CROWN READING lesson9
安藤忠雄は日本で最もよく知られ、尊敬されている建築家の一人である。彼の作品は世界中で称賛されている。それなのに安藤は自分を成功者だと思っていない。事実、彼が最近出した著書に選んだ名は『連戦連敗』であった。正規の教育を一度も受けなかったこの男がどのようにして有名な建築家になったのか?なぜ彼は自分が「連戦連敗」していると感じているのだろうか?
①
〈グランドツアー〉
安藤忠雄は日本が生み出した最も有名な建築家の一人であり、作品により数々の賞を受賞してきた。それゆえ彼が建築を独学で勉強したと知ったらあなたは驚くかもしれない。彼は大 に行かなかった。彼には先生がおらず、その上、建築について議論を交わす人が誰もいなかった。その代わり彼は世界中を旅して歴史的に重要な建築物を訪れたが、そのことによって彼は西洋建築の良さを認識するようになった。17世紀から18世紀にかけて、英国の若者は、自分自身を鍛え教育するためにしばしば「グランドツアー」を行い、ヨーロッパのあちこち、特にローマを旅した。若かりし安藤のヨーロッパとアメリカへの旅は彼のグランドツアーであり、今なお彼に影響を残している。
安藤によれば、直接体験はよい建築物を生み出すのにとても役立つ。新しい技術があるので、私たちは地球の裏側にある場所でさえ多くの情報を得られる。けれども彼は建築は現地で─そこを訪れて、雰囲気を感じ、材質に触れ、声の反響を聞くことによって─「経験」しなければならないと信じている。彼はこのグランドツアーの間にこの信念を持ったようである。
②
〈壁にぶつかる〉
1969年にグランドツアーから帰ったあと、彼は大阪に小さな事務所を開いたが、仕事がほとんどなかった。最も安い材質の一つであるためコンクリートに興味を持つようになったのがこのころだった。「安藤はコンクリートに取り付かれている」とさえいう人もいたものだったが、彼はコンクリートをより美しく見せる方法を勉強し続けた。
1976年、安東は大阪の住吉の長屋を設計して鮮烈なデビューを果たしたが、それにより彼は日本で最も重要な賞の一つを受賞した。
長屋は通りから完全に遮断されているという点で独特だった。内部は外部から閉ざされているが、屋根のない中庭があり、そこで人は「自然」をじかに感じることができる。安藤は言う。「私が望んでいるのはコンクリートの箱を作り、その中に小さな世界を作り出すことです。単純ですが、さまざまな空間があり、閉ざされていても光によって演出されている。私が作り上げたいのはそんなイメージです。」建築に自然を取り入れることは安藤にとってとても重要である。そんな風にでも自然を体験できると考えているからである。
1987年、安藤は大阪の茨木に教会を設計するよう頼まれた。予算がとても少なかったから難題だった。全予算のうちほぼ60パーセントを建築材に使わなければならなかった。安藤はまず少ない儲けで彼と仕事してくれる建築会社を見つけることから始めなければならなかったが、簡単にはいかなかった。時は「バブル経済」、建築会社は予算に制約を設けずに仕事をするのを好んだ。けれども安藤はこの難題を歓迎した。想像性は新しい発想が現実にぶつかったときに生まれてくるはずだ。美しい教会は予算がどんなに少なくても建てられるし、建つだろう。教会の内部は簡素にしなければならないと分かっていたが、その単純さを大いに美しくする方法を見つけなければならなかった。
何より安藤が関心を持ったのは単純さと光だった。クエーカー教徒の集会所やパンテオン、ロンシャンの教会、セナンク修道院の記憶とイメージが常に頭にあった。数ヵ月後、彼は自然光を使って十字を作ることを思いついた。あらゆる難題にもかかわらず、彼は1989年に光の教会を作ることに成功し、この作品で賞を受賞した。
③
〈勝ったり負けたり〉
1991年、安藤は新京都駅をデザインする重要な国際的コンクールに参加した。長期にわたって調査したあと、彼はこの町の外観を変える設計を思いついたが、それは東海道線が機能と景観の両方の点で町を分割するというものだった。彼があたためた計画は今日京都駅が立っている場所に二つのガラスのゲートを作ることによって北側と南側をつなぐというものだった。その二つのゲートの下部にそれぞれ巨大なガラス張りのステージがあり、それは24時間開放される。南ゲートからは東寺が、北ゲートからは本願寺が見えるだろう。実はこの二つのゲートは決して建設されることはなかった。安藤は「競争」に負けたのである。
安藤は、社会における建築家の役割とは新しい建物や空間をデザインすることだと知っている。けれども彼は古い建物を修繕したりよみがえらせたりすることはもっと大事だと信じている。東京にある古い図書館を国際子ども図書館にしてほしいと依頼されたとき、彼はこの信念に従った。
またも真の難題だった。まったく新しい図書館を建設するのであればそのほうがずっと簡単だったろうが、安藤はあきらめなかった。古いものと新しいものとの「対話」を感じられるように新しい大きなガラスの箱をいくつか古い建物の中に入れることによって新しいものと古いものを対照させるというアイデアを彼は思いついた。古い建物の外側にある長くて幅のある廊下は縁側のような場所として使われるだろう。そして図書館を訪れた子供たちはそこでのびのびとして好きな本を読むことができる。そのうえ、彼は古い建物の下に、地震の衝撃に耐えられるよう耐震構造を入れた。これらの変化は古い建物に新しいエネルギーをもたらし、さらに100年、あるいは200年もの寿命を与えた。
④
〈最後は勝つ〉
現在、安藤は世界中で建築家たちと絶えず競っている。偉大な作品は、夢が制約されたときのみ生まれてくるということを彼は知っている。もし困難に直面したら、自分に「何をしたいのか?」「何ができるのか?」と問いかけて、どう克服すべきか考えなければならない。
建築は闘いだと安藤は言う。彼は連敗が続いていると思うこともよくある。しかし安藤と彼のアイデアは最後には勝つ、と多くの人は願っているし、そう信じている。/
クラウンリーディング9
Losing Battle after Battle 連戦連敗