WoW, Willy on Wheel. 2004年のウィキペディアを代表する Troll が Wik/Gz だったとすれば、WoWは最大の荒らしといったところか。現在判明しているだけで、都合5プロジェクトで活動中。これだけたくさんいると模倣犯も相当数混ざってるのじゃないかとも思う。
手口は名前のとおり、移動荒らし。編集パターンはきわめて特徴的で一度見たら忘れない。8月くらいから現れて、以後毎日律儀に編集しに来る。
最近別のパターンでの荒らしが2月くらいからみられるようになって、これがWoWとど同じだろうという断定が出た。3月くらいのことだ。
対処できないことはない。が、毎日では士気が下がるというもの。しかもたかだか5分程度の荒らしでも対処には15分から30分がかかる。だんだんうんざりした空気がコミュニティに蔓延するのもむりからぬところ。一度Blcokmeでわなにかけられないかと開発者に相談してみたが、その手は使えないといわれた。
金曜日。でかけようとしたところで、IRC経由で「WoWが出た」という通報が入る。一刻を争うという状況ではなかったので、ブロックして報告を書いて……バスが一台遅れてしまった。エディットパターンをみるに、あらかじめブロックがかかることを予期してか、しばらく荒らしてから切り上げている模様。あるいはよそへ移るのか。なぜかメインページをやられていたので保護をかけなおした。
土曜はうち*1には出なかったようだ。しばらくRCを監視していたが、目を離したあと、一時間くらいあとにWoWに襲われたことを後で知る。AmgineとBrionが対処してくれた。
あとでAmgineにお礼をいうと「なに、なかなか楽しかったよ」という。同時にMetaにも出たとのこと。どうもBrionがついにISPを突き止めたらしい*2という。ISPに抗議して息の根とめられるなら越したことない。が、まだ確証はないのであんまり喜ばないほうがいいのかが*3。Wikのプロバイダがわかった後も彼を締め出すことは事実としては不可能だったことも思い出されるが、それも考えないことにする。。
http://wikipedia.g.hatena.ne.jp/Miya/20050421#p1
きゃー、うそくさ!^o^!
この前いってた、読者サービスってこのことですか。OTZ ていうか、おかあさん、うそくさすぎます。。
それはそうと、井戸端の写真の入れ替えをしていなかったことに今気がつきました。どうもありがとう(しくしく)。
でそのMiyaさんのメタ批評*1、実は似たようなことを最近別の人にいわれたことがあって、そういう見方もあるのかな、と思う。思うがそれに同意できるかというとまた話が別。
確かにメタのことというのは、ローカルの個別事象により密着した話とは違っていて、もうちょっと中長期的な話も多い。そしてメタに関心をもつ人はたしかに少数だ。だけども、三万ちょっといるユーザのうちの9千*2というのが、果たしてそれほど特別な存在でありえるのか、それがまず疑問だろうと思う。もちろんその9千のなかでアクティヴなのは50人もいないとは思うけれど。
そして、確かに、メタの役割のひとつは、複数プロジェクトの調整なのだが、調整とは全体に適応されうる政策決定、たとえばいまやっている新機能導入など、あるいは言語によって設定が異なるような部分の調整や情報の集約のことをさしていて、全プロジェクトに一プロジェクトでの議論が反映するということでは、「上位」に違いない。だが、その決定過程には誰でも理論的には参加できるのだから、一部であるような「国連」になぞらえる見方、あるいは「すべてを統括する」なので特別なものだという見方は、私は実際の過程をしらない人の幻想だろうと思う。各国の代表者と一部の官僚が参加する国連に対して、メタは誰にでも開かれている。メタで活発に動いている参加者の中には10代の人も少ないが確かにいて、自分の活動の一部として、それを楽しんでいる。そこにはMiyaさんが予想するようなヒエラルキー、あるいはスタッフと観客というような質の差はないように思う。
むしろそれは祭の実行委員のようなものではないだろうか。共同体の成員であれば、手を上げれば、誰でもなれるような。役目といってもしょせんそれだけのことだ。もちろん引き受けたからにはある程度の責任が伴うし、それになにがしかの名誉が伴うこともときにはあるのだろう。だが、名誉のために役目があるのではなく、役目は他に奉仕*3するためのものだ。理事といい役員といっても、それは彼らが隔絶したところにいることを意味しない。素晴らしい人たちだが、同時にどこにでもいる、あるいはときには顰蹙なこともしでかすような、ごく普通のウィキペディアンたちである。ただまあ、それは私が彼らをある程度個人的に知っているので、そう思うのかもしれないけれど。。だがこれは断言していいだろう、自分を特別な存在だと思っている人はその中に誰もいないということを。そしてオープンプロジェクトしかもウィキを使ってつねに動的なわれわれのシステムでは、完全な中央からの統御というのは不可能である。なので、スタッフとその他大勢というのはあたらないと思う。*4「スタッフ」はある種の規定力としては意味をもつだろうが、しかしシステムをイデア的に静的に決定する最終的な規定力にはならないだろうと思う。むしろここでは誰もが観客で誰もが参加者であり、我々はそれ自体が中心でありかつ辺縁なのだ。それはちょうど、モナド*5の総体としてあるような世界に似ているだろう。
話を具体的なところにもどすと、そこである人のメタを特別視した発言に私が感じた違和感もそこからくるのかなと思う。何も特別なものはそこにはない。そして、それゆえに、理事だから、管理者だから、○○だから、ということはなくて、むしろ「よいウィキペディアンであること」があえていえばそこで求められることなのだろう。だが、それは求められうるようなことなのかという疑問も残る。あるコミュニティで圧倒的な支持を受けている人が、別のコミュニティで札付きの悪党呼ばわりされるということも現実に起こりえるのである。*6そこで、他者に批判されたときにどのような態度をとりうるのかということは問題になるだろうが、そのとき、批判を内在化することが求められると同時に、自分が受け入れられないところを譲ってまで他者の歓心を買うべきではないとも私は思う。それは不健全なことだろうし、*7長続きもしないと思うからだ。
日本語ウィキペディアでの活動を1月頭くらいから段階的に減らしてきて、その過程にいろいろなことがあった。翻訳関係のお手伝いをこういう形で降りることになるとは仕事の整理を始めた当初は、正直予想もしなかった。だが日本語版ウィキペディアのコミュニティには2万人ちかい登録ユーザがいるのだし、誰かやる人がそのうちに出てくることを期待している。もう少し積極的にかかわっている他の日本語版プロジェクト用の翻訳はすることがあるかもしれないが、まあウィキペディア用に誰かがしてくれたものをもらうほうが便利だよなw という期待も少ししている。
*2:現在の登録ユーザ数。
*3:servis
*4:むしろそのような構図は伽藍型のプロジェクトにふさわしく、ウィキエンジンを使うわれわれのプロジェクトは、徹底してそのような中心を持ち得ないそのような構造を持っていると思う。むしろここにあるのは、項目ないし言語を-利用者ではなくて-構成単位とするオートポイエーシス・システムなのではないだろうか。
*5:モナドは個と全体がともに有機的な力でありかつその表現である。
*6:そこでいただいたご意見では、苦情に誠実に対処してほしい、要するに行状を改めろといわれたのだが、私はそれは尊敬すべき態度だとおもいつつ、限界があるとも思った。つまりそれはせいぜい主観的な格律だろうし、また現実にはいつか破綻するとも思う。価値観を共有できる人間しかいないところでだけ通用する規範だろうと思うのだ。
*7:そして、3万人ユーザがいれば、そのすべてから愛されるというのは、実際上も不可能である。おそらく創始者であるJimmy Walesを除けば。