桜井淳所長から京大原子炉実験所のH先生への手紙-『科学・社会・人間』No.104の感想-
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いただいた『科学・社会・人間』(No.104, pp.3-26(2008))のエッセー(吉岡「科学技術政策に関する備忘録・2007年」)を熟読・吟味してみました。私の知らないことは、何ひとつ記されておらず、深く失望しました。吉岡先生は、「中部電力浜岡原子力発電所運転差止訴訟判決」(pp.17-20)について、自身の関与を誇らしげに記していますが、客観的な評価は意に反し、芳しくなかったようです。参考のために記しておきますが、もし、吉岡先生の視点(新聞コメント等)が的を得たものであれば、当然、原告側の「控訴理由書」(409p.)に引用されてしかるべきですが、私のコメントは、引用されているにもかかわらず(注目すべき数名の識者コメントが引用されています)、吉岡先生のものは、まったく見当たりませんでしたが、いかがしたものかと、不思議でなりません。おそらく、原告の立場ではなく、被告(中部電力)の立場でのコメントであったために、無視されたものと推察します。原告側弁護人のひとりの海渡雄一弁護士は、本物とニセ者の区別のできる人物ですから、ごまかしはききません。
なお、以下は、静岡地裁の浜岡訴訟判決の前日と当日の私の社会対応です。記憶が定かではありませんが、本欄バックナンバーに記したような気がしますが、あるいは、他の研究会で発表して原稿掲載を了解したような気もしますが・・・・。
表題「浜岡訴訟判決時の静岡地裁前の様子と判決内容の感想」
浜岡訴訟は、住民(原告側)が中部電力(被告側)を相手取り、浜岡原子力発電所の耐震安全性に疑念を投げかけた民事訴訟です。私は、科学技術社会論を専攻する立場上(2004年4月から東大大学院総合文化研究科で科学技術社会論の研究をしています)、耐震安全性と社会の問題の現状を把握すべく、浜岡原子力発電所の耐震設計法を調査し、昨年二度、耐震補強の現場を見せてもらい、関連事項についての聞き取り調査を実施しました(2006年1月28日と2006年10月31日)。裁判での論点を把握すべく、準備書面と証人陳述書も吟味しました。その後、新潟県中越沖地震で東京電力の柏崎刈羽原子力発電所が震災したため、原子炉建屋とタービン建屋の内部を中心に現場を見せてもらい、関連事項についての聞き取り調査を実施しました(2007年8月14日)。
浜岡訴訟の論点は大きくふたつに分類できます。ひとつは、(A)想定地震の妥当性であり、もうひとつは、(B)老朽化評価の妥当性です。前者は、さらに細分化され、(A-1)中央防災会議が定めた地震応答スペクトルの妥当性、(A-2)プレート相互のアスペリティ(固着域)分布評価の妥当性、(A-3)想定地震(設計用最強地震と設計用限界地震)評価の妥当性からなります。
私は、1975年以降、伊方行政訴訟を初め、原子力施設の行政訴訟や民事訴訟の準備書面と証人陳述書の吟味に努めてきました。証人陳述書からは先端の技術の現状と安全確保の方法が読み取れ、興味深いものがありました。原告被告双方の主張内容のレベルは、高く、何物にも替え難い安全学の教科書と位置づけられます。
浜岡訴訟の判決は、偶然にも、「原子力の日」の2007年10月26日に下されることになっていました。判決の10日前に中部電力関係者に聞き取り調査を実施したましたが(2007年10月17日)、「判決の行方は、まったくわからず、半々」と言っていました。準備書面と証人陳述書の内容からして、私も半々であろうと推測していました。
静岡第一テレビ(日本テレビ系列)は、地元であることから、判決の前日と当日のニュース報道に力を入れていました。判決の一週間前、担当者から、両日のニュース番組への出演依頼がありました。その他、新聞社数社から判決の感想を求められていました。判決前日は、静岡第一テレビの18時15分からのニュース番組に10分間出演後、約1時間、近く放映予定のドキュメンタリー番組の録画撮りも済ませました。その後、当日のために、関係者と約2時間の打ち合わせを行い、ホテルにたどり着いたのは、22時を回っていました。
当日、打ち合わせどおり、静岡地裁前に10時半に到着しましたが、すでに、11時からの判決に備え、報道関係者数十名と原告関係者約200名で混雑していました。大変な熱気でした。上空にはヘリコプター1機が旋回していました。私は、静岡第一テレビの担当者と11時半からの現場中継のための打ち合わせを行った後、原告関係者の声を聞くため、関係者と雑談していました。原告側弁護士の海渡雄一氏とは、日弁連主催の「東電不正問題とエネルギー政策」シンポジウムで互いにパネリストを務めて以来、5年ぶりに顔を合わせた。海渡雄一氏は「勝てる」と言っていました。原告団のひとりの社民党党首の福島瑞穂氏も静岡地裁前に現れました。
静岡地裁民事第1部の宮岡章裁判長は、予定どおり、11時に開廷宣言しました。それから数分後、私の近くにいた原告関係者が「負けた」とつぶやき、左右の人差し指を交差させ、×印で遠くにいる知人に結果を知らせていました。まだ、正式報告がなかったため、私は、耳を疑いましたが、その直後、法廷にいた原告団のひとりが白布に黒で大きく「不当判決」と書いた垂れ幕を掲げて走り寄ってきました。その瞬間、静岡地裁前は、どよめきと怒涛に包まれました。正式発表前の「負けた」というのは法廷にいた原告団のひとりが携帯メールで仲間に知らせたものでした。原告団はその場で抗議集会を行っていました。騒然たる状況でした。地裁前には、最初から最後まで、被告関係者は、ひとりもいませんでした。
その騒然たる様子と静岡地裁建物を背景に、私は、11時半から始まるニュース番組のために、静岡第一テレビの担当者に14頁からなる判決文要旨の解説を行い、現場中継に備えました。
中継後、静岡第一テレビ本社に戻り、14時半頃、300頁からなる判決書を入手し、解読しました。原告側と被告側には開廷時に配布されていましたが、報道関係者には、13時半に配布されました。判決要旨からすると、原告ゼロ点、被告100点と解釈でき、被告の完全勝訴になっているため、私の関心は、判決要旨が判決文を的確に要約しているか否かにありました。
判決文は原子力安全の専門家が1年間かけなければできないような内容でした。全体の構成と論理展開はまずまずの出来栄えです。裁判官がいくら時間をかけて調査しても、それだけでは判決文のような内容に仕上げることはできず、被告側の準備書面を下敷きにしたものと推定されました。判決文の構成は、まず、一般論として、原子力発電の現状や沸騰水型原子炉の要素機器の機能と信頼性に始まり、論点に沿って、原告側と被告側の主張を相互比較し、たとえば、どのような技術基準や学術文献に拠るとか、判断の根拠を明確に示し、正しい側を決めて行くものです。相互比較された約100項目はすべて被告側の勝ちになっていました。よって、判決要旨は判決文を正確に要約していました。
私は、原告ゼロ点、被告100点というほど、いまの耐震指針や安全審査体制、発電所の安全管理技術がすばらしいとは思っていないため、静岡第一テレビの担当者を前に、判決文に対する私の解釈と感想を述べました。そして、当日の18時15分からのニュース番組のための録画撮りに入りました。私は、静岡第一テレビとの約束の仕事をすべて済ませたため、つぎの仕事のために、静岡駅発16時8分の新幹線で東京に向かいました。台風20号の影響で雨が降っていました。原告にとっては無念の涙雨、被告にとっては歓喜の涙雨でしょううか。
今回の判決でいちばん困惑したのは被告の中部電力でしょう。中部電力は、どこまで本気か計りかねますが、判決前、静岡第一テレビの記者に対し、「1号機と2号機については相当の覚悟をしている」と語っていたそうです。その事実から、判決に挑む中部電力の心理が読み取れました。
判決文には、簡潔な表現ではあるが、技術や検査法の限界、想定地震を超える地震の可能性等にも触れていますが、現実問題として、それらは、安全を左右する問題ではないと切り捨てています。原子力発電所の多重故障や非常用ディーゼル発電機の不作動も起こりえないとしています。
しかし、過去の産業事故において、多重故障は起きており、多重故障が起こるからこそ、大事故に陥っているのです。2007年9月19日には、北海道電力の泊1号機の運転中の監視試験において、設置されていた2台(原子力発電所によっては、ひとつの原子炉に2台のものと、たとえば、柏崎刈羽発電所のように3台のものがあるため、記載法には注意を要する)の非常用ディーゼル発電機(欄外の(注)参照)の起動に失敗しており、即刻、原子炉を停止している。
判決文では、震災した柏崎刈羽原子力発電所について触れ、致命的問題が発生していないことを評価し、その結果の一般性がまだ科学的に検証されていない段階にもかかわらず、耐震指針を肯定的に位置付けていますが、もっと深い吟味が必要のように思えました。と言うのは、柏崎刈羽原子力発電所は、岩盤が相対的に軟らかく、しかも他より倍も深いため、原子炉建屋の三分の二が地下に収められ、これら二点の特殊性が偶然にもよい結果に結びついた可能性も否定できないからです。さらに、泊1号機の非常用ディーゼル発電機不作動問題には、まったく触れていません。そのため、判決文は、2007年7月上旬頃には完成しており(柏崎刈羽原子力発電所の内容については、震災後、急遽追加した物と推察されます)、ごく最近の事例まで考慮されていないように解釈できます。
現代技術には白黒を付けられないグレイゾーンが存在していますが、判決は、そのグレイゾーンに目を瞑り、判断の基準をすべて国の技術基準と安全審査の考え方に依存した技術解釈に終始しており、もう少し客観的な深い吟味が必要なように思えました。
(判決当日の2007年10月26日脱稿)
(注) 『日本原子力学会誌』2007年9月号の神山弘章「私の主張 中越沖地震と原子力発電について」(p48)には、「仮に、中央制御室と原子炉建屋が物理的に遮断されたとしても、原子炉建屋の1階または地下室にある非常用ディーゼル発電機が自動的に起動し、直ちに炉心冷却が開始される。このような設備は原子炉に2つある。そのうちの、1つが作動すれば炉心冷却は十分に可能である。」(下線引用者)と記されていますが、非常用ディーゼル発電機は、ひとつの原子炉に2台とは限らず、たとえば、柏崎刈羽原子力発電所では、7基ともひとつの原子炉に3台設置されています。よって、下線部の文章は間違いです。調査・認識不足から間違ったことを記載した責任は、神山氏にありますが、それをそのまま掲載した編集委員会にもあります。 『日本原子力学会誌』の内容は、時々、一次資料を確認することなく、軽い判断から、誤りが掲載されていますから、注意して読まなければなりません。
桜井淳