中国新聞

 プロローグ

   親子って おもしろい

悲しそうな顔になった時
抱きしめると喜んでくれた
抱きしめパワーは効いた。
私も娘たちにそうしてる
指宿街子さん(53)


 広島市中区の百貨店に勤務。一女一男の母。夫とは1996年に離婚した。

甘えっ子だったかな子さん(左から3人目)も二児の母。街子さんは「自分なりの子育てを精いっぱいしなさいね」とアドバイスする
緒方かな子さん(27)


 タレント。夫は広島カープ緒方孝市選手。長女(3っ)と二女(1っ)の子育て中。


 娘の夢をかなえるために一生懸命になった母。芸能界入りした娘 は、そんな母に感謝しつつ、親離れを果たした。

     ◇

  小さいころの私って、お母さんがいないと生きていけないく らいお母さんっ子だったね。

  体が弱い子だったから、すごく大切に育てた。初めての子だ ったし、愛情たっぷりに育てようと気負ってたと思う。幼稚園のお 弁当も手の込んだおかずを用意したし、お洋服もほとんど作った。 それで二十四時間私にべったりの、人見知りの激しい子になったけ どね。

  お母さんには、お人形ごっこや塗り絵なんかをして、いつも 一緒に遊んでもらっていた気がする。

  暗示にかかりやすいタイプで、悲しそうな顔になった時、 「お母さんのパワーをあげるね」とぎゅっと抱きしめると、喜んで くれていたよね。

  お母さんの言うことは絶対で、抱きしめパワーは本当に効果 があった。私も同じように娘たちをぎゅっと抱きしめてる。

  当時は、子育てが私のすべて。この子の夢をかなえてやろう と必死だった。バレエを習わせたり、歌謡コンテストにも出させ た。鐘が鳴って大喜びして、レコードもたくさん買ったよね。モデ ルクラブにも入れたし、「絵を描くのが好き」といえばすぐに三十 六色の色鉛筆も買った。

  アパートでのつましい生活の中で、無理してくれていたのは うすうす気がついていたの。小学生のころ、お母さんから「お父さ んと別れたいんだけど」と相談されて、弟と二人で「嫌だ」と泣い て反対したでしょ。それで「お母さんには悪い事をしたかなあ」と ずうっと思ってた。

  そうだったの。あまりにも素直な子だったんで将来、爆発し たら大変かな、とも考えていたけど。

  反抗する間もなく、芸能界に入るため十五歳で東京へ行った ものね。

  広島から出す時は、眠れないほど悩んだ。いきなり離れて暮 らすことになるし、周囲の人は反対するし、挫折させたくない、と いう心配もあった。でも、娘のチャンスを親はつぶせない、と覚悟 を決めた。

  そういえば、芸能界に入ってしばらくして、髄膜炎で入院し たことがあったでしょ。

  あの時は「早く手放したのは間違っていたのかも」と相当、 落ち込んだ。気丈にふるまう姿をみてちょっと寂しかったよ。で も、遠くに行かせたおかげで、甘い親だった私がスムーズに子離れ ができたのかもしれない。三年前、マンションをプレゼントしてく れたのにも驚いたし。

  それは、芸能界で頑張るための目標の一つだったから。

  五年前にかな子が結婚した時に思った。もうこの子にかける 意味はなくなった。出番はない。下手に口を出したら嫌われる、 と。それで私も離婚に踏み切れたのかもしれない。今は私の人生を 楽んでいるから、あなたの生活には口出ししてないしね。

  それは私にもありがたい。お母さんは家事も子育ても完ぺき すぎるくらいだった。すごいとは思うけど私には到底、まねできな いし、まねしようとも思わない。

  それで結構。あなたはあなたの子育てをしてちょうだい。孫 にも「おばあちゃん」ではなくって「マミー」と呼ばせているし ね。

     

 見るからに仲のいい母娘。失礼ながら本当に親離れ、子離れして いるのか、と思うほどだった。娘が東京に出て行って初めて距離が とれたと聞いてうなずいた。多くのべたべた母娘にとっては、離れ るタイミングが難しい。


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