2007年02月17日(土)
坂田健史・不運悲運の研究・大熊正二
テーマ:世界チャンピオン
ハワイ・ボクシング留学!【カカアコ・スタンレー・ボクシングクラブ】
短期~3ヶ月OK!
カントとのリターンマッチは、大熊選手が勝っていた試合だった。理不尽なそのうっぷんをダイレクト・リマッチでぶつける機会を得たが、あえなく失敗。
カントとの3連戦は小熊選手の3連敗で幕が閉じる結果に。しかし、諦めない大熊選手の世界への道はさらに続く。
”これでも勝てぬか”と表現されたのは大熊正二選手。昨年12月のバスケス戦、”これでもダメか”は坂田健史選手であった。
ハワイキャンプ中の坂田選手。18日夕、帰国します。
★3月19日坂田VSパーラ決着戦【試合組み合わせ・チケット情報はこちらです・協栄ジム】
ボクシングを観よう!【スポーツチケットなら@電子チケットぴあ】
【坂田VS翁長・地獄のハワイキャンプ実況中継!】
再起した大熊選手にはWBAタイトルへの挑戦が用意された。王者に君臨するのはベツリオ・ゴンザレス(ベネズエラ)。78年11月その前哨戦の相手として選ばれたのは、不敗のホープ須賀伸治(松田)選手。
当時としてはめずらしく中学生からボクシングを始めており、名古屋の関係者の間では評判が高かった。全日本新人王も獲得している。
木村会長も強気のマッチメーク。「これくらいに勝てなけりゃ、世界なんて言ってられないよ」しかし、内心は冷や冷やであったらしい。(~~)
鮮やかなKOで期待のホープをマットに沈めた大熊選手。いよいよ本番、79年1月29日浜松市でゴンザレスとの3度目の決着戦のゴングは鳴った。チャンピオン29才、挑戦者27才。
スロースターター返上、1ラウンドから積極的に攻めた大熊選手。最後まで攻撃の手をゆるめなかった。14回にはダウンも奪ったが、レフェリーはスリップの裁定。
大熊選手が一番嫌いなのは足を使って動くタイプ。そうカントのようなタイプ。大場政夫(帝拳)選手への世界初挑戦以来、日本ではおなじみのゴンザレスは足を使える選手ではなくなっていた。
”大熊不運”。”またも判定に泣く”。”意外な引き分けにファン激高”。レフェリーは怒ったファンに蹴飛ばされた。
判定はドロー。大熊選手、「作戦通り、言われた通りやれたと思います」
「何かもうツキに見放されてしまったようで・・・」「僕の運はもう尽きたのかもしれません。あれで引き分けでは・・・」
採点表である。
レフェリー、ジャッジ3人が同じに付けたラウンドは一つもない。この当時はオール中立国ではない審判構成で、チャンピオン、挑戦者それぞれ自国からジャッジ1人ずつ、レフェリーは中立国というパターン。
この日のベネズエラ人ジャッジ・セリス氏は具志堅VSマルカノⅡでもジャッジを務めた。この試合は具志堅選手が危なげなく攻めきり、圧倒的な7回KO勝ちを収めた試合であるが、セリス氏の採点はマルカノがリードしていた。ビックリしたものである。
レフェリーデンキン氏は具志堅VSマルカノⅠでもレフェリーを務めた。この試合も具志堅選手、危なげない試合であったが、デンキン氏の採点は最終回を具志堅選手がやっと抑えての僅か1ポイント差であった。
坂田健史VSロレンソ・パーラⅠ。採点表である。
ラスト2回、パボン氏は11、12回と坂田選手にポイントを与えている。パボン氏、亀田興毅VSランダエダⅡではレフェリーを務めたWBAの審判部長であります。
「このままではボクシング人生に悔いが残る。今度こそ決着をつける」
奇しくも大熊選手、坂田選手共に同じ言葉で心のうちを表現し再起を決めた。共に27才。坂田選手にないものは、元世界王者の称号。
「大熊はボクサーとして成長した。ボクサーとしてやるべき事、やってはいけない事の全てを自分で律する人間になっている」木村会長。
坂田選手も同様ですね。
JBCが先頭に立ちWBAに抗議し再戦決定。またしても、カント戦の再来となった大熊選手。ダイレクト・リマッチは7月に決定した。
しかし、ここで物語完結とは簡単にはいかないのが、ボクシングの難しさであります。今度こその気負いが、思いもかけない結末に・・・・。一体どうなってしまうのか。(~~)
”毎日の励み”に応援、よろしくお願い致します。→
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ラスト2回、パボン氏は11、12回と坂田選手にポイントを与えている。パボン氏、亀田興毅VSランダエダⅡではレフェリーを務めたWBAの審判部長であります。
「このままではボクシング人生に悔いが残る。今度こそ決着をつける」
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