このブログは桜井淳水戸事務所と桜井淳カリフォルニア事務所の(1)業務内容(2)桜井淳個人情報(3)米国での活動内容(4)専門家養成のための学術セミナー開催案内等を掲載するHP代わりの硬いブログです。スタッフが交替で最新情報の更新や新項の追加をしています。 各項を順序よく読むと(a)事務所業務内容紹介(b)桜井所長学歴(c)哲学(d)著書(e)学術セミナー(f)米国での活動内容等、情報の価値が分かります。ここに記載した情報の信頼性は、他のいかなる組織・団体・文献・電子情報よりも、格段に高く、すべての判断基準になります。情報の信頼性については両事務所のスタッフがすべて責任を負います。著作権・情報のオリジナリティを確保するため、本ブログの内容のコピー・事実関係の引用・電子媒体へのリンク等は、すべて禁止します。不正行為を確認した場合には米国感覚で法的手続きを行います。事務所への連絡・メッセージは、各項の欄外のメールマークをクリックすれば、わかるように、アメーバ会員に手続きすれば、誰でも、自由にできます。ただし、送信者の身元は、サイバーエージェントによって管理されています。

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2008-12-09 17:03:39 stanford2008の投稿

このブログの成立条件-学術的報告のみ-

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このブログの成立条件は以下のとおりです。


(1)三つの事務所主催の学術セミナーと桜井淳所長の講演内容等の学術的報告(スタッフは、桜井所長と異なり一般人ですので、守るべきプライバシーがあるため、個人情報は、出さない方針です、また、事務所の経営内容等の差し障りのある情報は、出さない方針です)。


(2)コメントは、受け付けていませんが、右下欄のメール(会員のみ)から、自由に意見等を述べることができます。


(3)アメンバーを受け付けていません。


(4)リンクは、禁止しており、不正リンクした場合には、法的手続きを行います(事務所の判断・許可のない情報・リンクは、営業妨害と受け止め、警察等への告発等、厳正に対処します)。


(5)もし、(1)に違反する記載がある場合には、今後、再検討して、削除する方針です。

2008-12-09 14:46:47 stanford2008の投稿

Key Westへの旅-Ernest Hemingwayが滞在した天国にいちばん近い島-

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米国に住んでいる人は、皆、一度は行きたい観光地として、Key Westを挙げますが、特別な問題意識でもない限り、一般的には知名度が低く、そこは、Florida州Maiamiから南西約150kmの位置にあり、いくつかの島々をつなぐ高速道路が海上に浮かび、どこまでも続く幻想的な光景に、現実を忘れられることから、天国にいちばん近い島と呼ばれており、Ernest Hemingwayの作品が好きなファンにとっては、彼が長期滞在した場所として、一度は、同じようなホテルに宿泊し、同じような海を見て、釣り三昧の毎日と海鮮料理に浸りたい観光地ですが、桜井淳所長は、高校生の頃から、Ernest Hemingwayのファンで、「武器よさらば」「誰がために鐘はなる」「キリマンジェロの雪等短編集」「老人海」を何度も熟読しており、特に、「老人と海」(The Old Man and The Sea)については、原研に勤務するようになってから、東京に出張する時には、必ず新潮文庫(本文p.111と短い)の翻訳版をカバンに入れておき、暇さえあれば、目を通すようにしており、これまでに、数十回も熟読し、ストーリ全体を正確に語れるほどになっており、そんな桜井所長の想い入れを尊重し、"カリフォルニア"では、桜井所長とスタッフのKey Westへの観光旅行を実施しました(詳細報告は桜井所長の著書にて)。
2008-12-09 11:58:24 stanford2008の投稿

桜井淳所長から京大原子炉実験所のH先生への手紙 2-『科学・社会・人間』No.106の感想-

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H先生



いただいた『科学・社会・人間』(No.107, pp.33-48(2008))のエッセー(吉岡斉「核災害による放射線影響の評価について」)を熟読・吟味しました。前回、触れなかった点について、記してみます。


吉岡先生は、「また瀬尾プログラムのヘビーユーザーであった高木仁三郎氏の運用と、高木氏が逝去した2000年以降に、後継ユーザーが行なった運用法との間の差異も問題となり得る。高木氏はイノセントだったが、それを劣化させた後継ユーザーがギルティーだという議論も成立し得る。たしかに高木氏の運用法には一定の慎重さと含蓄が見られる。しかし結論を先取りすれば、全くインセントと言うわけにはいかない」(p.34)と、記しています。


"イノセント"とはイタリア語L'innocenteで"罪なき人"、"ギルティー"とは英語guiltyのカタカナ表示で"罪深き人"という意味で使用しているようです。いくら、国際化時代とは言え、イタリア語と英語を混ぜるのは、いかがなものか、最初から、分かりやすい日本語で記せば、よいではないか。


吉岡先生は、上記引用箇所の議論について、瀬尾プログラムについてだけ対象にしていますが、そのことは、すべての論点に対して成立しています。ただし、誰々が"罪なき人"、誰々が"罪深き人"という意味ではなく、故・高木先生もそうですが、もちろん、吉岡先生を含め、すべて、"罪深き人"です。純粋な工学理論を基にした議論を展開している立場からすれば、故・高木先生、上澤千尋先生等の原子力資料情報室のスタッフ、浜岡訴訟や柏崎刈羽廃炉に取り組んでいる井野博満先生や田中満彦先生も、みな、運動論を優先した工学解釈に過ぎません。原子力資料情報室共同代表の伴英夫先生は、私の質問に対し、ぬけぬけと、「わかっているが、無視して議論している」と答えていました。運動論の立場では、自身や運動組織に"不都合な真実"は、すべて、無視して議論しています。吉岡先生の文章からもそのことが読み取れます。


みな、"罪深き人"です(当然、私も同じであって、罪滅ぼしに、理学・工学・社会科学の分野で、計三編の博士論文をまとめ、"罪なき人"の足元にたどり着くべく修行中ですから、吉岡先生は、私よりも、三ランクも下のクラスにいるということでしょうか、罪の深さを認識してください)。



桜井淳

2008-12-08 19:40:56 stanford2008の投稿

桜井淳所長から京大原子炉実験所のH先生への手紙-『科学・社会・人間』No.104の感想-

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H先生



いただいた『科学・社会・人間』(No.104, pp.3-26(2008))のエッセー(吉岡「科学技術政策に関する備忘録・2007年」)を熟読・吟味してみました。私の知らないことは、何ひとつ記されておらず、深く失望しました。吉岡先生は、「中部電力浜岡原子力発電所運転差止訴訟判決」(pp.17-20)について、自身の関与を誇らしげに記していますが、客観的な評価は意に反し、芳しくなかったようです。参考のために記しておきますが、もし、吉岡先生の視点(新聞コメント等)が的を得たものであれば、当然、原告側の「控訴理由書」(409p.)に引用されてしかるべきですが、私のコメントは、引用されているにもかかわらず(注目すべき数名の識者コメントが引用されています)、吉岡先生のものは、まったく見当たりませんでしたが、いかがしたものかと、不思議でなりません。おそらく、原告の立場ではなく、被告(中部電力)の立場でのコメントであったために、無視されたものと推察します。原告側弁護人のひとりの海渡雄一弁護士は、本物とニセ者の区別のできる人物ですから、ごまかしはききません。


なお、以下は、静岡地裁の浜岡訴訟判決の前日と当日の私の社会対応です。記憶が定かではありませんが、本欄バックナンバーに記したような気がしますが、あるいは、他の研究会で発表して原稿掲載を了解したような気もしますが・・・・。


表題「浜岡訴訟判決時の静岡地裁前の様子と判決内容の感想」


浜岡訴訟は、住民(原告側)が中部電力(被告側)を相手取り、浜岡原子力発電所の耐震安全性に疑念を投げかけた民事訴訟です。私は、科学技術社会論を専攻する立場上(2004年4月から東大大学院総合文化研究科で科学技術社会論の研究をしています)、耐震安全性と社会の問題の現状を把握すべく、浜岡原子力発電所の耐震設計法を調査し、昨年二度、耐震補強の現場を見せてもらい、関連事項についての聞き取り調査を実施しました(2006年1月28日と2006年10月31日)。裁判での論点を把握すべく、準備書面と証人陳述書も吟味しました。その後、新潟県中越沖地震で東京電力の柏崎刈羽原子力発電所が震災したため、原子炉建屋とタービン建屋の内部を中心に現場を見せてもらい、関連事項についての聞き取り調査を実施しました(2007年8月14日)。


浜岡訴訟の論点は大きくふたつに分類できます。ひとつは、(A)想定地震の妥当性であり、もうひとつは、(B)老朽化評価の妥当性です。前者は、さらに細分化され、(A-1)中央防災会議が定めた地震応答スペクトルの妥当性、(A-2)プレート相互のアスペリティ(固着域)分布評価の妥当性、(A-3)想定地震(設計用最強地震と設計用限界地震)評価の妥当性からなります。


私は、1975年以降、伊方行政訴訟を初め、原子力施設の行政訴訟や民事訴訟の準備書面と証人陳述書の吟味に努めてきました。証人陳述書からは先端の技術の現状と安全確保の方法が読み取れ、興味深いものがありました。原告被告双方の主張内容のレベルは、高く、何物にも替え難い安全学の教科書と位置づけられます。


浜岡訴訟の判決は、偶然にも、「原子力の日」の2007年10月26日に下されることになっていました。判決の10日前に中部電力関係者に聞き取り調査を実施したましたが(2007年10月17日)、「判決の行方は、まったくわからず、半々」と言っていました。準備書面と証人陳述書の内容からして、私も半々であろうと推測していました。


静岡第一テレビ(日本テレビ系列)は、地元であることから、判決の前日と当日のニュース報道に力を入れていました。判決の一週間前、担当者から、両日のニュース番組への出演依頼がありました。その他、新聞社数社から判決の感想を求められていました。判決前日は、静岡第一テレビの18時15分からのニュース番組に10分間出演後、約1時間、近く放映予定のドキュメンタリー番組の録画撮りも済ませました。その後、当日のために、関係者と約2時間の打ち合わせを行い、ホテルにたどり着いたのは、22時を回っていました。


当日、打ち合わせどおり、静岡地裁前に10時半に到着しましたが、すでに、11時からの判決に備え、報道関係者数十名と原告関係者約200名で混雑していました。大変な熱気でした。上空にはヘリコプター1機が旋回していました。私は、静岡第一テレビの担当者と11時半からの現場中継のための打ち合わせを行った後、原告関係者の声を聞くため、関係者と雑談していました。原告側弁護士の海渡雄一氏とは、日弁連主催の「東電不正問題とエネルギー政策」シンポジウムで互いにパネリストを務めて以来、5年ぶりに顔を合わせた。海渡雄一氏は「勝てる」と言っていました。原告団のひとりの社民党党首の福島瑞穂氏も静岡地裁前に現れました。


静岡地裁民事第1部の宮岡章裁判長は、予定どおり、11時に開廷宣言しました。それから数分後、私の近くにいた原告関係者が「負けた」とつぶやき、左右の人差し指を交差させ、×印で遠くにいる知人に結果を知らせていました。まだ、正式報告がなかったため、私は、耳を疑いましたが、その直後、法廷にいた原告団のひとりが白布に黒で大きく「不当判決」と書いた垂れ幕を掲げて走り寄ってきました。その瞬間、静岡地裁前は、どよめきと怒涛に包まれました。正式発表前の「負けた」というのは法廷にいた原告団のひとりが携帯メールで仲間に知らせたものでした。原告団はその場で抗議集会を行っていました。騒然たる状況でした。地裁前には、最初から最後まで、被告関係者は、ひとりもいませんでした。


その騒然たる様子と静岡地裁建物を背景に、私は、11時半から始まるニュース番組のために、静岡第一テレビの担当者に14頁からなる判決文要旨の解説を行い、現場中継に備えました。


中継後、静岡第一テレビ本社に戻り、14時半頃、300頁からなる判決書を入手し、解読しました。原告側と被告側には開廷時に配布されていましたが、報道関係者には、13時半に配布されました。判決要旨からすると、原告ゼロ点、被告100点と解釈でき、被告の完全勝訴になっているため、私の関心は、判決要旨が判決文を的確に要約しているか否かにありました。


判決文は原子力安全の専門家が1年間かけなければできないような内容でした。全体の構成と論理展開はまずまずの出来栄えです。裁判官がいくら時間をかけて調査しても、それだけでは判決文のような内容に仕上げることはできず、被告側の準備書面を下敷きにしたものと推定されました。判決文の構成は、まず、一般論として、原子力発電の現状や沸騰水型原子炉の要素機器の機能と信頼性に始まり、論点に沿って、原告側と被告側の主張を相互比較し、たとえば、どのような技術基準や学術文献に拠るとか、判断の根拠を明確に示し、正しい側を決めて行くものです。相互比較された約100項目はすべて被告側の勝ちになっていました。よって、判決要旨は判決文を正確に要約していました。


私は、原告ゼロ点、被告100点というほど、いまの耐震指針や安全審査体制、発電所の安全管理技術がすばらしいとは思っていないため、静岡第一テレビの担当者を前に、判決文に対する私の解釈と感想を述べました。そして、当日の18時15分からのニュース番組のための録画撮りに入りました。私は、静岡第一テレビとの約束の仕事をすべて済ませたため、つぎの仕事のために、静岡駅発16時8分の新幹線で東京に向かいました。台風20号の影響で雨が降っていました。原告にとっては無念の涙雨、被告にとっては歓喜の涙雨でしょううか。


今回の判決でいちばん困惑したのは被告の中部電力でしょう。中部電力は、どこまで本気か計りかねますが、判決前、静岡第一テレビの記者に対し、「1号機と2号機については相当の覚悟をしている」と語っていたそうです。その事実から、判決に挑む中部電力の心理が読み取れました。


判決文には、簡潔な表現ではあるが、技術や検査法の限界、想定地震を超える地震の可能性等にも触れていますが、現実問題として、それらは、安全を左右する問題ではないと切り捨てています。原子力発電所の多重故障や非常用ディーゼル発電機の不作動も起こりえないとしています。


しかし、過去の産業事故において、多重故障は起きており、多重故障が起こるからこそ、大事故に陥っているのです。2007年9月19日には、北海道電力の泊1号機の運転中の監視試験において、設置されていた2台(原子力発電所によっては、ひとつの原子炉に2台のものと、たとえば、柏崎刈羽発電所のように3台のものがあるため、記載法には注意を要する)の非常用ディーゼル発電機(欄外の(注)参照)の起動に失敗しており、即刻、原子炉を停止している。


判決文では、震災した柏崎刈羽原子力発電所について触れ、致命的問題が発生していないことを評価し、その結果の一般性がまだ科学的に検証されていない段階にもかかわらず、耐震指針を肯定的に位置付けていますが、もっと深い吟味が必要のように思えました。と言うのは、柏崎刈羽原子力発電所は、岩盤が相対的に軟らかく、しかも他より倍も深いため、原子炉建屋の三分の二が地下に収められ、これら二点の特殊性が偶然にもよい結果に結びついた可能性も否定できないからです。さらに、泊1号機の非常用ディーゼル発電機不作動問題には、まったく触れていません。そのため、判決文は、2007年7月上旬頃には完成しており(柏崎刈羽原子力発電所の内容については、震災後、急遽追加した物と推察されます)、ごく最近の事例まで考慮されていないように解釈できます。


現代技術には白黒を付けられないグレイゾーンが存在していますが、判決は、そのグレイゾーンに目を瞑り、判断の基準をすべて国の技術基準と安全審査の考え方に依存した技術解釈に終始しており、もう少し客観的な深い吟味が必要なように思えました。


(判決当日の2007年10月26日脱稿)


(注) 『日本原子力学会誌』2007年9月号の神山弘章「私の主張 中越沖地震と原子力発電について」(p48)には、「仮に、中央制御室と原子炉建屋が物理的に遮断されたとしても、原子炉建屋の1階または地下室にある非常用ディーゼル発電機が自動的に起動し、直ちに炉心冷却が開始される。このような設備は原子炉に2つある。そのうちの、1つが作動すれば炉心冷却は十分に可能である。」(下線引用者)と記されていますが、非常用ディーゼル発電機は、ひとつの原子炉に2台とは限らず、たとえば、柏崎刈羽原子力発電所では、7基ともひとつの原子炉に3台設置されています。よって、下線部の文章は間違いです。調査・認識不足から間違ったことを記載した責任は、神山氏にありますが、それをそのまま掲載した編集委員会にもあります。 『日本原子力学会誌』の内容は、時々、一次資料を確認することなく、軽い判断から、誤りが掲載されていますから、注意して読まなければなりません。

桜井淳

2008-12-07 23:01:33 stanford2008の投稿

桜井淳所長からいちばん下の弟への手紙-「ローマ帝国の歴史・文化と国教としてのキリスト教」を肴に-

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弟へ


先日は水戸の拙宅まで足を伸ばしてもらいご苦労様でした。

配偶者・子供も他人、たとえ兄弟でも他人であり、ひとそれぞれ価値観も異なるため、人生に必要な物などと言うのもやぼなことと思いますが、・・・・それでも、一言。

映画には、半世紀の著作権があるため、歴史上の最高の映画「ベン・ハー」(私が高校1年の時に、封切りされ、高校近くのスカラ座で友人と観ました)は、まだ、DVD化されていませんが、二番目に注目された70年前の「風と共に去りぬ」は、DVD化されており、わずか、税込み500円でその辺の本屋でも入手できます(㈱ファーストトレーディング)。4時間の大作です。70年前の作品でも、映像が非常にきれいで、今の社会に対比しても、遜色なく、セットと時代背景もすばらしく、永遠の一般的価値を有するように思えます。学ぶべきことの多いスケールの大きな作品です。ぜひ、観てください。

私は、フロリダ州ペンサコーラ空港からテネシー州ノックスビル空港に向かう時に、南部ハブ空港のきれいで大きなアトランタ空港で夜7時頃に乗り換え、大きな空港を1kmくらい歩き、乗り換え搭乗口にたどり着きましたが、建物の遠くには、「風と共に去りぬ」の舞台となったジョージア州アトランタの市街地の高層ビル群のきれいな夜景が見え、歩いている間、ずっと、映画のストーリーが頭に浮か びました。その作品も高校生の頃に教育の一環として全校生が映画館に移動して観ました。昔はそんなことが当たり前のこととして行われていました。

それから、もうひとつ。ぜひ、聖書を熟読・吟味してください。初心者には、入門編として面白く読める犬養道子『新約聖書物語(上)(下)』(新潮文庫、1980)がよいでしょう。私は、米東部の一流どころの大学の大学院神学研究科でキリスト教倫理学のレクチャを聞いたことがあります。

今度会う時には、極上のウィスキーをストレートですすりながら、私の最後の研究テーマの「ローマ帝国の歴史・文化と国教としてのキリスト教(聖書)」を肴に、人生の本質的なことについて話しましょうか。

最近は、東大本郷キャンパスにも出入りしていると聞きましたが、つまらないところには、出入りしないでください・・・・。

来春の偕楽園の観梅シーズンには、今度は、ぜひ、家族といっしょに、拙宅に泊まってください。

では、また。



桜井淳
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