Brittys Wake on Wikimedia このページをアンテナに追加 RSSフィード

引用は最高の賛辞(Quotation is the highest compliment)。Wikiquote にご支援を。
Britty aka User:Aphaia の ウィキメディアプロジェクト回遊日誌
本家 | ウィキメディア見聞録(休止中) | My Profile: meta | テクノラティ

2006-06-06

[] it hasn't been that anyone can edit Wikipedia このエントリーを含むブックマーク

そんな高邁なことじゃなくて、

asdasdasdasd

とか書くやつまで歓迎してないし、してたこともない、そんなもん見たら即削除じゃ、ということじゃないでしょうか。現に24やHJなどの迷惑でNPOVを受け入れてくれない論客を放逐するまでは、それぞれ数ヶ月かかったんだし。

本人、ロシアにいるし、私も irc available ではないので確認はとっていませんが。

2006-06-05

[] Oversight このエントリーを含むブックマーク

ちと旧聞に属しますが、

http://meta.wikimedia.org/wiki/Hiding_revisions

いまのところEnwp限定の予定。まあそのうちDEやFRなどにも入るでしょう。

Tietewさんかこいつぅさんあたりが詳しく書くかなと期待しております。

2006-06-03

[] スイングバイ論争回顧 このエントリーを含むブックマーク

あのときあるブログコメントしようとして失敗したのだが、基本的には論者への共感*1だったように覚えている。

また、これは最近指摘されて気が付いたのだが、プロの編集者/もの書きで参加している人のなかには、直接記事を寄稿せず、校閲専門になっていく人がいる、ということをここで付記しておく*2

自分の書いたものが、あとで他人の書いたものが加わったことで(それは善意でなされているのだとしても)、奇怪に変容し、しかも自分も加わったものとして流通する危険がウィキペディアにはあって、それは薄々気がついたのだが、実際にくらうとその気持ち悪さというものは想像を絶するものがあった。そのおぞましさのリアルさについて私は語る言葉をいまももたない。なのでわたしは、自分の専門である近世思想については、もう日本語版では(それまで自分が書いたものの手直しなどの後処理を除き)投稿しないことにそこで決めた。それまでは備忘録がわりに、何かを書き付けるくらいのことはしていたのだけど。もちろんこれが生産的な態度でないことはわかっている。が、私にも自分の生活があり、私個人にとっては、自分が実世界でなにかを失うことがわかっていながら、そのような仕方でのみこのプロジェクト貢献しなければならない理由はない。アリアドネで、閉鎖された環境があるなら参加してもよい、といっていた人がいるそうだが、その気持ちは私にもよくわかる。

リファランスサイトとしてWikipediaが注目される度合いが深まっているなかで、こうした態度は、それぞれの書き手にとってだけではなく、その分野そのものにとっても長期的には生産的ではないだろう。よく参照される場所に一定の質の情報をおく重要性は私も理解しており、なので自分が専門ではないが興味はもっている隣接分野ではほそぼそとだけれど投稿は続けており、また全体の維持に資すると判断した活動にも参加している。だけれど、質の悪いデムパと闘う作業をなんのみかえりもないどころか自分の生活を犠牲にしてまで行う理由は、繰り返すけれど私にはないのだ。

実際のところ、1990年代の終わりには、岩波、平凡社などから日本語のそれなりな哲学辞典が出ているので、ほんとうに調べ物がしたい人はそちらをみるだろう*3。まともに調べたい人は、Historisches-philosophisches Woerterbuch も完結したことだし、それを見ればいい。ちょっと話題にばらつきがあるけど、History of Ideas だって悪くない。フランス語については知らないが、ラルースはなんどかみた限りでは、かなり細かい事項や人名なども扱っていて、あれで調べ物が困るということはなかった。ウィキペディアの強みは時事的なもののほうにこそあって、人文諸学などまともな資料が世にいろいろあるものについては、むしろそちらに誘導するほうが短期的には読者のためになるだろうとおもっている*4

近世思想系の投稿者はいままでにもJAWPになんどか現れて、そのほとんどが定着していない。みんなそれぞれなにかいやになる理由があったか、もしくはもっとその人にとって意義のある活動を見つけたのか、なのだろうと思っている*5。個人的には、後者であることを希望しているが、コンタクトをとったわけではないので、内実は知らない。

DEWPでは、哲学系投稿者の活発なコミュニティ(専用IRCチャネルまである)があって、DEWPの西洋思想系記事の質は、それによって多分に保たれている。M.A., Ph.D. をもったアクティブな投稿者のグループが核にあって、大学生がそれを囲んでいる。そうした一定数の書き手が存在し、そのコミュニティに参加すること自体が楽しめるような状況か、またはとても活動的な人がひとり存在するかしなければ*6、難しいのかなと思っている。

なお、上にあげたリンク先には関連する議論へのポインタがあり、便利。

*1専門家にとってWikipediaへ寄稿することのメリットはほとんどなく、デメリットのほうが多いというのは指摘のとおりだと思う。

*2素人の寄稿は内容には意味があっても、文章として読めるレベルにないことがままあり、そうしたものを読めるレベルに直すというのは結構労力のいる作業ではある。

*3:正直にいえば、なんでも単一の情報源(ここではウィキペディア)で事足りようとするのは、知的怠惰だとも思っている。そうした怠惰が誤った情報を鵜呑みにすることに結びつくのも、むしろ正当な対価というべきだろう。もっともだからといって誤りを書くことそのものは歓迎されることではないけれども。

*4日本語文献が極めて限られるものはまた別。

*5素人に議論のページで難癖をつけられていなくなった人も、私の分野ではないが、何人か目にした。素人さんのほうは、まともな議論をしているらしいつもりなのが、なんとも救いのないところではある。

*6:たとえばJAWPの仏教学のように

KstigarbhaKstigarbha2006/06/12 14:59確かに何のメリットもないですね。研究業績になるわけでもなし。>fn1

KstigarbhaKstigarbha2006/06/12 15:00マイコン坊主先生とか。>fn6

BrittyBritty2006/06/21 13:40直接的なメリットはないですね。裾野のレベルをあげることによって自分(たち)が将来幸せになる、かもしれない、くらいか。
マイコン坊主先生の功績は大きいですね。しかしお地蔵さんも着実に事を進めておられるのでは。