Britty aka User:Aphaia の ウィキメディアプロジェクト回遊日誌
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ひさびさに meta 経由でラテン語版(以下 la )の interlang。V-Z を試みる。interlang のまったくないのはたいてい stipula*1なのですこしは加筆してみる。……スウェーデンがらみの街一行スタブの山。multi stipulae sueciae sunt. いいけど加筆しようよ。それともすでに投稿者は la から去ったのか。sw へリンクしようとおもったら、その街記事、sw にはなかった。およよと思う。なのであまりはかどらず。
la の RC はいつも気持ちがいい。stub の山があるかと思うと黙々と大きな記事を書く人がいる。どちらも静かに共存している。その静謐さがいい。大学に朝早く行くと満ちている静かな空気に似ている。最近la ではトーク*2のやりとりも la が主流になってきてるので、ますます落ち着いた雰囲気になってきた。Taberna はさすがに英語である。RfA はかなりラテン語優勢になってきている。推薦文ラテン語どうかなあと思うが、まあそんなに難しいことが書いてあるわけではないので、いいのかもしれない。
前の日に tomos さんが「la の訳語決定における NPOV」という話をしていたが、la は一応学術語として 19 世紀まで使われていたし、en や fr からリバースで新語も作れるので、まあそれほどは言葉にはこまらないのだった。そのへんをああだこうだと議論する愉しみというのもあって、これはある言語版の初期に参加していない人には分かりづらいかもしれない。最初英語だったいろいろが議論によってラテン語化されていく、その過程が楽しいのだ。なにかが決まるたびに「これでまたひとつ la らしくなった」と喜び合う。ja でもないことはないが、la での新語の苦労に比べるとやはり少し達成感が薄い気はする。たぶん「日本語らしくする苦労」というのは日本語を母語とする私たちには切実な苦労ではないからだろう。5,6 個 interlang して meta/ja のほうの山積みの仕事に戻った。
何の気なしに#wikimediaを覗いてみたら、数人ログインしてきた最後に tomos 氏がいた。フランス勢が多かったのでとりあえずフランス語で挨拶。それ日本語じゃないですねと jawp bureaucrat x 2 からつっこみ。たぶん4時頃だったと思う。
しばらく #de でヨタ話(Berlin 関連)をして #ja.wikipedia に戻る。tomos 氏が先ほど投稿した jawt の NPOV の文書が話題になっていた。jawb の辛口 sysop Lots 氏が分かりやすいとほめるのでそれを読みに行く。たしかに分かりやすい。宙ぶらりんになっていた tomos 氏去就@jawtの話を振ると、居酒屋に書いたのとはまた状況が変わっているらしい。それもあって NPOV 投下ということか。
とはいえ sysopship と文書整備は直接には連関しない。別に一般ユーザがやってもよい。と tomos さんいつもの主張。それには同感だが、「対処」は sysop の仕事なのかどうかで意見が分かれた。これはたぶん語の意味の捉え方の違いだろう。彼の意見によれば、違いはただ責任が生じるかどうか、だそうだ。……Kate が en の otrs team に入りたくない理由に「訴追されるの嫌だ」といっていたのをふと思い出した。
Kate と Jamesday のプロフィールの話はあれは前日だったのかこのときだったかやや記憶が曖昧である。前日かな。tomos さんは Kate に面とむかってきいてみたらいなされて、乙女心は複雑で分からない、とこぼしていた。
次は著作権、のつもりだったようだが、難しい、とこぼす tomos 氏にid:Suisui が tomos たんでもわからないことがあるのか、とちゃちゃ。結局今日は新規投入は NPOV の一点にとどまる。
jawp - jawt 間のコンテンツ移動から、jawp と他のプロジェクトでの方針の共有の話。日本語プロジェクトはまだ未整備のところが多いので、どういう方針で進めていくかという話になった。コンテンツの性格の違いもあるし、人が増えれば独自性はおのずと出て行くだろう、ただいまのところは準拠でいいのでは、という持論をいう。tomos 氏は逆にいろいろ実験してみたい様子。話をするたびにおもうが、彼のアイディアはおもしろいし、プロジェクト全体もまだ過渡期でいろいろなことが出来るはずなのだが、jawp はそれを実行に移すにはいろいろと障碍があって、提案にも至っていないもののほうが多いというのは残念なことに思う。慎重なのは彼の美質のひとつだし悪い影響を懸念するのも分かるのけれども、実験的なことをやれないプロジェクトはやはり停滞していく傾向があるので、そうしたことをもっと積極的に提案してみてもよいのではないだろうか。まあその分 wikt で暴れてくれるならそれはそれでよいとも思いますが。:) wikt には wb やさらに wikiversity と連動して動くという構想もあるので、wp とは違った意味で、いろいろと面白いことが出来るだろうとは思う。もっとも彼のいう実験はライセンス関係やあるいはコミュニティ関係がらみではないだろうかとも思うが。
Lots 氏は jawp をみていると整備は放っとくとぐしゃぐしゃになって後でどうにもならなくなるのでなんとかしたいというようなことをいう。だけども人が自然発生的にやってくるところでは ad hoc なルールがいろいろ出来るのはしょうがないだろう。そして ad hoc である以上全体の整合性ということはまず望むべくもない。en がここ半年大きなルール改正を重ねているのをみていると、結局は小手先ではなく新しく設計しなおさないといけないんだろうなと思う。そこへいくと jawt などは人もコンテンツもない状態だから、最初から綺麗なルールを設計するということも無理ではないと思う。これは jawb もおなじだけれど。それぞれでの方針の違いを話していたときに、jawq で fair use をみたと tomos 氏の指摘。……なんだがどこにでてきたのかわからないよママン。これは明日以降の課題。
そのあと ignore all rules の話を tomos 氏が振ってきた。あれも一生懸命になっている人たちには悪いが馬鹿らしい話。ルールにこだわらないにこだわらない。もうあそこは知らないと宣言したが、ドイツ語の訳だけ直して欲しいといわれたのでそれはやっておいた。まじめに書いた提言が冗談と一蹴された el はちょっとかわいそうかな、と思った。
きょうから 21C3。そいや #wikimedia には Joi もいたけど彼はもうベルリンなんだろか。
久々に wikigame.
6人くらいでやって盛り上がる。が、2周目に入ったところで猛烈な slowness が来た。de も死んでいるようで「クリスマスには落ちることにきまってるのよ」「しかも今年さらにdev 休みだし*1」。そうこうしているうちに動き出したが、東京を舞台にした漫画作品に X*2 がないってどういうことよぉぃ。
京都丹後農業協同組合へ入る道は(索引を除くと)日本の農業協同組合一覧しかないのだが、「日本」からここにたどり着くのにかなり苦戦。とりあえず「日本の経済」はかなり加筆しないとまずい予感。農業のところに農協がないのはまずいっしょ。
お遊びなので公開の場でおちょくられても耐えろというのはいじめの論理と一緒ですね。この無責任な態度に抗議して、上記表現を撤回するか、私のハンドル Aphaia をもじっているらしいキャラクターに関する一切の表現の公開を撤回するかどちらかをなさっていただくように要望いたします。はっきりいいますが、これは上記コメントで示されている lenji 氏の姿勢に抗議するためのものです。
注:この後、lenji 氏から回答があり、このときの抗議は撤回しています。
実在の人物とは関係がないことを標榜しているので了解を得る必要もないというのは倫理的にいかがなものか。自分たちの楽しみのためなら他者に配慮しなくていいというのは、たとえ法的な問題がクリアできたとしても、対人の倫理として問題があるように感じた。
パロディ漫画についていえば、私個人はああいう遊びは嫌いではない。しかし一方で「あれに描かれて『萌えキャラ』化されると思うと、sysop になるのはいやだ。そこまで有名税を要求されるのはかなわない」という人が少なからずいるのも事実である*2。そうした潜在的な懸念に杞憂でしょうとは答えかねたのだが、それはおそらくその時点では杞憂ではなかったのだろう、そうした対象への配慮が作者側にまったくない、あるいは自分の行動がそうした意味でコミュニティに負の影響をも与えていることへの意識が欠落しているということを今回のやりとりで図らずも確認したという気がする。なおこの件については漫画の作者である lenji 氏からコメントがあったので読者諸氏には、そちらも見てほしいと思う。
フランス法におけるパロディの合法性とは、元ねたのアレンジとしてのパロディはそれ自体で美術なり文芸なりの一次の著作物たりえる*3、あるいは、パロディは元ねたになったものの同一性保持権の侵害には当たらないということなので、今回のような場合にはあてはまらない。;-)*4あるいは政治パロディ*5のようなものを念頭においての発言かもしれないが。だとすると、政治家のような公人と一私人の私的な活動とでは、表現の自由の適応は違ってくる。一般に大陸法では私人の活動におけるプライバシーと表現の自由が衝突する場合には前者を優先する。日本でもその傾向はあって、たとえばそれは『宴のあと』裁判と『石に泳ぐ魚』裁判の違いに現れている。私人を対象にして「芸術的表現なので実在の人物とは関係がない」ということをいうのは日本では少なくとも司法の現場ではあまり受けがよくないという話はある。少なくとも、創作だといって実在の人物の実在の特徴を書いて、それが社会的に見て書かれたくないことどもに普通属すことだったら、まず表現者側は勝てない。もっともこれは創作についてだけいっているので、報道あたりだとまた話が違うかも。
さていっぽうそのフランスでは、ミッテランの婚姻外の女性関係があるマスコミでかかれたとき、法には触れないとはいえ他人の私生活を暴くとはなんと無粋なことかと書いた雑誌は非難を受けたのであったが。
というのは、まあ余談ですが、とここまで書いてからドイツの灰の水曜日の政治集会*6を思い出した。ZDFによると「舞台でおちょくられるのはつらいものです。しかしおちょくられさえしないのはもっとつらいものです」政治家ってほんとに因果だのう*7。。本題?に戻ると、誰もが「無視されるよりおちょくられたい」と思わないことも確かなことのように思われる。
あるいはコントロバーシャルといふ事。
Template: じゃなくて Vorlage:Troll*8から議論の末、AA*9が消えてしまった。気に入っていた絵なので残念である。
消えたのは数日前だが、思い出したので書き留めておく。
irc で突発的に企画が持ち上がる。時期未定。現在のところ参加者2名(の予定)。そういえばあのお好み焼き屋にも入ったことがないや。あの辺少し店が入れ替わっているので、お好み焼き屋も実はなくなっていたりする予感。
*1:typoがあったのでそこは直しています。
*2:私が打診したなかには、そうした方もいた。残念なことである。
*3:たとえばマッドアマノ裁判はたぶんフランスでだったら原告敗訴だっただろう、ということ。
*4:ていうか、とても唐突なんですが、どこからその話に出てくるんでしょう。
*5:Canal Plus だっけ、フランスの政治ねた人形劇は実はかなり私は好きでした。
*6:なぜ年に二度の断食の日が、ビールをのんで政治漫談を聴く日になるのかはいまだに謎だ。
*7:私がみたバージョンでは、アンゲリーカ・メルクル[CDU]がねたにされていて、「あたしは東からきた女の子、裏金疑惑をごまかす看板娘♪」と彼女の物まねをしながらコメディアンが歌を歌っていた。涙を流して受けている彼女が素敵だと思いました。
*8:荒らし、というか釣り師相手で紛糾しているときに、talk にはるテンプレート。効果があるときと、さらに紛糾するときがあるので、テンプレートにすることにどれだけ意味があるのかは不明である。
*9:トロールが「荒らしにえさをやらないでください。」の立て看板を持っている図。
lenji2004/12/25 01:05お邪魔します、lenjiです。他所様のはてなで長文書くのは失礼かと思い、Questのところで言わしてもらいました。まだ起きていらっしゃったら見たってください。失礼しました。