インタビューに答えた犬飼基昭・日本サッカー協会会長=池田良撮影
7月に犬飼基昭・日本サッカー協会会長が就任してから5カ月。Jリーグの秋開幕案や天皇杯のベストメンバー問題、ナビスコ杯改革など、「私案」を積極的に提言して議論を巻き起こしてきた。最近はJリーグの鬼武チェアマンとメディアを介して「対立」を演じた。会長に「真意」を聞いた。(忠鉢信一)
●Jリーグ秋開幕は本当に必要ですか?
サッカーは1〜2月にするべきか、それとも7〜8月にするべきなのか。
地球温暖化の影響もあり、最近の7〜8月は蒸し暑さがひどい。選手は走れないし、消耗が激しい。良いサッカー、良い試合をすることが一番大切なのだから、そのために良い環境が整う季節に試合をした方がいい。
欧州だけでなく西アジアも秋開幕のシーズンを採用しているので、09年のように国際試合の公式戦が1〜2月に組まれやすい。Jリーグのオフシーズンが1〜2月だと、代表選手は休養期間が十分に取れなくなり、疲弊が常態化する。
悪いコンディションのために世界で勝てないどころか、アジア予選も勝ち抜けないということが起きれば、サッカー界にとって大打撃になる。それでいいわけがない。
寒冷地には観客のための防寒設備が必要だという指摘は理解しており、時間がかかることは覚悟している。10年に実施することにはこだわらない。サッカー界の方向性を秋開幕に定めて、課題をクリアしていけばいい。
●会長の言う「ベストメンバー」ってなんですか?
関係者やサポーターが客観的に見て、その状況にふさわしい「ベスト」であればいい。ただ、チーム側が正直なことを言って、合意を作っていく必要がある。
先日の磐田のように、直前のJリーグの試合から大幅に入れ替えたメンバーで天皇杯を戦って「ベスト」と言い張るのは見苦しい。本当にベストなら残留がかかったJリーグもそのまま戦えばいい。
浦和の社長をしていたから、J1残留の重要さはわかる。「天皇杯に注ぐ余力がない」と本音で言ってくれれば、サッカーを知っている人は納得できたはず。
サッカーがくじの対象になっていることも忘れないでほしい。川崎で似た問題が起きた昨年は、くじ購入者から苦情があった。
八百長防止のために、ルールに「ベストメンバー」の文言は必要。しかし、直前の5試合に先発した選手が何人以上なんていう現在の規定は、もうなくしてもいいんじゃないかと本音では思っている。あれは日本のサッカーが成熟する前の段階で、やむを得ず作ったガイドラインで抑止力もない。
●ナビスコ杯を23歳以下の選手主体の「五輪方式」にしたらタイトルの「格」が落ちませんか?
そういう反論をする人は、サポーターの気持ちをわかっていない。浦和の社長だった頃、地元のサポーターたちとよく話をしたが、彼らは若手のプレーを見ることを本当に楽しみにしていた。その経験から、若手主体の大会にすることはナビスコ杯の盛り上げにもなると思っている。
しかし発言の真意は、ナビスコ杯の改革ではなく、若手のてこ入れにある。
北京五輪で3連敗を喫した反町監督は、実戦経験の乏しい選手しかいなかったことを日本の問題点にあげていた。ロンドン五輪に向けて、手を打たないわけにはいかない。
世界各国でどんな取り組みをしているか調査しているところ。勝負のかかった実戦で若手を抜擢(ばってき)するのは、監督にとって勇気がいる。出場をルールで義務づけるのは一つのアイデアだ。
そのように話したら鬼武チェアマンも賛同してくれた。具体的にどうするかは、これからJリーグと一緒に考えていきたい。しかしほかにいい方法があるだろうか?
●混乱や逆風も目に付きますが、日本サッカー協会は大丈夫なんですか?
「対立」と新聞に書かれた鬼武チェアマンには、私から電話をした。するとチェアマンは「聞いていた話とは全然違う」と言っていた。中途半端な報道に反応するのはお互いにやめようと話した。
ただいろんなことを言い合うのは必要なこと。日本協会の会長の前ではみんなが黙ってしまうというのでは良くない。私には言いやすいと思うので、どんどん意見を言ってほしい。
金融危機の影響はある。厳しい経済環境は認識している。しかし右肩下がりにならないように維持したい。今年度の予算規模は180億円弱で決算はそれを若干下回る見込みだが、サッカー協会全体の事業への影響はない。
観客減が問題だった日本代表戦は、スタジアムでの接客の向上に取り組んできた。来年1月20日のイエメン戦は前売り券を完売した。11月のカタール戦で完勝した良い影響もあるのかもしれない。
サッカーは監督がすごく重要。技術委員会や理事会があるが、最後は会長。監督人事は「会長専権」だ。
今までの岡田監督のチーム作りを見ていて手応えを感じる。いい方向へ行っている。もしものときの次期監督候補は、正直なところ考えたことがない。岡田監督がベストチョイスだ。
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いぬかい・もとあき 42年7月5日生まれ、浦和市(現さいたま市)出身。サッカー選手としても活躍し、慶大から三菱重工へ入社。日本リーグでは3年間で27試合に出場した。引退後、欧州三菱自動車社長などを歴任し、02年に浦和レッズ社長に就任。08年7月から日本サッカー協会の11代目会長。
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日本協会のかじを握った犬飼会長の考えを、次週から3回連載する予定です。