Britty aka User:Aphaia の ウィキメディアプロジェクト回遊日誌
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きょうは発表もないし、わりと気が楽。朝ごはんを食べて、最初のセッションは迷うところだが Brianna Laugher の「新規登録ユーザの行動とそれへの対応」についての発表をききにいく。Brianna はコモンズで有名な人だが、プロジェクト間ウェルカムメッセージ比較などもやっていて、そちらでも最近は知られている。enwiki での調査がベースで、統計部分が実におもしろかった。一日に一万アカウントが作られる、というのはものすごいですね。そして実際に編集するのはその1割らしい1%いないらしい。後半はむしろ提言のような感じで、2日目の Andrew Lih の発表とある種似た結論*2。電話の自動応答みたいなメッセージをもらっても嬉しくない。そういうのはやめよう、というお話。jawiki であった、手動でいれているはずのテンプレメッセージにたいして「システムからの自動メッセージだと思っていた。そのほうがずっと抵抗がない」というのを連想する。
そのあと Guillom こと Guillaum Paumier の BoF、プロジェクト間協調の場としてのメタウィキについて、に出かけるつもりでオープンスペースに。その場にいた Drork*3らとなぜか日本語起源論になる。DrorK が言語学専攻だというのは初めて知った。と話が盛りあがったところで、あるはずの BoF がぜんぜんはじまらない。ということに気がついた。なんでー? あとできいたら、Effeietsanders こと Lodewijk のともども人がこなかった(Guillom のほうにはひとりだけは来たらしい)ので中止したとか。がっくり。いくっていっとけばよかったかなあ。まあ十時のお茶をいただきながらなでうことのない話をするというのも悪くないが。
講演要旨は美谷さんのあすなろblog、「Wikimania:ウィキマニア2007最終日。」が詳しい。以下つらつら思ったこと。
Joi こと伊藤穣一さんの講演。市場経済と贈与経済という伝統的経済構造に対して「シェア・エコノミー」(共有経済、とでも訳そうか)としてのフリーカルチャーを提示する、というお話。そしてこの第三の経済構造での交換はしばしばネット上でなされるわけだが、Joi さんは「デジタルコンテンツはコピー可能だ」「むしろデジタルコンテンツの使用ということはコピーによってのみ可能である」ということを指摘する。コピー可能なのではなくて、コピー必然、という指摘はおもしろい。一般に、コピー可能な財にたいしてコピーを禁止することで対応するのは、これは長期的には無理がある*4、そのような財の性質に対して、シェア・エコノミーという構造は適合している、とまで Joi さんがいったかは正直覚えていない。たぶんいってないとおもう*5。ごめん。この時間帯猛烈に眠かったのでごかんべん。この講演は覚えている限りでは極めてコンサイスかつ刺激的だったので、よいコンディションでなかったのは残念です。。で講演前にのんだコーヒーが効いたのかようやく目がさめてきて、発表の最中に laptop をいじっていたら、突如無線 LAN がおなくなり、このあと Wikimania Awards の審査で非常に苦労することになる。
とJoi/伊藤さんの講演、基本的に面白くきいたのだが、ではシェアエコノミーでのインセンティブってなんだろう・シェアの連鎖を安定させるには何が必要なのだろう、ということを考えた。いったいに交換というのは長期的になんらかのかたちで安定した構造を必要とするのだが*6、そのような構造の安定には取引の双方が相応に満足する、ある種の公平感というのが不可欠になるだろうと私は考えている。いつもおごられてばっかり、という関係は、普通は続かないものなのだ。あるとすれば、それは財以外のサービスをなんらか与えている/社会構造のなかでそのような一見バランスのとれない取引なり贈与なりが正当化される仕掛けが必要だ*7。ところでシェアエコノミーというのがフリーカルチャーの経済圏である限りで、それは「プロダクツ・コンテンツ等々の製作者」と「利用者」に二極化されるだろう。極端に言えば、フリーカルチャーの恩沢を受けている人の大多数はフリーライダーだ。そのような系のなかで、「公平な取引の感じ」はどのようにして満たされ、またこの系を持続させる健全な社会構造というのはいかなるものなのだろうか? とりわけウィキペディアという社会においては?うまくまとまらないのだが、そのような疑問をもった。贈与経済の裏には通常、伝統的な社会構造というのがあって、そこでは地位の相違に応じて適切な贈与の大きさというのが決まってくるわけなんだけども。フリーカルチャーの社会は、ヒエラルキーを内部に構築するということに関して、極めてセンシティブであるようにも感じる。といって、利用者と製作者の間に原理的なヒアトゥスがあるのなら、また個々の製作者の製作に質量ともに差があるのなら、ヒエラルキーの構築は避けられないようにも思うのだ。……それとも、われわれがフリーカルチャーの参加者とみなしているのは結局は程度の差はあれ製作者だけなのであって、利用者は巨大な外部経済に留まっているのだろうか? かくいうわたくしめも、ウィキペディアンといえばそれは「ユーザ登録した、なんらかの投稿を行っている人」を意味するのだとほぼ自明なことのように思っていて、その外部にいるはずの膨大な人口について*8は、思いを致すことが少なくまた困難なのであるけれども。だけど寄付者コメントを見ている限りでは、ウィキメディアプロジェクトのインフラを支えている相当数は、そのような「沈黙する外部」なんだよね。プロジェクトの持続可能性を考える上で、また「コミュニティ」の外延を考える上で、ここは勘所なのじゃないかとも感じていて、伊藤さんの講演で感じたこれらの問題はもう少し粘り強く抱えていきたいと思っている。
昼ごはんは兼 jury meeting。ごはん自主入手、と TC からきいていたのだが、部屋へ行くと人数分お弁当がきていた。*9ご飯を食べながら応募作品をみて選考。締め切り二回延長して、宣伝もたっぷりしたおかげか、昨日の3倍くらいに応募作品が増えていた。ちょっとほっとする。昨日の打ち合わせどおり、4部門を選ぶ。部門の別は撤廃したんじゃなかったっけ、と思うが、いっぽうでトロフィーには部門名がいれてあるので、まあ仕方ないか。準備したトロフィー全部使わなかったのはちょともったいなかったです。この辺の調整は来年への課題かな……わたしは構図とせいぜいピントにだけ目がいくのだが、Nic Hill はさすがにプロでライティングの巧拙に非常に敏感でした。というわけで、今回受賞が決まった4作品は、どれも厳選したいい感じのだと思ってます。実際、とてもいい作品が3つあるなかからひとつ選ぶというのは大変だったので、去年のように複数受賞にできると選考はもっと楽だったろうと思う。。なお、自分のラップトップがつかえず、他人の背中で背後霊しながらしゃべるという状況でご飯はあまりはかどらず、もってきたご飯を半分のこしてもったいなかった&ごめんなさい。
午後は Heather Ford さんの iCommons のワークショップに出た。フリーカルチャーの「生態系」を考えるというもので、何がこの生態系を規定する要素なのかを Heather さんの司会でディスカッション。iCommons は来年札幌でイベントパーティをするそうです。フリーコミュニティの生息域を広げるにはパーティがじゅーよーです、みなさんパーティを地元でどんどん開きましょうね、そして友達をどんどん連れてきましょう。というお話*10。というわけで後半の午後は「札幌であいましょう」が一部のひとの挨拶になる。そのあと、理事会パネル、Jimmy さんの挨拶、ウィキマニア・アワード授賞式、フィナーレと続く。フィナーレは Taipei team もそうでないひとも、オーガナイザーがみんなステージ上にあがってウェーブをしました*11。そのあと Jimmy さんの提案で外で集合写真をとるというのでうだうだしていたところ、どうもわたしらは中でうだうだしすぎたらしく、私は集合写真をのがしました。うぇーん。そのあと部屋に戻って速攻で着替えてパーティ、2次会兼でCCパーティに乗り込む気満々でいたところ会場から「ご近所のみなさんから音楽がうるさいと苦情で警察がやってきて禁止命令がでました。だからみんなどんどん帰ってます。音楽はなし、ダンスもなし」との急報。踊る気まんまんだった台湾チームががっくり*12。Frances*13がめちゃ暗くなってるので「踊るの好きなの?」ときくと「踊るのはすきじゃないの。でも人が踊っているのを見るのが好き」。ううむ。ともあれ合流しようぜ、ということで CCパーティをやっていたはずのお店に顔を出すと、もうひとがほとんどいなくて PA がすみにさみしく片付けられていた。フリーペーパーも発行していてここはなんしかカルチャーなバーらしい。お店のサービスなのか*14、ライチビールを一本づつもらう。。台湾も最近地ビールブームがあったのだそうで、これもそのひとつなんですが、なかなかさわやかなお味でよかったです。アルコール度4度ということだけども、ぜんぜんお酒ぽくなかった。そのあともう一件、みんなが流れて行った先なのかな、を店先で冷やかしてから、誠品書店のあるビルのなかのクラブに遊びにいく。いくとスペイン語版勢4人がすでにきていて、我々も含めて総勢で20人ほどか。他のお客さんは5人から10人ほど*15。飲んだり踊ったり踊ったり音楽を聴いたりまた飲んだり踊ったり。ラテンの人は踊るのがうまいなあ。というわけでキューバ系ヒスパニックニューヨー育ちな Sandy もめっちゃダンスはうまかった。わたしは途中でへばって2時で抜けて帰りましたが、次の日 Kat が語っていたことによると「そのあと小龍包を食べて、4時までカラオケバーにいたの!!」(←すごくうれしそう)……いいなあ若いって。というわけで三日間、台北のナイトライフを毎晩違う趣向で満喫しました。みんなありがとう、また遊ぼうね!(違*16
朝・昼 CTOYAC の中華バイキング
夜 貿易センターの洋食。アメリカ料理?*17 創作洋食といったほうがいいのかも。。前菜のフルーツとハムかな、のお皿がさわやかでよい感じでした。そんなに量ないと思ってたけど&いや日本のレストランに比べると1.5倍くらい盛りがいいのかな、肉は敗北しました、1/3 くらい残したような気がする ……
*1:この日記は全文帰国後13日に書いています。「我の」というのは台北のあちこちでみかけた微妙な表記のまね。どうも「的」のかわりに「の」を用いるのがおされらしい。
*2:まあ、みんなだいたい落ち着くところはおなじだよね……。
*3:ウィキメディア・イスラエルの理事。アラビア語も出来るひとなので、アラビア語プロジェクトとの橋渡し役にもなっている。アラビア語プロジェクトのプレゼンス向上にもっとも熱心に取り組んでいる人のひとり。といって押し付けがましいところはなくて、arwiki の人からも「Dror はいい奴だよね」といわれている。
*4:コピー可能というのはある意味フリーライダーを誘発しやすいということでもある。とりわけ、それがなんら劣化を生まないところではそうであろう。ということで、フリーライダーを防ぐことの出来ない財としての公共財は市場経済の外にあって企業部門よりは公的機関によって供給されるのに適しているのだが、そうすると初日の Flo の発表のなかでの「公共財としてのウィキペディア」という話と有機的につながっているなあ。綺麗だ。
*5:が、そのような理解は Lessig の The Code でのアーキテクチャ/思考の論ともパラレルで、Lessig - Joi - Florence という思想圏が描けると綺麗だよね。
*6:もちろんそのなかには「とりあえずむちゃむちゃふっかけてみる」「とりあえずむちゃむちゃ値引きを申し出る」というような取引テクノロジが含まれていてもよい。
*7:親子だとか上司と部下だとか男と女[ここちょと性差別的ですが、実際に存在するので仕方なく含めておく]だとか年上と年下とか、まあいろいろ。
*8:Guillom の引用したある最近の研究では、90% 以上のウィキペディアの利用者は編集したことのない人、らしい。
*9:人数分きていたのだが、私がごはんをもってきたのをみるとTCは「あ、じゃあ足りてるよね」的な事をいって私の割り当て分だったお弁当分をもっていきました。台湾滞在中、台湾人の倹約ぶりにはいろいろ感銘を受けましたが、これもそのひとつ。
*10:オマエヲ同化スル、というわけではないですがコラボレーションというのはある程度群生してないと難しいよね。この辺、Ant のいう「すべての支部の起源はローカルミーティングである」というのとも通じる。
*11:大会のあと北投温泉博物館にいったのですが、そこでもウェーブの写真がありました。なにかの除幕式の写真なんですが、どう見てもいい大人がウェーブをしている。というわけで台湾のひとはウェーブが好きらしいです……
*12:つまりクラブカルチャーとフリーカルチャーはここでは同じ人たちによって担われているらしい。
*13:Huang. 中央研究院情報科学研のとってもキュートなめがねっこ。TC のアシスタントなのだろうか、二人で一緒にいるのをよくみます。こことか。
*14:フリーペーパーに紹介記事があったのでたぶんそう。お店でプッシュしているのでしょうか。
*15:途中出入りあり。
*16:でも Theodoranian が今年中に日本に来るかもっていってます。11月にはドイツ語版WP参加者の第1回ミーティングも企画中です。というわけで、やっぱり、一緒になんかして遊びませう。>皆様
*17:メニューにシーザーサラダがあるのをみて、Delphine はこれは絶対にフランス料理じゃないわといってました。ワインは悪くなかったです。軽めの赤で、私はワインは詳しくないですが、もとワイン貿易会社にいた Delphine がほめてたんだから、ほんとに悪くなかったんだとおもう。でも何がサーブされていたか、見落としました。
朝、部屋でメールチェックなどしていると、突然ラップトップの電源がおちた。そのときはじめて電源をもっていない(=なくしたかばんのなかに電源も入っていた)ことに気がつく。やばい、ラップトップのなかには今日の発表で使うスライドがはいっているのだ*2。
レセプションに「かばん見つけた方はご一報ください」の大きな張り紙が出ているのも赤面*3。かばんがないので今日も朝食券がない*4。フロントで発行してもらうと、「大会受付で再発行してもらいなさいね」と念押しされる。そういうひとは結構いたようで、大会受付には各種お食事券が輪ゴムでくくって山積みになってました。kwansaiさんは無事ごはんにありつけたのだろうか、心配だ……*5
Yukichi さんの電源をかりて試してみるものの、どうも、電源の規格というの社によって違うようで、この型にぴったり適合するものでないとまずいらしい……とはいえ、ひとり苦悩していてもしょうがないので、運営部屋にいって相談する。USB にあるバージョンを映写することにしたが、そこでアプリケーションが入っていないことが判明。Alex が手持ちのラップトップに Ooo をダウンロードしてセッティングしてくれることに。私の普段の環境は StarSuite なのだが、この際贅沢は言ってられない。「セッティングしばらくかかるから、あとはいいよー」とのおことばに甘えて発表をききにいく。他へ行く。*6
朝は、Alain Desiret、Brianna*7, HTChien とそれぞれ話す。 Alain とはウィキを使う翻訳者のディスカッションフォーラム立ち上げやウィキペディアを教材にした共催セミナーの企画などを。これはぜひ実現したいと思っています。オンラインかオフラインかはまだ不明。いちばんありそうなのは次のウィキマニアでのワークショップかな。あるいは WikiSym。みなさまもその節にはご協力よろしく御願いします :)
朝オープンスペースにくると Jakob Voss がいてプログラムを配っている*8「それ最終版なのー?」ときくと「そうだよー。あげるー」というので一部貰う。これ壁にあるの*9と同じなんだよね。そうだよ。今日の分はこれが最終版。三日目のは確定しているの、ときくと「まだ。だけど明日の朝には確定するからぜんぜん問題ないよ」とほがらかにいう。ううむ。ドイツ人ってもっとかっちりしてると思ってたんだけど。*10
オープンスペースのプログラム表は8月の1日くらいに張り出されたのだが、その時点で確定していた分を含めて誤植があったりなかったりで「おれの発表が載ってないよ」「おれ二回も発表することになってるんだけど……?」と微妙な会話がたえずかわされていた。会場のみなさまには「ウィキペディアらしいなあ。プログラムも編集可能なんですね」と妙に好評だったのが救いか。司会などする側からいえば、自分がいつどこにいないといけないのか分からないってのは結構冷や汗ものだったのですが。まあ司会者・講演者から文句があったという話はないので、いいか*11
全体に今年のカンファランスはどこかスクラップ・アンド・ビルドなところがあって、後に書くアウォードなどはそれが少し裏目に出た感もあり。全体的には好評でみなさま喜んで帰ってくださった方が多いことは嬉しいのですが、来年は同じことを繰り返さないでやりたいなとも思うのでした*12。
朝、セッションの始まる前に Brianna と会い、まだ日程が決まっていなかった Wikichixランチの話をする。Wikichix は女性ウィキメディアンのコミュニティで、去年11月に発足した。Linux Chix を具体的にはモデルにしているらしい*13。今日だよというのだけど、まてよ internal-l ランチも今日じゃなかったかな? 慌てて調整して、internal-l はランチの後の残り時間でミーティングということに決まる。この過程で Sue *14はもしかして Wikichix を知らないんじゃない? ということに気がつき、どうしようね、と話をしているところにちょうど Sue がやってきた。話をしてみると非常に乗り気。ウィキコミュニティでのトラブル解決過程でそのプロセス自体が「セカンドレイプ」だと訴える人がいる問題*15などにも敏感な反応を返してくれて、やはり女性だから共有できる体験や知識というのもあるなと実感する。Wikichix ランチもおかげさまで大盛況。2割近いメンバーがきてたんじゃないだろうか? 逆に言うと、Wikichix 自体はまだとても小さいコミュニティだということだ。ウィキペディアの投稿者は男女半々なんじゃないかという統計を各所でみるので……。Wikichix はまだ広報が足りないのか、英語偏重である限界がどこかにあるのか、それともこのようなマイノリティサークルを必要としていない「つよいおにゃのこ」*16が我等がコミュニティにはむしろ多いということなのか*17、各言語別で非公式ながら類似のコミュニティがあるのか。その辺は謎。wikichix-ja って需要があるのかしら。需要があればご相談には応じますが*18
昨日は仕事でこられなかった HTChien と午前中ようやく初対面、このときは主に Wikimania Awards の話。ただ前から気になっていた「実はだれも Wikimedia Taiwan から internal-l にいないんじゃない?」*19という話をもちかけてみると、やっぱりそうなのだった。嗚呼。昼の internal-l ミーティングには Theod と HTChien が来られたのでよかったです……*20ミーティングの場で、Delphine にこの未加入問題を引きつげたので、その意味でもよかった。台湾から最大5人が入ってくることで、internal-l にまた違う風が吹き込むのを楽しみにしています。
午後は選挙パネル。私からは選挙のスケジュール、今回の新しい要素、いままでからの引継ぎ、実施に際してのミスなどについて15分ほどの簡単なブリーフィング。ジョンが今後の課題について、ティム・スターリングが技術的側面の詳細についてそれぞれ10分ほど話す。司会は Jan-Bart。会場は foundation-l でいつもみる面子で、だから旧知の人がほとんどでそれほど緊張せずに気持ちよくやれました*21。会場の反応はよかったと思う。今回の新要素である Endorsement についてはおおむね好評のようだ。ただ細部の実施は今後変わっていくと思われる。我々からもまたフロアからも「今年のスケジュールは過密すぎるよね」という声があって、これは変わるといいなと思っている。フリーダが当選して、会社から休みを取って飛行機の切符を買うのに出発前一月を切ってるというのは、ちょとひどいよねとスケジュールを決めた側ながら思う。まあ、彼女の上司が理解のある人で休暇をすぽんとくれたのでよかった*22。もっとも私は今期でしばらく選管を離れることに決めたので、具体的な作業は来年の選挙委員にお任せなのだけど。
その後Andrew Lih, Kat Walsh (Mindspillage), Mike Godwin, James Forrester (JamesF) のコミュニティの変質に関するパネル*23Andrew Lih が enwiki における方針の変遷とその運用についての変遷を綺麗にまとめたプレゼンをして、これは勉強になった。よくあんな複雑なところで管理者をやろうという気にみんななるよな、とこれは素直に感動する。発表者もフロアも、方針の整備と拡大にともなって増大してくる秘教的で初心者にひややかな空気をいかに排除してコミュニティを健全な開かれたものとして維持するかという関心を総じて共有していたように思う。*24セッションの前に Noam Cohen さんと偶然会い、セッション前後にちょっとおしゃべり。話題は主にロゴのこと。どうも中国語版にも取材したかったらしいのだが、適切な人と接触できなかったそうである。ううむ。
この発表のあと、HTChien と jury meeting について打ち合わせ。今日のパーティの席でちょと抜けてミーティングをしようということになった。そこで話し込んでいると、なくしたとおもってすっかりあきらめていたかばんがいきなり脇から差し出された。もうびっくり。なんでもとある部屋で昨日からずっと保管して下さっていたそうです……これは本当に感動した。*25みなさまにお礼をいって回っていたので、マイク関根さん提案の「ウィキマニア日本人出席者ミーティング」は逃したが、まあ自業自得なんで仕方ないですね。。どなたかよりレポートを希望。
Party は紅楼 (Red Theater) という古い映画館を改造したパーティスペース。たっぷり料理が出てドリンクも振舞われて*26、これが全部ただ。地元組はほんとにがんばってスポンサー開拓したんだなあとあらためてしみじみ思いました。会場では地元作家による映像作品の後、ウィキペディアを主題としたドキュメンタリー映画Truth in Numbers, Wikimentary などの予告編の上映があり、なかなか愉しみました。Truth in Numbers はウェブで公開されている3分弱の Trailer にインタビューを追加して11分ほどのもの。Wikimentary では Wikimania 2005 が紹介されていて、参加できなかった私には興味ぶかかったです。また Party で翻訳家であるマイク関根さんとじっくりお話する時間が持てたのも収穫。Wikimentary 最後までみたかったのですが、ミーティングがあるので途中で下へ移動。コーラをちびちびのみながら話をしました。面子は HTChien, Cary, Craig, Nic Hill と私。あとから Brianna. ミーティングでは、応募があまりにも少ないので明日の朝ぎりぎりまで応募期限を延ばし、sitenotice などで積極的に広報するという方針を確認の上、必要な手配。Brianna にもコモンズでの広報について協力をお願いした。
宿舎に戻ってからは、Lodewijk から頼まれていたアンケートの日本語版作成。都合、2時まで作業。Finale の前に配るという話だったけども、私は配っているのも回収するのもみなかった。あれはうまくいったんだろうか。。
今日の食事:
朝・昼 CTOYAC の中華バイキング。朝はあつあつの豆乳(ちょっと甘い)にパンを浸しながらおかずをいろいろと。昼に食べたアヒル肉の薄切りはおいしかった。ローストか燻製かは不明。
おやつ 台湾フルーツ詰め合わせうまー。あと、この日の午後から出た、甘くない透明な香草ゼリー風の点心(たしか石花羹とかいう名前)がおいしかったです。
*2:そしてあとで USB にセーブしてあったものは古いバージョンであることが判明。あああ。
*4:と思ったら実はバッジの裏に移していたことが最終日に判明。うぁぁ。みなさんごめんなさい。
*5:なお、お食事券がすぐ出てこなくても、昼食の場合は「いいですよーどうぞー」と中にいれてくれる場合がありました。初日にそういうことはなかったので、いったん来た人は顔をおぼえているということでしょうか。登録参加者は1000人を越えてたそうですが……
*6:このあと発表をきいたおぼえがなかったのですが、プログラムをみてもどれも聴いた覚えがない。となるとスライド映写の手配・失せ物探しと若干の社交にこの日の午前中はどうやら費やされたらしいです。ううう。Ward の出るパネルはいきたかったんだけどなあ。
*7:Laugher. Commons などの管理者。username: pfctdayelise
*8:プログラム配布に関しては、去年のほうが手際がよかった。今年の大会受付はちょと奥まったところにあるので、動線がちょと途切れる、というくらいの差ではあるけれど。
*9:左写真。id:kwansaiさん撮影。これは大分編集が進んだバージョンで、赤や白でいろいろパッチがはってある。
*10:でも一方で、最終的にいいものができるなら途中まで出来ていても平気で壊すのがドイツ人、という話もある。
*11:身内だから許されるという話もこれあり。
*12:プログラムの書き換えについてはむりかもしんないけど。。
*13:こういう女性のサブコミュニティは Debian などにもあるらしい。なお、わたしは「うぃきしっく」と読んでいたのだが、ウィキチキのほうが近いみたい。
*16:あるいはそれほどウィキペディアにコミットメントしているわけでもない
*17:なお、女性でしかもアクティブな人だからといって必ずしも会員だというわけではない。私が知っている女性ウィキペディアンでも入っていない人は結構いる。いやむしろ入っていない人のほうが多いのかも。
*18:ただし、贋プロファイルで男性が紛れ込んで来ないかどうか、チェックするのはかなり大変なようだ。Wikichix は Angel がモデレータなのだが、いろいろ苦労している様子である。
*19:これはなんどかメールで彼等にもメーリングリストのほうにも問いかけてみたのだが、返事がなかった。意識的に無視しているのではないだろうが、アジアにいる不利というのはあるのではないかと思う。
*20:総論のような話で、具体的なつっこんだ話はなかったけれど。
*21:ただ写真をみると下をみて原稿読んでばかりいる印象がフロアにはあったかなあ。あと Alex S.H.と Tim Starling が協力してくれたスライドの準備ですが、結局こちらの操作技量不足で途中からなしでやりました。今後の課題です。。Tim, Alex、そしてフロアのみなさんごめんなさい……
*22:それでもフリーダは最終日の夜のパーティはスキップして、大会が終わってすぐ台北を去っていったのだが。
*23:右写真。kwansaiさん撮影。左から Kat, JamesF, Mike Godwin.
*24:しかし kwansai さんもこのセッションにおられたのですね。声をかけてくださればよかったのに……悲しい。
*25:そしてみんなに「きをつけてね」と念を押されるのだがそれはすでに書いたので以下略。
*26:ボストンではお料理はありませんでした。またお酒も有料でした。
*27:前日の「キウィだとおもって辛い漬物」に引き続き、「甘いとおもったが辛い」をひいております。逆はないんだなあ。ふしぎと。
午後、かばんを見失って(結局それはなぜかそのときいかなかったはずの部屋から出てくるのですが)、時実先生をはじめみなさんにご迷惑ご心配をおかけしました。夕食代たてかえてくれた Chuck Smith どうもありがとうね。
今日の食事:
朝:CTOYAC の朝食バイキング、昨日とほぼ同じ、ただし主菜は違うもの
昼:CTOYAC で昼食バイキング、朝ごはんを3倍くらい豪華にした感じ(後述)。
夜:市内で精進料理(素食)、フルコース、10皿ほどか? ひとり 400元
1600円でフルコース、というのも猛烈に安いのですが、これ実は料理をそっくり半分残しているので、料理の量を適正に頼んだら800円から1000円くらいで収まったのではないかとも思われる……中華の「どうみても肉や魚にしか見えない精進料理」の話は開高健さんのエッセーで読んで以来一度試してみたいと思っていたのですが、念願かなってよかったです。鼎泰豐行き損ねたのは残念ですが*2かわりに精進料理屋で dumplings を頼んでくれたところ、これがどっからどうやっても肉を使った小龍包の味としか思えない。隣席のたぶんイギリス人が「なぜだ、なぜ精進料理なのに肉の格好をしているんだ……」と打ちのめされて三皿目くらいから箸が全然進んでいませんでした。サラダに出てきたクラゲ風のはあれはなんだろう春雨なのかしら。スープがふたつあって、後半に出たきのこ(しいたけのようだけどちょと違う味でもっとこっくりしていた)と青菜の塩味スープが淡白ながら滋味がありおいしかったです。またデザートに出てきた、もち米を小豆のような豆と甘く炊いたお皿はこってりしてたけどおいしかったな。ちなみにこのお店は鼎泰豐のすぐ近くにあります。肉に飽きた人にはぜひお勧め。
昼のほうは、これも卵・豚・牛・鶏・アヒル・各種野菜料理・麺・炒飯・饅頭・焼売・ケーキにフルーツと盛りだくさん。なおこの日はスープが塩味かきたま汁だったのですが、次の日は冬瓜と鶏肉を似たしょうゆ味ので、どうも毎日ちょっとずつ違う料理が出ていた模様です。さすが中華文明は偉大だ*3。
最終日、フィナーレで厨房のみなさまもステージにあがってみなの拍手を浴びていたのですが、オープンスペースのお菓子といい、会場のあちこちに設置されたお茶サービスといい、朝昼の食事といい、まさに大会をもりあげてくれた重要なスタッフであると思います。
なお、我々がご馳走食べておしゃべりしている間、現地チームは控え室で箱弁(それもごくちっちゃいやつ)食べながらお仕事していたことも忘れないでいたいと思います。
カンファランスのほうでは、Flo のオープニングスピーチが財団とプロジェクトの現状を過不足なく説明していてよかったと思います。私自身は午前中アート系のセッションの司会をひとつやって、午後翻訳に関する Birds of Feather, その後 Guillom の新統一スキンの提案をききにいき、そして「かばんがなくなったよどうしよう」モードに入ります。。
正確に言うと、この日わたくしはかばんを二回なくしています。一度目は昼食のときで、BoF 前に気づいたのかな、微妙におろおろしていたところ、お昼を一緒に食べた Kurt Jansson が届けてくれて、一件落着。その後、Guillom のセッションのあとあたりにどうも見失ったらしい。かばんは結局出てくるのですが、自分の宿泊棟のほうで書かされた失せ者の形状が、次の日かえってくると大きくプリントアウトされて会場といわず宿舎といわずそこかしこにはってあって……赤面。手配をしてくださった CTOYAC のスタッフの皆様、Taipei team の皆様、ありがとうございます。あと、これに付随して次の日の発表でつかうマシンの手配をしてくれた、Alex, Tim, セッション会場付きのボランティアのみなさまにも感謝。
なおかばんは次の日、ある部屋からひょっこりでてくるのですが(部屋にはりついていたボランティアの人が保管していてくれた)、その部屋にそのときいった覚えはないんだよな……ううむ。どうも相当ゆるんでいたらしいです。
なお、この一件で、私は「失せ物の天才」という評判を確立したらしく、出かけるときなどになると、Lodewijk や Guillom, Theodoranian らに「ちゃんと○○もってる?」「どこにしまったか覚えてる?」「気をつけてね……」とかわるがわる念押しされることになります……猛烈に立場ないなわし…………
夜、レストランから誠品書店へよって、さらに飲む人たちとはここでお別れして、宿へ戻ると、Cary, Florence, Filip, Guillaum, Lodewijk らがだらだらとおしゃべり。Delphine がいたかどうかはおぼえていない。話題は地方支部と訳されている Chapters について。各支部の設立経緯について Florence が論評するというもので、やはり支部が出来るところではそれ以前にとても緊密な地元ウィキペディアンのコミュニティが出来上がっているのだが、それだけではなくて、外部団体との連携・共同企画などが触媒になるのが普通だそうだ*4。Florence によれば「どの支部も、地元のウィキペディアンのミーティングからはじまっている」「セルビア以外はどれも必要に迫られて法人化した」だそうだ。ポーランドも、イスラエルも、台湾もそう。台湾の法人化は、実は香港より動き出したのは遅いのだが、実現は香港より早かった。ウィキマニア関連でスポンサーとの交渉を余儀なくされたのが大きいのではないかと邪推。ほんとのところは、なかのひとにきいてみないとわからないけども。たまたま #wikipedia-ja に遊びに来た Theodoranian にきいたところ、外部の機関一般、とりわけ教育機関・政府機関とのからみで法人化が必要だったということです。たんなるバーチャルコミュニティじゃ相手にしてくれるところは多くない、ということで。
gooとかで検索するとウィキが誰でも編集できるということ
自体知らない人も結構いる可能性がありそうですね。