憂楽帳

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憂楽帳:「社会人」になった

 ハンセン病回復者の山内きみ江さん(74)は言った。「社会人になりたくて」。半世紀近く暮らした国立療養所・多磨全生園(東京都東村山市)を離れて4年。自転車で7、8分の場所に住む。別の病気のため園内に残る83歳の夫が背中を押してくれた。初めて使う健康保険証。役所や銀行での手続き。新社会人は覚えることも多い。外出先で手のことを聞かれれば、「ハンセン病の後遺症です」と答える。

 東村山市内の公民館で開かれた回復者を囲む座談会に、元患者2人とともに参加した。自分がハンセン病と分かる前には差別する側に回っていたことも明かし、全快しても療養所を出られない人が多い現状を訴えた。

 座談会は「ハンセン病首都圏市民の会」の主催で今春から始まった。「地元からの支援は少なかった」。初回を待つように亡くなった国家賠償訴訟原告団の国本衛さんの一言がきっかけだった。6回で延べ100人余りが回復者の生の声を聞き、対話を重ねた。小さな集まりに隣人として新しい関係を築く可能性を感じた。【横井信洋】

毎日新聞 2008年12月8日 12時21分

12月8日「社会人」になった

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