李泰鎮先生の論文を読んでいます。脳みそが腐っているとしか思えません。
【以下、引用】
さきに言及したように、朝鮮初期の農業は畑作が耕地面積上七〇パーセント以上の比重を占めていた。したがって、畑作の技術的な成果は、稲作のそれよりももっと重要視されるもので、輪作と間種の多様な形態として紹介されている『直説(農事直説)』の耕種方式は次のように整理される。
(あ) 粟(間種)-大麦または小麦-粟(間種)-大麦または小麦
(い) 粟-大麦または小麦-大豆又は小豆(根耕)-大麦または小麦
(う) 大豆又は小豆-大麦又は小麦-大豆又は小豆(根耕)-大麦又は小麦
(え) 粟-大麦または小麦-大豆又は小豆(根耕)-○
(お) 粟(間種)-大麦または小麦-×-大麦又は小麦
(か) 大豆又は小豆(根耕)-大麦または小麦-×-大麦又は小麦
【引用終わり】
雑穀食ってますね。( ´H`)y-~~
で、朝鮮の14世紀後半の稲作の状況
干ばつに備えた溜池が山間部などにありますが、周辺の農民が渇水時に干上がった池の底を耕作し、水が溜まってくると、自分の耕作地が水没しないように堤防を壊して水を抜くということをくり返します。下流には必要な時には水が無く、大雨の時、さらに水が増える結果になります。激しく馬鹿です。(世宗実録 巻一一二 世宗二十八年)
さらに輪作がなかなか軌道に乗らなかった理由
朝鮮の農民は貯蔵している種籾を食ってしまうから。
ネズミですか?人ですか?
参考資料:穀物倉庫につけられた「朝鮮_人返し」。日本では「ねずみ返し」という。
バカはバカなりに考えます。
そんなわけで、平地でも溜池に依存せずに灌漑出来る水車の利用が研究されます。15世紀のはじめのことです。水車の製造と利用について、毎年チェックしますが、全く普及せずに失敗します。その当時、足利幕府に派遣されていた通信使の朴瑞生は、日本では水車が広く普及しており、農業生産を向上させていることを報告し、朝鮮も水車を導入するよう建議します。世宗はこの建議を見て、「中国と日本が双方とも水車を実用化しているのに、どうしてその中間にある朝鮮は水車を使えないニカ?」とものすごく根元的かつ屈辱的な疑問を持ち(世宗実録 巻第六十 世宗十五年)、日本式水車と中国式水車をテストしますが・・・
世宗の陣頭指揮もむなしく・・・失敗します。
川の流速が遅いとか、土質がどうのと言っておりますが、要するに技術的問題を解決できなかったわけです。バカは結局バカのままです( ´H`)y-~~
まあ、それはそれとして、李泰鎭先生、この論文をこのように締めくくっております。
【引用】
世宗みずから先頭に立って推進した農業技術振興政策は、国内の成果だけでなく、隣接する中国・日本(当時としては一つの世界)の技術上の成果も十分に収斂しようとする努力が傾けられたという点でも大きな意義があった。
(成果が何もなくても、努力した上海臨時政府?ゲラゲラ)
発展のための努力が「世界的な」成果に対する関心と受容を怠らなかったものとして注目に値する。
(水車さえ受容できてないじゃん( ´H`)y-~~)
この点は、中国の農書活用や、日本の水車からの刺激などのような技術自体に直接関連のある問題だけでなく、中国日本のどの地域でもなされなかった細密でありつつも総合的な体系を整えた天文器具が作られたことからも明確に立証される。
(天文器具があっても、実際に農禦技術の発展がなければ増産に結びつかないでしょ?そもそも、官による全国一斉の作付け統制って、北朝鮮の主体農法とどう違うんでしょうね?( ´H`)y-~~)
こうした農政体系は、世界的次元の追求と達成を雄弁に物語るものと言わざるを得ない。
(「世界的」に成功している水車技術も実用化できない世界的達成って何でしょうね?)
もうね、馬鹿かアホかと・・・。