社会主義社会の最高に発展した段階が「共産主義社会」である。 キムジョンイル総書記は、次のよ
うに述べている。
「共産主義社会とは、すべての人があらゆる束縛から最終的にぬけだして自然と社会と自分自身の完
全な主人となる社会であるといえます。共産主義社会では、社会の全構成員が人間の社会的本性にあう
自主的な思想意識と創造的能力を全面的にそなえた完成した社会的人間となり、生産力は社会生活の各
分野で人間の自主的で創造的な活動を物質的に十分に保障できる高い水準に到達することになるでし
ょう。これによって社会関係は、全社会が一つの社会的政治的生命体をなし、個人と集団の自主性がと
もに実現される完全な集団主義的社会関係となるでしょう。一言でいって、共産主義社会は民衆の自主
性が完全に実現される社会です」(同上)
ここで重要なことは、第一に、共産主義社会では、階級分裂・対立が克服され、社会の存立・発展を
担うすべての勤労民衆が、自然と社会と自分自身の完全な主人となっている、ということである。もち
ろん人間は自然法則をなくしたり、無視して行動することはできないが、自然法則の科学的解明と認識
を通してその法則に意識的に適応して、みずからの目的を達成することが可能となる。その意味で人間
は自然の束縛から解放されて、自然の主人となりうる。
より重要なのは、社会関係において人間が真に主人としての地位を占め、それにふさわしい役割を果
たすようになる、ということである。この点では、民衆の自主性を損ない、制約する支配階級や帝国主
義勢力の支配とともに、貨幣や資本による物神的な(Fetish)支配からの脱却を明らかにする必要がある。
このような社会関係における束縛の廃絶によって、民衆は社会の現実の主人となるとともに、「自分自
身の主人」たりうる、すなわち「自己の運命の主人」としての自覚をもって主体的に行動しうることに
なる。
第二に、チュチェ思想は、人間の「社会的本性」を「自主性、創造性、意識性をもち、自己の運命を
自主的に、創造的に開拓していく社会的存在」としてとらえている。この人間の「社会的本性」は、自
然的属性ではなく、社会関係のなかで、社会運動を通して形成、発展してきた人間固有の社会的属性で
ある。チュチェ思想の追求する共産主義社会は、「完成した社会的人間」による人間性を全面的に開化、
発展させる人間中心の社会なのである。
第三に、チュチェ思想は、人間を個々の個人としてではなく集団を形成している人間としてとらえる
とともに、歴史の主体を勤労民衆ととらえている。キムジョンイル総書記は「民衆は歴史の主体であり
ますが、つねに自己の運命を自主的に、創造的に切り開いていく歴史の自主的な主体となるのではあり
ません。…歴史の自主的な主体は、先進的な労働者階級が出現し、かれらの自主的な革命思想によって
勤労民衆が意識化され、組織化されてはじめて…自主的な革命思想をもって、自己の運命を自力で切り
開いていくようになりました」(『チュチェ思想教育における若干の問題について』)と述べている。「意
識化」され「組織化」された勤労民衆とは、革命的な労働者階級の政党に結集した民衆である。この党
組織の指導のもとで、民衆は「歴史の自主的な主体」となる。そしてこの「自主的主体」が全社会的に