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【群馬】

ハンセン病テーマに高崎でシンポジウム 『“胎児標本”の運命逃れ・・』

2008年12月7日

差別体験を語るハンセン病回復者遺族の宮里良子さん(手前)=高崎市で

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 ハンセン病の女性患者に中絶を強いた時代、「私は“胎児標本”になる運命から逃れて生きられた」−。回復者の遺族、宮里良子さんの講演はこんな言葉から始まった。ハンセン病問題をテーマにしたシンポジウムが6日、高崎市のカトリック高崎教会で開かれ、宮里さんと2人の有識者が差別の不当性などを訴えた。(菅原洋)

 六十代の宮里さんが生まれた戦時前後。患者たちは厳しい差別から、男性は断種、女性は中絶が強いられた。中絶後などは、胎児標本にされた。

 宮里さんは九州地方出身で、両親は鹿児島県の国立療養所「星塚敬愛園」に入園。両親は結婚し、母が妊娠したが、二人は中絶を逃れるために脱走した。ところが、宮里さんが四歳の時、両親が強制隔離された。宮里さんは「トラックの荷台に乗せられた母が泣き叫びながら私の名を呼び、私も『母ちゃん、いかんで』と泣き叫んだ」と記憶がよみがえるように語った。

 宮里さんは、父の死の間際をみとった際、「帰れ、帰れ」と気遣ってくれた記憶や、回復者が家族にいるのを理由に離婚した経緯などを涙ながらに述懐した。

 シンポジウムは日本カトリック部落差別人権委員会などが主催。信者以外の市民も含む約百人が訪れ、新潟大の宮坂道夫准教授は差別の歴史などを、ハンセン病国賠訴訟弁護団の神谷誠人弁護士は訴訟経緯を解説した。

 参加者ら約二十五人は七日、草津町の国立療養所「栗生楽泉園」を訪れ、戦時中に患者を強制収容した「重監房」の跡を見学する。

 

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