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【茨城】人権とは 本名で伝えたい ハンセン病元患者古河の平沢さん母校で講演2008年12月5日 「故郷は地球のどこよりも遠かった」−。人権週間が始まった四日、ハンセン病元患者らへの差別や偏見をなくす活動を続ける古河市出身の平沢保治さん(81)が母校の古河第二小学校で講演した。公然と本名を名乗って故郷に戻り、講演するのは初めて。児童や約七十年ぶりに再会した知人らは「平沢さん、おかえりなさい」と温かく迎えた。 (中西公一) 平沢さんは一九三九年まで古河で暮らし、古河男子尋常高等小学校(現・古河二小)に通った。四〇年にハンセン病を発症し、翌年、東京都東村山市にある国立療養所「多磨全生園」に入所した。 これまで四十七都道府県で講演。本県にも何度も来て、古河市でも三年前に講演したことがあるが、その際は地元にいる家族や親族に迷惑をかけまいとペンネームで臨んだ。しかし、昨年「死ぬまでにせめて一回、本名を名乗って故郷を訪れ、大手を振って生きてきたことを子どもたちに伝えたい」と決意し、県や古河市の協力を得て母校での講演が実現した。 「人権とは、ともに励まし、遊び、学び、生きていくことです」 平沢さんは講演で五、六年生百六十八人を前に人権の大切さを訴えた。 これまで出身地を「北関東」「茨城県」と変えてきて、「古河市」としたのは今年二月。七二年ごろまで度々実家を訪れたが、「裏口から入り、裏口から出るみじめな思いをした」と振り返った。 いじめや戦時中の飢餓体験、母親への感謝の気持ちなどを切々と語った。そして「苦しみは喜びをつくる。今日は皆さんに先輩として笑顔で会いに来た。与えられた大切な命は自分で守ってください」と締めくくった。 講演後、六年生の藤田愛梨子さん(12)は「ひどい差別を受けたのに立ち向かって尊敬できる人だと思いました。私たちが頑張って差別をなくしていきたい」と話した。 平沢さんは講演に先立って古河市役所も訪問し、歓迎を受けた。白戸仲久市長や同席した職員らは平沢さんの長年の苦労を思ってか涙を浮かべていた。 <ハンセン病> らい菌による慢性の感染症。現在は有効な治療薬が開発され、治るようになった。「らい予防法」の下、患者の強制隔離などが行われたが、同法は1996年廃止された。
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