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これは複合危機である。政治の混迷と、民営郵政の経営の失敗が複合して、郵政改革そのものが迷走しかねない状況に陥っている。
政治の混迷の中心にあるのは「郵政株式売却凍結法案」だ。
民主党、社民党、国民新党が1年前に参院へ出して可決したあと、衆院で継続審議になってきた。民営郵政のうち、持ち株会社の日本郵政と子会社の銀行、保険2社は、株式を一般へ売却していくことが法律で決まっている。これを凍結し、経営体制の抜本的見直しにつなぐのが狙いだ。
ここへきて民主は、重要法案の金融機能強化法改正案の前に凍結法案を採決するよう、自民に迫ってきた。自民が否決すれば、長らく自民を支えてきた「郵政票」の自民離れが、総選挙を控えて決定的になるからだ。
自民は、今週中に凍結法案を否決する方針を決めた。郵政事業を効率化して自立させることをめざす民営化策にとって、株式の売却と上場は根幹であり、否決は当然のことだ。
だが、話はこれで終わらない。揺さぶりを受けた自民も、郵政票の奪回へ動き出した。党内にプロジェクトチームをつくり、郵便局と郵便事業の子会社2社の統合を検討し始めた。
与野党による郵政票の争奪がエスカレートするなか、麻生首相は株式売却について「凍結した方がいい」と発言し、火に油を注いだ。現在の株安を受けての発言ではあったが、郵政民営化推進本部長として自ら民営化を進める責任感が感じられない。
こうした民営郵政をめぐる政治の混迷は、自民が2年前に安倍政権下で、民営化への造反議員を復党させたところから始まっている。
05年に小泉・自民党を大勝させた民意とは何だったのか。改革の原点を見つめ直さなければならない。
政治のタガが完全に緩んでしまった原因は、郵政の経営にもある。
郵政票の原動力は旧特定郵便局長だ。国営事業なのに、局長が局舎を私有するなど個人事業主のような存在だった。この改革が中途半端に終わったため、会社の中にもうひとつの結社があるような構造を許した。業務に専心すべき郵便局長が政治活動に力を入れるのを容認する結果となっている。
郵政族の政治力に妥協するような経営姿勢は、そのほかの分野でも、民間会社らしい体制をつくるための改革を滞らせることにつながっている。いま急ぐべきなのは、改革へ向けて経営の求心力を取り戻すことだ。
日本郵政は、11月末に予定していた中期経営計画の発表を、金融危機を理由に延期した。これも政治の行方を見定めるためだとすれば嘆かわしい。
旧国鉄の民営化を見ても、改革を成功させるのは経営陣の決意である。
水俣病が公式に確認されて半世紀がたつというのに、水俣病の患者であるかどうか、行政の結論を待ち続けている人が約6200人に達し、過去最多となってしまった。
その原因は、申請の審査を担う鹿児島、熊本、新潟3県の認定審査会が開店休業状態だからだ。政府も含めた行政の怠慢と言うほかない。
鹿児島県ではこの4年間、そんな状態が続く。その前の審査が行われていた時期に県から認定を拒まれた男性(53)が環境省に不服を申し立てた。環境省は「小児水俣病の可能性がある」として県の審査ミスを指摘。県知事の処分を取り消し、県に再審査を求めた。知事は、この男性の再審査に限って審査会を開く意向を表明した。
この事例によって、結論待ちの人々が大量に残っているという異常事態がなおのことはっきりした。
打開への道ははっきりしている。
04年に最高裁が環境省の認定基準を否定し、被害者を幅広く救済する基準を打ち出した。この判決を機に、基準が変わることを期待して認定申請者が急増した。環境省は、最高裁に否定された時点で、77年につくった認定基準をただちに改めるべきだったのだ。
だが、「変えれば、新たな不公平を生む」としていまだに変えようとしない。このため、行政と司法の二つの基準に戸惑って、各県の認定審査会は停止した。
この混乱を収めるため、水俣病問題の与党プロジェクトチームが新救済策をまとめた。手足の先になるほど感覚が鈍る障害がある人を「水俣病被害者」と位置づけ、1人あたり150万円の一時金と月額1万円の療養手当を支給するという内容だ。しかし、補償をすべき原因企業のチッソは「すでに解決済みだ」として受諾していない。
民主党も独自の救済案を準備している。最高裁判決に沿って症状に応じた賠償金をまず国が負担し、その後チッソに請求する案だ。しかし、法案の提出は総選挙後に先送りとなった。
新潟県はこの秋、認定審査会の審査抜きで、独自に水俣病患者と認定した人に療養手当などを支給する条例をつくった。申請者が汚染魚介類を食べていれば、救済の対象基準を緩める内容だ。施行は来年春だが、現状を打開しようとする姿勢は高く評価できる。
熊本、鹿児島両県は、審査会の再開には、与党の新救済策が動き出すことが不可欠との姿勢だ。
問題を複雑にこじれさせた主因である「二重基準」を放っておいては、手詰まり状況の打開はおぼつかない。
政府・与党が水俣病問題の解決を真剣に考えるのなら、認定基準の見直しはどうしても避けて通れない。その勇気を持たない限り、全面解決の道は遠のくばかりだ。