<バングラデシュ報告>
バングラデシュのマハムニ母子寮には、貧困家庭の子どもたちが身を寄せる。寮生99人のうち、両親を亡くした4人のほか、父親を亡くした31人、母親を亡くした4人で、全体の約4割。残りの多くも親が行方不明など養育できる状態ではない。母子寮は、こうした子どもたちに衣食住と教育の機会を与え続けてきた。その数は開設から33年間で約2000人に上る。
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チュンキ・シンホさん(11)とリタ・シンホちゃん(8)姉妹は、マハムニから約160キロ離れたクミッラ地方の出身だ。8人きょうだいの下から2人。4年前、農業を営んでいた父親が気管系の病気で死亡し、まずチュンキさんが入寮した。その2年後には母親も脳の病気で急死。当時、寮は満員だったが、兄らの訴えで運営していた日本人僧侶・福井宗芳氏(故人)が妹のリタちゃんも特別に受け入れた。だが2人のショックは大きく泣いてばかりいたという。
母親のことを聞くと、2人は「いいお母さんだった」と答えるのがやっと。リタちゃんも「今は寂しくない。寮の仲間がいるから」と答え、チュンキさんは「今はとにかく勉強するだけ」と気丈に話した。きっと耐えていたのだろう。取材を終え、「お母さんのこと話すの、つらかったね。ごめんね」と記者がわびると、リタちゃんの瞳から大粒の涙がスーッと流れ落ちた。その隣でチュンキさんが凜(りん)とした表情で妹の涙をぬぐう。幼い姉妹が、つらい過去を抱えながら、将来の不安に必死で立ち向かう姿に胸が痛んだ。
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ポンピ・ボルワさん(15)とピンキ・ボルワさん(14)姉妹にも両親がいない。両親を相次いで亡くした時、2人はまだ5歳と4歳。お金持ちの家に拾われ、住み込みで働き始めた。靴はなく、服も半袖1着しかなかったため、冬は寒くてたまらなかった。3年後、兄の知人から母子寮のことを知らされ、そんな生活から脱出した。
ポンピさんは「母子寮がなければ、何もできない人生だった」と話し、ピンキさんは、こう訴えた。「将来、私たちを救ってくれた、この母子寮のような施設を運営したい」。同じ境遇の子どもたちを助けるために歩きだそうとしている。【文・福田隆、写真・森田剛史】=つづく
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毎日新聞 2008年12月2日 東京朝刊