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【コラム】「IMFコンプレックス」の克服を(上)

 世界銀行が『東アジアの奇跡』と題した402ページもある分厚い報告書を発表したのは1993年秋のことだった。報告書は韓国など東アジア8カ国が成し遂げた経済成長を「歴史上例がない奇跡」と称賛した。それを可能にした原動力として、「政府主導の資本主義」「安定したマクロ経済・金融システム」「儒教の価値観に基づく政治的・社会的な結束力」を挙げた。

 そして4年後の1997年末、アジアは通貨危機に見舞われた。緊急救助班長の国際通貨基金(IMF)を中心にアジア批判論が噴出した。アジアの官僚主導型資本主義、ぜい弱なマクロ経済・金融市場、政経癒着と情実主義(クロニズム)が危機を招いたという手厳しい追及だった。ただし、少し前まで「奇跡の原動力」だった政策とシステムがなぜ「危機の主犯」に様変わりしたのかに関する説明はなかった。

 ジェフリー・サックス、ジョセフ・スティグリッツなどの有名経済学者は、通貨危機がアジアの資本主義の構造的問題というより一種の金融恐慌という性格が強いと指摘した。マレーシアのマハティール前首相のような人物も国際ヘッジファンドこそが通貨危機を引き起こした「世界経済の追いはぎ」だと反発したが、IMFは耳を貸そうとしなかった。

 もちろん韓国にも過ちはあった。財閥は銀行から資金を借り入れ、後先考えずに規模拡大に奔走し、金融機関は短期資金の借り入れ、金利収入を上げることに汲々(きゅうきゅう)としていた。そうだとしても、IMFによる処方せんは病人にさらに重い病気を患わせる過酷な懲罰だった。40%という殺人的高金利と緊縮財政、企業や銀行の構造調整、市場開放を一度に実行に移せというのだ。そのため、わずか7カ月で金融機関110社が消え、企業2万5000社が破綻した。中産層は総崩れとなり、200万人の失業者が放出された。

李濬(イ・ジュン) 論説委員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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