Brittys Wake on Wikimedia このページをアンテナに追加 RSSフィード

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Britty aka User:Aphaia の ウィキメディアプロジェクト回遊日誌
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2007-10-03ドイツ統一の日だな、と脈絡なく気がついてみる。

[] 公教育とウィキペディア このエントリーを含むブックマーク

ウィキペディアの学校教育での使用禁止、という話の真偽が foundation-l で話題になり、Florence Devaurd がおもしろいことをいっていた。最近彼女が話をしたフランス人の先生の発言の紹介なのだが、その先生、ウィキペディアを公教育、それも初等教育中等教育の現場で使うべきではない理由として、NPOVを上げているのだ。

Recently, I read a report from a French teacher. He enjoys a certain reputation in the teaching environment, so whilst not all agree with him, he is certainly listened to by many.

He made a comment which I thought was interesting.

He said "Wikipedia can not be used in the French formal educational system (schools) because our nation is laic, whilst Wikipedia follows the neutral point of view. Being laic means that our schools precisely chose a certain value framework and deliberately educate the kids to hold certain beliefs and share certain values. On the contrary, wikipedia holds that all points of view must be given room. For this

reason, Wikipedia is not compatible with our schooling system and should not be used as a resource".

メールはまだまだ続くが割愛する。laic というのはカトリック教会などにおける平信徒のこと。教会が平信徒に与える情報を統制するがごとく、学校は生徒に与える情報を統制すべきである、という発想がそこにはある。*1教育、とここではいっているが、文脈からして公教育は、国家があるべき市民を育成するためのシステムで、そこには生徒が持つべき価値観像というのが存在する。教育はそのような価値観の枠組みを生徒の中に構築する営みである。ウィキペディアの根本原理であり、すべてを等価に扱う「中立的な観点」はそれとは原理的に相入れない、だから学校の立場としては、生徒たちに参照資料としてウィキペディアを使うことを許可すべきでない、というのだ。

これはこれでひとつの考え方である。*2そもそもウィキペディアはペアレンタル・コントロール(お子様に不適なコンテンツの除外など)を含め一切の検閲をしていないのだから、保護者の立場からするとウィキペディアを使わせないという選択は当然あってしかるべきだろうと思う。小中学校での教材選択は一般の場合よりもっと絞り込まれてしかるべきだ、という同情的な意見も別の人からは寄せられた。Florence でさえ、性的志向などに関する幾つかの記事を、「子どもに見せるには不適な記事」として即座に思い浮かべるという。

日本の学校や親はその点とくに何か考えた上でウィキペディアを使わせているようにも仄聞する限りではみえないのだが、それは教育観の違いなのか、それとも社会を含めたメディア・リタラシーの問題なのか、ちと気になるところではある。

*1:日本でも指導要領とか教科書検定、なんてのは同根の発想だろう。あらかじめ国家が教える内容を、程度の差はあれ、統制するわけだから。

*2:そもそも統制のない教育ということはありえない。カリキュラムを選択するということは、あることを教えてあることは教えない、ということを教える側のいわば一方的な判断で決断することでもある。問題はその統制がどこまで合目的的かつ合理的であり、かつ統制の目的とする人間像が妥当なものかどうかにある。そしてフランスの公教育の目的とする人間像がとくに反社会的であるようにはみえない、ということは付言しておきたい。

2007-10-01お引越し

[] お引越し このエントリーを含むブックマーク

ウィキメディア財団はこの冬サンフランシスコ・ベイエリアに引っ越します。詳しくは特別顧問 Sue Gardner による foundation-l でのアナウンスをどうぞ。

冒頭のみちょと引用。

Sue Gardner

Sat Sep 22 04:25:05 UTC 2007


Hi folks,


I wanted to let you know that later this year, the Wikimedia Foundation will be relocating its headquarters to the San Francisco Bay area.


You may know that we’re currently in St. Petersburg, Florida. This was an accident rather than a deliberate choice; when Jimmy started the Foundation in 2003, he happened to be living here. And in the years since then, Florida has been a very good home for us.


But it’s time to move. We need to be in a larger city that is more suited to our work.


引越しの理由はいろいろあげられていましたが、ML での議論をみるに、一番クリティカルな問題は、フロリダの人口15万だか30万だかの避寒地では、経営管理などの高度に専門的な職種の求人は難しいということにあるようでした。ほかに検討された引越し先は、ボストン、ニューヨーク、ロンドンなど。ロンドンは比較検討のためにいれてみたけど、どう考えても国外への移転はお得でないということが分かった、と Kat Walsh はいってました。

フロリダ州法による非営利団体であることには変わりありません。*1また、サーバは引き続きタンパのコロケーションセンターにおかれます。

そのうちプレスリリースを出すつもり、と Sue は言っていたが、どうなったんだろう。まあ住所が決まってからでもいいよねという気はしますが。そう、入居先はまだ決まっていないので、よい物件をご存知の方・現地の不動産業界に知人のいる方はご一報ください。

で、いっぱいある "Florida based organization"的記述を全部書き直さないといけないらしくて&その翻訳である他言語の記述も大部分は書き直しが必要になるわけで、ちょっと頭がいたかったりする。何人かネイティブスピーカーにきいてみたところでは、これは地理的に本拠を置いているとしか取れない表現なのだそうで。あーあ。

*1:フロリダ州の登録団体だからといってフロリダ州に事務所をおく必要はないらしい。

snty-tactsnty-tact2007/10/04 14:59((良い物件って
事務所?
Sueさんのお家?

BrittyBritty2007/10/04 15:33基本的には事務所。なんでも最初SF市内に仮転居して、そのあと本格的に探すらしいです。でも当然職員若干名もお引越しするよね。不動産関係の知り合いがいたら Sue に紹介してあげてください。

2007-09-24庭師と警官

[] 公開ミーティング このエントリーを含むブックマーク



23日15時(UTC)からミーティング。

ミーティングログ全文


3都市がプレゼンをしました。ロンドンが直前に招致レースから離脱したので、エントリは計4都市。アフリカ2つ、北米2つという取り合わせになった。トロントのプレゼン担当者がいなかったのですが、思ったより早く終わったその直後、トロントの人が「うがー。渋滞で遅刻しました :(」とやってきた。残っていた面々で非公式に質疑をしましたが、これはログには収録されていません。

この後、審査担当者で議論を重ねたのち、10月6日に最終ミーティングを開き、結論を出す予定です。

[] お隣の管理者さん2007 このエントリーを含むブックマーク

むかーしメタに「お隣の管理者さん」というエッセイを投稿したことがあるのですが、久々にウィキメディア・プロジェクトでの管理者あるいはコミュニティ・リーダーというものについて最近ふたたび考えています。というのは直接にはメタウィキで(メタの)管理者信任の参加資格についての議論をおこしたからなのですが、まあそれはおく。今日は管理者に絞った話。

Marine-Blueさんのところで、「メディアウィキの管理者をしてみたい」「小さいところの管理者ならなりやすいのではないか」ということがいわれていて、小さいところプロパーのわたくしとしては、またぞろ色々なことを考えました。コメント欄で「小さいところには固有の苦労がある」ということを書いたのですが、やや舌足らずかなと思うので、以下その補足。

小さいところの苦労と、というのはあるいは言葉が適切ではないかもしれませんが、何でも自分で決めないといけないことなのではないかと思っています。手を動かすのは、少なくともさほど私は苦痛に思うことはないです*1。あえていえば、コミュニティの合意に基づく、と一般にされていることどもについて、何らかの対処をしないといけないのだけど全然誰も何もいってくれない。でも自分としては対処しなければいけないと考える。そして誰も何もいってくれないので、結局、自分ひとりの判断をコミュニティの合意やら慣行なるものに擬制しつつ行動する。あるいは本来コミュニティの合意によるべきだが必要に鑑み独断専行する……このねじれにどこまで耐えられるか、というのが小さいところのいちばんの苦労なんじゃないかと思っています。

他にも、

  • 自分で目を注いでいないといけないところが比較的多くなる。要するに何でも屋じゃないと勤まらない。*2
  • すでにまがりなりにも小なりとはいえコミュニティが存在しているところでは、その規模が小さいために、本来は書き下ろされていてしかるべき慣行やら不文律やらが「口伝」のままになることがあります。コミュニティを尊重するというウィキメディアプロジェクト一般の規範に従おうと思うと、なんか逆にやたら勉強しないといけなくなったりする。
  • 不具合があっても、コミュニティ内に人材がないので、長期放置になりやすい。これを補うには、たとえば技術的な話なら、開発者やら他のプロジェクトの詳しい人やらと意識的にコンタクトをとっているか、さもなければ wikitech-l のようなところに自分で目配りしているかどっちかかになる。コンテンツ整備、方針整備、以下同文。
  • 人が少ないので人間関係が比較的濃密になる。人付き合いの苦手な人、つるむのが嫌な人、他人の視線を意識すると息苦しい人には、逆に小さいところは向いていないかもしれない。

そして、「将来ウィキペディアで管理者をしてみたいけど/まあ諸般の事情でまず小さいところで」*3というような人が、なんかたまに現れるのですが、よく出来たもので、そういう人は、どう見ても荒らしですありがとうございました。……ということにどうも決まっているみたいです。

まあ、畢竟ボランティアです。自分の意思でやるわけです。一般に、物質的に報酬のない労働は、好きでなければ続きません。ことに日本語版プロジェクトの場合、削除権限とのからみで管理者は法的責任を問われることもありえるという解釈もあるそうで、であれば、ますます好きでもないところの管理者をやるのは、あまりお勧めできない、と思ってます。

あともうひとつ、コミュニティは生き物なので、あるコミュニティで管理者がつとまるからといって、他のコミュニティでも歓迎されるというものでもないです。件のメタの議論というのも、他プロジェクト、ことに英語版ウィキペディアの慣行を、極端な場合は文書化された方針を無視してまでメタに適応しようとする類の「(enwiki上では)よい管理者」とその支援者*4に、どうおたちのき頂くかというのが、議論のひとつの中心だったりします。コミュニティとの相性というのは、自分の好悪とは別にあって、その意味でも管理者をやるなら自分が愛情をもて、コミュニティも自分を信頼してくれるプロジェクトで、やるのがいいんじゃないかと思います。

といって、私も最初に管理者をやろうとおもったのは、いつか必ずできるであろうアイヌ語版ウィキペディアのお世話が出来るように、まずは日本語版プロジェクトでなれておいて、という実に不順な動機だったので、あれだね見合いと同じだね、馬には乗ってみろ、という話もないわけではないです。:)

*1:たまにとてもめんどくさくなることはあるけど、結局ほうっておく苦痛と片付ける苦痛のトレードオフなのは、ウィキ上のコミュニティの大きさにあまり関係せずどこでも同じだろうと思う。やってもいい仕事だけどやらなくてもいい仕事なのでプライオリティの観点から放っておくということは、ある。

*2:もっとも管理者権限もって事実上何もしないという方向もありえますが。

*3:というようなことはM.-B.さんはいっていませんのでご注意。

*4:当然ながら、メタで普段活動しているわけではない人たちである。ひどいのになると、管理者信任がはじまってからメタにアカウントをこさえていたりする。