Britty aka User:Aphaia の ウィキメディアプロジェクト回遊日誌
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少し年の離れた友人と、話していて、ウィキペディアの話になった。直したいところがそこここにあって、どうしようかな、とおっしゃる。直したいところが放置できずに入ってくる、というのはとてもよくある話だし、その方は比較的あちこちの掲示板にもお書きになる方なので、ウィキに書くことにはたぶん抵抗がないだろう、ないだろうけど、「しかし、なかなか大変そうですね。どうしても書きたいことがあってしょうがない方々というのがいて、それにネット特有の人間関係が加わるから」とおっしゃる。
どうも、「なんだかあやしげ」と思って観察中といった風情である。そして「『アパイア』の項目とか鰤さんのページも拝見しましたよ。なにかと大変そうですね(^^)」とおっしゃる。嗚呼。
前回お会いしたときに、ハンドルを持っているのかご下問があり、そのこと、とくれば由来のことなども申し上げたので、となればどういう神格であるのか関心をお持ちになるのは当然として、「しかし、あの女神崇拝の話はあそこに書くことじゃなさそうなんだけど、あれを書いた人はどうしてもあそこに書きたかったんでしょうね」。そうかRfCに出したくらいでは正常化はできなかったか。嗚呼。とおもう。
「あれも、いまアメリカにそういうカルトがある、ということならわかるんだけど、というわけではないんでしょう?」とおっしゃるので、「聞いたことございませんね。そもそもアパイアというのは伝承もほとんど伝わってはいないのですよ」と申し上げる。「でもそういう方々は、どうしてもあのページに書きたいので、ほうっておくよりしょうがないのでしょうね」と続けたところ、サブカルチャーにも造詣が深く20年以上そうした原稿を書いてもおられる方が、「ええそういうものみたいですね」と快活におっしゃるのでため息がでた。やはり放置しかないのか。
「ウィキペディアって表のちゃんとしたところがあるから目立たないんだけど、そういうごみやわけのわからないところも沢山あるんでしょうねえ」としみじみおっしゃるので、信長くんの話などいいかけると、わたくしのTalkから辿っていってごらんになった由。嗚呼。
WMFはもうすぐ三人目の雇用を公式に発表する、模様。その求人広告が実はどこからもリンクされていなかったっぽいことに気づいて責任者某氏にメールを出したのが、昨日。
返事が即日できた。本論はもっともな話でそれについては私に異議はない*1。なのだが、その人事をめぐって、つまりなぜそれが最適解なのかということに関連して、ちょいと思ったこと。
自己の能力を把握する能力って大事ですね。そしてそれ以上に、批判を受け止める能力。
わが身をふりかえってちょいと考えさせられることもある、そういうお話でした。
*1:あったらどうだという話はあるが、とにかく異議はない。適切かつ公平な人事であると、そのメールをもらう前から思っていたし、メールの後でもそれはかわらない。
PCの調子が悪くなって、しばらく休みを取った。ちょうど待降節だったので休むタイミングとしてはいい時期ではある。
休み中、わりと乱雑な読書をしていた。たまに外でPCは触ったがまとまったものを書く時間は、もちろんない。
年内にPCを修理したかったのだが、年を越してからになる。どこに頼もうかなあ。。
マンドレークが無断使用してるよ、とMav。うううむ。理事会+Legal groupから反応なし。これ商標登録してないんだよなあ。。理事会からも法務関係からもフォローがないので、ちょっともやっとした感じを覚えた。後で、IRCにきたSoufronに、「読んだ?」ときくと読んでないときっぱり。あらん。。問題があるにせよないにせよ、Wikiquoterとしては関係者のコメントがほしいよ、と催促しておいた。
休み中にFunddriveが始まり、Steward選挙なんかもあってMetaは出入りが激しい様子。Guakoからメールが来ていて、3月にロンドンであるシンポジウムでアフリカでの展開について発表をする原稿を書くチームに入ってもらえますか、 えーとなぜわたしに と一瞬思ったのだが、そうかちょうど去年の今頃あたりIRCでよく話をしていたBanbara語Wikipediaの人だな と思い出した。その縁で声がかかったのだろう。アフリカ関係はまったくしゃべれないので管理運営面で少しお手伝いをしたにとどまっているのだが、それもまたコミュニティの欠くことのできない一面ではあるのだろう。
この一年でWikipediaの言語は200を越し、コミュニティ運営はさらに多様なまたわれわれにとって未知の困難を抱えるようになった。その中で語られること、語られないが感じられていること、そうしたものに耳を澄ます一年であっただろうか ということを反省すると、正直自分の至らなさを告白するほかはない。
この一年お世話になった方にお礼を申し上げ、協力して一緒に遊んでくれた友人たちに感謝し、また自分がなしえなかったことを許してくれた人々にただお詫びするのみである。
一月のWikibreakのあと、今後もずっとプロジェクトにはかかわっていくだろうと確信する反面、そのかかわり方は変わっていくだろうし、いかざるをえないだろうとも思う。逆に何もかも一人で背負わなくていい規模にわれわれのプロジェクトはなっている、またそれは不可能にもなってきている。残念な仕方ではあるが、Wikimania2005の言語サポートの「成果」がそれを指し示している。
自分がプロジェクトに割くことのできる時間は有限だが、プロジェクトの規模は今後も拡大していく。そのなかで自分がやりたいことと自分がやったほうがいいことを、きちんと見極めながら、人も自分も満足できるかかわり方を見つけていく、それがこのプロジェクトにおける2006年の課題だと、思っている。
この1年ありがとうございました。そして来年もまたよろしくお願い申し上げます。