Britty aka User:Aphaia の ウィキメディアプロジェクト回遊日誌
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ってある人が昔いったのだが、何度思い出してもすごい聞きなしだなあ。いや、私にはついぞそう聞こえたことがないのですが、殺意を催させるような鳴声であることは同感です。ことに蝉の鳴き声で目が覚めた夏の早朝には*1。エジプトはあんなに暑いのに、蝉は不思議と聞かなかったなあ。むしろアレクサンドリアやシナイあたりでは午後を回るとごくたまにですがコオロギが鳴いておりました。
例の旅行者下痢症、もうそろそろ治った!と思ったら昨日強烈なのが来ました。ううう。みなさまは大丈夫ですか。>出席者各位
今回のウィキマニア、日本からの参加者は発表者5名一般参加者2名、エジプトと日本の距離を考えれば、結構多かったのではないだろうか。幸運にも時間がとれ、お一人は欠席されたものの、あとの皆様とはお茶をご一緒し、歓談の機会を持つことが出来ました。お忙しいなか時間を調整してくださった皆様に改めて感謝いたします。
発表者の一人は日本在住のエジプト人女性、Nadia El Boraiさんとおっしゃいます。とてもチャーミングな花一杯の名刺をいただきました。華道の小原流の師範なのだそうです(資料*2)。ご本人もバイタリティ溢れてそれでいてエレガントな素敵なマダムだったですよ。エジ女子はいつもとても楽しそうにてきぱき動き回っていて、ゴムまりみたいに元気な感じに好感が持てましたが、彼女たちが大人になって洗練を重ねてくるとこういう素敵な女性になるんかなと思いました*3。話を戻して、Nadia さんは Teemu Leinonen 主催のグローバリゼーションと教育についてのパネルの発表者の一人でしたが、残念ながらこの発表は聴きにいけませんでした。なお、ウィキみるとご専門は分子生化学/薬学系みたいな&TEFOL*4の資格ももってらっしゃいますのね。
あとのお三方は、それぞれ新井嘉章さん・福原知宏さん・中山浩太郎さんとおっしゃり、情報科学系の方。新井さんと福原さんは共同発表。新井・福原組の発表は残念ながら聴きにいけなかったのですが、管見の限りでは、お三方ともウィキペディアをひとつの情報資源(コーパス)として研究対象としておられるようでした。私の文系頭では理解しきれていない気もしれませんが、ウィキペディアのコンテンツを記事単位でたんに引証するというのではなく、もう一歩深化したところで利用法を探っておられるように理解しました。つまりハイパーリンク構造をもつコーパスとしてプロジェクト全体を扱い、そこに伏蔵する意味構造を一定の関心と視点から読み、可視化し利用可能にする、そうした読み方の基礎となる方法論的研究をされておられる方々なのかなと思いました。その着眼点が新井・福原組では言語間リンクであり、中山さんでは記事間リンク一般である……違うかもしれませんが^^;;(とくに新井・福原組のお二人にはお話を簡単に伺っただけなので、むちゃ外してるかもしれません……突っ込み歓迎/ていうか早くBA謹製の録画が公開されないかなあ)。
あるウィキペディアを多言語辞書として使うというのは、実は素朴な形ではよく使われており、2007年のウィキマニアで私が主催した翻訳に関する Bird of Feather では「分からない単語があったら言語間リンクを調べる。紙の辞書はみない」という人もいました。これは極端な例だとは思うのですが、しかし紙の辞書に収録されていない単語というのも多々出てくることがあり、オンラインではウィキペディア上の情報がほぼ唯一の資料ということがままあるのも一方の事実ではあります。そういう中で新井・福原組にせよ中山さんのWikipedia翻訳辞書プロジェクトにせよ、我々がプリミティブに行っている作業を秩序付けて、より信頼性の高い・利用しやすい概念ネットワークとして提示する仕事を提案しておられて、その理論的な可能性もさることながら、短期的なアウトプットにも期待したいなと思いました^^。
お三方とも、日本語版を含めウィキメディア・プロジェクトに編集者としてはあまりアクティブには*5参加しておられないそうですが、逆にその分、運営やプロジェクトの実相、さらにはその可能性について真摯な関心と期待を寄せて下さっているように思いました。お茶会ではウィキペディア日本語版にずっと関わっている他の参加者が来歴や現状をお話くださり、私も興味深く拝聴しました。
みなさまそれぞれの今後の研究のご進展・ご活躍に期待しています^. ^
*1:まったくもって日が昇るとただちに鳴き出す君たちの勤勉さには頭が下がりますがもっとゆっくりお休みいただければ誠に幸甚に存じます。頼む俺に睡眠を取らせてくれ。わたくしの部屋の窓の下には並木があって、花咲く春はなんともめでたい心地がするのですが夏はかように蝉の断末魔が間断なく響く地獄と化すのであります。いやーん。
*2:ご本人から情報の提供をいただき、より informative なものに差し替えました。
*3:もっともエジ女子みんながそうではなくて、ベドウィンの女性などは家から一歩も出ないそうです。エジ女子もいろいろあるのですね。
*4:Teaching English as Foreign Language
*5:アカウントはもっておられる。観察者は参加しづらいとはどなたかの言。まあ観察対象を撹乱しちゃうとか考えるよね。同時代のものを対象にすること特有の難しさは現役作家の研究をしている美術史の人などを見ていても感じます。
どちらも foundation-l から。
北京オリンピックの会期は8月24日まで。そのあと再び中国本土は遮断されるのだろうとは予期しつつ、一歩前進には違いない。この3週間余りの間に、少しでも多くの人がウィキペディアに接して欲しいと願っている。
7月4日に「翻訳についての質問にこたえるだけの簡単なお仕事です。」でお願いしたアンケートの結果というか大会発表ですが、無事終了しました、ありがとうございます。
内容は、
てな感じでした。
相方 Maria Fanucchi はアンケート(en, fr などを中心に40人ほどか)に基づく、ウィキペディア等での記事翻訳についてしゃべりました。なんでも回答者中3割の人は翻訳を業として行ったことがあるらしい。この割合はもう少し低いかと思っていたのでちょっと驚いた。翻訳をする動機ですが、「記事がないので翻訳」「すでにある記事を改善するために翻訳」が拮抗していたように記憶しています。「自分で調べるより楽なので翻訳」という人もいるようです。結果として、外国語の文書が記事の主要な出典になることについてはあまり忌避反応はないようなのですが、逆に「その記事はこの言語には必要ない」(知名度が低いなどの理由で)という記事自体の意義が否定されるということはたまに起こるようです。
さてここで二つお詫び。
質疑では、やや我々の発表から外れる話題ですが、アラビア語諸方言でのウィキペディアの企画などはありうるのか、という質問を受けました。ウィキペディア・プロジェクトはボランティア主体なので、まず一定数のボランティアが集まってコミュニティの賛意があることが必要だ、財団が新規にこれこれの言語でプロジェクトを作れと指令することはないとお返事しました。アラビア語では各地方で使われる口語と標準語(フスハー)の差異が大きいので、標準語が使われるアラビア語プロジェクトでは「これは自分が触っちゃいけないんじゃないか」という反応を示すユーザーも多々いるとは Mido こと Mohammad Ibrahim の弁で、そしてエジプト方言のウィキペディアの案がメタでは既に出ているのですがこれには割と賛成者が少なかったように思います*1。一方スペインやイタリアなどでは少数言語話者グループの活動が活発で、日本だと方言といわれるようなカタラン語やナポリ語のウィキペディアも作られていたりします。確約はできませんが、ともかく、まずボランティアありきですので、方言(アーンミーヤ)のウィキペディアをやりたい方が集まることが大事なんじゃないかなと思ってます。
*1:まあ、発案者に問題があるのかもしれない。アラビア語版で「ムハンマド・イブン・アブドゥッラー」を「預言者(彼に平安あれ)」に移動しようとして編集合戦になりブロックをくらった御仁だそうである。
中身はその…文系人間なので私もあまり理解できなかったのですが、何かの形になっていくのを見るのはなんだか嬉しいですね。
同感です。いろいろな人が関わることでいろいろな可能性が見えてくるって、わくわくしますね。