Britty aka User:Aphaia の ウィキメディアプロジェクト回遊日誌
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2008年のダボス会議が今日から始まるのですが、ウィキメディア財団も参加することになりました。ダボス会議では Tech Pioneers というのを毎年選んでいるのですが、今年は Wikimedia Foundation も選ばれたというわけ。30余のノミネート団体のなかで非営利団体はウィキメディア財団だけですので、わしらがんばってるんだなあと改めて思うと同時に「こら世の中の人がウィキペディアが営利団体事業だとよう誤解するんも無理ないかな」と苦笑しました。そんだけ成功している非営利オンラインプロジェクトというのは世の中まれなんだとしたら、ですが。*1。
ウィキメディア財団からは Anthere ことフローランス・ドゥヴォアールが参加します。ジミーさんもいくけどこれは個人参加。ていうか彼は以前から Davos 会議に参加しているので。3日間の会議でいろんなものを持ちかえってくれることを期待しています。
というわけで世界の政財界ジャーナリズムの有名人が集う場にいくにあたって非営利団体が考えるのは宣伝とスポンサー探し。ウィキメディア本体もそうなのですが、より直近の話題としては7月のウィキマニア2008。で、wikimania-l に Anthere がエジプト/アラブ関係の人名を出席者名簿*2から抽出してエジプト地元チームに助言を求めてきた。スレッドが動き始めたところで、っていうか私もリプライを投げたところで「えっと、こっちのメーリングリスト公開だけど、非公開のほうでやったほうがよくない?」と Jakob Voss からつっこみが。ぎゃんっ。
最近 WMF 関係のリークが多く foundation-l で議論されるほどなのですが、意図的なリークが行われる以前から「なんであれがもれたのっ」とみながカリカリしたあげく誰かのうっかりだったというリークも、あるのですよね。。*3今回のは意図的なリークではないし、すでに決まった第三者機関がからむ守秘義務があるよなものでもなかったのですが、気をつけなくちゃなあと思いました。
イギリスの経済紙 Finantial Times から。現代のオピニオンリーダは政府やマスコミより会社*4からの情報を信頼している、という話ですが、個別にみていくとおもしろいです。
などなど。
全文はこちらから。
Francesco Guerrera "Elite’ trust business above all, study says"
http://www.ft.com/cms/s/0/9da7507a-c871-11dc-94a6-0000779fd2ac.html
やってみましたよ。もう笑うしか、という他ない評論ですが、文の解析があまくて「キマニア」*5になってしまうのがちょっと惜しい。決めの一句には爆笑。
本質的に「出席者名簿」的視点と「本業MIT」的視点は相容れない。キペディアなど、いずれウォルマートの店頭にならぶだろう二級品である。黄金の非営利団体は、深淵に眠る。
白銀のダボス会議は、まばゆい輝きを放ち、悪を砕く。
Brittys Wake on Wikimedia評論
貴様ダボスが雪だとなぜわかった*6。じゃなくて、悪を砕くダボス会議ていったい! 苦しいようママン。……そんな巨悪がいてそれを退治すれば世の中よくなるってそれなんてイラク戦争。
実際のダボスは、FRB利下げのニュースでとくにビジネス系出席者は携帯電話やブラックベリーが鳴り響き、ダボスから引き上げて陣頭指揮に当たるか、それともそのまま居残って他の出席者と意見交換なりをするか、苦しい選択を迫られている、とBBCのダボスブログで Tim Weber が書いてました。
Tim Weber, It's the economy, stupid!
サンフランシスコに引っ越し中のウィキメディア財団。先週めでたく事務所の賃貸契約を済ませ、在カリフォルニア組が下見に訪れました。探すにあたっては、カリフォルニア在住の複数のウィキペディアんがお手伝いをしたそうです。Bastique こと Cary Bass が写真を公開してくれたのですが、ロフト風の鉄筋の骨組みがみえている高い天井の部屋で、天窓からは陽光が入り、大きなガラス窓からはすぐ脇の敷地に木立が見え、なかなかよさげな部屋&ロケーションにみえます。サウス・マーケットという比較的ダウンタウンにある場所らしいのですが、それで緑のある環境っていうのはいいね。
写真をみるとまだ前のテナントの家具が残っていて、片付けと内装の手入れはなかなか大変そうにみえます*1。がんばれ。
正式な入居契約は今週からということです。というわけでカリフォルニア組は自宅から仕事をしているそうです。
昨年1月から広報担当だった Sandy は、ご主人の都合もありカリフォルニアには来ないことになりました。それで Head of Communication として Jay Walsh さんという方が入りました。カナダの方で、以前はカナダの公共放送である CBS で働いていた、つまり Sue の以前の部下でもあるそうです。
Sueの財団についてのアップデートが foundation-l に転載されたのですが、それによると Jay Walsh さんは数ヶ月ほどはバンクーバーから仕事をするということです。とはいえこの週末は事務所の下見と顔合わせをかねてかサンフランシスコだそうですが、というのは IRC でご本人*2がおっしゃってました。Sandyもそうでしたが、明るい陽気な北米人という印象を受けました。ご本人も広報関係の仕事をする傍ら、いろいろな団体でボランティアとして活動した経験があるそうで、提案や質問があったら何でもいってきてね、といっておられました。
財団の住所は公開されているのかいないのか、という話が foundation-l で出ました。私はてっきり財団公式サイトにあるのが事務所の住所だと思い込んでいたのですが、そうではないらしいです。あれは私書箱の住所なのだそうです。ぜんぜんそういうふうにはみえないのですが、そうらしいです。Danny がさっくり「あれ私書箱だから」と foundation-l で答えていました。
Bastique に「私書箱なの?」ときくと「そうだよ」と返事。別に私書箱でも訴状は受け取れるし、そうしている団体は多いんだとか。従業員の身の安全を考えると、それが最善だというのです。つまり、ウィキペディアに不満を持った人がライフルもって乗り込んでくる可能性を顧慮するとそうなるんだそうです。さすがお米の国だなあと思いました*3。。
その Bastique からメールが foundation-l 等に。ウィキマニア2009の開催地立候補はあと一時間でしめますというお知らせ。同時に選考スケジュールと開催地選考委員の顔ぶれもアナウンスされました。
これまでウィキマニアの選考は前年の9月に行っていましたが、会場の手配と招待講演者の確保に難点があることが多々指摘されていました。そのため、余裕を持った選考にしようと2009年開催分から2年前に確定しようということになりました。今回は移行期間なので変則ですが、2010年開催分の受付は従来どおり9月ごろになる、いまのところは、予定です。
前回は「エジプトの同性愛者への人権抑圧を十分考慮してない!」という批判が選考後渦巻いたのですが、結果としては選考委員会の顔ぶれは前回とあんまり変わっておりません。選考基準については、選考委員会を中心に今後つめていくことになると思いますが、とくに大幅な手直しが必要だという結論には実はならなかったように私は受け止めています。スケジュールが確定したことで、今後また議論が動くかなとも思いますが、コミュニティからの活発な議論を期待したいと思ってます。
なお不肖わたくしも前回同様、選考委員会の末席を汚します。公平な審査を心がけたいと思いますが、さてまずは開催候補地について勉強しなくちゃだ……。
去年の選挙委員会で一緒だった Benjamin Mako Hill からメールがきた。いま日本に、ていうか関西にきてるから一緒にご飯でもどう? という。いいよー、と返事を書き始め、この季節だと美々卯のうどんすきなんかいいよね、鶴橋で焼肉やはたまたミナミでてっちりでも……と書いていて重大なことに気付いた。
Makoたん菜食主義者だ。
あわててそれまで書いたものを消し、ぐるなびでサーチする。精進料理でひいてみるとどれもこれも高いので(夜は7千円くらいする。本業MITのリサーチャーである彼に払えない値段ではないだろうが、アメリカ人の考える普通の晩御飯の3倍はする値段なので、自分がおごるんじゃなかったらとても連れて行けない)、苦悩。ふと発想をかえて「ベジタリアン」を検索キーにして探してみたら、ちょうど梅田に創作和食のよさげなお店があったのでそこにしました*1。で、せっかくなので、Makoと話をしたいだろう人がいそうなところに声をかけてみた。
日を決めたのが遅くて、5日に関係しそうな辺りに流してその日のうちに出欠をしてくださいという過酷な日程だったにも関わらず、終わってみれば10人以上が集まり、なかなかに盛会でした。来てくださった方、検討してくださった方ありがとうございます。ウィキメディア関係者がいなかったのは残念ですが、いろいろな方とお話が出来て、そのなかには今後の展開が愉しみな話もあり、自分にとっては有意義な晩になったと思います。
なかにロシア正教会系の正教徒な留学生がいて、そして彼は日本で初めて年越しを迎えたそうで、別れ際に「メリークリスマス!」と挨拶してくれました。そう、ロシアでは1月7日がクリスマスなのです。異国で始めて迎えるクリスマスの夜を友達と楽しく過ごすことが出来て、よかったな、と他人事ながら思い、なんだか心が温かくなった気がします。機会を作ってくれた Mako に感謝。
Wikipediaの人たちとも次は会いたいと Mako はいってました。日本にはわりとよく来ているようでもあり、また機会があればいいなと思ってます。
9日追記: で、なぜ関西に来たのかというと、奈良先端大学院(NAIST)は松本研で呼んでくださったのだそうです。講演の詳細がアサノさんのブログにあります。Mako を関西に連れてきてくださった松本先生ほかNAIST関係者に、さらに感謝。*2