Britty aka User:Aphaia の ウィキメディアプロジェクト回遊日誌
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id:Tietew said
通常のUnicodeの文字には半角とか全角とかの概念がそもそもないのです。「‐」はGeneral Punctuationに配置されたのでUnicode的には「普通の文字」。「A」なんかはHalfwidth and Fullwidth Formsに配置されているので「全幅アルファベット」。
むむむ。なるほど。だがとにかくいまのは打ちづらく使いづらい。Tomos発言によると、昔は en の separator も space ではなかったそうで「ある日変わって、うらやましかった。。」そのときなぜ変えなかったです、といじめなかったのは不覚だ*1。でもそのとき変えてほしかったというのは本当です。
よく考えたら、Language.php で決まってようが、MediaWiki メッセージのどれかで再定義可能なんだろうから、とっととかえちゃうというのも手であるような気がした*2。いまある user talk は数が少ないから、全部移動して redirect ... というわけにいかないのかな。でも User:XX をつくると、ns:0 にできるから…… あと主に署名の書き換え。後で dev のだれかに聞いてみよう。Todo がまた増える。
#wikimedia のチャットのログを流出させた奴がいて(名前はあえて書きませんが)、二度とやらないと表明するまであらゆるチャンネルに ban を要請するという大事になった。なんでも jwales としゃべったログを interview と称して某所に載せたそうだ。馬鹿なことをしたものだ。インタビューしたいっていえばいいのに。ちなみにみなの感覚としては要約は構わないそうである。「友達とだべった、それは文脈抜きでは理解できないものだ」というのは正論なんだが、しかし他人の要約がログ丸出しよりも文脈をよりよく反映していて、前者はとがめなくてよい、というのは考え方だろうなと思った。sannse によれば「blog に内容を書くのとログを出すのの違いは、会話の内容を他の人にしゃべるのと、録音してラジオで流すのとの違いみたいなもんだ」というのだが。……文脈をまげないで(あるいはその人が理解した文脈で)紹介される分にはよい、というのはこれもまた信頼のひとつのありかたなのだろうか。
誤解もまた理解のうち、沈黙もまた返事のうち。ところで古くからの読者はお気づきでしょうが、過去にこの日記では多少おいたをしています。ごめんなさい。
jawq 方針系はあらかたいじったので、次は管理者。そもそもは jawp からもちこんだものだったので、いちおう jawp のほうも目を通してみる。update しないといけなさそうな記述を二三発見、ノートに指摘を残しておく。案の定、jawq も update しのこしがあったのでまずはそれをいじる。問題なのが理念規定。jawp でも策定されてないのでそれを準拠というのもなにかばかばかしい。どうしたものかなと思いつつまずはコメントアウト。faso さんがやるようなことをいっていたし、そちらに任せるかな。返して jawp はどうするのと注文をつけると、その日のうちに draft があがってきて、今日は tomos 氏仕事が速い(しかし無理はあまりなさらないように)。後で draft をみせてもらって二三意見を言う。meta にあげて共有するか横断的に参照するか難しいところ。将来必要となる・整備すべき文書は紛争解決系だろうという話をして、arbcom は ja で可能か、そもそも必要なのかというような話をする。私はいらないんじゃないかとは思っているが、だが紛争解決系や信任・再信任のルール*1が jawp で整備されているかというとそれも違うと思う。
jawt の管理者をどうしようという話。いったんあそこは閉めてもいいのじゃないかという話になったが、Brevam さんはやりたいのだろうか。それならそれでよいのだけど。desysop はできるようになっているので、やめたがっている PiaCarrot さんをそのままにしておくのはよくないのかも、とふと思う。
talk の全角ハイフンはやめましょう、半角スペースにしましょう。ということで意見が一致。というわけであとはどうやって移行するのか、どこを書き換えるのかなど細かい話を含めて jawp で誰かが提案してくれるのがよいのだが、これは技術がわかっている人に提案してもらうのがいいよねという話になった*2。ってあれは半角なのか。ううむ。
あとは cabalism の話など。
http://wikipedia.g.hatena.ne.jp/gleam/20050110#1105326120
厳密にはまったくいないわけじゃないのですか、だけど「おはようとおやすみ」が日本語で言えるくらいではさして使い物にならないのも事実。なので前向きに検討してくれる人がいるのはありがたい。やれうれしやしめこのうさぎ(違
あとは Ranandam さんも乗り気のようなので、二人いるとずいぶん違うかなあと思いました。なお「コモンズの ja sysop」などという役職があるわけではないのでねんのため。
コモンズの日本語文書はまったく整備が進んでいないので、きちんとした人が見てくれるとありがたい。
blogspot のウィキペディア見聞録*1に、eG さんから invitation に好意的なお返事。irc にちょうど Tomos さんもいたので #ja.wikipedia にお呼びしたがあまり話せなかった。のちほど eGさんがメンバーに加わっていることを確認。すこし設定をいじる。
openness をどのような形で維持するかが難しいですね。と Tomos さん。とりあえず告知と募集をうつのだろうが、殻もないと告知も打てないよなあ……。そうそう「の仲間」に載せるのを忘れずに。あとはてなのキーワードが案外有効かな?。そうそう、日記を書くヒマ人集合。
ぜんぜん更新されていない Wikipedia:Missing Wikipedians を見て、ひさびさに de, en のページをチェックしてみる。こちらはわりと更新されていて、なかには「○○さんもどてきた ;-) 」というフォローアップがついているものも。
en で「Wik は Gz になって戻ってきた。根拠:Tim が IP アドレスを調べたら、同じ IP からだった」両方ドイツ在住に違いないので可能性はあったわけですが……開口一番それをいった jwales は鋭いなあ。もちろん Gz 自身はこれを否定している。
Gz の最初の編集は 2004.3 だったので、7月くらいまでは「よいこの Gz」と「悪い子の Wik」がいたことになる。一方、de では wik がなにもしていないのは何故だろう。というかねてからの疑問には、ハンドルが違っていたから、という明快な答えが得られることになる。その後、Wik の en での活動がぱたっとやんで、2月しない間に Gz が渦中の人になった。……少なくとも、両者が同一なら、そういう話になる。
それはさておき。Gz は arbcom で 1週間 ban されたあと戻ってきた。優秀な投稿者でもあることは間違いのないところだが、talk で「arbcom が不当なことをしたときには、ぼくにいってください。wiki 上がいやならメールでもかまいません」と古い sysop が書いているところなど見て、en はつくづく一枚岩じゃないんだなということを実感した。批判が批判として出るというのは健全さの証左でもあるのだが、arbcom にいろいろ批判が多いということのこれは氷山の一角なのかなとも思った。
http://wikipedia.g.hatena.ne.jp/Miya/20050101#p1
参照していたパラグラフが消えたので分かりにくいけど残しておく。一部文章に手が入っています。
というわけで、あとよろしく。
apres moi, le deluge. もしくは don't feed the troll. なので私からはこの件で jawp にコメントはしない予定。予定は未定。ところでこれどうして日付が入らんのかな。日記だから?
*1:さいしょ当番日記。のち呼称を変更。Tomosさん命名。いまのところ別案がないのでこれで決まりそう。
つーかmetaに置いてあるLanguageJa.phpをちゃちゃっと書き換えて「早く更新しろゴルァ」とHashar辺りに言えば終わりのような。
記事ノート(ns=1)・会話(ns=3)以外のノートへのリンクは1696ページから864リンク張られているようです。会話ページへのリンクは2156ページから1400リンク張られているようです。