Britty aka User:Aphaia の ウィキメディアプロジェクト回遊日誌
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昨日は早めに切り上げた、といっても日付はもうかわっていて、なので起きた時間もそう早くはない。会場にすべり込むともう朝食タイムは終わりごろで、とはいえいいかげん疲れてもきてるし、朝ご飯を省くのは身体によくない。しっかりゆっくり食べて、Ames Court の発表を聞きにいく。
USB の図書館を電子化して、お代1ドルで製本する移動書店、という話。アメリカ合衆国だけでなくインドやウガンダでも活動をはじめているそうで、非常に興味深い。発表者は WAIS を作った人だそうで、free/open society ではじまった動きが買収なんどで商用化されていく動きに対して非営利団体で運営を支えていくありかたを対抗軸として位置付け、そんで Wikipedia も後者のひとつとして考えている様子。すでに Wikipedia ないし派生コンテンツをどう第三世界へ届けるかということはかなり具体的に考えるべき時期にきていて(提携の申し込みもあるし)、それには地道にできることをひとつひとつしていくのが一番なんだなという感を改めて強くした。そのあと、Anthere の発表が同じ部屋であって、これは Wikimedia Foundation のこれまでの動きを回顧する、という趣旨の発表。彼女がこれまで foundation-l でいってきたこととだいぶ重なるのだが、いかにユーザの参加を現実のものとして確保するか、というのが強く課題として打ち出されていた感をもった。同じ会場でひきつづき Planery: Board panel. 合間の時間に、「あたし、あたしよ」というノリで、初日の翻訳 BotF で元気に発言していたおぜうさんが声をかけてきた。enwikisource の BirgitteSB だった。おおお。非常に盛り上がって、というか彼女がしゃべりまくっていたわけだが、Source の話をいろいろきかせてもらううちに、Board panel の時間。
ここでは Tim Shell の年内辞任が発表されたり、Michael から現在の財務状況についての数字をあげた報告があったり、などが聴き所か。mav は fundraising を近々やる必要があると考えているようだが、Michael は逆の意見。たしかに数千万円代の預金が普通預金にあるのに、寄付をいま集める必要はまあないわな。。と私も思う。*1
おわってご飯。ご飯タイムに急遽くまれた meeting がいくつか。Wikimedia なディスカッションがあるという話だったのだが、フリートークらしいので、Wikia meeting のほうへいく。ユーザ文化が違うコミュニティの話というのはそれはそれで面白い。なお、もうひとつ US Chapter 設立準備についての discussion もあった。中国語版組はほとんどこちらへいった模様*2。
午後、おやつをしていると、そこへ Sj がやってきて、「今日はきれいだね;)」とおあいそ。さらに、Hanna がやってきて、Vandalfighter の日本語化手伝えといわれる。正直技術的な話はお手上げなので、あとで誰か紹介するから、と逃げる。すまぬ。その話をしている最中に、Sjがやってきて、「次は僕の話きいてね」とボディランゲージ。執筆コンテストに日本語のがいくつかあるから、それの評価を手伝ってほしい、といわれる。「5分ですむから」といわれて最初はそのつもりだったけど、まあ結局1時間かかりました。multilingualism についての分科会が組まれていて、それにはとても生きたかったのだけど、でもまあ疲れていたので出たら出たで集中が途切れたかな。さわやかな夏の午後、ジュースをちびちび飲みながら Wikipedia をブラウズするなんていうのんびりした時間はここ数ヶ月なかったから、それはそれでよかった。と思う*3。評価は、Talk や秀逸のコメントなども紹介して、私が考える欠点美点をあげたのだけど、どれも知っている人の記事なので、多少評価がつらかったかも。まあ、それで落ちてもうらまれないだろうとは思うけれど。
終わって、まだ分科会はやっている時間だったけど、オープンスペースでほけっとする。Weinberger の Planery がはじまる。これが最後の発表で、あとは closing. しかしアメリカの学者さんはプレゼンがうまいね*4。終わってひきつづき閉会式。コンテストの受賞者発表。日本語版からの記事部門応募は3人いて2人が入ったので、かなりいい線いってたのではないかと思いました。ていうか私もうれしかったです。表示がうまくいかなかったのは残念でしたが、あれはなんでなんだろ。
閉会式のあとは、ホールにあったピアノをみなで入れ替わり立ちかわり弾いてなごむ。Mind*5に「室内楽やりたかったね」というと「やりたかったね。あたしバスーンもってきてたのよ。次は絶対室内楽やろう」ととても悔しそうな、熱意の込もった返事が返ってきた。
19時頃から打ち上げパーティというので、みなでご飯を食べに行く。総勢20人くらいかいただろうか。誰かが「Wikimediaのお食事会としては過去最大じゃない?」という。*6。レストランというかピザ屋、おいしいのだけど、量はもっと少なくてよかったです。。この辺ではあまり見ないが頼むとやはり出てくるドギーバッグに残ったピザをいれてもらった。
食事をおわってから打ち上げ会場の Red line、長いし過ぎて地下鉄の終電を逃し、おまけに道を間違えて一度川までいってしまい、結局そこからタクシーを拾って、帰った。
*1:定期的な寄付をする寄付者が増えつつある、単発で100万円代の寄付をくれる団体がちょぼちょぼ出てきているなど、寄付をめぐる状況も少し変わっている様子である。ここでも dog year なのか、過去の経験はそのままは未来予測にはあてはめられない様子。
*2:Lorenzariusによると、既存の支部の事例報告と検討がほとんどで、非常に参考になった、とのこと。中国語版では、現在香港と台湾の二箇所で支部設立が検討されている。
*3:ジュースは100%有機栽培という触れ込みで、それはともかく口当たりがよかったので、日本でもないかしら、と思うのですが、あまりみませんね。
*6:Anthere がいないのが実は気になっていたのだが、彼女は赤ちゃんをつれてきてるしベビーシッターも24時間つけてるわけじゃないだろうし。。と勝手に推測して深く追求しなかったのは、実はあんまりよくなかったかも。しかしまあ後知恵をいってもしょうがないですな。
10日くらいたってるので、細部があやふやですが、まあ。
昨日は美術館から戻ったのが遅かったので、寝たのも変な時間、起きたらもう8時台。地下鉄で一駅のところに泊まっているので会場までやや時間を要する。朝ご飯は向こうでも食べられる*1ので朝食抜きで慌てて出たが、すでに遅い。「今日の催し」案内タイム*2の最後のほうにやってきて、早めにきた人がセッション会場に移るところへ飛び込むことになった。
午前中いくつもりだった部屋にどうしてもたどり着けず、しかしさまよう途中で公開端末をみつける。ラッキー。そこでメールチェックしていると、Mav*3 からメールがきていた。その場で返事を書くと、「ところで Wikimania にはきてるの? そうだったら昼ご飯を一緒に食べない?」とお誘い。さっそく了承。なお部屋は端末をみつけたのと同じ階にあって、大ホールの上の変なところにあった。スタッフ作業部屋みたいな感じ。内容は「crosswiki issue」とのことで、実質的には wikia の話であった。文化の違うウィキコミュニティ同士が方針や規範をどう共有できるのか、というのはしかし Wikimedia project にも共通する話で、ケーススタディを興味深く聞いた。
セッションが終わって下へおりたところで Mav と合流する。大ホールはもう結構混雑していて、他のグループがいるところに相席で座る。ひとしきり最近の財政事情について Mav からレクチャーしてもらう。私がもっとも聞きたかったのは何で予算が公開されないのかと決算は何期分までのがいまの時点で出せるのか、だったのだが、「今年度俺がつくった予算は全部理事会に却下された。理由は不明」「理事会は出費のたび*4に臨時予算を可決してそれでまかなっている」「出納は6月末までデータがあるけど、まだ細かいところをチェックしないといけないのですぐにはだせない」等々。お金に逼迫しているということはないんだけども*5、L/B やら C/F やらがまったく公開されていない今の状態はまったく論外だ、という Mav の意見はまことにもっともで、その場にいたもう一人の人と、「んだんだ」とうなずきながらご飯を食べる。もう一人の人は私の左側にいたのだが「俺だよ俺」といった感じでにかっと笑ったのをみたら、Tim Starling だった。
Developer にはいろいろ相談しないといけないことがあったので、これを好機と選挙がらみのお願いなどをする*6。「Hardware のことは Domas*7とあと mark が二人でやってるから、ぼくらはぜんぜんタッチしてない。Single Sign-on のことは Brion にいって」といわれるのだが、その Brion を私はまだ姿も見ていない。8/1-3 に行われた Hacking Days にいたことは知っているが。「彼まだいるの?」というと「いるいる」と Tim が返事。あったら私が探してるって伝えといてね、とお願いして、2Fへあがると、そこに JamesF*8 がいた。ぷっくりふくよかでまんまるな顔で、こんなに童顔だとは知りませんでしたよ。そして普段それほど付き合いがあるというわけでもないのだが、とても喜んでくれて、Hug. そしてちょうどそこに Brion がいたので、さっそく Single Sign-on の日程の細部についておねだりをする。これは後述。話をしている最中に JamesF がチョコレートの大箱を抱えて戻ってきて、我々にチョコレートを振舞ってくれた。
午後、いくつかセッション。非常に興味を覚えたセッションもあったのだが、しかし Lightning Talk をいれてしまったので、いかない。まあ、この辺ですこし息を抜いておかないと、ばてそうだし、と自分にいいきかせる。Lightning Talk の司会は英語がむちゃくちゃにうまいアジア系の人*9。LTでいくつか興味深いものがあったが、受けを一番とったのは Domas の質疑だったかも。ていうか Domas のトロールバッジについて質問が集中する。「どうしてトロールなんですか」「トロールは陽気で人を幸せにするよい種族なんです」いいんだけど、別に、なんかちょっと orz。なおこの質疑のなかで、トロールバッジは彼が自分でつくったことが判明。
セッションの合間に、Elian の紹介で、スペイン語版で翻訳を最近やっている Zuirdj*10 と合う。チリから来ているのは彼一人だそうだ。Es からはあまりたくさんは人はきていないらしい。午後の第2セッションが終わったところで外へ出てくると、rms がいた。午後の第1セッションで、FSL から人が来て GPL 等について話す企画があり、それには rms の名前はなかったのだけども、実は彼も来ていたのだった。質問をする人で黒山の人だかり。そりゃそうだ、rms だもん。みな写真がほしいようでもじもじしていたところ、誰かが「ストールマンさん、お写真をいただいてもよいでしょうか」「GFDLで公開するならぜんぜん構わない」rms がそう答えたところ、そこらにいた男の子たちはみなばしゃばしゃと写真を撮り始めた。
夜、 MIT 博物館でパーティーがあるのだが、最終のプログラムからそれまでには少し時間もあり、向こうではそれほどご飯がでないということをいわれていたのでどこかでご飯を食べていきたいと思い、Zh の編集者である Lorenzarius*11を夕ご飯に誘った。まだ外は明るく、時間もあるので、戸外へ出てきてだらだらしゃべっていると、"Britty!" と昨日あった、名前がわからないが絶対に知り合いに違いない背の高い青年に声をかけられた。
Kim Bruning だった。
これには驚いた。というのは私はずっと Kim は女の子だと思っていたからだ。。#wikimedia では、女の子が男の子と間違われることはあっても、逆はあまりない。Kim はとても繊細な心遣いをする人で、なので私はずっと、女の子だと思っていたのだが、しかし考えてみれば、性別について陽にきいたことはなかった、ようなきがする。。
Kim は地元に住んでいて、今回の運営の手伝いもしているという。運営チームの人たちとご飯を食べにいく予定、というので、Lorenzarius と一緒に合流させてもらう。ご飯はバスで少しいった先の、Asumara という東アフリカ料理*12の店。店のおすすめという、パンケーキにいろいろなものを載せて、それをちぎりながら包んで食べる大皿料理を注文した。フィリングは4種類で、じゃがいもの入ったやや甘めの煮物、牛ひき肉の辛いもの、トマトとチーズと青物をあわせた冷製、鶏肉を煮た少しマイルドなもの。どれもおいしい。そして見た目以上にボリュームがあって、おなかいっぱい。御代はひとり$14なので、1500円ほどか。相席の人はほとんどがボストン在住で、地元でのボランティア募集にこたえて参加した裏方の人。Phoebe と Sj が昨年開催が決まってからこのかた地元のボランティアを集めるのに尽力していたこと、今年の春くらいから彼らが毎週土曜日地元で打ち合わせをやっていたことなど思い出し、ちょっと潤む。他には Linuxbeak が同席。
終わったあと歩いて MIT Museum へいく。ちょうどよい腹ごなし。ついたのは9時頃。パーティは7時30分からということで、もう佳境。展示物はホログラフや時代物のコンピュータなど。Tingelly の最近の作品をまとめたコーナーがあったのがうれしくまた印象深い。余興には、バンド演奏や漫才コンテストがあって、漫才コンテストに Brad がでていて、そして悪徳弁護士の役をやってとてもはまっていたのは、笑った。
漫才の前に、Domas やなにかが群れているところにいると、中の一人は記者の人らしい、あれこれの人の紹介をしている。Domas の脇には背の高い目のくりくりした男性が座っていて、この人はぜんぜんしゃべらない。これが mark だった。Domas が「こいつはいつでもこう(=ぜんぜんしゃべらない)なんですよお。かわいそうなぼくのちっちゃいぼうやなんです。あああ、ぼくちゃん!」なおこのとき Domas はぜんぜん呑んでいなかったということは特筆しておきたい。IRC でも彼は結構テンション高いのだが、リアルでの彼は1024倍くらいはテンションが高かった。ハッカーには珍しいタイプかもしれない。で、mark はその間黙ってにこにこしていた。*13
終わった後、外に出てくると、Jimbo さんが自ら「2次会やるよ。おいでよ」と誰彼に声をかけていた。ほんにまめな人だ。。*14 ここで初めて Soufron と話す。自己紹介のあと、Soufron が続けて「ふとんが、ふっとんだ」(原文ママ)。まて、その脈絡のない駄洒落はなんだ。思わず「この馬鹿弁護士」とつぶやくと。「はぁい、私日本に一年住んでいましたから、なにも不思議なことはありませんね」(原文ママ)と自慢気に Soufron がいう。ほめていませんっ。*15
日付が変わってもみな盛り上がっていたが、時差ぼけもあるのと明日も早いのとで、歩いて居候先へ帰る。もう地下鉄はない時間帯で、しかしわりかし人通りが多いので歩いていてもそう危険なことはなく、こげな居候先を仲介してくれた Sj に改めて感謝した。
*1:Jimboさんが基調講演を行った大ホールの続きのスペースは、"Open space" と銘打たれており、半分は poster もう半分が軽食エリアになっている。会期中には、朝と三時にここで軽いスナックとソフトドリンクが供されていた。食べるのは大ホールにそのたびごとにテーブルを据えてみんなでご相席。
*2:9:00-9:15。
*3:Daniel Mayer, Chief Financial Officer
*4:今年7月に決まった第3四半期ハードウェア購入費とか。詳細は WMF 公式サイトを参照。
*5:借入金がなく、千万円代の長期資産に加え百万円台の流動性短期資金がある。そしてこれに加えて毎月1千万円代寄付収入がある。翌日の理事会パネルでは、会計の M. Davis さんが、これらのことに言及した上で、「当分は募金キャンペーンをしなくていいとおもう」といっていた。
*6:Boardvote, Single Sign-on, Tech Com の実情など。
*7:Domas Mitsuzas, 開発者。Hardware Officer. ここ2年くらい、購入計画を作るのはもっぱら Domas の仕事だそうだ。あまり編集をしないせいもあってか、プロジェクト暦が長いにもかかわらず、彼呼ぶところの「コンテンツ・コミュニティ」では知られていないようだが、Wikimedia を根幹で支えている人の一人だろう。
*8:James Forrester, リサーチ関係の officer。
*9:3日目に、Takot さんに教えていただいたところによると、Fuz だった由。
*10:Joan David Ruiz.
*12:精確には「エリトリア・エチオピア料理」の店だそうで、エリトリアからきた移民の人のお店なんだろうか?これに限らず、この界隈はエスニック料理には不自由しない感じだった。
*13:後で注意してみると、Domas と mark はこうした社交の場ではつねに一緒にいた。#wikimedia でもよく二人で対になって出てくるし、本当に仲がいいんだな、と思った。
*14:なお2次会の会場につくなり彼がやったのは、奥さんに携帯から電話をかけることだった。アメリカ人の日常を垣間見た気がした。とおもたら後でスケジュール管理を現在は奥さんがやっているということを知る。そうかマネジャーとの打ち合わせか。。
*15:ていうか君がいた日本の弁護士事務所ってのはどういうところだったんだ? 判例研究会の後で駄洒落研究会でも開いてんのか? こやつは駄洒落は日本文化の精髄だとかわけのわかんない観念に取り付かれてるんじゃなかろうか。しかし、彼のことだ、駄洒落は一般にはそう歓迎されていない、などと教えようものなら、逆によろこんで乱発するのではないかとも思われる……
この辺はあとからかいています。
1:10 am, Boston 着。電話で宿泊先へ連絡して、タクシーで向かう*1。$38.00 細かいのをまけてくれたがティップを渡すのを忘れた。"私を Central Square で下ろしてからHarvard へ寄って3人を下ろしてくれ"と最初のタクシーに頼んだところ「複雑じゃよ、いやじゃよ」と断られたのだが、実はこの順路、道をまっすぐいくだけなのであった。私のホストである地元ウィキペディアン Moink は「ぜんぜん複雑じゃないわよ! その運転手、馬鹿じゃないの!!」とまぢで怒っていた*2。
しかし運転はまあなめらかで、そして夜の川沿いを流しながら、これはボストン市立大、これはなんちゃら大、これはMIT、といろいろガイドしてくれたのは面白かった。この川がボストンとケンブリッジの境界になっていて、川を渡るとすぐ MIT のキャンパスだった*3。
いま日本に帰ってきて、24時間離発着可能な民生用空港ってすごいなあ、とあらためて思う。Newark はまあ国際的なハブだから当然としても、郊外とはいえボストン市内にあるはずの Logan も 24時間営業中だからこそ、我々は無事カンファレンスが始まる前に、ボストンにつけたわけで。ありがたいことです。
ただ、空港ってそういうものだ、と考えている人たちに、夜中に軍用機ががんがん離発着することがどんなに迷惑か、ということをわかってもらうのは大変かもしれない、とも思うなりよ。
現地での参加受け付けのあと、Jimbo さんの基調講演がはじまるまでその辺をうろうろ。私が最初に顔をあわせたのは Danny だった。そのあとうろうろしていると、Danny がこっちへこい、と手をひっぱってずんずん外へ。Angela だった。Angela は写真でみるよりずっとキュートで、そして小柄だった。笑顔がとてもチャーミング。まあ、いまは幸せ真っ盛りだし、というのはおいておいて。Zh から来た人たちと、少しおしゃべり。会場で laptop をかりて、中国語の逐語翻訳をするはずだったのだが、まだ機材の手配ができていない、と心配しているのをきいて、こらえらいこっちゃ、とあわてる。もう時間なので、メイン会場へ。
Jimbo さんの talk は、主に Wikipedia の現状、そして少し昨年の "10 Free things" の update。Wikipedia, Wiktionary, Wikibooks. WiktionaryZ を財団が正式サポートすること、Wikiversity beta, これについては後の記者会見でさらに詳しくしゃべった模様。
そのあと最初のセッションで分散。その前にちらっと Sj と話をして、wikia から laptop を借りる算段をかれがするということで流会。私は community issues の解決についてのセッションを聴きに行った。事例はまあ、enwiki の話になるのは仕方ないかな。Cachy Ma は香港大学の学生で native Chinese speaker なのだが*4 zhwiki ではアクティブではないそうだ。まあ ja でもそういう人はいるし、そう不思議でもないか*5。終わって、Elian とあったのはこのときだったか、昼飯の後か。これも誰かが連れていってくれたのだと思う。自己紹介する前に気づいて、"Britty!"*6と呼んでくれる声の、まあなんとうれしそうな事。dewiki で彼女がコミュニティリーダーとして、みんなの相談役として慕われているところには、このなんともいえない人なつこさもあるのかしら、とあとで振り返って思う。会う人会う人、うれしくてたまらないという笑顔を見せることでは、彼女の右に出る人には会期中出会わなかったような気がする。それこそ人とあうとき、誰かが会話に加わるとき、誰かを誰かに紹介するとき、そんなとき彼女はとても無防備な顔で笑み崩れるのだ。Elian も華奢で小柄で、髪を金髪に染めた彼女が深緑のワンピースをきてほっそりした素足をみせているのは、まるでファンタジー小説にでてくる森の妖精のようだったり。Angela と Elian と、二人とも 160cm ないんじゃないかというほっそりしたお嬢さんがごくシンプルなワンピース姿で、白い脚で二人ニューイングランドの芝生を踏んで滑らかにのびやかに歩いていくさまは、月並みな言い方だが、絵のような光景であった。ていうか萌え。
お昼、Press conf だったのだが、そして聴きに行こうかなとちらとは考えたが、私自身は Comcom とはいえ Press に責任はないし、むしろ Comcom に最近入ったがあまり active ではない Zh user と話す機会があったので、そちらを優先。Zh の現状や、彼自身のメディア業界での仕事など、いろいろ面白い話をきかせてもらう。あとは香港で準備中のカンファレンス*7の話など。同じテーブルに8???? という Wikimedia CH の理事がきていて、彼らもついこのまえ2日間のカンファレンスをしたばかりなので、その話などをきく。CH でも多言語化というのは大きな課題として認識されていて*8、その辺の苦労話など。私はひたすら食べて「Aphaia よくたべるね」と中国人につっこまれる。
午後のトップは Larry Lessig. Read Only / Read and Write という二つの図式で近現代の文化を回顧し、そしてそれはメディアだけでなく政治や労働、つまりは社会一般についてもそうなのだ、とぶったあと、remix の余地を残したライセンスによる RW 文化の復権を21世紀の文化として提示するアジテーション。新しいものはないけど、プレゼンはかこよかった。MTV ぽいのりですよね、どちらかというと。remix もかなり笑えた。online で見られるようですが、そうですね、私は古風なので、Two tribes みたいなストレートなのも好きです。。
会場が、模擬裁判をやる階段教室で、一番後ろに大きな暖炉があるところが、歴史の重みを感じさせて、なかなか乙。
そのあともとのメイン会場に戻ってまたセッション。移動の途中、なんかの偶然で Comcom 周辺の人が固まって、そこで Danny から記者会見の内容について簡単なブリーフィング。*9翌日に、記者会見の周知徹底と今後の動きについて関係者*10によるミーティングを開きたい、場所は追って連絡する、ということだったが、これは結局実現しなかった。
階段からあがってきたところで、Cormaggio にあう。「Special Project Committee*11 の面子はみんな集まってるんだよー」と自慢される。いいなあ*12。そこで、誰かに会い*13、そしてこの人はとてもとてもうれしそうなので絶対にすでに知っている誰かなのだが「Britty あとでね、ぼくいまもういかなくちゃいけないから、じゃあねまたー」とマシンガントークを残して、その人は去って行った。私は少し遅れて、cross language issues かなんかの分科会に出る。これは発表形式ではなく、討論会。若い金髪の威勢のいいお姉さんが盛んに発言していた。司会をしていたのは Effi@Nl. オランダ勢は結構きているみたいだった。セッションが終わってから、スワヒリ語(sw)ウィキペディアの編集者と話す。後できいたところによると、sw はいまや5人も常連投稿者がいるそうだ。感無量。blog で宣伝したり、地元紙でとある常連がもっているコラムでしょっちゅうウィキペディアを取り上げたり、とにかく認知度をあげて編集者を呼び込む作戦を展開しているらしい。sw が実用に耐えるまでに育つと、アフリカでの展開が非常に有望になるので、ぜひ成功してほしいところ。
セッションのあと、そんなふうに話し込んでいたせいもあって、ホールでやる「今日のまとめ」をききにいけなかった。帰りのエレベーターのなかで、Danny から Michael Davis さんと Brad を紹介してもらう。戻るとすでにパーティがはじまっている。趣旨は Angela + Jimbo の誕生日パーティ*14なのだが、まあウェルカムパーティですわな。といってもあるのは軽いスナック、お菓子、果物くらいで、そして酒は有料。酒は有料というのは米系航空会社でもあって、アメリカ人には普通の発想なのかしら? Anthere とまだ会ってないの、といっしょにいた人にぐちると、「廊下で Thomas をあやしてるよ」といわれたので、すっとんでいく。Amgine がおもりをしながらおしめを変えている最中で、確かに母親が自慢するように"beautiful"な赤ちゃんだった。蜜のような金髪に蒼い瞳で、それが人見知りもせず、じっとこちらをみているので、もう大人気。でもおかあさんはほかに用事があるので会期中はベビーシッターが面倒をみて、なので Thomas と遊べる機会は私にはこれが最初で最後でした。うむう。なお Amgine の babysitting skill は非常に高かった*15。
Anthere と話していて「もう Suisui にはあったの?」というと、「まだよ、会わなくちゃ」というので*16、先ほどみかけた場所へ連れて行く。大島さんたちと話しているところに割り込むことになるが、まあ、こういうところではありがちだから仕方ないよな、と勝手に割り切る。ていうか無礼講だし、まあ、とはいえ話の腰を折って申し訳ありませんでした(ぺこ)。
なお、Amgine にさっき聞いたところによると、Sui たそに取材の申し込みがあったので、会期中 Amgine は Suisui を探していたのだそうだ。Dorm にいる人だけでも、連絡がつく/つきやすいようにしておく、というのは来年以降の課題かも、というふうに日記には書いておこう*17。
Domas 他がだべっているところに合流。参加者はみなスタッフとか発表者とか一般参加者などといった種別入りの参加者票をつけているのだが、Domas のはTroll*18。「なにそれ!」というと、「ぼくの役目だからねっ」と明快に言い切った。このとき唯一誰だかわからない人がいたが*19、あとで、「Britty、ぼくだよぼく」とご自分からやってきてくださって、で、ふたをあけたら Tim Shell さんでした。うううむ、Jimbo より老けてみえるのは気のせいでっか? 私の記憶ではあまりかわらないはずなんですが。。ともあれ、IRC でそうであるように、friendly で気さくでいい人。このあとぼくらは夕飯*20を食べに行くんだけど、君はどうするの? ときかれ、ボストン美術館にいくつもりなんです、てへ、と答える。すると、「そりゃあいい、ぼくも前日ボストン観光をしてね、実はボストンへ来るのは初めてで……」といかにボストンが歴史があってすばらしい街かをうれしげに語ってくれた。よくいわれる、アメリカ人にとってボストンは日本人にとっての奈良や京都みたいなものだ、というのをそこで始めて実感した。
ジンボさんの基調講演のなかで、Brad の紹介もあり、軽く Brad がスピーチをした。
てっきり彼が pro bono としてきたのは Lessig 周辺の紹介だと思っていたので、この経緯には驚きました。
Brad は、foundation-l だと木で鼻をくくったような返事しかしない「弁護士」そのものなのですが、仕事を離れて話をするときは陽気でユーモアのある開放的な人で、そして一緒に仕事をするときにはオープンで、でもしっかりけじめをつけるところはつける、そして手を動かすのが早い、という、なかなか得がたい人材で、こういうひとが WMF にきてくれたことは、とてもいいことだと御本人とあって改めて思いました。
*1:正確には、会場も宿泊先も、ボストンではなく隣接するケンブリッジ市にある。
*3:後でわかるのだが、ボストン中心部から少し距離のあるハーバードからも、実はこの川沿いへ出るのはそう距離を要さない。散歩にいい場所だなと思った。
*4:ということはひょっとすると Andrew Lih の弟子だったりする?
*5:Nanshu さんや、Tangotango さんなど。
*6:これって一音節語なんですね。はじめて実感した。
*8:なにしろ公用語が4つあるので、ゆくゆくはそれを全部サポートするつもり、らしい。
*9:しかしそこで起こったこと起こらなかったことのすべてがここで語られていたわけではなかったことが、後に判明。まああとからミーティングをするつもりだったのだから、当然か。
*10:involving people
*11:外部団体との折衝・提携を担当する委員会。通称SPC。
*12:Comcom も結構人がきていたけれど、半分くらいしかいなかったのではないだろうか。
*13:あんまり早口で名前が聞き取れなかったし、名札もみえなかった。
*14:それぞれ 8/3, 8/7。
*15:さすが2児の父。
*16:そして、Amgine は press coordinator として Jimbo さん始めみなのスケジュールを管理していたので、どろどろに疲れていくことになる。彼とまともに話ができたのは、私にはこれがほぼ最初で最後だった。
*17:Noticeboard をおいておく、だけじゃだめ?> Dorm にとまってた方; ていうか会場におけばいいのか、そもそも。。。
*18:あとでわかるが、自分でつくったらしい。ちゃんとまともなのと、reversible になっていた。
*19:名札は裏表書いてほしいとおもいました。