裁判所や裁判所職員は公正で正義の最後の守り手というのは、わが国を含めて文明国の常識だ。その裁判所名の判決文が偽造とあっては、いかに偽装ばやりの時世でも国民は何を信じればよいか。
昨年と今年、NHKテレビで二度のシリーズに分けて放映されたドラマ「ジャッジ〜島の裁判官奮闘記」を見て裁判官や裁判所調査官、書記官に親しみを感じたり、信頼を新たにした人も多いだろう。それを揺るがす事件が起きた。
振り込め詐欺に使われた疑いのある埼玉県内の銀行の凍結口座から不正に預金を引き出すため、偽の振込依頼書を使った疑いで京都家裁の書記官が逮捕された。
問題の口座には九月、さいたま地裁熊谷支部に預金差し押さえの申し立てがあった。口座名義人から金銭を債権者に返せとの京都地裁の判決文が添えてあり、同支部が差し押さえを命令、預金を引き出せるようになった。
ほかに数カ所の裁判所に同様の判決を添えて申し立てが行われ、差し押さえ命令で凍結口座から預金が引き出された疑いもある。
逮捕された書記官が一連の事件にどこまでかかわっていたのか、今後の捜査を待つほかはない。だが、ことは一裁判所書記官の不正では済まない。
戦後、裁判官を含む裁判所職員の不祥事はいくつもあり、弾劾裁判で罷免された判事もいるが、いずれも個人的な不正にとどまる。今回は偽判決そのものが不正に大きな役割を果たしており、前例を見ないのではないか。
判決の偽造を書記官が行ったのかどうか、まだわからない。だがそれを基に現実に差し押さえ命令が出され、凍結口座から預金は引き出された。もし、一書記官の偽造した判決がそのまま簡単に通用してしまうならば、裁判所の体制に欠陥はないのか、というのが私たちの抱く懸念である。
ある裁判所が出したとされる文書をほかの裁判所が受け取る場合、うのみにして確認はしないのか。今回のような事態が続くなら、国民の裁判所に対する信頼は思わぬところで崩れる。
逮捕された書記官のいた京都家裁はもちろん、判決文に名前をかたられたり、偽判決を受け取った各地裁は、判決など文書の作成、送達、受け取った後の確認の手順を再検証すべきではないか。最高裁、各高裁も地家裁の自主性を尊重しつつ、国民の信頼を高めるための努力を惜しんではなるまい。
この記事を印刷する