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「ともに考える医療」の実現のために

尾藤誠司・東京医療センター臨床研修科医長

2008年12月8日

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 私が勤務する国立病院機構東京医療センターの基本理念は、「患者の皆様とともに健康を考える医療を実践します」というものです。私は、この基本理念が非常に気に入っていて、この理念の下で勤務ができることをある意味誇りに思っています。

 一方で、「ともに考える医療」というのは本当に難しいことだなあ、と日々実感もしています。なぜなら、ともに考える医療においては、自分たち医療者も患者さんのことを想像し、向き合う努力をすると同時に、患者さんにも医療に向き合っていただかなくてはならないからです。

 最新最高の医療の提供だけなら、自分たちが勉強して、がんばればいい。安全だけを目指すなら、危険を伴う医療行為は回避すればいい。患者さんに最高の満足を与える医療なら、医学的な価値観と患者さんがもつ事情や選好とのギャップに悩むこともそれほどないでしょう。

 「ともに考える医療」だからこそ難しく、そして、今の私たちの生活の中で最も必要な医療の形だと私は思っています。

■お互いが被害者意識?

 最近の医療に関するニュースのほとんどは、不信や不安をテーマにしているといってよいでしょう。ある意味それは仕方がないことなのかもしれません。新しい治療法の発見など、めったに起きないようなニュースのほかは、病気に関する情報が健康情報の多くを占めるわけですから、景気の良い話はそうはありません。

 その意味では、医療に関する情報が人を不安にさせることは避けられないことなのかもしれませんが、溢(あふ)れすぎた情報が、今、医療を受ける側にも提供する側にも、何かしらの不安を与えている状況は確かにあると思うのです。

 通常、人と人が何らかのコミュニケーションを交わして好ましくない結果が訪れたとき、どちらかが被害者でどちらかが加害者です。しかしながら、状況はおかしなことになっています。患者も医療者も傷ついていて、お互いのことをどこか恐れているようにみえます。医療を受ける側にとっては、医療を信頼することができず、目の前の医師は自分の言葉に耳を傾けようとしない。医療提供者の側は、常軌を逸した多忙な環境で、いつミスを起こし患者に訴えられるだろうかとびくびくしている。お互いが自分を被害者だと感じている不思議な構造になっています。

 なぜ、医療について、ともに考えることが出来にくくなっているのでしょうか? お互いの目指すものが違うからでしょうか?

 一通目のコラムでもお話ししたように、私たちの国の医療者は、目の前の患者さんの健康利益を高めることを第一目的にしています。その意味では、コミュニケーションが円滑に行われれば、目指すものに大きな違いは生まれないはずです。おそらく、医療においては、情報や価値を共有することの難しさと同時に、医療受給者、提供者が持っている位置関係も、「ともに考える」ための重要な因子なのだと思います。

■「ありがとう」と「ごめんなさい」

 患者の十分な納得と積極的な参加、お互いが協働する医療。このリレーコラムでは、このような医療の形と、患者―医療者間のコミュニケーションの形が目指すべき医療のモデルとして語られてきました。

 では、お互いが協働し、互いに尊重し合うことが出来る関係とは、どんなものなのでしょうか? いろんな説明の仕方があるかもしれませんが、私は、お互いに心から「ありがとう」と「ごめんなさい」が言える関係だと思うのです。

 相手のちょっとした心遣いに救われたときに、自然に「ありがとう」の言葉が出てくる関係、ミスをしたわけではないけれど、自分が最善のパフォーマンスが出来なかったために相手に負担をかけたとき、思わず「ごめんなさい」ということが出来る関係、お互いのことを尊重しながら、こんな言葉が自然に出てくる関係が、患者の利益を中心に医療を考えるためには必要です。

 ただ、今の自分を振り返っても、患者さんに余計な心配をかけたとき、自分の臨床医としての力不足を実感したとき、患者さんに素直に「ごめんなさい」ということに抵抗を感じてしまっています(がんばって言ってはいますが……)。医療者、特に医師は、間違ったことをしてはならないということを強く意識しながら仕事をしています。それはある意味スキのない態度です。「ごめんなさい」ということは、自分に非があることを認めることであり、そこに医師は大きな抵抗を感じているのでしょう。

 しかし、逆にいえば、スキのない人間に腹を割って話すことができるでしょうか? 医療専門職としての立場を崩さないうえで、「ありがとう」「ごめんなさい」と自然に言い合うことができる患者―医療者関係について思いを巡らせています。

■対面型の関係から、円卓型の関係に

 もうひとつ、最近感じていることは、少なくとも医療においては医療を受ける側と提供する側が、(心理的な位置の話ですが)正面に向き合う関係よりも、丸テーブルに座って話し合うような関係が良いのではないか、ということです。正面に向き合うと、どうしても意見をぶつけ合うような状況に陥ります。また、医療を受ける側にとっては、正面の医療者に対してどうしても自分の事情を語ることに抵抗ができてしまいます。丸テーブルの上に、お互いが持っている情報をダダっと並べて、同じ景色を見ながら、「さあどうしたもんだかねえ」と語らうような心の位置関係が、今の医療には必要だと感じています。

 最近の医療者に対する講習会では、ワークショップ形式で輪になって話し合うような場面をよく目にするようになりました。物理的な位置関係からそういったものに慣れてくると、心の立場の置き方も少しずつ変化していくのかもしれないと期待しています。

■「ともに考える医療」のために出来ること

 「ともに考える医療」に私たちの医療が向かっていくためには、医療専門職の立場からも、市民の立場からもすべきことはいろいろあると思います。今私たちは、専門職が自らに向かっての啓発・支援活動として、内科専門医のグループを中心に、医師のプロ意識をもう一度高め合い、自分たちの行動や意識を変えていくための事業を3年計画で始めました。

 医師が持つべきプロ意識としては、患者にとっての利益を優先に考えること、患者に対して正直であること、医療の質向上の努力を怠らないこと、公正で差別のない医療を行うこと、などが必要であるといわれています。この事業班では、これらの理念を具体的に自分たちの行動として推進するため、患者さんへの共感力を高めるための医師教育や、自分たちが怠惰な方向に流れていかないための自律的な仕組みづくりなどについての方法を立案中です。

 また、医療専門職が独善の袋小路に入らないように、逆に責任をかぶりすぎて押しつぶされないようにするための支援として、リレーメールにも登場した板井孝壱郎氏らとともに、有志のグループで臨床現場における倫理的な問題について、医療職に対し以下のウェブサイトを通じてコンサルテーションを行っています。

http://www.kankakuki.go.jp/lab_a-1/index.html

 このサイトでは、患者さんと患者関係者、そして医療者が、しっかりとしたコミュニケーションとお互いの納得の上で、患者にとって最善の意思決定を行うための手続き方法を示した「臨床倫理チェックリスト」を無料でダウンロードできるようになっています。このチェックリストは、医療を受ける側にとっても役に立つと思いますので、是非ご覧いただければうれしいです。

     ◇

尾藤誠司(びとう・せいじ)1990年、岐阜大学医学部卒。国立長崎中央病院などを経て、95〜97年、米UCLA公衆衛生大学院・一般内科に学び(科学修士取得)、97年から東京医療センター総合内科に勤務。04〜07年に国立病院機構本部の臨床研究推進室長を務めた。現在、東京医療センターの教育研修部臨床研修科医長、同センター臨床研究センター臨床疫学研究室長。

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 病気になったり、けがをしたりした時、誰もが安心して納得のいく医療を受けたいと願います。多くの医師や看護師、様々な職種の人たちが、患者の命と健康を守るために懸命に働いています。でも、医師たちが次々と病院を去り、救急や産科、小児科などの医療がたちゆかなる地域も相次いでいます。日本の医療はどうなっていくのでしょうか。
 このコーナーでは、「あたたかい医療」を実現するためにはどうしたらいいのか、医療者と患者側の人たちがリレー形式のエッセーに思いをつづります。原則として毎週月曜に新しいエッセーを掲載します。最初のテーマは「コミュニケーション」。医療者と患者側が心を通わせる道を、体験を通して考えます。ご意見、ご感想をお待ちしています。

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