名古屋市南部の中川・熱田・南区(約7キロ)にわたる東海道新幹線沿線。高架下に密集する民家の間に大小さまざまな空き地が点在している。「負の遺産」--新幹線訴訟の原告団がこう呼ぶ未利用地だ。
沿線住民575人で組織する原告団が国鉄を相手取り、騒音・振動の差し止め(減速)と損害賠償などを求めて訴えたのは新幹線開業後9年余過ぎた1974(昭和49)年3月。日本経済の大動脈となる「夢の超特急」も、沿線住民にとっては静穏な暮らしを奪う“公害列車”でしかなかった。
提訴後、国鉄から沿線20メートル内の住民に土地建物を買い上げる方針が打診された。「表向きは軟弱地盤だからという理由でしたが、訴訟対策の意味合いもあったんでしょう」。原告団の事務局長を務めた中野雄介さん(78)=熱田区=は当時を振り返る。実際、買い上げに応じ、住み慣れた土地を離れる人も出た。その跡地などが今もそこかしこに残っているのだ。
裁判は1、2審とも慰謝料の支払いは認められたものの、最も切望した減速は公共性の厚い壁に阻まれた。そして86年、12年にわたる闘争は和解という形で収束した。
「国鉄は良好な環境の保全を目的として長期的、総合的な視点に立った活用に積極的に努力する」。跡地問題は和解協定書にこう刻まれた。これまで国鉄から名古屋市に9カ所の跡地(約3700平方メートル)が無償で貸し出され、広場やゲートボール場などとして活用されている。
しかし、まだ100カ所(約2万1800平方メートル)に上る跡地の用途が決まっていない。4年前、維持管理を引き継いだJR東海から、無償貸与分を含めたすべてを市に無償譲渡する方針が示された。が、市は土地の連続性がなく、使い道がないなどを理由にのまなかった。中野さんはやり切れなさそうに話す。「虫食い状態の土地はいわば訴訟の“傷跡”。その活用方法が定まらない限り、いつまでも負の遺産なんです」
協定書には沿線約7キロの騒音規制も盛り込まれている。「国鉄は可及的速やかに環境基準(住居地域70ホン以下)を達成するように発生源対策に努める」。期限は明示されていない。市は86年から定期監視を続けているが、基準値をわずかながら超す年もある。車両は初代の0系から第六世代のN700系まで改良されてきているが、騒音問題はまだ完全にクリアされたわけではないのだ。JR東海は言う。「防音壁やレール面などの管理や点検を徹底し、低減に向けた不断の努力を続けていく」
新幹線の開業から44年。高速幹線鉄道のネットワークは今、地域振興を錦の御旗(みはた)に北へ南へとどんどん延伸されている。訴訟提起後に整備された東北新幹線などは高架の橋脚が東海道新幹線より頑丈に造られるなど振動対策は進んでいる。一方、新幹線訴訟弁護団の事務局長を務めた高木輝雄弁護士は、最近の整備手法に警鐘を鳴らす。「九州新幹線の一部区間は名古屋と同様、軒を切って走るコース。教訓が生かされていない」
高齢で亡くなった人、移転していった人……あの時の同志は約200人に減ったが今も原告団は存続し、年1回、JR東海との協議を続けている。間もなく23回目の交渉が行われる。「和解で一定の方向は見いだせても、公害そのものがなくなるわけではないですから」(中野さん)。静かさを求めた闘いはまだ終わっていない。【松本宣良】
==============
■世相あれこれ・1974(昭和49)年
◆CM
▽ヒデキ、カンゲキ(ハウス・バーモントカレー)
◆TV
▽未来への遺産▽右門捕物帖▽純愛山河 愛と誠▽アルプスの少女ハイジ
◆SONG
▽赤ちょうちん▽学園天国(フィンガー5)▽傷だらけのローラ▽しのび恋
◆MOVIE
▽卑弥呼▽小林多喜二▽パピヨン▽エアポート〓
◆BOOK
▽雨やどり(半村良)▽鬼の詩(藤本義一)
◆NEWS
▽伊豆半島沖地震▽全国サリドマイド訴訟で原告と国・大日本製薬が11年ぶりに和解▽フォード米大統領が現職として初来日▽原子力船むつが放射能漏れ事故
◆SPORTS
▽王貞治(巨人)が初の2年連続3冠王に▽尾崎将司が日本オープンゴルフ選手権に初優勝
◆WORDS
▽スプーン曲げ▽節約は美徳▽このシゲキがたまらないのデス
◆LIFE
▽サーティワン・アイスクリームの1号店が東京都目黒区に開店▽国際癌学会で「丸山ワクチン」発表
毎日新聞 2008年12月3日 中部朝刊