Britty aka User:Aphaia の ウィキメディアプロジェクト回遊日誌
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不動産に対して著作権は動産になる。わけだが。
遺稿集はどうかわからないが、全集がでるという話はあるらしい。英語への翻訳はアンソロジーのみ。紀伊国屋から。このあたりは biblio をもっとしらべないと書けない感じ。ほか大学紀要と雑誌にそれぞれ翻訳。
「私の前にある……」の訳に困る。鍋はともかく釜は西洋にないんだよなあ。しかし英訳をみつけたのでとりあえず en はそれを外部リンク。en の「どういう詩を書いてるの」というつっこみに触発されて、前に書きたしておいた「表札」の概略に少し手を入れる。
「詩集」としてだした四冊と選集ぽい三冊をどう呼び分けるかどうかも悩ましいところ。
本日より削除依頼新文書導入(これは寝る前にやった)。
削除依頼テンプレートについてコメントに触発され、削除・ブロックをそれぞれ既存の議論を受けて文書化。Nomad 氏に「どんどん整備されていく」といわれる。てへ。最初はこのあたりでとめておくつもりだったが、勢いで残り2文書もドラフト化。jawp と完全共有するつもりだったが
などの理由があって、結局 3/4 について新規書き下ろし。ブロックがこのなかでは一番時間がかかりそう。「荒らしと宣伝は無期限ブロックでいい」というのは過剰反応かもと思う昨今。link spam があったので一度7日間のブロックをかけたがその後きていない。あるいは meta のように少々の spam や荒らしなら、ブロックさえせず revert だけで対処するほうが参加人数の少ないプロジェクトでは現実的なのかもしれない。
ともかく草案をしあげた方針系文書はほかの人の査読に出して、あと10日から15日はほうっておくつもり(質問やコメントには答えます)。ブロック依頼はまだ草案といえる段階ではないが、少しほかの人の意見をききたいのは同じ。次はスタイル系文書の整備。まずは各ファイルから代表的なスタイルの抽出か。
Brevam さんががんばっている。tomos さんと「間口を広げることと整備」の話をしたときに「何もないところに人が来ると、自分が整備をしなければいけないと思ってくれることもあるかもしれませんよ」というようなことをいっていたので、あれはもしかして彼の粗放栽培実験場なのか、とも思うが、しかしなんだかいろいろと大変なことになっているなあ。
*1:方針は共有できるが、運用や適用の部分は無理だし煩瑣になるということにブロック依頼を比較していて気がついた。
ここ数日、wikide-l & verein-l が沸騰していた、ということに気が付く。詳細は省くが
関連:Re: WikiReader Digest by Arne Klanpert
財団の正式な決定によって TomsK32 の新企画にストップがかかったこと、またウェブショップの閉鎖も決まったことを説明し、それを適切かつ財団の当然の権利*2であると意見を述べるメール。
なお Arne はこのメールのなかでこの新しい企画案の難点のひとつとして、「ウィキペディアにとって疎遠な企業と組むこと」を挙げている。また雑誌の裏に営利広告を入れる予定だったようだが、それにも難色を示している。また同じ人間が運営する(というか経営する)ウェブショップの会計報告や売上金を含む資金の使途や行方が適正になされていなかったことも、今回の決定を左右したようだ。このウェブショップは、ジンボさんの個人資産から(WikiReader出版費用を含め)3千ドル相当の資金を借り受けていたが、経理が不明瞭で一切使途・収益の報告がなされなかったので10月くらいから問題になっており、elian と arne が調査を依頼されていた。
ジンボさんのコメントは「なんで店をたたんだか? むしろなぜ今までぐずぐずしてたかって訊いてほしいね」。話が出てから数ヶ月経っているので、まあ分からないでもないが、起業家としてみるとすこしぬるい気がするのは、これが community matter でもあるからだろうか。これを書いている最中でも Tom は irc*5につないでいるが*6、いつ発言したかはちょっと不明。たんに寝ているだけかもしれないけど。
前回の major update が Nov 21 なのでほぼ二ヶ月ぶり。大きな変化は
なんにも考えずに ja をめくったら「うんこの帯」*10こと「メッセージが来ています」がずがーんと出た。作業が終わったら見に行こうと思ったが、別のタブと間違えて閉じてしまったので、いいや、また今度で。
riorio こと Mats Halidan と、en の派閥争いもうどうにもならんね、という話をする。ああはなりたくないものだ、といいつつ、では兆候はあるのか、そもそも大きなウィキは派閥なしではいられないのではないかということを考える。
派閥ができるのはある程度しょうがないだろう。人間は群居する動物だし、グループができることにはそれなりに意味がある。問題は派閥が違うからといって相手のいうことをまったく顧慮しなかったり、あるいは政争に明け暮れてしまうこと。
Mats は「ひとつにまとまって仲良くしなきゃいけないということはないだろう。ひとつの仕事をみなでしているということが問題なのだ」という。そうなのだが、派閥があることによって、「ひとつの仕事」をする集団であるという意識が脇へやられるのが、弊害だろうと思う。それを食い止める、あるいは軽減するために、では何をしたらいいのか。考え方の違いはしかたないとして、何を考えているのか、何を感じているのか、必要な範囲で議論を共有してプロジェクトとしての意識の統一をはかることがひとつ。もうひとつは荒れた雰囲気を抑制するために十分な数の sysop をもっておくということ。そして挨拶と感謝と相互賞賛によって、参加者が十分なコミュニケーションとインタラクトをもつこと。それによってコミュニティは secure な場所になり、またよい雰囲気が生み出され、よいユーザの定着が進む、ということで意見が一致した。「ひとりで荒らしを revert しなければいけないとしたら、早晩続かなくなる」とは Mats.
そして、そのような雰囲気を作るためには、あまり活発ではない、編集回数の少ない参加者、あるいは新しい人がいかにコミュニティの一部となる(integrate)か、あるいはそうであるという意識をもつことができるか、が重要だろうと Mats はいう。そのとき、挨拶をする人がいるというのはとても大事だと思う、と私はいい、Mats が同意する。知っている人がいる/声をかけてきてくれた人がいるというのは、小さなことのようで、後々まで心に残るものだ。
挨拶を入れる意味は、挨拶をもらう側だけにあるのではない。不思議と挨拶をいれるとその相手のことも記憶のどこかに残っていて、なので、挨拶を入れる人は複数いてほしいとも思う。it や sv がそうであるように、身構えずに、他の人のトークにメッセージを残してほしいとも思う。
どうも数が足りなくなると、荒らしへの対応も粗くなるし、コミュニティ内部の争いの仲裁もまた荒っぽくなる気がする。このあたりは、ja は他コミュニティの荒れた状態が早くに「普通の」状態として定常化してしまったために、いまがわりと悪い*11状態だという意識をもつひとは少ないだろうと思う。だが、users/active sysop がよその2倍近い、管理運営関係にたずさわらない passive admin の比率が異常に高い、そのためにこの規模の言語版なら当然整備されてよいはずのものがなにも手をつけられず荒野のように残っており、また削除依頼ほかに未処理案件が積み重なっていくという構造は、厳然とした事実として存在する。
ja にも牧歌的な時代があったはずなのだが、当時 active な人はかなり去っていった模様。たんに wiki というシステムとあわなかっただけなのか、それともなにか構造的な問題がコミュニティのなかにあったのか*12、というのは古老に尋ねてみたい気もする。
昨日の話だが、Fire が St. Petersburg から帰ってきたのでしばらくその話をした。ドイツでは「東のヴェネツィア」と呼ぶようだ。まあさして緯度の違わないドイツあたりからすると、北というより東と呼んだほうがしっくり来るのだろうか。
12.30 ru が10Kクラブの仲間入り。1ヶ月程度で1000から2000の項目数増加なのでかなり順調である。2004.3.20付では
# ラテン語 (Latina) (http://la.wikipedia.org) (2,000)
# ロシア語 (Русский) (http://ru.wikipedia.org) (1,967)
from 多言語の統計
だったのだが、さすがに話者のいる言語は強い。まあわれわれはまったりのんびりやるよ。ru はそこそこ話者数の多い有力言語だし、他のスラブ諸語への影響も見込めるので、順調に育ってくれるとプロジェクト全体へのいい影響があるだろう。よいニュースで一年を締めくくれてちょっといい気分。
「メインページ」の訃報欄が赤々としているのが気になる。数日手をつけかねていたのだが、石垣りん*1を年が変わるまでに書いておこうと決める。
まずそれなりなスタブを放り込んでから作品リストにとりかかる。案外寡作な人だったな、とリストを作りながら思う。tomos さんが国立国会図書館の DB の結果を投げてくれたのでそれを整理。しかし『表札など』初版が書誌データにないじゃんよ。本屋が納品し忘れたのか、データベース作成時のミスなのか、原因は不明。faso さんと'68本の出版社を確認。
石垣さんの詩は名前どおり*2昂く、しかしどこか猛々しいねという話を irc でする。ほかの女性詩人の話なども。そして今年去年ということ。
驚いたのは sj から priv が年の変わる数分前に来たこと。しかも日本語の挨拶。ほんに細やかな人だ*3。静かにベルリンの大晦日を楽しんでいるらしい。そちらはどうよ、と訊かれるので「こちらも静かだよ。つい先日逝った詩人の記事を書いていた。彼女の詩をこの数時間の間読み返していた。記事はいま書き上げたところ」というと "lovely" と返事が。「過ぎ行くものと新しいものが交じり合っているのだね。素敵だ」と評される。
このあたりで年が変わり、irc で賀詞を交し合う。de で「うちらいま新年になったよ」というと爆発的なあけましておめでとうの嵐。ja にことづかった挨拶をとりあえず irc などへ伝える。
これ彼女の死後、著作権どうなるのですかね、という話もでる。
ご両親はなく、お子さんもいないため、あるいは切れてるかなと思ったが、兄弟姉妹までは著作権の相続*4ができるので、切れていない可能性が高いねえという話になる。弟妹はご存命かは知らず、いらしたはずなので。昨日付けの著作者リストによればまだ相続手続きは行われていないよし。ということは公開情報ではまだ彼女が著作権者になっているわけか。すこしく複雑である。sketchさんが「童話社*5に問い合わせましょうか」というが、そこまですることのことでもないでしょう。面倒なので nnh さんの承諾が取れたら消しましょう、ということになる。家族との関係は詩に伺われるように平坦なものではなかったようだが、晩年はどうだったのか。女性が一人生きとおすということを思う。
本当は主要作品の初出年もいれた年賦も作りたかったが、とりあえずここで作業をやめて、いくつかの言語版に投稿。H氏賞の定訳をfasoさんが調べてくれる。英語版にスタブを放り込んだ後、じっくり it を書いているところに nnh さんが初詣から帰ってきた。その後 de に途中まで翻訳したものを投稿。これは正月明けてくらいからじっくり訳せばいいや(あるいは誰かほかの人がその間に訳すかもしれないが)。
最後に出た詩集の後、20年近くたっているので、遺作集が出るのか、出ないのか。もし本に未収録のものがあれば出てほしいと思うが「お別れの会」も済んでないのに遺作集の話をするのもせっかちだろう。
ともあれ2005年もよろしくお願いします。