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子ども救援キャンペーン30年:貧困を越えて/3 母子寮、支え合う孤児たち

 <バングラデシュ報告>

 ◇気丈な姉妹、涙ひと粒

 バングラデシュのマハムニ母子寮には、貧困家庭の子どもたちが身を寄せる。寮生99人のうち、両親を亡くした4人のほか、父親を亡くした31人、母親を亡くした4人で、全体の約4割。残りの多くも親が行方不明など養育できる状態ではない。母子寮は、こうした子どもたちに衣食住と教育の機会を与え続けてきた。その数は開設から33年間で約2000人に上る。

     ◇

 チュンキ・シンホさん(11)とリタ・シンホちゃん(8)姉妹は、マハムニから約160キロ離れたクミッラ地方の出身だ。8人きょうだいの下から2人。4年前、農業を営んでいた父親が気管系の病気で死亡し、まずチュンキさんが入寮した。その2年後には母親も脳の病気で急死。当時、寮は満員だったが、兄らの訴えで運営していた日本人僧侶・福井宗芳氏(故人)が妹のリタちゃんも特別に受け入れた。だが2人のショックは大きく泣いてばかりいたという。

 母親のことを聞くと、2人は「いいお母さんだった」と答えるのがやっと。リタちゃんも「今は寂しくない。寮の仲間がいるから」と答え、チュンキさんは「今はとにかく勉強するだけ」と気丈に話した。きっと耐えていたのだろう。取材を終え、「お母さんのこと話すの、つらかったね。ごめんね」と記者がわびると、リタちゃんの瞳から大粒の涙がスーッと流れ落ちた。その隣でチュンキさんが凜(りん)とした表情で妹の涙をぬぐう。幼い姉妹が、つらい過去を抱えながら、将来の不安に必死で立ち向かう姿に胸が痛んだ。

     ◇

 ポンピ・ボルワさん(15)とピンキ・ボルワさん(14)姉妹にも両親がいない。両親を相次いで亡くした時、2人はまだ5歳と4歳。お金持ちの家に拾われ、住み込みで働き始めた。靴はなく、服も半袖1着しかなかったため、冬は寒くてたまらなかった。3年後、兄の知人から母子寮のことを知らされ、そんな生活から脱出した。

 ポンピさんは「母子寮がなければ、何もできない人生だった」と話し、ピンキさんは、こう訴えた。「将来、私たちを救ってくれた、この母子寮のような施設を運営したい」。同じ境遇の子どもたちを助けるために歩きだそうとしている。【文・福田隆、写真・森田剛史】=つづく

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 ◇救援金を募集しています

 災害や戦争、貧困などで苦しむ子どもたちを支援する海外難民救援金を募集しています。郵便振替または現金書留で送金いただくか、直接ご持参ください。なお、お名前・金額などを紙面に掲載しますので「匿名希望」の方はその旨を明記してください。〒100-8051 東京都千代田区一ツ橋1の1の1 毎日新聞東京社会事業団「海外難民救援金」係(郵便振替00120・0・76498)

毎日新聞 2008年12月2日 東京朝刊

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