連載「脳力のレッスン」世界 2004年4月号
小さな花–SMAPと加藤周一
昨年の紅白歌合戦の白組のトリはSMAPの「世界に一つだけの花」であった。この歌で日本はイラク戦争の年を締めくくったことになる。この歌が一人一人の人間の存在価値を謳歌していることから、平和を願う「反戦歌」としての受け止められ方をされた感もあるが、その理解はあまりに表層であろう。
「NO.1にならなくてもいい もともと特別なONLY ONE
花屋の店先に並んだ いろんな花を見ていた ひとそれぞれに好みはあるけど
どれもみんなきれいだね この中で誰が一番だなんて 争う事もしないで
バケツの中誇らしげに しゃんと胸を張っている ・・・・・・・・・
そうさ僕らは 世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい」(作詞・作曲槙原敬之)
250万枚を売り上げたというこの歌が描きだしている心象風景が今の日本の若者にかなりの程度共有されているといってよい。素直な気持ちでこの歌を受け止めるならば、固定観念を離れてしなやかに多様な価値を認めようとする感性が好ましく思える。他方で、努力や研鑚の意思を欠いた「プータロウの自己正当のための歌」という意地悪な評価もあるが、そこまで目くじらをたてる気もない。しかし、私はこの歌には感動を覚えない。何故だろうか。
芭蕉に「よくみれば なずな花さく 垣根かな」という句がある。道端に生えた雑草が春先に小さな白い花を咲かせていることを発見した驚嘆と喜びが込められた句である。なずなの花にさえ生命の輝きを感じる心という意味では、この句のモチーフと「世界で一つだけの花」には合い通じるものがあるともいえる。しかし、決定的な違いは、芭蕉の句にはなずなの花の発見を通じて自然に向き合う心のひろがりがあるのに対して、「世界に一つだけの花」はすぐに「僕らは世界に一つだけの花」と自己肯定してしまうことによって心の救いや癒しを求めるメッセージが浮上してくる。つまり、自然の中における生命の輝きを静かに受け止める閑雅のふくらみが無いのである。
「小さな花」の強さ
加藤周一の作品に「小さな花」という詩がある。私はこの詩を心に刻む。
「どんな花が世界中でいちばん美しいだろうか。春の洛陽に咲き誇る牡丹に非ず、宗匠が茶室に飾る一輪に非ず、ティロルの山の斜面を蔽う秋草に非ず、オートゥ・プロヴァンスの野に匂うラヴァンドに非ず。
960年代の後半に、アメリカのヴィエトナム征伐に抗議してワシントンに集った『ヒッピーズ』が、武装した兵隊の一列と相対して、地面に座りこんだとき、そのなかの一人の若い女が、片手を伸ばし、眼のまえの無表情な兵士に向って差しだした一輪の小さな花ほど美しい花は、地上のどこにもなかったろう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一方には史上空前の武力があり、他方には無力な一人の女があった。一方にはアメリカ帝国の組織と合理的な計算があり、他方には無名の個人とその感情の自発性があった。権力対市民。自動小銃対小さな花。一方が他方を踏みにじるほど容易なことはない。
しかし人は小さな花を愛することはできるが、帝国を愛することはできない。・・・・・・・・・
権力の側に立つか、小さな花の側に立つか、この世の中には選ばなければならない時がある。・・・・・・・・・私は私の選択が、強大な権力の側にではなく、小さな花の側にあることを、望む。望みは常に実現されるとは、かぎらぬだろうが、武装し、威嚇し、瞞着し、買収し、みずからを合理化するのに巧みな権力に対して、ただ人間の愛する能力を証言するためにのみ差しだされた無名の花の命を、私は常に、かぎりなく美しく感じるのである。」(1979年作)
「小さな花」への愛に寄せてこの詩に溢れ出た社会や時代に向き合う意思、この圧倒的なメッセージを前にして「世界に一つだけの花」が矮小な私生活主義の繰言にすぎないことは説明を要さないであろう。言葉の軽い時代になった。我々は美しい言葉に簡単に納得し自己満足してしまう傾向を有する。例えば、長野オリンピックが掲げたキャッチフレーズに「故郷は地球村」という言葉があった。なるほど、国境や民族を超えた連携や協調を呼びかける言葉として魅力的である。しかし、本当に大切なのは、どうすれば「故郷は地球村」といえる状況を創りうるかの社会科学的構想力なのである。広島の原爆慰霊碑に掲げられた「二度と過ちは繰り返しません」の言葉も、熟慮するほど不可解である。なんとなく共感する言葉であるが、誰のいかなる責任での過ちなのかを明らかにすることなく、「なんとなく反省」「一億総懺悔」で納得し、それ以上一歩も踏み込まないのである。表層な言葉の世界への陶酔を超えて、如何にして実のある世界に踏み込むのか、これこそが戦後日本という平和な擬似空間を生きてきた我々の課題である。
加藤周一氏との対談
加藤周一氏との対談の機会を得た。「軍縮問題資料」誌の2004年2月号での企画だった。初対面でもあり知的興奮を覚える体験だった。私が生まれた1947年、既に加藤氏は「1946文学的考察」で論壇での評価を確立していた。そのことを対談の冒頭に言及すると、「その時生まれてすぐに私の本をお読みになったわけじゃない(笑)」という快いジャブが返ってきた。その瞬間、この84歳の老人がみずみずしい感性を持ち続けていることを感じとった。
この人物は常に時代を語る知性の中心にいた。東大医学部卒業の医学者として1951年から3年間パリに留学、数々の文明批評を発表しながら、カナダ、ドイツ、アメリカ、日本などの大学で教壇に立ってきた。戦後日本が生んだ国際人の代表格とでもいうべき人物で、その自伝「羊の歌」(68年)は戦後を生きた知識人には大きな存在感をもった作品であった。
対談を通じて最も衝撃を受けたのは、現代日本の指導者とかインテリの言葉が軽くなり、イラク戦争という事態を前にして、日本人の「ものを深く考える力」が劣化していることを私が嘆いた時の加藤氏の発言であった。彼は「知的活動を先へ進める力は知的能力ではなく、一種の直感と結びついた感情的なもの」と指摘した後、「いくら頭がよくても駄目なんで、目の前で子供を殺されたら、怒る能力がなければなりません」と語った。「知的世界を展開させる原動力」が専門性を装った論理などではなく、人間の尊厳を守るという感情だと語る84歳の「知の巨人」の眼の輝きを直視した時、私の心にも熱いものが込み上げた。不条理に対する人間としての怒りを失ったならば、それはもう人間ではないのである。
私自身を率直に見つめてみて、自分が常に「小さな花」の側に立ちうるかについては自信がない。組織人として生きてきた私は、組織秩序を守ることの価値も共有しているし、体制を維持する側の論理に立って発言しなければならない立場にも立ってきた。しかし、色々な立場はあっても、自分の持ち場において美しいものへの感性と不条理を拒否する正気だけは持ち堪えなければならないと思う。時代の空気が安易に流れることを誘惑する状況下で、ぎりぎりの知的緊張の中で思索を深め、行動したいと思う。例え、政治行動の前面に立たなくとも、それぞれの持ち場で時代をしっかりと見つめ、民主的手続きの中で正当な意思を表示し続ける名も無き民の存在こそが世界を支えるのである。