Britty aka User:Aphaia の ウィキメディアプロジェクト回遊日誌
本家 | ウィキメディア見聞録(休止中) | My Profile: meta | テクノラティ
|
|
||
ふと #wikimedia に目をやると、ここではめったにこない、Gentgreen を見かけた。なんのようだろとログを巻き返すと、贋ジンボが enwb の削除依頼に出てきた、という。
……これ、昨日、話題になってた、デートブックの件じゃん。頭痛がしてきた。
どうも、コミュニティの、あるいは彼の方針と正反対のことをこの「捨てハン贋ジンボ」にいわれたので、怒り心頭に発しているらしい。捨てハンにかき回されたのも気に入らないし、まして創設者*1の名を騙ったのも気に入らないらしい。まあそれ自体は当然の反応だと思う。思うのだが、そこで偽者あばいてやる!と Gentgreen がぶち上げたところで、mav があっさり
いや、enwp の Jimmy Wales と enwb の Jimmy Wales は同一人物だし。
さらに続けて
ていうか、それ事実だし。おれらここでみてたし。
とやったので、Gentgreen がぶちきれて「wb で編集したこともないおまえらがチャットで何をいっても信じられるか。だいたいここの jwales は本物なのかよ」とおたけんだ。mav はまあとても紳士的だったと思う。で、まあ本人と話すのがいいと思うよ、と周りもいったのだが、Gentgreen はみなまで聞かずに落ちていった……
そこで sj が来たので話はじめると、waerth が入ってきて tietew はいるかと怒鳴った。
またブロックされたらしい*2。
#jawp にいた sysop さんと「プロバイダかえなさいってのは無理だよね」「無理でしょうね」とやるせない会話をする。openproxy ブロックは ja のポリシーなのでしょうがない、どうか理解してください、と説明するが、waerth にぼこくそにいわれた。
そのあと riorio *3に、まあ荒らしが多いのかそりゃ大変だね、うちはそういうのいないから恵まれてるよ、となぐさめされた。
立ち上げると、wolof なる言語(セネガルの地方語らしい)の wpの話。わけわかになっていた。どうみても、違う団体のサイトにみえてきちゃうし。あちらは対話拒否モードなので、とに書く一度対話までもってかなくようにしましょう、という話になるが、そもそも書き言葉でないものは wp をもつにふさわしいのか、という話で議論になる。女の子ばかりでだべっている*4と思っていたら、jwales が出てきたのでびっくり。
そのあと、話題が移って、wikipedia を辛辣にたたいた blog の話をしているところに、jwales が
enwp のメインページが goatse にのっとられてる
と言い出したので、大騒ぎになった。そしてこんなときにだけ唐突に lohilohi になる……なんでもテンプレが全部 goatse にされたんだそうで、普段温厚をもってなる jimbo たそも怒りを一瞬ぶちまけて、去っていった。
ログインはじめてしたのは2/5なのだが、だいたい昨日か今日かがウィキペディアを見つけた日だった。いろいろな人と出会った一年だった。
#ja.wikipedia で tanedesuka さんとお話をする。朝の長話。……棚で寝ると体が痛い、というのは宿直明けかなにかなのだろうか?jawp で見るとおり、慎重温厚な紳士なのだが、irc だと微妙な計算に基づく*1はずし方が絶妙で、めちゃくちゃに面白い。KMTたそと漫才をさせたらさらにおもしろいかも。
Bkd%chatふくろう、とおととい話をした、その話に話が及んだ。「重要な人物?」と首をかしげた単語は、辞書で確認すると「変な奴、うさんくさい奴」という意味だった。文献にはまずでない用例。二日後に気がつくのじゃ世話ないな。
itwq の1月新着の interlang をしながらお話をした。
そのあと、すぐ手につかずにいるところに、sj が入ってきた。呼んでみると、忘れた頃に返事。tanadesuka さんと数時間話したことを手短に伝えた。
Sj はぼく夕ご飯を食べに行くけど、君にはプレゼントをおいていくよ、いやお礼はいい、30Kあるんだけど*2、……ぼく君にプレゼントする資格がないんだ…… とごにょごにょいう。
なんのことじゃらほい
と思ったが、「プレゼント」*3を見ると たしかにそうとしか言いようがなかったので、思わず笑ってしまった。
あのな ずっとまってんただよ
と突込みが出るより前に
わお
と喜んでしまった不覚ものです、そうかこれを書いていたから君しばらく返事がなかったのだね。それでも、先生、原稿あがるの、遅すぎです。
soufron が #wikipedia でさんざ馬鹿をやって大笑いさせられた。本気で馬鹿ちゃうかこいつ。あのな、年を考えろ、と思ったのだが、途中ではっと、彼は私と sj の会話を聞いていたのだということに気がつく。「お祭り万歳! 人生は祭りだよ」という soufron に、微笑みが沸きあがってきた。fr で見た端正でまだ少年の面影が残る初々しい彼のかんばせが脳裏によみがえった。tanedesuka さんの、私は道化をするのが好きです、という言葉が思い出された。soufron は周りから kick されそうになっても、道化を演じることをやめなかった。私が「もういいよ。私は大丈夫だから」と口にするまで。
そんな彼が私を友人として認めてくれたことを誇りに思う。彼の能力をではなく、彼の誠実さ、優しさ、率直さを、私は好ましくまた尊敬すべきものだと思う。
11月に受けた弁護士試験の結果が出たそうだ。国家試験を20番で合格したそうだ。来月は日本の著作権法について書くという。論文はWikipedia に焦点をあわせたものになるそうだ。「これはきっと君たちの役にもたつと思うんだ」という sourfron に、「うん。きっと役に立つと思う」と私は言葉を返した。
ふと、en を調べると、Elian がいつの間にか enwp に戻ってきていた。もう記事を書く気はあまりないようだ。ドイツ支部の書記としてページをおく必要を感じたのだろうか。いつ書いたものかはチェックしなかった。
soufron は今年一度日本に来るという。ひとつ年上の、ウィキペディアでは大先輩にあたる友人も、秋には日本を訪れるという。Elian は名前を変えたくないから結婚しないのだという。Ant は年始年末がんばるといっていたが、あれはどうなったのだろうか。
Britty, again! Take. Bussoftlhee, mememormee! Till thousendsthee. Lps. The keys to. Given!
私に、彼らに、否、わたしたちみなにウィキペディアでの新しい一日がまた始まろうとしている。この途方もなく馬鹿げて楽しい素敵な幻の水平線の先にある
ディレクトメディアからこんどは DVD が出ることになった。それもあって、人物・画像にタグをつけることになったそうだ(最初はよくわかっていなかった。最初にみせられたときに、編集画面をみずにカテゴリを見て納得したくらい)。なので、週末3日間、ベルリン郊外にディレクトメディア所有の屋敷*1で、ウィキペディアンが泊り込みでタグ付け作業。
屋敷は19C末に建った元工業主の別荘だそうで、写真でみると白漆喰の内壁に作り付けの木の家具がよい感じ。広間に大きな机がすえてあり、その上で持参のラップトップを並べひたすら編集に励むdewpの人々。夜は自宅で作業していた人、夜だけ顔を出す人、その同伴者・友人や家族を交えて、Fruend-Familien-Party。なので土曜日の朝(金曜日の夜)、presroy が Erik に向かって「何でこないんだよ」「タグ付けなんてやだよ俺は」「ピザ食べ放題なのに」そこで私が「ビールは?」と訊くと「やめてー。僕この後雑誌のインタビュー*2なんですよー。酔っ払ってインタビューなんかとても出来ません」と presroy. ちなみに飲み物は持参のよう。
ピザはディレクトメディアの提供で食べ放題だが、ピザだけで人間は生きていけないようで、「朝・だれそれがパンを届ける」などと日程表にはある。朝ごはんは henriette が調理担当らしい。というわけでタグなのですが
from de:Guo Xu
{{Personendaten|
NAME=Xu, Guo
|ALTERNATIVNAMEN=
|KURZBESCHREIBUNG=China|chinesischer? Künstler der während der Ming-Dynastie? lebte
|GEBURTSDATUM=1456?
|GEBURTSORT=
|STERBEDATUM=1526?
|STERBEORT=
}}
こんなん。ちなみにこれは(現在のところ?)画面上には表示されない。上から順に人名・別名・簡略な定義・出生年・出生地・没年・死没地。