Brittys Wake on Wikimedia このページをアンテナに追加 RSSフィード

引用は最高の賛辞(Quotation is the highest compliment)。Wikiquote にご支援を。
Britty aka User:Aphaia の ウィキメディアプロジェクト回遊日誌
本家 | ウィキメディア見聞録(休止中) | My Profile: meta | テクノラティ

2006-07-12

[] ブロック このエントリーを含むブックマーク

ブロックまわりがバージョンアップした。ブロック時に同一IPからのログインユーザのログインを許可するか/新規アカウント作成を禁止するか選べる。sockpuppet 対策といったところか。

寝る前に気づいたのでとりあえず増えた MediaWiki メッセージのl10nだけやっておいた。

2006-07-04

[] バグ? このエントリーを含むブックマーク

  • RCで「自分の編集を隠す」を使う
  • 最初に表示されていた分の自分の編集は隠されるが、それ以前の自分の編集は表示される
  • 「自分の編集」はこのとき「表示」以外に選択肢がないので、あとから表示に追加された分は隠せない

仕様かな。。リカーシヴに「隠して」いけばすむような気もするが。1.8で直ったみたいです。

2006-06-30晴天の霹靂

[] バビロンまでは何マイル このエントリーを含むブックマーク

祖母の葬式関東へ出てきたあと、実家に戻った。この半月東京と祖母の療養先と自宅をぐるぐる回っていて、でもそれもこれで終わりかと思うと、ほっとするような、さびしいような。

祖母はこの夏いっぱいはもつだろうなと思っていたので、私は今年のウィキマニアには行く気がなかった。祖母の葬式はちょうど渡航援助申請締め切り最終日で、それを斎場の周りを炎天下散歩しながらちらと思ったが、でも、そのために応募用紙をいまから書く気力には、私にはなかった。

UTCで日付が変わっていたかどうかは、覚えていない。夜明けSjirc でだべっていて、祖母の葬式が昨日あったことをいうと、お悔やみをいってくれた。今週は、実は Sabine もお母さんの葬式があって、なんだか葬式だらけだ。不謹慎だけど、妙におかしい気がした。するとそこへ、Sjが「あのね。Wikimania には、興味ないの?」という。祖母のことがあるから考えてなかった、というと、そりゃそうだ、と相槌。そして次に私が考えたのは、祖母の納骨の日取りだった。百か日かそれくらいだろうから、たぶん8月初旬のウィキマニアとはかちあわないだろう、そう思って、「そりゃああるけどさ、でもお金がないわよ。30万円くらい、するんじゃない*1? 渡航援助はもう締め切ったでしょ? だからまあ無理よね」、と答えると、「なんとかできる、と思う」という。「日本を指名したスポンサーの枠があるんだ、君にそれを手配できると思う。君は去年も今年もすんごく働いたんだから、ここへ来るべきだ*2。名前とパスポートコピーをすぐこちらに送ってくれ」という。

正直、どう反応していいかわからなかった。でも冗談でこういうことをいうほど、彼は人が悪くはない。「いま親の実家だから、パスポートは来週にならないと……」「わかった、じゃあ後でまた」そこで通信が切れた。

それから30分後、私のメールボックスには成田ボストン往復の航空券が届いていた。。

*1:あとでUAサイトでみたら16万くらいの往復があった。

*2:去年については我ながらそう思うが、なんか一日14時間くらい編集してた記憶もあるので、だけど今年はかなり放置プレイだったような気も。。