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プロローグ 親子って おもしろい |
悲しそうな顔になった時 抱きしめると喜んでくれた |
抱きしめパワーは効いた。 私も娘たちにそうしてる |
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広島市中区の百貨店に勤務。一女一男の母。夫とは1996年に離婚した。 |
甘えっ子だったかな子さん(左から3人目)も二児の母。街子さんは「自分なりの子育てを精いっぱいしなさいね」とアドバイスする |
タレント。夫は広島カープ緒方孝市選手。長女(3っ)と二女(1っ)の子育て中。 |
娘の夢をかなえるために一生懸命になった母。芸能界入りした娘
は、そんな母に感謝しつつ、親離れを果たした。
◇ 娘 小さいころの私って、お母さんがいないと生きていけないく らいお母さんっ子だったね。 母 体が弱い子だったから、すごく大切に育てた。初めての子だ ったし、愛情たっぷりに育てようと気負ってたと思う。幼稚園のお 弁当も手の込んだおかずを用意したし、お洋服もほとんど作った。 それで二十四時間私にべったりの、人見知りの激しい子になったけ どね。 娘 お母さんには、お人形ごっこや塗り絵なんかをして、いつも 一緒に遊んでもらっていた気がする。 母 暗示にかかりやすいタイプで、悲しそうな顔になった時、 「お母さんのパワーをあげるね」とぎゅっと抱きしめると、喜んで くれていたよね。 娘 お母さんの言うことは絶対で、抱きしめパワーは本当に効果 があった。私も同じように娘たちをぎゅっと抱きしめてる。 母 当時は、子育てが私のすべて。この子の夢をかなえてやろう と必死だった。バレエを習わせたり、歌謡コンテストにも出させ た。鐘が鳴って大喜びして、レコードもたくさん買ったよね。モデ ルクラブにも入れたし、「絵を描くのが好き」といえばすぐに三十 六色の色鉛筆も買った。 娘 アパートでのつましい生活の中で、無理してくれていたのは うすうす気がついていたの。小学生のころ、お母さんから「お父さ んと別れたいんだけど」と相談されて、弟と二人で「嫌だ」と泣い て反対したでしょ。それで「お母さんには悪い事をしたかなあ」と ずうっと思ってた。 母 そうだったの。あまりにも素直な子だったんで将来、爆発し たら大変かな、とも考えていたけど。 娘 反抗する間もなく、芸能界に入るため十五歳で東京へ行った ものね。 母 広島から出す時は、眠れないほど悩んだ。いきなり離れて暮 らすことになるし、周囲の人は反対するし、挫折させたくない、と いう心配もあった。でも、娘のチャンスを親はつぶせない、と覚悟 を決めた。 娘 そういえば、芸能界に入ってしばらくして、髄膜炎で入院し たことがあったでしょ。 母 あの時は「早く手放したのは間違っていたのかも」と相当、 落ち込んだ。気丈にふるまう姿をみてちょっと寂しかったよ。で も、遠くに行かせたおかげで、甘い親だった私がスムーズに子離れ ができたのかもしれない。三年前、マンションをプレゼントしてく れたのにも驚いたし。 娘 それは、芸能界で頑張るための目標の一つだったから。 母 五年前にかな子が結婚した時に思った。もうこの子にかける 意味はなくなった。出番はない。下手に口を出したら嫌われる、 と。それで私も離婚に踏み切れたのかもしれない。今は私の人生を 楽んでいるから、あなたの生活には口出ししてないしね。 娘 それは私にもありがたい。お母さんは家事も子育ても完ぺき すぎるくらいだった。すごいとは思うけど私には到底、まねできな いし、まねしようとも思わない。 母 それで結構。あなたはあなたの子育てをしてちょうだい。孫 にも「おばあちゃん」ではなくって「マミー」と呼ばせているし ね。 ◆ 見るからに仲のいい母娘。失礼ながら本当に親離れ、子離れして いるのか、と思うほどだった。娘が東京に出て行って初めて距離が とれたと聞いてうなずいた。多くのべたべた母娘にとっては、離れ るタイミングが難しい。 |