このひとからはいろいろ教わったなあ。探求アンド実践、このひとがいま何を考え、何をしてるか、いつも気になります。
空き地家 アンド ブルースマン。空き地は飛び出し子供に代表されるように子供のエロス、ブルースは大人のエロス、それをあわせて青(ブルー)空(き地)。青空派Tシャツを作っていた。
アンドの思想。アンドの思想はよい。
最近は書道。歌謡の探求・実践にむかっていると思っては最近は、書道も始めている。
日比野真(ヒッピィ)
現在、変態左翼活動屋、
こういう自称はリングネームかもしれない。この人の場合、変化しつづけている。変態であり、左翼であり、アクティビズムをなりわいにしているということ。私はこの人から教わったなあ、街頭での斗い方、アウトノーメ、スクオット、ゲイ、バイセクシャルについて……みなさんもいろいろ教わるべきだ
HP’s ホームページ
DTK!は蝉のぬけがらを売っていた人だ。今はDTK!をやってる。
道路をとりかえせ(DTK!)
クルマから道路をとり返せという。
自転車に乗っていると本当に車というのは邪魔だ。クルマのせいでいかに不自由を強いられているか。
クリティカルマスというのは、多くの自転車を連ねて「車道」を気ままに走ること、それはもちろんクルマの走行の邪魔になる、クルマから道路をとりかえすこと、とはこういう具体的にとりかえすということでもある。
CarWalkというのも紹介してあって、とてもおもしろい。それはクルマの上を歩く事という。道路をクルマの走るところと思っていては思いつかない。そうではなく道路とは歩いたりするところのはずだとすれば、クルマは道路の上にある大きな固まりにすぎない。
冷静に見てみればクルマはスマートでない。排気ガスを出しながら、ぶつかったら人が死ぬようなものが我が物顔で走っている。未来からみたら当時の人間には人権というものがあったのだろうか、といぶかしるようなものだとおもう、でも広告などの力かそんなクルマをいまなおかっこいいものとするような現在の文化、それをクルマカルチャーとよんでいる。DTK!はそんなかっこわるいクルマカルチャーから、なんだろうねえ、なんでしょう、
そういえば
私の父親なのですが、小説をかいたり(本は出していない)いろいろしてきた人で、最近は文人という言葉が似合っているような、
このところ書道に凝っています。
このところの日課は神田川に住んでる、鯰・ナマズへのエサやりです。
加藤真、「日本の渚」、岩波新書
なんていうんだろ愛と静かな怒りに満ちた本です。
公害、環境の問題は暴力の問題なんだと思う。それも暴力をふるっているほうがそれに気付かなかったり、それじゃ暴力をふるわれてる方はたまったものではない。だからこの本は渚の豊かさ、生物多様性について語ると共に、そこにふるわれる暴力に対する告発の書になっている。
昔この人のゼミ、といってもピクニックのようだったなあ、に参加してて、その時の語り口をおもいだした。
やもり
京都在住の写真家
藤本なほ子
紹介しにくい人だ。去年、パフォーマンスというものを続けていこうと思います、というのを受け取った。そして、2003、5月、7月、「ここではないについて述べる」というインスタレーションとパフォーマンスがある。
プロデューサーサーになろうとおもった、にも書きました。
山下残
大阪で踊っていても、世界で踊っている感じがします。
ローソクみたい(つき山いくよ)
私が、最初に残を見たのは、忘れもしない、1990年くらいの京都精華大学の学園祭かなにかで、ステージにたくさんの人がばらばらと踊っている中、一人目立つどうしても目がいってしまうダンサーがいて、ひょろっとした人がうちわを持って踊っている、その人が残でした。すごいダンサーにちがいない、と思って。そのあと、学園祭のテントのうどん屋でうどんを食べていたら、向うでさっきのすごいダンサーがまるくなってうどんを食べていて、あんなすごい人がうどんを食べているなんて、とびっくりしました、それ以来のファンです。
その後1994年頃から詩の朗読、ファミリー、と独自の重要なダンス作品
私の居候ライフは、残君の家に出かけていくことから始めました。
プロデューサーサーになろうとおもった、にも書きました。
上田暇奈代と中西美穂
大阪の西と南