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マスコミの戦争責任を考える(6)

【PJ 2006年08月20日】− (5)からのつづき。

(6)マスコミは「敗戦」をどう伝えたか
 1945年8月15日。日本の敗戦をマスコミはどう伝えたのでしょうか。朝日新聞の一面トップの大見出しにはこうありました。「戦争終結の大詔渙発さる 新爆弾の惨害に大御心 帝国、四国宣言を受諾」。昭和天皇に気遣った表現がうかがえます。そして「再生の道は苛烈 決死・大試煉に打克たん」と見出しが打たれた記事には「事ここにいたつたについては、軍官民それぞれ言分もあらう。だが今はいたづらに批判、相互を傷つけるべき時期ではない」などとつづってありました。政府や自らの戦争責任問題からの逃避ともいえましょうか。

 また、8月23日付同紙の社説「自らを罪するの弁」では「…言論機関の責任は極めて重いものがあるといはねばなるまい」などと一応の戦争責任を認めたうえで「やがて聯合軍から来るべき苛烈な制約の下に我が同胞の意思を如何に伸暢せしめ、その利益を如何に代表すべきか、これこそ今後の我国言論界に課せられた新たなる重大任務である」と続けました。朝日新聞はマスコミ全体の戦争責任を認識しつつも、それに対する償いは、国民の利益を代表する任務としたのです。ここに戦争責任について一度立ち止まるといった態度は見あたりません。朝日新聞にとって、「戦前から戦後の間の断絶」は存在しないのです。

 一方、毎日新聞の8月15日付社説「過去を肝に銘し前途を見よ」では「責任論も国民の念頭を去来せずにはすまないであろう。しかしわれ等はこの際において責任論など試みようとは思はない」と政府や自らの戦争責任を回避することを宣言したのでした。毎日新聞にも戦前と戦後の断絶はありません。当時、日本のマスコミを代表していた朝日新聞と毎日新聞の論調の中には、マスコミ自らの責任を真摯(しんし)に問う態度はありませんでした。むしろ、自らの戦争責任についてをも他人事のように傍観し、身内であった軍部やマスコミ自身の責任を忌避するようなそぶりを見せたのが実情でした。

「戦争責任」。マスコミのけじめの付け方
 マスコミの中には敗戦の日に朝日新聞を退社し、郷里の横手市でミニコミ紙『たいまつ』を発行しつづけたむのたけじ氏や、敗戦の日から数日間、新聞編集を放棄した毎日新聞西部本社の高杉孝二郎編集局長といった人もいました。高杉氏は裏表2ページ建てだった同紙の裏面を白紙のまま発行しました。この理由について高杉氏は「毎日新聞百年史」の中で「昨日まで鬼畜米英を唱え、焦土決戦を叫び続けた同じ編集者の手によって百八十度の大転換するような器用なまねはとうてい良心が許されなかった」と証言しています。むの氏が退社した原因は戦争終結のやり方に不満があった、高杉氏が編集を白紙で発行したのは記事にする情報が無かったという見方もありますが、彼らのように自ら進んで戦争責任を取ったマスコミ人は極少数派です。
 
「国民と共に立たん」と宣言した朝日新聞
 朝日新聞は敗戦後の1945年11月7日付の紙面で「国民と共に立たん 本社、新陣容で「建設」へ」という宣言を掲載しました。この文章は朝日新聞の論説主幹をつとめ、長年「朝日ジャーナル」の巻頭言を記した森恭三氏によるものです。ここにマスコミの典型的な「けじめのつけ方」を見ましたので全文を記します。

 「支那事変勃発以来、大東亜戦争終結にいたるまで、朝日新聞の果たしたる重要なる役割にかんがみ、我等ここに責任を国民の前に明らかにするとともに、新たなる機構と陣容とをもつて、新日本建設に全力を傾倒せんことを期するものである」

 「今回村山社長、上野取締役会長以下全重役、および編輯総長、同局長、論説両主幹が総辞職するに至つたのは開戦より戦時中を通じ、幾多の制約があつたとはいへ、真実の報道、厳正なる批判の重責を十分に果たし得ず、またこの制約打破に微力、つひに敗戦にいたり、国民をして事態の進展に無知なるまま今日の窮境に陥らしめた罪を天下に謝せんがためである」

 「今後の朝日新聞は全従業員の総意を基調として運営されるべく、常に国民とともに立ち、その声を声とするであらう、いまや狂瀾怒涛の秋、日本民主主義の確立途上来るべき諸々の困難に対し、朝日新聞はあくまで国民の機関たることをここに宣言するものである」

 確かに文章は立派です。ただ、経営陣の総退陣などは、一般企業ではいまどき珍しくも無く、当たり前のことです。企業が不祥事を起こすと、罪が確定していなくても、容疑段階で不祥事を起こした者は懲戒免職になり、経営責任を取らされる企業経営者はごまんといます。それに比べたら、新聞社のオーナー・株主として厳然たる影響力を持ち続けた彼らのけじめのつけ方はいかがなものなのでしょうか。

 このこと以上に、この宣言が出された時期が重要です。なぜ敗戦の8月15日から約3カ月も経て、ようやくこの宣言が掲載されたのでしょうか。次回は、当時の朝日新聞経営陣と労働組合との関係、その背後にあったGHQの影響力について考えていきたいと思います。【つづく】

■関連情報
第1回
第2回
第3回
第4回
第5回

引用・参考文献
・有山輝雄著『「民衆」の時代から「大衆」の時代へ−明治末期から大正期のメディア』(有山輝雄・竹山昭子編『メディア史を学ぶ人のために』第4章)、世界思想社、2004年
・飯田泰三著『批判精神の航跡−近代日本精神史の一稜線』筑摩書房、1997年
・有山輝雄著『総動員体制とメディア』(有山輝雄・竹山昭子編『メディア史を学ぶ人のために』第9章)、世界思想社、2004年
・内川芳美著『マス・メディア法政策史研究』有斐閣、1989年
・佐藤卓己著『現代メディア史』岩波書店、1998年
・佐藤卓己著『言論統制−情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』中公新書、2004年
・川上和久著『情報操作のトリック−その歴史と方法』講談社現代新書、1994年
・佐藤卓己著『メディア社会−現代を読み解く視点』岩波新書、2006年
・田村紀雄・林利隆編『新版ジャーナリズムを学ぶ人のために』世界思想社、1999年
・小田光康著『「スポーツジャーナリスト」という仕事』出版文化社、2005年
・美作太郎・藤田親昌・渡辺潔著『言論の敗北−横浜事件の真実』三一新書、1959年
※この記事は、PJ個人の文責によるもので、法人としてのライブドアの見解・意向を示すものではありません。また、PJはライブドアのニュース部門、ライブドア・ニュースとは無関係です。

パブリック・ジャーナリスト 小田 光康【 東京都 】
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