くなった。また豊竹十九大夫が文楽界を去るなど、大夫の陣容が薄くなったのが今後の不安材料として残る。
宝塚歌劇では星組の「スカーレット ピンパーネル」(小池修一郎潤色・演出、東京宝塚劇場8月)が優れた舞台だった。【小玉祥子】
毎日新聞 2008年12月9日 東京夕刊